2. 選ばれし精鋭
「やっぱりあいつ、リドレック・クロストだったのか!」
寮長室に消える背中を見送り大柄な青年――元、橙馬騎士団所属、ライゼ・セルウェイは呟いた。
スベイレン騎士学校の中でもトップクラスに位置する選手であるライゼは、司令塔としての評価も高い。
長年にわたり橙馬騎士団寮の監督生を務めていた実績を買われ、今季から桃兎騎士団でその采配を振るう事になっていた。
「何を今更」
四個目のスコーンを頬張りながら、小柄な少年――元、黄猿騎士団所属、サイベル・ドーネンは呆れた様子で言った。
ベテランのライゼに対してサイベルは去年入学したばかりの新人である。
経験こそ少ないがその実力は確かであり、前シーズンは新人王の座を手にしている。
「誰だと思ったんですか?」
ティーカップに茶を注ぎつつ、黒髪の女性――元、碧鯆騎士団所属、ソフィー・レンクは微笑んだ。
才色兼備で知られるソフィー・レンクは、スベイレンの男たち全ての羨望の的である。
また高度な錬光技を操ることができる術者であり、闘技大会においても好成績を収めている。
「いや、夏休み前に見た時と、なんとなく印象が違ったから……」
「髪の色が違うからだろ?」
ソフィーが差し出したティーカップを受け取りながら、白衣の男――元、灰狐騎士団所属。ヤンセン・バーグが指摘する。
ヤンセンは博士号を持つ優秀な技術者であり、光子武器や自動歩兵、ナイトメアやチャリオットなどの機動兵器に至るまで――ありとあらゆる兵器を扱う専門家であった。
「以前は濃い茶色だった。染めたんだろうな」
「ああ、そうか。……それで、なんであいつがここに居るんだ?」
「移籍したそうですよ」
ライゼの疑問に、トレード事情に詳しいソフィーが答える。
「移籍金なし、条件なしの無償トレードだったそうです。寮長は『タダで選手を確保できた』と言って、喜んでいました」
「あんな奴、拾ってどうすんだよ?」
嘲るような調子でサイベルが言った。
入学二年目であるサイベル・ドーネンは、昨年度の新人王を獲得している。上級生相手に不遜な態度をとるのも、その高い自負心の表れであった。
「二年連続最下位の《白羽》だぜ? 得意技と言えば、逃げ足と死んだフリ――何の役にも立たねぇだろ?」
「そんなことは無いぞ。あいつはあれで、色々と使える男だ」
上級生を平然と罵倒する新人王を、ヤンセンが遮る。
「あいつには時折、実験の助手を頼んでいる。奴のおかげでウチの研究室はとても助かっているぞ」
スベイレン騎士訓練校では新人騎士の教育機関であると同時に、新たな技術と理論を実践する研究機関の側面を持ち合わせている。
学内にある研究棟では、学生騎士たちによる新兵器の開発、実験が行われている。
「実験って、どんな?」
「新型兵器の実験台だ。すばしっこいし、打たれ強いから滅多なことで死ぬことはない――事故が起きて死んだとしても、誰も文句は言わないしな」
冗談か本気かわからないヤンセンの発言に、談話室の一同は苦笑する。
笑い声に誘われて、談話室の前を通りかかった青年が足を止める。
「やあ皆、何話してるんだい?」
柔らかい金髪をたなびかせる長身の青年は、魅力的な笑みを浮かべて談話室の面々に声をかけた。
「リドレック・クロストが来ている」
「リドレックが? 何で?」
「ウチに移籍したそうだ」
「本当かよ! あいつ退学になったんじゃないのか?」
ソファーに腰を落ち着けながら――元、青象騎士団所属。ラルク・イシューが驚きの声を上げる。
ラルク・イシューは元老院議員にその名を連ねるイシュー家の跡取り息子である。
その貴公子然とした立ち居振る舞いは、騎士学校の女子達を常に魅了してやまない。
「だって二年連続最下位だぜ? 流石に学校側も除籍処分にするしかないだろう?」
「知るかよ。お前、あいつと同期だろう? 何か聞いてないのか?」
