1. 夏の終わりに
薔薇園の四角い空に、少女の体が舞う。
空中で一回転。その下を光球が行き過ぎる。
目標を見失った光球は、薔薇の植え込みの彼方へと飛んでゆく。
金色のお下げ髪をたなびかせ、メルクレア・セシエはしなやかな動きで着地する。
晩夏の空に描くとんぼ返りは、自分でも会心の出来栄えだった。
得意げな表情で身を起こすと、しかし一瞬でその顔が強張った。
「やばっ!」
メルクレアの視界に、やり過ごしたはずの光球が飛び込んできた。
蹴鞠大の光球は、錬光の力によって作られた攻撃兵器だ。直撃を受ければ 少女の体は粉みじんに四散してしまうだろう。
光球から逃れるべく、メルクレアは踵を返し走り出す。
錬光の力を使用し重力を中和。
生垣を飛び越え、植え込みを踏み越え、縦横無尽に薔薇園を駆け抜ける。
が、それでも光球を振り切ることはできなかった。
光球はメルクレアの背中を正確に、しかも高速に追尾する。
「しつこおぉいっ!」
叫びながらもメルクレアは足を止めることは無い。
目指す場所は蔓薔薇が絡まるアーチ。アーチの幅は丁度、一人分の肩幅程度しかない。
小路を彩る薔薇のアーチの中に、メルクレアは躊躇なく飛び込んだ。
その後を、高速で飛翔する光球が追いかける。
薔薇の小路に入ると同時、光球のスピードがさらに加速する。
一直線に追いかけてくる光球に、メルクレアは突如、足を止めその場で振り向いた。
鮮やかなターンを決めると同時、腰から光子剣を抜き放つ。
「ハッ!」
逆手に構えた小剣を光球に叩きつける。
抜き打ちに放った光子の刃は的確に光球の中心部を切り裂いた。
光球は、風船のようにはじけて消える。
「……ふうっ!」
光球の脅威から逃れ、メルクレアは大きく息をつく。
気を抜いたその瞬間を狙いすましたかのように、
メルクレアの背後から一本の矢が飛んできた。
無防備な背中めがけて放たれた矢が後頭部に突き刺さる寸前、
「ハッ!」
メルクレアは素早く振り向き、右手で飛翔する矢をつかみ取った。
「お見事!」
威勢のいい掛け声と共に、生垣の影から一人の少女が姿を現す。
金髪を一つに束ねた少女――シルフィ・ロッセは惜しみない拍手を送る。
メルクレアを狙った最後の一撃は彼女が放ったものだ。
右肩に一張の弓を吊ったシルフィに、メルクレアは掴み取った矢を差し出した。
「すごいわ、メルクレア! 私の不意打ちを完全に見切ったわね」
「へっへーっ! 後ろから狙ってることは気配でわかっていたもん! 楽勝楽勝!」
「……やられたわね」
薔薇の植え込みの陰から、両手に杖を抱えた少女が姿を現す。
金髪を二つに束ねた少女――ミューレ・エレクスだ。
遠隔操作で光球を操りメルクレアを追いつめたのは彼女だ。
釈然としない面持ちでメルクレアに語り掛ける。
「あと一歩だっだのに。やっとの思いでアーチまで追い詰めたと思ったのに……」
「わざと追いつめられたのよ」
「え?」
「アーチの中では、光球もまっすぐ追いかけてくるしかないでしょ?」
「一直線で追いかけてくるところを狙って叩き落としたってわけ? ……おバカなメルちゃんにしては頭を使ったわね」
「何よぉ! それ!」
三人の少女達は顔を見合わせ笑った。
メルクレア・セシエ。
シルフィ・ロッセ。
ミューレ・エレクス。
この三人は、今季からスベイレン騎士訓練校に入学する予定の新入生であり、桃兎騎士団寮の中では同じ部屋のルームメイトである。
彼女たちが共同生活を始めたのは一週間前。
今ではすっかり打ち解けて、姉妹のように騎士団寮の部屋で仲良く暮らしていた。
「ねえ、そろそろ止めにしない? いい加減、疲れたんだけど」
「そうだねー、お腹空いたし」
そう言うとメルクレアはお腹の辺りをさすった。
激しい運動をした後のせいだろうか。まだ夕食には早い時間にもかかわらず、メルクレアはすっかり腹ペコだった。
「もう、お腹が空いたの?」
「さっきお昼食べたばかりじゃない」
燃費の悪いメルクレアのお腹に、シルフィとミューレは呆れ顔だ。
メルクレアはよく動き、よく食べる。
下級生向け食堂の大して美味しくない料理でも、あっという間に平らげてしまう。
「食堂まだ空いてないよね。談話室に行ってみようか? あそこならお菓子が置いてあるし……」
「その前に、部屋に戻ってシャワーを浴びましょう。なんだかちょっと、汗臭いわ」
綺麗好きのシルフィは、常に身だしなみに気を遣う神経質な性格であった。
