36. 白き翼
警察にソフィーの身柄を預けると、メルクレアは飛光船発着場へと向かった。
上層階にある飛光船発着場ならばスベイレンの全景が見渡せる。リドレックと巨人の戦いを見届けるため、メルクレアは発着場へと急いだ。
駆けつけたメルクレアが見た物は、巨人ごと吊り下げられたリドレックが飛光船から切り離される、まさにその瞬間であった。
「……嘘」
朝焼けに燃える雲海に沈むみゆく巨人とリドレックの姿を見て、メルクレアは絶句する。
やがて轟音と共に発生した火の玉が、雲海を蹴散らした。
「リドレック!」
「……メルクレア!」
悲鳴を上げて膝から崩れるメルクレアの肩にシルフィが手を置いた。しかしメルクレアを支える彼女の顔もまた同様に蒼白であった。
発着場にはメルクレアとシルフィの他に、ライゼとミナリエ、そしてヤンセンの姿もあった。
「……間一髪、だな」
鳴り響く轟音が止むと同時、安堵するようにヤンセンが呟く。
「元々、巨人の寿命は長くなかったんだろう。都市外に出た所で、急激な気圧変化に耐えきれず絶命したんだ」
「何が間一髪だ!」
頼んでもいない解説をするヤンセンをミナリエが怒鳴りつける。
「リドレックは? リドレックはどうなった!?」
「……助かるわけ無いだろう」
茫然とした表情でライゼがつぶやく。
「あの爆発に巻き込まれて無事でいるはずがない。生きていたとしても空の上で何が出来る?」
「そんな、そんな事って……。大体、何でこんな無謀な作戦を立てたんだ!」
「俺が知るか! 文句があるならば、あそこにいる連中に言え!」
吐き捨てると共にライゼは発着場の隅を指さした。
そこには総督とエルメラ寮長の姿があった。
ここから巨人との戦闘の指揮をしていたのだろう。二人は発着場の縁に立ち、並んで雲海を眺めていた。
静寂を取り戻した雲海を眺めるランドルフ総督にメルクレアが駆け寄った。
「メルクレア! 止しなさい!」
総督に掴みかかる寸前、メルクレアの前にエルメラが立ちはだかる。
柳眉を逆立てる寮長の顔が、メルクレアに残っていた理性を呼び覚ます。
「何で!?」
しかし、メルクレアの怒りは収まらない。
メルクレアの事など意に介さず、空を見つめ続ける総督に向かって怒声をぶつける。
「何でリドレックごと落としたの!?」
「他に方法が無かった」
ランドルフ総督は事も無げに答える。
「巨人はいつ爆発するかわからない状態だった。私はスベイレン総督として、都市の住民を守る義務がある。事態を収拾するために速やかな判断が求められていた。そしてリドレックはスベイレンの騎士だ。都市の住民の命を守るために全力を尽くす義務がある」
メルクレアに視線を向けることもなく、リドレックの消えた天空を見つめながら、ランドルフ総督は滔々と語る。
「人の上に立つ者には常に義務と責任が付いて回るのだ。その覚悟が無いのならば皇女を名乗るな」
「だったら、私は皇女になんかなりたくない!」
メルクレアは叫ぶ。
冷酷な任務を命じた総督に、非情な決断を下した総督に、メルクレアは宣言する。
「あたしは騎士になるためにこの学校に来たのよ! 皇女として守ってもらうためなんかじゃない! リドレックのような…… 」
雲海に消えた騎士の姿を思い出し、声を詰まらせるが、
「……リドレックのような強い騎士になるために! 周りにいる皆を守れる強い騎士になるために!」
毅然とした態度で総督に向かって言い放つ。
幼い皇女の姿を、あるいは若き騎士の姿を――やはり振り向くことなく総督は呟く。
「ならば信じろ」
「え?」
総督の言葉に、メルクレアは涙に濡れた目を瞬かせる。
「主君の命を果たす事が騎士の務めだ。私は奴に命じた――必ず生きて帰って来いと。奴が真の騎士であるならば、お前の言うような強い騎士であるならば、必ず私の元へ帰ってくるはずだ」
ここに至って、メルクレアはようやく気が付いた。
総督は信じているのだ――リドレックが帰ってくるのを。
己の騎士が帰ってくるのを――総督は待っているのだ。
巨人と共に雲海に消えたリドレックの姿を目の当たりにしているのにもかかわらず、それでも総督は待ち続ける――自らが死地へと追いやった騎士が帰ってくるのを、総督は微塵も疑ってはいないのだ。
総督として、主君としての義務を愚直に全うし続ける総督は、さらにメルクレアに向けて言い放つ。
「今一つ、騎士の務めは淑女の願いをかなえるためにある――お前がかしづくに足る淑女であるならば、リドレックはお前の元へ帰ってくるだろう」
「……え? ええっ!?」
