24. 無銘皇女
「……地上か」
リドレックの地上での活躍を聞き終えると、ライゼは感慨深げに呟いた。
あの強さの秘密が、地上での実戦経験によるものならば納得できる――納得するしかない。
スベイレンの教育理念は『常在戦場』。戦場での実績を前にして、疑問をさしはさむことは許されない。
「リドレックはなぜ、地上に?」
「そこまではわからないわ」
ライゼの質問にエルメラは頭を振る。
「ただ彼は、地上の最前線に赴き数多くの武功を立てた。そのめざましい功績を称え、皇室は受勲を検討しているそうよ」
「受勲!? ……って事はあいつ貴族になるのか?」
リドレックが自分と同じ貴族に列せられることを知ったラルクが目を丸くする。
「そういうことになるでしょうね。本家からの情報だから間違いないわ」
「じゃあ、あいつが移籍してきたのも?」
「ハルシュタット本家からの指示よ。地上の噂を聞きつけた本家が桃兎騎士団に移籍させるように言ってきたの。……正直、あたしもこの目で見るまで信じられなかったわ。二年連続最下位の《白羽》が戦場の英雄だなんてどんな冗談よ」
銀行家のハルシュタット家は独自の情報網を持っている。この情報網こそが金融業を営むハルシュタット家にとって最大の武器であった。
「まあ、リドレックの事はこの辺にしておいて本題に入りましょう。皆に集まってもらったのは、もっと重要な話があるからよ」
「先程のお礼参りの事ですか?」
話題が襲撃事件へと移るとライゼの表情が強張る。
「あれはお礼参りなどではないわ」
「……え?」
「先程、警察から報告があったわ。パニラント・ホテルの地下駐車場で遺体が見つかったそうよ。遺体の身元はデニス・ウィラント他、橙馬騎士団所属の生徒三名」
「デニスが!?」
「全員下着姿で駐車場脇のゴミ捨て場に転がされていたそうよ。死因は短剣による頸動脈の一撃」
「……そんな」
衝撃の余り言葉を失うライゼに替わり、ラルクが状況を整理する。
「つまり、リドレックたちを襲撃したのは橙馬騎士団に成りすました他の誰か、というわけですか?」
「そういう事。手口からプロの暗殺者の仕業と見て間違いないわね」
「一体、誰がそんなことを!」
かつての仲間たちの死にライゼは憤りを露わにする。
「それはわからないわ。詳しいことは副寮長が帰ってきてから……」
その時、寮長室の扉が弾かれるように開け放たれた。
「一体、どういうことですか!?」
ノックもなくドアを開けたのは怒りの形相のリドレックだった。
総督府からここまで走って来たらしい。肩で息をしながら、他の生徒達とまったく同じセリフを叫ぶ。
(……まったくこいつらは)
仲が悪い癖にこんな時だけ息が合う。
寮長室に飛び込んで、大声で怒鳴り散らし、説明しろと言うくせに――だれもエルメラの話に耳を貸そうとしない。
◇◆◇
「お待たせしました」
待つこと数分。
副寮長のアネットに伴われて姿を現したのは、病院から大急ぎで駆けつけて来たシルフィであった。
居並ぶ上級生たちを前に緊張するシルフィに向けて手をかざすと、エルメラは中断していた話の続きを始める。
「改めて紹介するわね。彼女はシルフィ・ロッセ。ハルシュタット家の分家の出身で、行儀見習いとしてあたしが預かっている――っていうことになっているわ。表向きは」
勿体をつけて、皆が注目しているのを確認してからエルメラは続ける。
「彼女の本名はシルフィアス・イェル・ヴェルシュタイン」
『ヴェルシュタイン?』
「父親はアーリク・ノイ・ヴェルシュタイン皇太子殿下。認知はされていないけど、彼女は皇帝陛下の血筋を受け継ぐ皇女様よ」
『…………!』
衝撃的な真相に、話を聞いていた一同が驚愕する。
そして、その場に居た全員がシルフィを凝視する。
