2. 貴賓席の主
試合が終わると同時にリドレックは貴賓席へと向かった。
着替えもせずに戦闘服姿のまま、専用通路を駆け抜け直通エレベーターに飛び乗る。
脇には今回の試合の戦利品――一角虎から切り取った角を抱えている。
戦勝報告と共に、総督に手ずから献上するためだ。
貴賓席でリドレックを出迎えたのは、盛大な歓待であった。
「おお! リドレック、待ちかねたぞ!!」
戦いを終えた勇者をアルムガスト・レニエ・ランドルフ総督は、専用席から立ち上がって出迎える。
「見事な戦い振りであったぞ、リドレック・クロスト!」
盛大なる拍手の中、リドレックは総督の元へと赴く。
恭しく差し出された一角虎の角を受け取ると、総督は満面の笑みを浮かべた。
そしてリドレックの肩に手を回すと、貴賓席に居る人々に向かって声を張り上げる。
「諸君! 彼こそがスベイレンが誇る最強の騎士、我が最も信頼する忠実なる従卒リドレック・クロストである――笑え」
最後の一言はリドレックの耳元でささやく。
無理やりにひきつった笑みを浮かべると、カメラマンたちが一斉にシャッターを切った。
リドレックは以前、ランドルフ総督の居る貴賓席に向けて槍を投げつけると言う狼藉を働いている。
噂されている不仲説を払拭するためにも、総督と仲良く並んだ画をマスコミに提供しておく必要があった。
「地上に在っては異教徒共を成敗し、天上にあっては巨人を屠るリドレックの武勲は枚挙に暇がない。残虐非道な人喰い虎も――ご覧のとおりよ!」
手渡された角を総督が高々と持ち上げると、貴賓席から再び拍手が沸き起こる。
「今ここで宣言しよう! 帝国臣民よ、恐れるな! 彼らスベイレンの騎士たちが、帝国の未来と安寧を確約する――ハイランドに栄光あれ!」
『ハイランドに栄光あれ!』
貴賓席に集う人々は一斉に唱和する。
やがて、次の試合が始まった。
本日の最終試合。十二騎士団寮対抗リーグ、桃兎騎士団寮対黄猿騎士団戦だ。
貴賓席の紳士淑女たちが闘技場に姿を現した選手たちに視線を向けるのを確認してから、総督はリドレックに向かって改めて労いの言葉をかける。
「ご苦労だったな、リドレック」
「……いいえ」
深く息をつく。
これでリドレックの仕事は終わった。
疲れ切った様子のリドレックを見て、総督が微笑む。
「まあ、一杯飲んで落ち着け。何がいい?」
「お任せします」
玉座の傍らにある長机は贈答品の山で埋め尽くされていた。
貴人達からの付け届けなのだろう、その内の一つ――リボンの掛けられた酒瓶を手に取り、総督は二つのグラスに注いだ。
未成年相手に平然と酒を勧める総督の粋な計らいに感謝しつつ、リドレックは発泡酒の注がれたグラスを受け取る。
「総督に」
「スベイレンに」
グラスを合わせ乾杯すると、発泡酒を軽く呷る。
一口飲んだだけで上物であるとわかる発泡酒は、口当たりは良いが今のリドレックには少しばかり物足りない。
もっと強い酒が欲しい――喉を焼き尽すような蒸留酒がいい。
そうでなければ、胸の中にくすぶり続ける戦いの余韻を収めることが出来そうにない。
「腹は減っておらんか? 好きな物をつまんでいいぞ」
そう言うと、総督は再び長机に手をかざす。
贈答品の中には酒以外にも、つまみに出来そうな食品もある。
燻製肉に乾酪。魚卵の塩漬けといった食品は、どれも高級品なのだろうが、リドレックの口に合いそうなものは見当たらなかった。
「どうした? 騎士殿のお口には、このような粗末な品は口に合わぬか?」
リドレックの顔色を読み取った総督がすかさず茶々を入れる。
「……いえ、そういうわけでは」
「まったく困ったものだな、舌の肥えた地上帰りには。最上級のキャビアですらお気に召さぬとは」