「いいや、夏休み中は誰とも連絡とってなかったから。同期ってんなら、ミナリエもそうだぜ。彼女なら何か、……おっと、噂をすれば!」
扉に目をやると丁度、寮長室からリドレックが出てくるところだった。
談話室の面々が、話題の主に注目する。
童顔のおっとりとした顔立ちに肉付きが薄く痩せた体格は、騎士学校に通う生徒とは思えないくらいに覇気に欠けていた。
日に焼けた小麦色の肌に、手入れのされていない不揃いの髪はムラのある枯葉色をしている。
寮長室で何かあったらしく、ひどく疲れきった様子だった。肩を落とし、とぼとぼとした足取りで寮長室を後にする。
廊下の向こう側へと消えてゆくリドレックの姿を見送ると、ラルクは吹き出した。
「何だ、あの髪! 似合わねぇ!!」
ラルクは髪の色の変化に気が付いたらしい。
枯葉色の髪を見て笑い転げるラルクに気づくこともなく、リドレックは廊下の向こうへと消えてゆく。
リドレックと入れ替わりに、長身の女性がこちらに向かって歩いてくる。
「……なあ、今すれ違ったの、もしかしてリドレック・クロストか?」
大笑いしているラルクに向かって――元、赤牛騎士団所属、ミナリエ・ファーファリスが訊ねる。
長身で凛とした佇まいのミナリエ・ファーファリスは、スベイレンの女子学生の頂点に立つ選手である。
男を相手に一歩も引かない果敢な試合ぶりは、学内の女子選手たちの模範とされている。
「ああ、そうだぜ。あの髪、見たか?」
「見た。何だあれは、みっともない。格好いいとでも思っているのか?」
男勝りの女傑はリドレックの軟弱な容姿が気に入らなかったらしい。
立腹したように頬を膨らませると、乱暴なしぐさで談話室のソファーに腰掛けた。
「新学期に向けてイメチェンしているつもりなんだろ。キミと同じさ」
隣に座ったミナリエの耳元で、ラルクは艶っぽい声で囁く。
「何のことだ?」
「驚いたよ。夏休み明けに再会したら、バッサリ短くなっていたんだもん。きれいな髪だったのにもったいない」
ラルクがミナリエのブルネットを指した。
騎上槍試合の王者にしてプレイボーイであるラルクにとって、ナイトメアと女性の扱いはお手の物だ。
さりげない仕草でミナリエの体に手を回す。
「恋をしたんだね、ミナリエ。それも悲しい恋だ」
「違うわ。馬鹿者」
多くの女性を魅了してきたラルクの手管も、年間女子最強選手の前には通用しなかった。
短く切りそろえたブルネットに触れようとするラルクの手を叩き落とす。
こういったふざけたじゃれ合いが出来るのも、同期ならではの気安さであった。
叩かれた手を振り、ラルクは笑いながら続ける。
「隠すなよ。夏休み中は実家に帰省していたんだろ? 初恋の彼氏とか、幼馴染との再会とか、いろいろあるだろうに。そういうのって、大抵うまくいかないんだよな。そんで失恋の痛手を癒すために、乙女の命である髪の毛をバッサリ――」
「そんなわけあるか」
勝手な妄想を膨らませるラルクを無視して、ミナリエはワゴンの中からスコーンを取り上げる。
「実家に帰省した所で何があるわけでもないだろう。本当、退屈な夏休みだったよ。ずっと屋敷の中に引きこもって、連日くだらないパーティーに駆り出されていた――みんなは夏休みをどう過ごしたんだ?」
チョコチップが散りばめられたスコーンを一口齧ると、ミナリエは話題を変えた。
「俺もまあ、似たようなもんだ」
空想の恋話を切り上げて、ラルクが答える。
「親父の名代であっちこっちに挨拶回りに行かされた。毎日パーティーと会食で、体重が増えたよ。まあ、シーズンが始まったらすぐに痩せるだろうけどけどな」
元老院議会に席を持つイシュー子爵家の跡取りは、多忙な夏休みを過ごしたようだった。
スベイレンでは彼のような上級貴族の子息は珍しくは無い。彼らにとって、騎士修行は重要な社会勉強の場である。
この学校での経験は近い将来、帝国を支える貴族社会で役立たれることになるだろう。
「俺は剣術修行をしていたんだ!」