暦の上では晩夏であるが、完全に温度調整されている天空島内では夏の暑さは感じられない。
それでも汗のにおいが気になるらしく、シルフィは制服の袖に鼻を近づけくんくんと匂いを嗅いだ。
「わたしは一眠りしたいわ」
そう言うとミューレは大きな生あくびをした。
錬光技は使用者に多大な精神的負担を強いる。
若くして多彩な錬光技を使いこなす彼女だったが、精神的疲労までは如何ともしがたい。
遠隔操作の光球でメルクレアを追いかけたせいで、ミューレはすっかり消耗してしまった。
「とりあえず、部屋に戻りましょう。これ以上、ここで遊んでいると副寮長が……」
「お前達、何をやっている!」
ミューレが言い終わるよりも先に、
副寮長のアネット・メレイは、メルクレア達を含めた新入生のお目付け役である。
入寮したばかりの新入生達を厳しく指導し、新学期までに学生騎士としての立ち居振る舞いを叩きこむのが彼女の役目である。
メルクレア達お転婆三人組は、毎日のように怒られていた。敬愛してやまない寮長、エルメラ・ハルシュタットの次に恐れている人物である。
「新入生は全員、部屋の中で待機していろと命じておいたはずだ! こんな所で何をしていた!?」
「訓練をしておりました」
何食わぬ顔でミューレは大ウソをつく。
実際の所、これは訓練でも何でもなくただのお遊びに過ぎない。
錬光技を使った追いかけっこは、ストレスを発散にもってこいだ。
この学校に来て一週間、騎士団寮に缶詰め状態の生活を送っていたメルクレア達にとって、薔薇園での追いかけっこは数少ない娯楽だった。
「明日は開幕戦であります。試合に備え、三人で鍛錬をしていたのです」
「お前達は試合の事など考えずともよい。入学したての新入生が開幕戦に出場できるとでも思ったのか、馬鹿者!」
小賢しい言い訳を並べるミューレを副寮長は一喝する。
説教はさらに続く。
「訓練ならトレーニング・ルームでやれ。こんな所でやるな。薔薇に傷つけでもしたらどうする?」
「だいじょうぶですよぉ! 副寮長。薔薇の花は一輪だって傷つけてはいませんよ――ほら」
まったく悪びれた様子の無いメルクレアは、手の平をかざして薔薇園を指し示す。
メルクレアの言う通り、薔薇園はいつもどおりの美しさを保っていた。
あれほど激しく動き回ったにもかかわらず、花一輪、花弁一枚すら散ってはいない。
「とにかく! お前達は部屋に戻れ。今すぐ!」
急き立てるようにして、アネットは少女達を連れ出した。
もとより、部屋に戻るつもりであった少女達は、おとなしく副寮長の指示に従った。
アネットの後を追うようにして、少女達は薔薇園を出る。
騎士団寮へと続く小路を、アネットは早足で駆けてゆく。
アネットらしからぬ慌てた様子に、シルフィは違和感を覚えた。
「何かあったのですか?」
「お前達のルームメイトが到着した」
「ルームメイト?」
「ああ、『最後の一人』ね」
納得したようにミューレがうなずく。
現在、メルクレア達が使用している新入生の部屋は四人部屋である。
他の学生たちはとっくに入寮しているにもかかわらず、最後の一人はいつまでたってもやっては来なかった。
それが夏休みの最後の日である今日になって、ようやく姿を現したと言うわけだ。
「どんな人なんですか?」
「会えばわかる。今日、スベイレンに到着したばかりだ。お前達は荷ほどきを手伝ってやれ。……と、ジョシュア! ジョシュア、帰って来たのか?」
中庭を行くジョシュア・ジョッシュを呼び止めた。
くせのある金髪頭の先輩は、エルメラ寮長の側近であり、寮内の庶務全般を請け負う何でも屋である。
昼から姿が見えなかったが、今日も用事を言いつけられていたようだ。
「ああ、アネットさん。明日の準備は終わったんですか?」
「一通りはな。……で、例の新入りはどうした?」
「学生課に出頭した所を捕まえました。今、エルメラ様と面会中です」
「そうか、どうにか間に合ったな」
「このタイミングでやって来るとは、態度だけは大物ですね」
「まったく、どうなる事かと思ったぞ。一から選手決めをやり直す所だった」
「開幕戦は明日ですものね。なんにしても間に合ってよかった」
顔を見合わせうなずき合う。
先輩たちをここまで振り回すとは余程の人物らしい。
「……どんな人かな?」
まだ見ぬルームメイトにメルクレアは俄然、興味が湧いてきた。
新たな仲間と、新たな生活に、メルクレアは期待に胸を膨らませる。
◇◆◇
