30. 迷走の夜
三人が初めて顔を合わせたのは桃兎騎士団寮の薔薇園だった。
薔薇はハルシュタット家の人々が最も愛する花である。
ただ美しいだけでなく、薔薇には鋭い棘がある。
窓や壁に蔦を絡ませれば、侵入者を阻む防犯設備としても利用することが出来る。金融家であるハルシュタット家にふさわしい、美と合理性を兼ね備えた花である。
本家の屋敷ほどではないが桃兎騎士団寮の薔薇園も見事であった。
季節のないスベイレンでは自在に花を咲かせることが出来る。特に薔薇のようなデリケートな花を育てるには適した環境であった。
四方を薔薇の垣根で囲まれた薔薇園は見通しが悪く、密会の場に適していた。
夏の終わり。新学期を控えた直前の時期に、エルメラ寮長の手配で皇女と護衛役の少女二人の初顔合わせが行われた。
エルメラはまず、護衛役の少女達に新しく仕えるべき主を紹介した。
「この方が皇女殿下よ――礼は必要無いわ」
貴族の作法に則り恭しく腰を折り、首を垂れる二人をエルメラは制する。
「彼女に対して礼儀を尽くす必要はないわ。彼女が皇族の一員であることを外部に知られては困ります。この学校に居る間、皇女殿下には一般の学生と同じようにふるまっていただきます。あなた達もそのように接するように」
エルメラに言われて、二人の少女は顔を上げる。
金髪碧眼、抜けるような白い肌は貴族社会では一般的な容貌である。
自分の姿によく似た姿に目を丸くする皇女に向けて、エルメラは少女達を紹介する。
「皇女様、彼女達があなた様の護衛を務めます。いずれもハルシュタット家、縁の者ですので信頼してくださってよろしいです。ご覧の通り外見、年齢、背格好――皇女殿下によく似た少女を集めました。御身を守る護衛として、あるいは影武者としてお役立てください。あくまでも護衛ですので、侍女として身の回りのお世話をさせたりなどしないようにお願いします」
皇女に釘を刺すと、再び護衛役の少女たちに向き直った。
「あなた達には皇女殿下と一緒に生活してもらいます。寝食を共にし、皇女殿下に付き従い、常に三人一緒に行動するように。そして皇女殿下の身に危害をおよぼす刺客たちから、その身を挺してお守りするように」
エルメラの命に二人の少女は無言で頷いた。
まだ幼さの抜けない少女達の瞳には、並々ならぬ決意が浮かんでいた。
それは死を覚悟した者のみが放つ、決意の輝きであった。
「あなた達は皇女殿下の御身をお守りするためにここに居るのだということを忘れないで頂戴。何があっても皇女殿下のお命だけは絶対に守りなさい。いいわね? 何があっても――」
◇◆◇
「――だから、何があったのよ!」
夢と現実の声が重なるとき、メルクレアは目覚めた。
メルクレアが意識を取り戻したのは真夜中、もうすぐ日付が変わろうかという時間帯だった。
慌ててあたりを見渡す。
白一色で統一された室内はそこが病室であることを示していた。
何より自分が寝かされているのが、病人用の介護ベッドであるのだから疑い様が無い。
ベッドの周りはカーテンで覆われている。
「……う」
小さなうめき声をあげるとベッドから身を起こす。薬による影響だろうか、起き抜けでも頭の中はすっきりしていた。
メルクレアの脳裏に倒れる前の光景がよみがえる。
破壊され炎に揺れる街並み。
瓦礫の山に横たわるおびただしい数のけが人と死体。
そして、メルクレアの体に覆いかぶさるようにして倒れた友人の姿。
「……ミューレ」
自分をかばい血まみれになった友の顔に、身を震わせる。
やがてもう一人の友人の姿が無い事に気が付いた。
「何でシルフィが誘拐されなきゃならないのよ!?」
カーテンを一枚隔てた向こう側から、エルメラの怒声が響く。
メルクレアにとってエルメラは頼れる先輩であると同時に畏怖の対象でもあった。
出会ってまだ日が浅いが彼女の恐ろしさは身をもって知っている。彼女の声には深い眠りの淵にあっても体が勝手に反応するようになっていた。
「内通者がいることは判っていたでしょう! だからリドレックを護衛に着けたんでしょうが!!」
「そのリドレックが裏切ったんですよ!」
詰め寄るエルメラにうろたえるジョシュア――言い争う二人の姿がカーテン越しに影絵のように浮かぶ。
「だから、何で! 何でリドレックが裏切るのよ!?」
「僕も詳しいことは知らないんですが、向こうで色々あったようです。橙馬騎士団の連中が押しかけて来たとか、巨人の襲撃にあったとか……」
