35. 巨人の咆哮
リドレックはナイトメアを駆り、巨人のいる中層階へと向かった。
スベイレン内部の環状高速通路に対向車の影は無い。
夜間における物資搬入作業は禁止されている。おかげで速度制限を無視してナイトメアを走らせることが出来た。
時速120マイルで疾走するナイトメアに跨り、リドレックは総督の考えた作戦を聞いていた。
『――手順は以上だ。何か質問はあるか?』
「無茶苦茶だ!」
一通り説明を聞き終えると、リドレックはヘルメット内臓の無線機めがけて叫んだ。
総督は現在、上層部の飛光船発着場に居る。
暴れる巨人の姿を、見通しがいい発着場から試合観戦よろしく眺めているに違いない。
安全地帯に居る指揮官の立てた作戦は――予想通り、碌なものではなかった。
「こんなもの作戦と呼べるんですか!?」
『無茶でもやるしか無いんだよ!』
リドレックの抗議に負けじと総督も怒鳴り返す。
『他に方法が無いんだ、しょうがないだろ。文句を言わずに黙って従え。この件がうまく行ったら、それなりの報酬は約束する』
「じゃあ退学届を受理してください」
リドレックは先日提出して却下された退学申請を持ち出した。
「こんな学校もう、うんざりだ! 地上で泥まみれになって戦っているほうがよっぽどマシだ!」
『それは駄目だ』
「あ、やっぱり」
『お前みたいに使える奴をそう簡単に手放してなるものか。これからも思う存分、こき使ってやるからな――だから、必ず生きて帰って来い。こんな所で死ぬんじゃないぞ!』
「……死にてぇ」
などと話しているうちに、リドレックは中層階に到着した。
高速通路のランプを降りて闘技場通りに出る。
中層階の中央を縦断する闘技場通りはスベイレンで最も広い幹線道路である。警察による避難は既に済んでいるらしく周囲に人の気配はない。
すでに日が昇る時刻になっていた。
街灯は消え、周囲は早朝の日差しに包まれている。
路上に穿たれた足跡をたどり闘技場通りを外苑に向けて走らせていると、やがて視界の先に巨影を捕えた。
朝焼けに燃える空を背に、闘技場通りを巨人が進む。
全身から煙をたなびかせ、巨人は円形闘技場方面へと歩いてゆく。
周囲に目ぼしい目標がいないため、取り敢えず今は落ち着いているようだ。
赤茶けた硬質な皮膚に発汗作用など無きに等しい。ひび割れた皮膚の間から立ち上る白煙を見つめ、リドレックは巨人の限界が近いことを悟った。
早速、リドレックは巨人退治に取り掛かった。
道路脇にナイトメアを乗り捨てると、リドレックは徒歩で巨人に近づいた。
愚鈍な巨人が気づかれることは無いと知りつつも、姿勢を低くし忍び足で巨人の背後に回り込む。
「ハッ!」
気合と共に〈茨の剣〉を発動。
剣先から生えた茨を巨人の首筋に向けて投げつける。
投げ縄のように放たれた緑の茨が巨人の首に巻きついた。
首にまとわりつく茨に、巨人は気にも留めずそのまま歩き続ける。リドレックの体が引きずられる。
伸びきった茨を巻き取り巨人の背中に飛び乗る。
巨人の体は高温の熱気を帯びていた。
ひび割れた肌から立ち上る蒸気のせいで視界はすこぶる悪い。
最悪のコンディションの中、リドレックは茨を手繰り、足をかけ、巨人の 背中をロッククライミングよろしくよじ登ってゆく。
首筋まで到達したところで、総督に通信を送る。
「巨人に取りついた、始めます!」
『了解、いつでもいいぞ!』
合図と共に〈茨の剣〉を巨人の首筋に突き立てる。
二十フィートを優に超える体躯の巨人にとって、短剣の一突きなど蚊に刺されたようなものだ。相変わらず巨人は首筋に立つリドレックに気づくことなく歩み続ける。
もとより巨人を倒すつもりなど無い。リドレックは突き立てた短剣に意識を流し込む。
リドレックの思考に〈茨の剣〉に内蔵されている六個の錬光石が反応する。