からかうように付け加えられた総督の一言に、メルクレアの頬が朱に染まるその時、総督の横顔に笑みが浮かぶ。
「……どうやら、お前の言う通りだったようだな」
「……え?」
「リドレック・クロストは、我らの期待に応える強い騎士であったよ」
そして、総督は大空を指さした。
「……あれは!」
乳白色の空の一点。
総督が指し示す先を見つめ、メルクレアは叫ぶ。
練光の輝きを放つ翼をはためかせ飛翔する、光子甲冑を纏った騎士の姿は――
「リドレック!」
まさしく、リドレック・クロストであった。
鳥のように羽ばたきながらこちらへと近づいてくる姿を、着陸上にいる全員が見守る。
大空を舞うリドレックを見つめ、ライゼが叫んだ。
「あいつ、……飛べるのか!?」
◇◆◇
錬光技〈飛行〉。
言わずと知れた高難度の錬光技だ。
白羽のネックレスを媒介。
同時に〈翼盾〉を展開し反重力場を形成。〈飛行〉へと技を発展させる方法を、リドレックは地上での過酷な戦いの中で身に着けていた。
しかし、リドレックにとっても高度一万フィートの高さを飛行するのはこれが初めての体験だった。
標準気圧と濃密な酸素に恵まれた地上とは勝手が違う。
使い慣れない高難度の錬光技は使用者の精神力をそぎ落とす。
〈茨の剣〉を最大放出した直後――精神力は既に限界を超えている。
それでもリドレックは荒れ狂う気流の中、必死で〈翼盾〉を操る。
天空島の周囲を取り巻く気流を捕まえ滑空。頭から落ちるようにスベイレン領空内に帰還する。激突する寸前に姿勢を戻し、着陸上に降り立つ。
スベイレンまでたどり着けたのは、まさに奇跡であった。疲労困憊のリドレックは、片膝をついた姿勢でうずくまる。
しかし、決して倒れはしない。
「リドレック!」
メルクレアが呼んでいる。
彼女の前で無様な姿を見せるわけにはいかない。
疲れ切った体に鞭を打ち、リドレックは立ち上がる。
「リドレックーっ!!」
メルクレアが駆け寄ってくる。
リドレックを信じてくれた少女が、生きて帰ることを望んでくれた少女が、こちらに向かってやってくる。
無事な姿を見せるべく、ヘルメットを取り微笑
ドガッ!!
……もうとしたその瞬間、メルクレアの拳がリドレックの顔面に炸裂する。
「……っ!!」
助走をつけた会心の一撃を喰らい、リドレックは悲鳴を上げることも出来ず昏倒する。
「心配かけさすんじゃないわよ! バカ!!」
大の字になって倒れるリドレックに向けて、メルクレアは憤然と言い放つ。
「…………きゅう」
しかし彼女の声は、完全に気絶しているリドレックの耳に届きはしなかった。
◇◆◇
「ご存じだったんですか?」
横たわる騎士の姿を見つめ微笑む総督に向けてエルメラが詰問する。
眉を吊り上げ、凄味の効いた声で――少女達を叱りつける時と同じ調子でランドルフ総督に訊ねる。
「リドレックが〈飛行〉を使えることを知っていた上で、この作戦を実行したのですか?」
「……当前だ」
わずかな逡巡をエルメラは見逃さない。
鋭さを増した視線を無視して、今度はランドルフ総督がエルメラに訊ねる。
「どちらなのだろうな?」
「え?」
「リドレック・クロスト。スベイレンの若き騎士は誰のために戦い、そして誰の元へと帰って来たのだろうな?」
メルクレアに殴られ大の字になって横たわるリドレックを見つめる。
「主君の命を果たすためか? それとも、乙女の祈りをかなえるためか……」
「……どっちでもいいでしょう」
戯言と思ったのだろう。エルメラは深々と溜息をついた。
「わたしはみんな無事に生きていてくれただけで十分ですよ。シーズン始まったばかりで、主力選手に死なれたんじゃ目も当てられない。……それより、どうするんです?」
言うとエルメラは中空の一点を指し示した。
その先には一隻の飛光船が浮かんでいた。
何本もの大砲が突き出た武骨な船体は、軍艦であることを示していた。装甲が施された船腹には、でかでかとハスラム公爵家の紋章が描かれていた。
「ハスラム大公国正規軍の船です」
スベイレンに破滅をもたらすべくやってきた飛光船は着実に近づいてくる。
船の中にはハスラム公国の騎士たちが乗っている。目的はスベイレンの制圧。飛光船が到着したその瞬間、この天空島は戦争状態に突入する。
「偉そうなことを言うんだったら、総督としての務めを果たしてからにしてください」
「任せておけ」
その根拠がどこにあるのか、自信に満ち溢れた顔でランドルフは答える。
リドレックが騎士としての務めを果たしたように、今度はランドルフ卿が総督としての力量を見せつける番だ。