スベイレン騎士訓練所にある騎士団寮の中でも、最も豪華で絢爛な建物とされているのが、ここ桃兎騎士団寮である。
古典様式の概観に手入れの行き届いた庭。床には毛足の長い絨毯を敷き詰め、天井にはガラス細工のシャンデリアが吊るされている。
敷地内の至る所に備え付けられている絵画、彫刻、調度品は、いずれも名の通った芸術家たちの手によるものだ。
寮長室の前には廊下を挟んで談話室が設けられている。
談話室には暇を持て余した寮生達の為、あるいは来客をもてなす為にお茶と茶菓が常備されている。
ただの談話室であっても手加減はない。
見ているだけで目が痛くなるような刺繍が施されたソファーに、天然木のテーブル。茶器は名門窯の特注品、茶葉は地上にある農園で自家栽培されたオリジナルブランドだ。
さすがは金融王ハルシュタット家をスポンサーに持つ桃兎騎士団。金の使いどころがズレている。
このティーカップ一つでナイトメア一機分にはなるはず。贅沢に使う金を戦力強化に振り分ければ桃兎騎士団も年度最下位を回避できたはずだ。
「お替りはいかが?」
隣に座っていた女性がポットを手に取りリドレックに尋ねる。空のティーカップを弄ぶ仕草を見て、お替りの催促だと思ったようだ。
談話室で同席した黒髪の女性は、美しいだけでなく細やかな気遣いのできる人だった。
給仕婦でもないのにたまたま同席したリドレックの為にお茶の世話をしてくれる。騎士社会の中でもフェミニズムが台頭しつつある昨今、こういった気配りのできる女性は珍しい。
「あ、いえ結構です」
丁重に断ると女性は柔らかい笑みと共にポットを降ろした。
いくら高級品とはいえ、お茶だけがぶがぶと飲めるものでもない。
何か軽食を口にしないと空っ腹にしみる。
生憎とワゴンに置かれているのは、貴婦人が一口にできるような茶菓ばかり。とても腹の足しにはなりはしない。
しかし、もう一人の同席者――小柄な少年は、この菓子を大いに気に入っているようだ。
三個目のスコーンを頬張り、すかさずお茶で流し込む。
そのあまりにも幸せそうな顔を見つめていると、少年に睨み返されてしまった。
慌てて視線をそらす。
廊下の向こうに視線をやると、大柄な男がこちらに向かってやってくるのが見えた。
「ヤンセンを見なかったか?」
大股で駆け寄ると、男はリドレックの隣に座る黒髪の女性に向かって尋ねる。
「中にいますよ。寮長とお話し中です――すぐに出てくると思いますから、お茶でも飲んでお待ちになられてはいかがですか?」
女性は寮長室の扉を指してから、リドレックと同様に茶を進めた。
「あ、いや。自分で……」
武骨な手がポットに触れる前に、黒髪の女性は素早く茶を煎れた。
「はい、どうぞ」
「……申し訳ない」
大男は複雑な顔でティーカップを受け取った。
女性に余計な労働を押し付けたことを恥じているのだろう。恐縮した様子でカップに口をつける。
話の途中で、寮長室の扉が開いた。
中から白衣姿の男が姿を現すと、こちらに向かって声を上げる。
「リドレック! リドレック・クロスト!! 居るか?」
「はい」
名前を呼ばれて、リドレックは立ち上がった。
「寮長がお呼びだ。入れ」
白衣の男と入れ替わりに、リドレックは寮長室の中に入る。
「リドレック・クロスト、入ります!」
「悪いわね、待たせちゃって。あ、扉、閉めて」
堅苦しく一礼をするリドレックに向かって、この部屋の主――桃兎騎士団寮長。エルメラ・ハルシュタットは気さくな調子で答える。
後ろ手に扉を閉めると、執務机で作業していたエルメラは立ち上がってリドレックを出迎えた。
エルメラ・ハルシュタットと言えばスベイレンの中でも有名人である。
社交界の華と呼ばれる彼女の姿を間近で捉え、リドレックは緊張に身を固くする。
緩やかに波打つ髪に、目鼻立ちのくっきりとした顔立ちのエルメラは、単に美しいと言うだけでなく気品を感じさせる。
いつもは豪華な衣装に身を包んでいるエルメラだが、プライベートでは簡素で動きやすい服を好むようだ。
パンツ姿の活動的な装いは貴族の子女がする格好ではないが、長身の彼女にはよく似合っていた――闘技場での甲冑姿よりも、パーティー会場のドレス姿よりも、似合っている。
執務机に書類を放り投げると、エルメラは緊張に身を固くするリドレックに向かって気さくに微笑みかける。
「何しろ明日は開幕戦でしょ? いろいろと立て込んでいるのよ。……でも、まあ。待たされたのはお互い様よね?」
