23. 巡礼者リドレック
かつて、世界は滅亡の危機に瀕していた。
大地はひび割れ、
海は干上がり、
空は閉ざされ、
草木は枯れ、
生きとし生けるものが死に絶え、
人々は語る言葉を失った。
死滅した大地に残されていたのは、わずかばかりの人類と絶望のみだった。
全てを失った人類に許された事は、ただ祈ることだけだった。
何処にいるとも知れない名もなき神々に、人々は無心に祈り続けた。
その時、奇跡が起きた。
人々の切なる願いは錬光石へと姿を変え、地上へともたらされた。
祈りを力に変える奇跡の石は、人類にとって文字通り希望の光となった。
人類は神から賜りし練光の力を以て、新たなる大地――天空島を築き上げた。
それから数世紀、神々のゆりかごである天空島の中で人類は新たな文明を築き、緩やかな繁栄を謳歌していた。
天空島の住人となった人類はその権勢に奢ることなく、今でも祈ることを忘れはしなかった。偉大なる神々の恩寵に感謝し、称え、崇め続けた。
しかし、偉大なる神の力をもってしても、人類の悲願である地上への帰還は未だ果たせずにいた。
聖戦の名のもとに、諸侯によって結成された十字軍は聖地奪還をめざし、地上平定へと乗り出した。
神々の使徒として地上に降り立った十字軍兵士たちは、今日もまた絶望の大地でいつ果てるともしれない戦いの中に身を置いていた。
「……まあ、ひどい有様ですよ」
そう前置きしてから巡礼者、リドレック・クロストは地上の現状を滔々と語り始めた。
「十字軍最大の敵は地上の過酷にすぎる環境だ。
再生が始まったとはいえまだまだ地上は人間が住めるような場所じゃない。兵士達の半数は風土病と過酷な環境の前に倒れてゆく。
奇形植物が生い茂る荒廃した大地を我が物顔で支配しているのが地住民だ。
温室育ちの天空島人と違い地上に適応するべく肉体改造すら厭わない異教徒どもは、騎士たちの戦闘力を大きく凌駕する。この蛮族どもときたら騎士道精神はおろか言葉すら通じない。その上、恐ろしく好戦的だ。神出鬼没の戦術と卓越した錬光技で十字軍を一方的に蹂躙する。
次に注意しなくちゃならないのが大地に跳梁跋扈する異形の生物達。従来の生態系から外れ独自の進化を遂げた獣たちは、人類の手に負えるような代物じゃない。ドラゴンや巨人なんて出くわしたら戦うどころの話じゃない。運が良ければ逃げおおせるが、悪ければ奴らの餌になる。
対して十字軍の先駆けとして地上に駐留する荘園領主たちは、まったくと言っていいほど頼りにならない。天意に従わず、民を虐げ、私腹を肥やす事しか頭にない。挙句の果てにはわずかばかりの可住圏を巡り、領主同士で戦争を始める始末だ。
交易路を独占した商人たちはやりたい放題。密輸、抜け荷は当たり前。地上では奴隷市が立ち、堂々と麻薬が取引されている有様だ。こういった悪徳商人を取り締まるべき十字軍も賄賂をたっぷりとつかまされ、見て見ぬふりを決め込んでいる。
腐敗した十字軍では秩序が崩壊。野盗へと成り下がる騎士たちが後を絶たず、今や守るべき民衆達の脅威となっている。
為政者たちの専横に耐えかねた平民たちは、武器を手に取り立ち上がる。地上各地で次々と民兵が決起。くすぶった反乱の火種はいつ破裂してもおかしくない状況だ……」
リドレックの口から語られる地上の現状は、まさに生き地獄であった。
茶をすすり一息ついてから、リドレックは話を続けた。
「私は巡礼者として十字軍と共に聖戦に参加しました。二か月弱の短い期間でしたが、この夏は本当に……」
リドレックは目を細め遠い目をすると、
「……楽しかった」
懐かしむようにつぶやいた。
「地上には私の求める全てがあった。真実があった」
「真実?」
恍惚とした表情のリドレックに、ランドルフ総督が尋ねる。
「そう、地上に在るのは全てが本物だ。本物の大地。本物の人間。本物の敵。そして、本物の戦場が地上にはあった。生き延びるために敵を殺し、敵に殺される恐怖に怯える。それが本物の戦場です。等しく降り注ぐ死の恐怖に誰もが怯え、苦しみ、あがく――あれこそが人間のあるべき姿。生きるとはああいうものだとあらためて思い知らされました」
生き地獄のような地上の日々を楽しそうに語ると一転、吐き捨てるように言い放つ。
「……こんな、紛い物の戦場とは違う」
「……成程」
得心したように、ランドルフ総督は深く頷いた。
「《白羽》と呼ばれたリドレック・クロストの豹変は、過酷な戦場にあったのだな。地上での戦いの日々が、貴公の内に眠っていた潜在能力を引き出したというわけか」