三年前、暗殺された悲劇の皇太子、アーリク・ノイ・ヴェルシュタイン。
その娘が今、目の前に居る。突拍子もない話に、一同は困惑する。
「……アーリク皇太子殿下の、御落胤?」
「聞いたことないぞ、そんな話」
ミナリエとラルクが疑うような視線を向けると、エルメラは苦笑して両手を広げた。
「そりゃそうよ。アーリク皇太子殿下が死の直前までひた隠しにし続けて来たんですもの。公的な記録に一切、名前が記されていない――言わば無銘皇女よ。シルフィアス皇女の存在を知っているのはハルシュタット家の中でもごく一部の人間と、ランドルフ総督だけよ」
「それじゃ、あの二人――メルクレアとミューレは?」
小さく挙手してからミナリエが質問する。
「護衛兼、いざという時のための影武者よ。ハルシュタット家の中から同じ年頃で似た容姿の娘を選んだの」
「それじゃ、リドレックを彼女達と同室にしたのも?」
「ええ。彼女の護衛についてもらうためよ。地上帰りの英雄ならば護衛として申し分ないし、他に信用できる人間が居なかったからね」
ミナリエの背後からリドレックが睨み付けてくるが、エルメラはきれいさっぱり無視した。
何よりも重要なのは皇女の命だ。リドレックが痴漢に間違われて少女達に袋叩きにされようが、暴漢に間違われてミナリエに撲殺されようが、エルメラにとっては知ったことではない。
「何故、そこまで慎重になるのですか? いや、皇女様の御身をお守りするのは当然ですが、何だってこんな回りくどいことを……」
ミナリエの疑問は、ここに居る全員の気持ちを代弁していた。
皆が注目する中、エルメラは口を開く。
「この中に、敵と内通している者がいるわ」
『…………!』
その瞬間、室内に緊張が走った。
「……内通者って、この中に暗殺者の仲間がいるってことですか?」
かすれた声で問うミナリエに、エルメラは小さく頷く。
「以前から怪しいとは思っていたのだけれど、今日の事ではっきりとしたわ。あなた達、移籍組六人の中に裏切り者がいる」
「どういうことですか、寮長!」
はっきりと疑惑を口にしたエルメラに向かって、ラルクが吠える。
フェミニストのラルクが女性に向かって声を荒らげるのは珍しい事だ。怒りを露わにエルメラに詰め寄る。
「我々は、あなたの要請でこの寮に移籍してきたんですよ。それを疑うだなんてあんまりだ!」
「疑うからには何か根拠があるんだろうな?」
挑みかかるような口調でヤンセンが続く。
ラルクよりかは幾分、落ち着いてはいるが、こちらも怒りを露わにしている。
「言いがかりをつけられたまま黙っている訳にはいかん。納得できる説明をしてもらおうか?」
「襲撃者はあたしたちの動向を完全に把握していた。祝勝会場を二つに分けて予約していたにも関わらず居場所を特定。リドレック達が出てくるのを店の前で待ち受けて橙馬騎士団の報復に見せかけて襲撃してきた――内部の事情に通じていなければできないわ」
「……成程」
エルメラの筋道の通った説明に一応は納得したのか、ヤンセンはおとなしく引き下がった。
他の皆も納得したようだ。落ち着いたところでエルメラは話を続ける。
「以前から桃兎騎士団に在籍していた生徒達は全員調査済み。入学したばかりの新入生達は内部情報に詳しくない――消去法で、他所から移籍してきたあなた達が疑わしいというわけ。リドレックは除くとして、残りは六人。この中に敵の内通者がいるはずよ」
ライゼ、ラルク、ミナリエ、サイベル、ソフィー、ヤンセン――と、エルメラは順番に見渡した。
「そこで、リドレック・クロスト。あなたには引き続きシルフィの護衛をすると共に、この中から内通者を見つけ出してほしいの。やってもらえる?」
「断る」
にべもなく断るリドレックに、それでも辛抱強くエルメラは語り掛ける。
