28. リドレック、暴走
エルメラの指示通り、シルフィは桃兎騎士団寮内にある自室に待機していた。
メルクレアもミューレも――リドレックも居ない。
新入生用の狭苦しい部屋で一人、ベッドに腰掛け、ただじっと時が過ぎるのを待ち続けるのは、シルフィには耐えがたい苦痛であった。
病院にはメルクレアとミューレが入院している。
二人が怪我を負ったのはシルフィの責任だ。
暗殺者たちの狙いは皇女の命。本来、狙われるべき立場のシルフィの身代わりとなって彼女たちは負傷したのだ。
二人の容体が気がかりだったが、今のシルフィに知る術はない――知ったところで何もできない。
表では橙馬騎士団寮の生徒達が騒いでいる。
彼らが桃兎騎士団寮に押し寄せて来たのもシルフィの責任だ。
橙馬騎士団に偽装した刺客達からシルフィを守ってくれたのはリドレックだ。そのせいでリドレックは危うい立場に立たされてしまっている。
リドレックが今後、どのような扱いを受けることになるのか気がかりだったが、今のシルフィ知るすべはない――知ったところで何もできない。
皇女としてシルフィの出来ることは唯一つ、何もせずじっとしていることだけ。
シルフィは皇女と言う立場の重みを改めて思い知らされた――皇女とは、こんなにも孤独で、こんなにも無力であったのだ。
ベッドに腰掛け無力感に打ちひしがれていると突如、弾けるよう部屋の扉が開いた。
「リドレックさん?」
突如、部屋の中に飛び込んできたのはリドレックだった。
ベッドから立ち上がるとシルフィは、大慌てで部屋に飛び込んできたリドレックを不思議そうに見上げた。
リドレックは部屋の中を見渡し、さらにシルフィに訊ねる。
「……お前だけか?」
「……? ええ」
他に人がいないことを確認すると、リドレックは自分のベッドに置いてあるバッグを取り出した。
バッグの中には光子甲冑と武器一式が詰め込まれていた。
試合が終わってからそのままにしておいたのだろう。
リドレックはバッグに手を突っ込み雑然と押し込められた装備を取り出すと、ベッドの上に次々と並べてゆく。
「……何かあったんですか?」
無言で戦闘準備を進めるリドレックに、不安そうな顔でシルフィが訊ねる。
「さっき、内通者の方から接触してきた」
「えっ?」
「取引を持ち掛けて来た、お前を殺してほしいそうだ」
「…………!」
いよいよ姿を現した刺客に、シルフィが息をのむ。
「表の騒ぎは知っているだろう? お前さんの命と引き換えにここから助け出してくれるそうだ」
「……それで、取引に応じるつもりなんですか?」
「断ったに決まっているだろう。バカバカしい」
身構えるシルフィにそう答えると、リドレックはアンダースーツを手に取り着替えを始める。
上着に手をかけ服を脱ぎだすと、シルフィは慌てて目を背ける。
「相手は手段を選ばないテロリストだ。まともな取引なんて出来るはずがない」
アンダースーツに袖を通しつつ、シルフィの背中に向けてリドレックは話を続ける。
「指示通りこの場でお前を殺して、テロリスト達が約束を守らなかったらどうなる? 橙馬騎士団の連中よりも先にエルメラ先輩に殺されちまう」
「……そうですよね」
これだけの危機的状況にもかかわらずリドレックは至って平静であった。
話ながらも身支度を整えると、リドレックは次に武器を取り出した。
長剣にはフィルターが掛けられたままになっていた。試合で使用したまま バッグの中に放り込んでいたため、解除するのを忘れていたのだ。
「ああ、お前の命は重要な取引材料だ。僕の身の安全が保障されるまで、死なせるわけにはいかない。だから……」
突如、光子剣を起動すると、シルフィの無防備な背中に向けて振り下ろした。
「……アッ!!」
完全な不意打ちにシルフィはなす術もなく床に倒れる。
弱装状態の剣で打ち据えられ昏倒するシルフィに向けて、リドレックは呟いた。
「……生け捕りにすることにした」
◇◆◇
気絶したシルフィを肩に担いで、リドレックは急いで一階へと降りた。
とにかく時間が無い。
ライゼたちがリドレックの裏切りにすぐに気づくだろうし、気絶したシルフィも時機に目を覚ますだろう。表に居る橙馬騎士団の連中もいつ踏み込んでくるかはわからない。
一刻も早く桃兎騎士団から逃げ出すべく、リドレックは玄関へと向かった。
迅速に行動したつもりだったのだが、それでも遅かったようだ。
エントランスホールには既に、追手が待ち構えていた。
ライゼを筆頭に移籍組の六人――いずれもスベイレン騎士学校の中でも屈指の使い手達である。
上手くやったつもりだったが、監視システムに引っかかってしまったようだ。
追手たちは行く手を阻むように、横一列になって玄関出口を封鎖していた。
「……どういうつもりだ?」
肩に担いだシルフィを見つめ、ライゼは問い詰める。