エルメラはリドレックの日焼けした肌と枯葉色の髪を指すと、悪戯っぽく微笑んだ。
「まさか最終日まで顔を見せないとは思わなかったわよ。目一杯、夏休みを満喫していたようね?」
「……ええ、まあ」
生返事を返すと、エルメラの口調は一転して事務的なものに変わった。
「部屋割りはこっちで勝手に決めさせてもらったわよ。三階の306号室よ。文句は言わないでよね? 連絡してこなかったあんたが悪いんだから。荷物は既に運び込んであるから、チェックしておいてね。他にわかんないことがあったら副寮長のアネットに聞いてちょうだい。いい?」
「……はあ」
「結構。八時からミーティングがあるから。それまでに部屋の片づけと食事を済ませておいてちょうだい。明日は開幕戦よ。期待しているからね!」
一息にまくしたてると、エルメラは沈黙する。
言いたいことはこれでお終いらしい。
満面の笑みを浮かべるエルメラに向かって戸惑いがちに声をかける。
「……あの」
「うん? 何かしら? まだ何か聞きたいことがある?」
「まだも何も、何の説明にもなってないんですけど?」
「…………?」
小首を傾げて、エルメラはリドレックの顔を覗き込む。
「つまりですね、僕は今日、この学校に帰って来たばかりなわけでして……」
夏休み最終日である今日、リドレックはスベイレン騎士養成校へと帰還した。
約二か月ぶりの学び舎に足を踏み入れると、リドレックは校門に居る門番に学生課に出頭するよう命じられた。
訳も分からず学生課に向かうと、職員に所属先の黒鴉騎士団寮ではなくここ、桃兎騎士団寮へ向かうよう指示を受けた。
訳も分からず桃兎騎士団寮へ向かうと、長々と談話室で待たされた挙句、訳の分からない説明を聞かされた。
訳の分からないことばかりでリドレックの頭の中は混乱する一方だ。
「そもそも、何で僕がここに呼び出されたのでしょうか? 誰も事情を説明してくれないので、何が何やらさっぱり……」
「あー、あー。そういうこと、そういうことね!」
ようやく合点がいったらしい。エルメラは両手を叩いてリドレックに尋ねる。
「つまり、夏休み中にこの学校で起きたことは何も知らないと、そういうことね?」
「ええ。つまり、そういうことです」
「トレードよ」
「……え?」
「トレードされたのよ、あなたは」
彼女の説明は、恐ろしく簡潔だった。
「夏休み中に行われたドラフト会議で黒鴉騎士団寮はリドレック・クロストを戦力外通告し自由契約として放出。トレード対象となったあなたの身柄を桃兎騎士団が獲得したというわけ。わかった?」
「……よくわかりました」
エルメラの簡潔極まる説明に、リドレックは半眼になって頷いた。
よく聞いてみれば実に簡単な話だった。
要するに、リドレックは学生寮を追い出されたのだ。
追放処分になるのも当然と言える。
前年度、リドレックは二年連続最下位と言う偉業――もとい、不名誉を成し遂げている。
これはスベイレン騎士養成校、始まって以来の快挙――もとい、汚点であった。
黒鴉騎士団寮は基本、大らかな寮風で成績の事はうるさく言われないのだが、それでも二年連続最下位成績者を置いておくことはできなかったようだ。
追放処分となった学生が移動先の寮を見つけることが出来ない場合、そのまま学校を追われることとなる。
新学期早々、退学処分となるはずだったリドレックを救ったのがこのエルメラ・ハルシュタットと言うわけだ。
自分の与り知らぬところで身柄を取引されていたことに釈然としないものを感じていると、美しく優しい寮長様は気遣うように尋ねて来た。
「まだ他に質問ある?」
「ええ、一つだけ。……何故、僕を引き取ったんですか?」
トレードというのは戦力強化を目的として行われるものだ。
例えばライゼ・セルウェイやヤンセン・バーグ――ソフィー・レンクやサイベル・ドーネンといった、実力者がトレード要員として取引されるのだ。
二年連続最下位成績のリドレック・クロストを欲しがる騎士団寮など、このスベイレン騎士訓練所には存在しないはずだ。縁もゆかりもない役立たずを、エルメラが温情で引き取ったとも思えない。
「自分で言うのもなんですけど、何だって僕みたいな生徒を受け入れてくださったんです? 引き取っていただいたのは光栄ですが、お役に立てるとは……」
「だって移籍料がタダだったんだもの」
エルメラの返答は、やはり簡潔であった。
「……成程」
「お金の使い方を知っているのよ、あたし」