「何? 巨人って何よ!?」
「地上から運び込まれた十字軍の戦利品です。置き場所が無いんで上層階の発着場に放置されていたのをテロリストに奪われたらしいです。現在も街の中で暴れまわっているそうで、総督府でも大騒ぎになっているそうです」
「それで、シルフィの居場所は判っているの? まさかとは思うけど、居場所がわかんないとか言うつもりならいい加減あたしもキれるわよ」
「その辺は大丈夫です。シルフィを連れたリドレック、ソフィーの三人は下層の東区画、E-35倉庫に居るようです」
「そこがテロリストたちのアジトね。よし、総督に報告して支援部隊を回すように言って頂戴」
「それが……」
「何? まだ何かあるの!?」
「警察は全員、さっき話した巨人対策に回してしまったそうです。こっちにまで人手が割けないと……」
「あンの腐れ総督。……わかったわよ、あたし達だけでやるわ。ライゼたちはまだ寮に居るのよね?」
「ちょっと寮長、ここは病室ですよ。すぐそこにメルクレアが寝ているんですよ。光子力通信使うなら外でやってください」
「それもそうね。一先ず外に出ましょうか?」
「……って、え? 僕も出るんですか?」
「当たり前よ! 女の子が寝ている部屋に二人っきりにするわけにはいかないでしょ!? このスケベ!」
「わ、わかりました。外に出ます、出ますから引っ張らないで!」
「ライゼ、聞こえる? そっちの状況は……」
ドアの閉まる音と共に、二人の話し声も消えた。
二人のやり取りのおかげでおおよその事情は分かった。
そして自分が為すべきことも心得ている。
一挙動でメルクレアはベッドから飛び降りた。
ベッド脇には所持品と服が置いてあった。爆発でボロボロになった制服に着替えるのをあきらめ、武器だけを手に取るとメルクレアは寝間着姿のまま病室を抜け出した。
目指す先は下層の東区画、E-35倉庫
◇◆◇
『――そっちの状況は?』
「……最悪です」
ホロ・モニターに向かって、ずぶ濡れのライゼはそう答えた。
時刻は既に深夜を回っている。
池の水にたっぷり浸かって寒空の下に佇んでいるのだ。他に形容しようがない。
実際、最悪としか言いようのない状況ではあった。
濡れ鼠のライゼをはじめ桃兎騎士団寮の前庭には負傷者と死体であふれかえっていた。
暴徒と化した橙馬騎士団の生徒達は、突如出現した巨人の襲撃によってあっさりと壊滅した。幸いなことに巨人は橙馬騎士団の生徒達を一方的に蹂躙すると、いずこかへと立ち去って行った。
巨人の襲撃を辛くも逃げ延びることが出来た橙馬騎士団の生徒達を、ライゼたち桃兎騎士団の生徒は中庭に招き入れた。
負傷者を手当てし、死体を回収し、生存者に温かい食事を与え、桃兎騎士団の生徒達は総出で作業に当たった。
敵地である桃兎騎士団寮の中庭で橙馬騎士団の生徒たちは居心地悪そうなそぶりを見せつつも黙って施しを受けていた。
その中には寮長のハスレイの姿もある。
どうやら巨人は動くものに攻撃を仕掛ける習性があるらしい。攻撃もせず逃げもしない臆病者は興味の範囲外にあったようだ。
大勢の部下達を失ったハスレイは打ちひしがれたようにうなだれたまま、身動き一つしていない。
一通り状況説明を終えると、エルメラは次にライゼたちの容体を尋ねた。
『それで、あんたたちは大丈夫なの? リドレックにやられたって聞いたけど』
「ラルクが負傷しましたが、大した怪我ではありません。サイベルはまた妙な技を喰らって意識不明。ほっとけばそのうち目を覚ますでしょう」
『動ける人間はいる?』
「ヤンセンとミナリエ――俺も大丈夫です。ちょっと水に浸かっただけですので」
ソフィーの剣も、リドレックと同様にフィルターが掛けられていたらしい。
おかげで不意打ちを受けたヤンセンとミナリエは気絶させられただけで済んだ。大した怪我もなく、二人とも今は起き上っている。
溺れて気を失ったライゼも今はもう回復している。
本調子ではないが、贅沢を言っている余裕はない。裏切り者二人に皇女を奪われたのだ。この失態を償うためにも無理を圧してでも動かねばならない。
『それじゃあ、ヤンセンとミナリエを連れてシルフィの追跡に向かって頂戴』
「追跡? って居場所がわかるんですか?」
『シルフィは今、下層の東区画、E-35倉庫に居るわ。リドレックとソフィーも一緒よ』