戦場によって磨かれたリドレックの力量に、総督は感嘆のため息を漏らす。
「何とも皮肉な話よ。学校であるがゆえに学べず。学べぬがゆえに実戦するほか体得できない――錬光技とは業深いものよな」
そして総督は、スベイレン騎士学校の矛盾を指摘する。
確かに試合を中心としたスベイレンの教育課程は絶大な効果をもたらしている。
先人たちが一生かけて編み出した感応技をわずか数年で体得。卒業する頃には即戦力として騎士団に迎えられる。
しかし、それでも戦場帰りのリドレックには遠く及ばない。
なぜなら、スベイレンのカリキュラムは実戦形式の『試合』であって『実戦』ではあり得ない。
試合である以上ルールがある。競技ごとにレギュレーションが設けられているし、相手を死に至らしめるような危険な行為は禁じ手とされている。
実際の戦場ではルールなど存在しない。騎士道に背く卑劣な行為を咎める審判もいなければ、負傷者の手当てをする救護班も都合よく駆けつけてきてはくれない。
生き延びるために敵を殺し、敵に殺される恐怖に怯える――常に死と隣り合わせの戦場の緊張感を試合で再現することは不可能であった。
「まさしく『戦場の一日は訓練の百日に勝れり』だな。あれほどの錬光技を体得するにはなまなかな戦場では事足りまい」
「そのとおりです。スベイレンの試合なんて本物の戦場に比べればお遊戯みたいなものだ」
「だからギンガナムを殺さなかったのか?」
「……何ですって?」
「とぼけるな」
総督は砕けた笑みを浮かべると、リドレックに向かって言った。
「ギンガナムに向けて放った最後の一撃、わざと外したのだろう?」
「…………!」
驚愕に凍り付くリドレックにかまわず、総督は話を続ける。
「技を暴発させて自爆。騎士として再起不能な傷を負った上、衆人環視の前で恥をかかされ周りの選手にも迷惑をかけた。あのまま捨ておけば、ギンガナムは恥辱のあまり自害していただろう」
総督はギンガナムの心中を正確に読み取っていた。
闘技場に立つ者にしかわかりえない、選手たちの無言のやり取りを、総督は観客席に居ながら読み取っていたのだ。
試合を中断させなかったのもギンガナムの心中を慮っての事だったのだろう。
「瀕死の怪我を負ってなお立ち上がったのは、お前に殺されることを望んでいたからだ――しかし貴様はギンガナムを殺したくなかった」
そして総督はリドレックの心中をも読み取っていた。
ギンガナムの命を救うため、リドレックがどう動くかも読んでいた。
「貴様にとって試合などただのお遊び、命を懸けて戦う場ではないからな。だからお前は止めの一撃をわざと外した。ギンガナムの命と矜持を守るため、なるべく派手に見えるよう頭を狙い、わざと急所を外し死なない程度に重傷を負わせる……」
感極まったようにランドルフ総督は頭を振った。
「見事な腕前だ! そして見事な読みであった。礼を言うぞ、リドレック・クロスト!」
「礼?」
「お前は私の騎士の命と名誉を守ってくれた。スベイレン総督として礼を言わせてくれ」
立ち上がり深々と頭を下げたランドルフ総督の姿に、リドレックは仰天する。
総督という身分ある立場の者が、騎士見習いの若造に頭を下げることなどあり得ない――いや、あってはならないことだった。
君臣の垣根を越え一介の学徒にすら礼を尽くす総督に並々ならぬ度量を感じると共に、心中の洗いざらいを見透かす人物眼に、リドレックは底知れぬ畏怖を抱く。
頭を上げた総督は、気を取り直したとばかりに微笑むと再び着席した。
「ギンガナムの事は改めて考えよう。取り急ぎお前に話しておかなければならないことがある」
「先程の襲撃の件ですか?」
「そうだ。言っておくが、あれはお礼参りなどではないぞ」
総督の言葉に苦笑する。
ただのお礼参りでないことぐらいリドレックも承知している。試合に負けた腹いせに自爆テロを仕掛ける生徒が居るわけが無い。
彼らが最後に使った錬光技にも見覚えがある。
「あれは細胞爆弾です。自らの体細胞を爆薬に変える錬光技だ」
「詳しいな」
「地上で何度か見たことがあります。錬光石を外科的に体内に移植。心臓停止、あるいは自らの意志で起動する。髪の毛一本も残さず蒸発するんで、証拠隠滅にうってつけだ」
「そうだ。移植用の錬光石は値が張るし、容易に手に入る代物ではない。プロの使う道具だな」
「犯人の目星はついているんですか?」
リドレックが尋ねると総督は不機嫌そうに頭を振った。
「そこまではわからん。が、襲撃者たちの目的はわかっている」
「というと?」
「無銘皇女だ」