「ここから出ていく」
剣呑なまなざしを向けるライゼにリドレックは冷たく言い放つ。
「このままここに居たのでは橙馬騎士団の連中に殺されちまうからな。テロリストと取引してここから逃げることにした。手土産にこの女は貰ってゆく」
「リドレック! 短気を起こすな」
睨みあう二人の間にラルクが割って入る。
「とりあえず落ち着いて話をしようじゃないか、な? もともとはちょっとした誤解なんだからさ、落ち着いて話し合えば……」
「俺を橙馬騎士団の連中に差し出すつもりなんだろう?」
「……何故それを!」
談話室の会話が筒抜けであったことを知り、ラルクは動揺する。
「僕が死ねば橙馬騎士団の連中も納得する。何より自分たちの身も安全だ――一石二鳥なんだろう?」
「……ち、違う! 話を聞けリドレック!!」
「もうよせよ」
しどろもどろで言い繕うラルクをサイベルが遮った。
「今更話し合いなんて無駄だろ? 力尽くでカタをつけようぜ」
「……おい、バカ! 何するつもりだ!!」
いきなり光剣を抜き放つサイベルをラルクは押しとどめる。
ラルクを振り切り前に出るサイベルに向けて、リドレックは左手を掲げた。
指輪にはめた錬光石を媒介にして錬光技を放つ。
寮長室で見せた精神操作系の錬光技が、再びサイベルに襲い掛かる。
「言っておくが六対一だ、お前に勝ち目は……ぎゃぁあああああああっ!」
口上を言い終える前に、サイベルは倒れる。
苦しみにのたうち回るサイベルを、冷ややかに見下しリドレックは告げる。
「五対一だ」
「あああっ! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛いぃぃっ!」
「……馬鹿が!」
頭を抱えてうずくまるサイベルをラルクは罵倒する。
「お前、ついさっきやられたばかりだろうが! 何の対策もしないでケンカ売る馬鹿がいるか!」
「落ち着け、リドレック!」
無造作に致命的な錬光技を放つリドレックを止めようと、ミナリエが前に出る。
「皆も落ち着いて話を……きゃぁっ!」
説得を試みようとしたその時、当のミナリエもまた悲鳴を上げて倒れた。
彼女を攻撃したのはソフィーだった。背後に回り込み、腰から光剣を抜き放つとミナリエの背中めがけて振り下ろした。
「……これで、三対ニ」
床に倒れ伏すミナリエを見おろし、ソフィーは呟いた。
ソフィーの突然の奇襲に、傍らに居たヤンセンが目を丸くする。
「ソフィー! 一体、どういう……ガッ」
さらにソフィーは隣にいたヤンセンを攻撃する。
技術者としては一流のヤンセンだったが、戦闘は不得手だった。ミナリエと同様に細身の光子剣に打ち据えられ昏倒する。
「そして、これでニ対ニよ!」
瞬く間に二人の騎士を倒すとソフィーはリドレックに向けて言った。
「ソフィーさん! あんたまで何故!?」
驚愕に凍り付くラルクにもまた容赦ない攻撃が加えられる。
リドレックは左手にはめた指輪に意識を這わせ、錬光獣を召還する。
指先からほとばしる光の瞬きが三頭の犬を形作ると、錬光獣はラルクに向かって襲い掛かった。
「う、うわあああああぁっ!」
一頭がラルクの利き腕に噛みつき攻撃を封じる。別の一頭が足に噛みつき動きを止める。そして最後の一頭が背後に回り込み背中を押し倒す。
三位一体の連携攻撃にラルクは瞬く間にとりおさえられる。床に倒れ伏し身動きできないラルクに、すかさずリドレックは近寄ると長剣を掲げた。
「……リ、リドッ……」
怨嗟のこもった瞳で見上げるラルクに向けて、リドレックは長剣を振り下ろした。
光の刃が首筋を打ち付けると、ラルクは声を上げることもできずに昏倒した。
「これで、ニ対一ね」
「……それで、あんたが内通者ってわけか?」
微笑を浮かべ歩み寄るソフィーに確認する。
おおよその見当はついていたので驚きはしない。
〈錬光獣〉の操作と監視機器をあざむく高度な技術――この二つを兼ね備えているのは桃兎騎士団の中では彼女くらいのものだ。
「話は後よ、時機に迎えが来るわ。……それまでにあいつを片付けましょう」
ソフィーの視線の先には残った最後の一人、ライゼが玄関扉をふさぐようにして静かに佇んでいた。
「……彼女を頼む」
シルフィを肩から下ろしソフィーに預けると、リドレックは武器を構えた。
右手に長剣を、左手には短剣と一緒に盾を構える。
試合と同じ完全武装の構えでライゼに対峙する。
「……道理を違えたのはこちらだ。今更詫びるつもりもない」
リドレックに向けて静かに語り掛けながら、ライゼは剣帯から光剣を抜き取る。
光子の煌めきを放つ大剣を振りかぶり、ライゼが吠える。
「行くぞ!」
前年度優勝チーム橙馬騎士団最強と呼ばれた男、ライゼ・セルウェイがリドレックの前に立ちはだかった。