総督は笑うが、リドレックにとっては深刻な問題であった。
地上での暮らしにおいて、最大の娯楽は食事である。
採れたての野菜に、新鮮な魚。そして、ワインをはじめとする数多くの美酒。
天空島では手に入らない天然ものの食材を、毎日のように好きなだけ食べることが出来るのは地上に住む者の特権である。
地上で本物の味を知ってしまうと、天空島の人工食料はどうしても見劣りしてしまう。何を口にしても、不味くてしょうがない。
「難儀よな。そう言えば、少し痩せたようだな。ちゃんと食っておるのか?」
「食べてる暇なんてありませんよ。……仕事が忙しいもので」
すかさずリドレックはやり返す。
ここ一か月の間、リドレックは側近として総督府の手伝いをしていた。
就任間もないスベイレン総督は未だ引っ越しを終えておらず、また一月前の事件の事後処理に追われていた。
人使いの荒い総督の元、リドレックは多忙な日々を送っていた。
「そうか、そいつは悪かったな」
リドレックの皮肉を気にも留めず、総督は楽しそうに笑った。
「そう言えば、お前と食事をしたことは一度もなかったな。今度、暇を見つけて一緒に食事に出かけようじゃないか。店はお前に任せる。何でも好きな物を食わせてやるぞ」
「何でもと言われましてもね……。スベイレンじゃ碌な店はありません」
ここスベイレンは学園都市である。
上流階級の人々をうならせる料理を出せる店はそれほど多くは無い。
ちょっとした外食に出かけるとしたら、大抵は海鮮料理の《五鱗亭》か、高級ホテルの《パニラント》で落ち着く。
残るのは観光客向けの大衆店しかない。さすがに総督を《ロワイヤル・ファスト》に連れて行くわけには行かない。
「帝都で暮らしておられた。総督をお連れ出来る店なんてそうはありません」
「そんなことを言って、私をだますつもりなのではあるまいな? 本当は私に隠れて、旨いものをたらふく食べているのではないか?」
「そんなことは……」
「では《鶺鴒館》はどうだ? 黒豚料理が食べられるそうではないか?」
「《鶺鴒館》ですか?」
「先程、お前の上司のカイリス・クーゼル殿から通信文が届いた。『ガーメンより黒豚を搬出した。スベイレン《鶺鴒館》にて入荷を確認』だそうだ」
「……ほう?」
それは、十字軍からの定期報告であった。
十字軍では地上と天空島間における物流を管理している。
天空島に戻った今でもかつての戦友は、地上の味に飢えたリドレックの為にわざわざ特産品の情報を流してくれているのだ。
「ガーメンの黒豚料理と言えば有名ではないか。私も是非、口にしてみたい」
「そのような店があったとは存じませんでした。早速、行って確かめてみますか……」
「ああ、そうしてくれ――時に、リドレック?」
黒豚料理のことで頭の中が一杯だったリドレックは、総督の声に我に返る。
「何でしょうか、総督?」
「何故、殺さなかった?」
一角虎の角を見つめる総督の瞳はすでに笑ってはいない。
気さくな性格のランドルフだったが、命令違反を犯した部下に対してはその限りでは無い。
「試合前に殺せと命じたはずだ。一月前の事件で市井の者どもは不安に戦いている。彼らの心に安寧をもたらすためにも、虎の生血は必要であった。幸いなことに客たちは盛り上がってくれたから良かったものの――何故、殺さなかった?」
再び、総督は問う。
その有無を言わせぬ強い調子にひるむことなく、飄々とした態度でリドレックは答える
「虎は、食えませんから」
「……フッ。フッハッハッハッハッ!!」
リドレックの冗談は、総督も気に入ったらしい。
総督の笑い声は貴賓席中に響き渡る頃、最終戦の開始を告げる鐘が鳴った。