短剣の先から新たな茨が生える――一本、二本、三本。増殖する茨は触手のように蠢きながら巨人の体に絡みついてゆく。
首から胴へ、胴から四肢へ――一爆発的に伸びた茨が巨人を拘束してゆく。
伸び行く茨がくるぶしに絡みついたところで、ようやく巨人が足を止めた。同時に、リドレックも意識を固定し茨の放出を止めた。
場所は円形闘技場の手前二百ヤード。
全身を茨で埋め尽くされた巨人の姿は、さながら苔むした彫像のようであった。
(…………クッ)
巨人の首筋に立つリドレックは〈茨の剣〉を必死で制御していた。
限界までその力を放出した光子の茨は、少しでも制御を過てばたちまちリドレックに襲い掛かることだろう。
やがて頭上に一隻の飛光船が現れる。
ランドルフ総督の御座船《気高き乙女号》はスベイレン光子領域を航行。巨人の頭上で停止した。
「うおおおおおおおおおっ!」
再び〈茨の剣〉に意識を流す。さらに伸びた茨が頭上の飛光船に向けて伸びてゆく。茨は飛光船のアンカーに絡みついた。
「繋がった!」
『よし、そのまま維持しろ!』
総督に合図を送ると、飛光船は上昇し始める。
茨でつながった巨人の体が宙に浮きあがる。
十フィートほど上昇して飛光船は都市外部に向けて移動を開始した。
程なく都市外縁部に到達。飛光船は周囲にシールドを展開。都市を覆う シールドを中和、内部から突き破る。
都市を出た飛光船を突風が襲う。
乱気流に振り回されつつも〈茨の剣〉だけは決して離さない。
リドレックを襲う脅威は突風だけではない。
スベイレンの軌道高度は約一万フィート。高度が上がれば気圧も低下する。低酸素と冷気の中で、人間は長くは生きられない。
幸いなことにリドレックの着ている光子甲冑は生命維持装置が備え付けられており、短時間ならば高高度での活動は可能である。
しかし当然のことだが、巨人の体には何の備えもなかった。
「ウオォォォォッーッ!」
巨人が吠える。
鳴くような嘶きは、巨人の命が付きかけていることを示していた。
このままでは、巨人はスベイレンを巻き込み大爆発を起こすだろう。リドレックは急いで巨人の戒めを解いた。
〈茨の剣〉に思考を流す。
しかし、最大限に伸びきった茨をすぐに解くことはできなかった。焦りながら、もつれた糸をほどくように一本、一本、茨を解いてゆく。
茨の下から姿を現す巨人を見つめ、リドレックは胸中で叫ぶ。
(……間に合わない!)
巨人の熱く焼けただれた肌を見て死を覚悟したその時、飛光船と係留アンカーを繋ぐボトル破裂する。
おそらくは総督の指示なのだろう。
リドレックの考えを見透かすようなタイミングでアンカー・ケーブルは強制排除された。
乱気流にもまれながら、リドレックと巨人は地上に向けて真っ逆さまに落下していった。
自由落下に身を任せながらリドレックは笑う。
一切の躊躇のない総督の決断に、リドレックは怒りも憎しみも感じてはいなかった。
騎士としての務めを果たした達成感も、街を守り切った安堵もない。
リドレックの胸中にあるのは、爽やかな解放感だけだ。
あらゆるしがらみから解き放たれ、真の自由をリドレックは満喫する。
眼下を見下ろすと、雲海の狭間に地上が見える。
着地の事は別問題として、このまま落下運動に身を任せれば、地上へと帰還することが出来る――リドレックが愛してやまない地上へと変えることが出来るのだ。
緑なす自由の大地にその身を横たえる――それはリドレックにとって例え様もなく魅力的に思えた。
頭上を見上げると、遠ざかるスベイレンの姿が見える。
偽りの大地を見つめ、そこに居るはずの少女の姿を思い浮かべる。
戦いへと赴くリドレックに向け、少女が言った願いの言葉、
――絶対に生きて帰って来て。
(……そういえば)
リドレックはこれまで数多くの試合に出て、実戦も経験した。
死ぬ気で戦えと言われたことは幾度もあったが、生きて帰って来いと言われたのはこれが初めてだった。