威勢よく言うと、サイベルは剣帯から光子剣を取り出すと、得意げに掲げる。
「真耀流の道場で長剣術の修行をしていたんだ。わざわざベイマンにある宗家道場に行って稽古をつけてもらったんだ。夏中、みっちりと修行したおかげで初伝の免状を貰ったんだぜ」
数ある流派の中でも真耀流は最も格式の高い剣術道場として知られている。
彼の言う通り、柄頭には初伝を示す黄肌色の組紐が巻かれていた。サイベルの年齢で免状を得るのは並大抵の努力ではできないことだ。
「わかった、わかった。……わかったから剣をしまえ! そんなもん見せびらかすもんじゃない」
おもちゃのように光剣を振り回すサイベルをライゼが諌める。
武器の持つ危険性を心得ず、軽々しく扱うようではまだまだ修行が足りないようだ。
「私はオフェリウスに行っていたわ」
サイベルが剣をしまうのを見計らって、ソフィーが近況を語る。
「大学で人文科学と社会学の講義を受けてきたの。他所の学校の授業は新鮮で面白かったわよ」
「そいつはうらやましいな」
オフェリウスと言えば、帝国国内における最高峰の総合大学である。
技術者の憧れである学究都市の授業が余程羨ましかったらしく、ヤンセンは溜息をついた。
「俺はずっと研究室に引きこもっていた。研究しなくちゃならないことがたくさんあるし、来シーズンの準備もしておかなければならない。……技術屋に休みなんてないんだ」
ヤンセンのぼやきに一同が笑う。
ここにいる皆は充実した夏休みを送っていたようだ。
それぞれが近況を語り終えると、最後に残ったライゼに注目する。
皆の話を聞いておいて、自分だけ黙っているわけにもいかない。
急かされるような空気の中、ライゼが口を開く。
「俺は仕官先回りをしていた」
「仕官先、決まったんですか?」
「決まっていたらここに居ないだろう」
ラルクが就職活動の成果を尋ねると、ライゼは渋い顔で首を振る。
「帝都まで面接に行ったのに空振りだった。まったく、年を追うごとに雇用状況は厳しくなって行く一方だ。このままじゃ、いつになったら卒業できることか……」
「気を落とさないでください、ライゼさん。また一年、ここで頑張ればいいじゃないですか」
ソフィーが慰めの言葉をかけるが、あまり効果はなかったようだ。
「頑張るって言っても桃兎騎士団じゃなあ……」
豪勢な造りの部屋を見渡し、拗ねの入った口調で答える。
「何しろ前年度最下位騎士団寮だからな。スカウトの目も届かないだろうし、活躍の機会も少ないだろう」
「そんなことはないさ、ライゼ先輩」
いい年をして拗ねるライゼの姿が面白かったのだろう。笑いながらラルクが言った。
「最下位には最下位なりのアドバンテージってのがある。最下位チームにはドラフト会議でトレード優先権がある。
おまけにここは桃兎騎士団、金の力で他所のチームから有力選手を自由に引き抜くことが出来る――ここに居る皆を見てみなよ」
そう言われて、談話室に居並ぶ面々を順に眺めてゆく。
騎上槍試合の王者――ラルク・イシュー。
女子最強選手――ミナリエ・ファーファリス。
新人王――サイベル・ドーネン。
博士号――ヤンセン・バーグ。
美貌の才媛――ソフィー・レンク。
そして、古豪――ライゼ・セルウェイ。
以上、六人は夏休み中に行われたドラフト会議で桃兎騎士団に移籍してきた有力選手だ。いずれも前年度は華々しい成績を収めている。
「これだけの面子が揃っているんだ。優勝だって十分、狙えるぜ」
大口を叩くラルクに、一同は自信に満ち溢れた笑みを浮かべる。
確かにこれだけの戦力があれば、優勝杯を手にすることも夢ではないはずだ。しかし――
「どれだけ英才を揃えても、一人の愚物が台無しにしてしまうものだ……」
その呟きについて問い返す者は居ない。
その『愚物』が誰なのか、口にせずともここに居る誰もがその名を知っている。
《白羽》――リドレック・クロスト。