「庶子とは言え皇族よ? それをお守りするのを断るつもり?」
「関係ない。地上に一月居てみろ。皇帝の権威なんて何の意味を成さないってことを思い知らされる」
気まずそうなシルフィを見つめながらリドレックは続ける。
「それに、プロの暗殺者から皇女を守りきるなんて不可能だ。後手に回ったらやられる。こっちから暗殺者を見つけ出して、黒幕を洗い出すしかない」
「何か策があるの?」
「そこにいる容疑者、六名の両手両足を切り落として大通りに転がすのさ」
『…………!』
絶句する六人を見つめ、リドレックは残虐な笑みを浮かべた。
「芋虫みたいに転がっている姿を見れば、仲間の暗殺者が見過ごすはずがない。助けに来るか、口封じに殺しに来た所をとっ捕まえる。後は拷問でも、薬でも使って黒幕を吐かせればいい」
「おい! ふざけんじゃねぇぞ!」
悪質な冗談にサイベルがいきり立つ。
「そんな無茶苦茶が許されてたまるか! 大体、俺は暗殺なんて関係してねぇんだ!」
詰め寄るサイベルに向けてリドレックは無言で手のひらをかざした。
「証拠もないのに……ぐぁぁあああああっ!」
突如、サイベルが叫び声を上げた。苦悶の表情を浮かべそのまま倒れる。
リドレックのかざす右手。中指にはめた指輪が明るく明滅している。
指輪を媒介にして何らかの錬光技をサイベルに向けて発動したらしい。
「ふざけてなんかいないよ、サイベル」
苦痛にあえぐサイベルを見おろし、リドレックは嬲るように笑う。
「皇帝反逆罪は重罪だ。証拠なんかなくても、疑いがあるだけで処罰の対象になるんだ。この場で君を殺しても……」
「やめなさい、リドレック!」
エルメラが制止すると、リドレックは素直に手を降ろした。
錬光技を解くと同時に苦しみにのたうち回っていたサイベルが静かになった。床に倒れたまま気絶した。
「確かに疑いはあるけど、彼らは桃兎騎士団の仲間なのよ。シーズン始まったばかりで主力選手全員再起不能にされたら、今年も最下位だわ」
「成績なんぞ知ったことか。僕も危うく殺される所だったんだ。引き下がるつもりはない」
「ねぇ、もしかして問題行動を起こせば退学届けが受理されるとでも思っている?」
「…………」
「だとしたら無駄よ。だってあなたは地上戦を生き抜いた英雄ですもの。受勲審査が終わるまでこの学校から出ていくことはできないわ」
エルメラが言うと、リドレックは一瞬だけ目を吊り上げ、無言で寮長室から出て行ってしまった。
リドレックの背中を見送ると、ライゼは執務机のエルメラを振り返った。
「退学届って?」
「昨日、学校に帰って来て早々に退学届を提出したそうよ。もっとも、総督は受理しないでしょうけど。何でか知らないけど、リドレックの事を妙に気に入っているみたいだから、……っと、いけない! すっかり忘れていたわ」
何かを思い出したらしく、エルメラは慌てて立ち上がった。
「これから総督府に行かなくちゃならないのよ。総督と今後の対策を協議しなければ――シルフィ、あなたも部屋に戻りなさい」
寮長室の隅にいるシルフィに向かって命じた。
「メルクレアとミューレの事なら任せなさい。総督府に行く前に様子を見ておくから。部屋に戻って、リドレックの傍を離れないように。今のあなたを守れるのは彼だけよ」
「……はい」
寮長の申しつけに素直にうなずくと、シルフィは寮長室から出て行った。
「ライゼ、留守中は貴方にこの寮をまかせるわ。寮生たちの事、くれぐれもよろしくね」
「はい」
「夜明けまでには帰れると思うわ。出来ればそれまでに内通者探しをしておいて頂戴。あなた達の手で見つけることが出来なかったら、全員リドレックに殺されちゃうわよ?」
不吉な言葉を残して、エルメラは退室した。




