18. 試合終了。そして……
三頭の猟犬を解き放つと同時に、リドレックも動き出した。
まずは一番近くにいるワイグルからだ。
ワイグルは猟犬に右足を噛みつかれ、闘技場を引きずりまわされていた。。
地面を転げまわるワイグルに駆け寄り、つま先で蹴り飛ばす。
仰向けにしてから光子甲冑の胸当てを無造作に踏みつける。
身動きが出来なくなったところで、ワイグルの喉元に長剣の切っ先を突きつけた。
「降伏しろ!」
有無を言わせぬ警告にワイグルは頷くと、武器を捨てて両の手のひらを見せた。
降伏の意志を確認してから、次の獲物に取り掛かる。
少し離れた所に双剣使いのロイの姿があった。
双剣使いの右手には、剣の代わりにリドレックの放った猟犬がぶら下がっている。
「このぉっ!」
右手を猟犬に封じられたロイは左手の剣を振りかぶった。
その左手に向けてリドレックは短剣を向けた。
短剣の切っ先から伸びる茨がロイの左腕に絡みつく。鞭のようにしなやかな動きで左腕を拘束すると、強力な力で思い切り締め上げた。
「ガアァツ!」
二の腕の骨が折れる鈍い音と共に、左手から剣が落ちる。二本の剣を失ったロイにこれ以上の戦闘は不可能だ。
敗北感と苦痛に、ロイはその場で膝をつく。
瞬く間に二人を戦闘不能にすると最後の一人に取りかかる。
「ひ、ひえええええぇっ!」
最後の敵、闘技場を駆けるマクサンの姿を捕える。
マクサンは悲鳴を上げながら、猟犬と追いかけっこを繰り広げていた。
〈加速〉を使用しているらしく、猟犬の足をもってしても容易には追いつけそうにない。
無様に逃げ回るマクサンの姿に舌打ちをすると、リドレックは残りの二頭を応援に向かわせる。
一頭が後を追いかけ、もう一頭が先回り、最後の一頭がマクサンの背中に飛び乗った。
地面に倒れ動けなくなったところで、三頭の猟犬たちは次々に噛みついてゆく。
両手、右足。マクサンの四肢を口にくわえると、それぞれ別方向へと駆け出す。
「わ、判った! 降参だ、降参するぞ!」
猟犬達に引きずり回され、たまらずマクサンは武器を放り出し両手を掲げた。
降伏宣言にリドレックは溜息をつくと、猟犬たちから思考を解いた。
マクサンに噛みついていた猟犬たちの姿が次々と霧消する。牙の戒めから解き放たれたマクサンは、安堵の溜息と共に大の字になって倒れた。
全ての敵を倒した瞬間、闘技場に漂う殺気が霧消してゆく。
後に残されたのは、闘技場に横たわる数々の負傷者達の姿だけだ。
脅威の消えた闘技場で、リドレックは我に返る。
闘技場にはギンガナムをはじめ、早急に手当てが必要な重傷者たちが横たわっている。彼らを助けるためにも一刻も早く試合を終わらせ、救護班を呼ばなければならない。
試合終了の鐘を鳴らすよう催促するように、リドレックは審判員席を仰ぎ見た。
が、鐘は鳴らない。
「……何故!?」
再び闘技場に目を向ける。
撃ち漏らした敵がいないかと、選手たちの姿をもう一度確認する。
すると、闘技場に倒れる選手たちの中で、身を起し立ち上がろうとする選手を見つけた。
「ギンガナム?」
全身黒焦げの姿で、手にした槍を杖代わりにして、ギンガナムは立ち上がった。
最早彼に戦う力など残されていない。
武器である槍も、身に纏う鎧も、光子の輝きは失われている。
右足も折れているので歩くことすらままならず、立っているのがやっとの様子だった。
誰がどう見ても試合続行は不可能だった。
しかし、主審は戦闘不能だと認めない。鐘も鳴らない。
ギンガナムは壊れたヘルメットを脱ぎ捨てると、リドレックに視線を向けた。
血と煤で覆われ炯炯と光る眼光をリドレックに向ける。
その瞳に宿るのは死を覚悟した者のみが放つ、決意の輝きであった。
「……やめろ」
かぶりを振るリドレックに向けて、ギンガナムはゆっくりと槍を構えた。
「……止せ」
壊れた槍の、切っ先を向ける。
「……う、ああああああああああああぁっ!!」
臓腑を引き裂くような絶叫と共に、リドレックは駆け出した。
右手に持った長剣を振りかぶると、ギンガナムのむき出しの顔面に向けて振り下ろす。
長剣の切っ先から頭蓋骨が割れる感触が伝わる。その感触を右手にしっかりと捕えつつ、長剣を振りぬいた。
ライゼは壊れた人形のようにあっけなく倒れた。
頭部の傷から流れるおびただしい量の血が闘技場を赤く染める。
広がってゆく血だまりをぼんやりと見つめていると、試合終了を告げる鐘の音が聞こえて来た。
同時に主審が試合終了を宣言する。
『試合終了! 勝者、リドレック・クロスト!』
勝利者の名が呼ばれると同時に、観客席から雪崩のような歓声がわきおこった。
「…………」
闘技場に満ち溢れる歓声を、リドレックは他人事のように聞いていた。
観客席にいる誰もが皆、リドレックを称えていた。
勝利者であるリドレックは彼らの歓声に応えてやらねばならないのだが、今は到底そんな気分にはなれない。
試合の終わった闘技場で、ただ茫然と立ち尽くす。
戦闘中に感じていた興奮も既に消え去っていた。リドレックの体には鉛のような倦怠感がのしかかって来た。
周囲では衛生班がせわしなく動き回っている。
遅ればせながら駆けつけて来た衛生班の手により、負傷者達は闘技場の外へと運び出される。
それは救護活動と言うよりも、怪我人を人目から隠すための隠蔽工作のように思えてならなかった。
足元には壊れた槍が転がっていた。
ギンガナムが最後まで握りしめていた槍を、リドレックは拾い上げる。
焼け焦げ、血にまみれた槍を見つめているうちに、やり場のない怒りがふつふつとこみ上げて来た。
槍を拾い上げ貴賓席を見上げる。
同時に光子甲冑に内蔵された錬光石に意識を這わせる。リドレックの錬光技にアンダースーツの人工筋肉が収縮する。
狙いは闘技場の最上段。
最も眺めの良い場所にしつらえた特等席に座る総督めがけて、手に持った槍を投げつけた。
「……フッ!」
光子甲冑で強化された膂力で放たれた槍は貴賓席の、総督のいる特別席に向けて一直線に飛んでゆく。
しかし観客席に届く直前に、槍は高出力の錬光シールドに阻まれた。
闘技場と観客席の間には錬光技術による不可視の、しかし鉄壁の防壁が張り巡らされている。
空しく地面に転がる槍に、闘技場の全ての人々が注目する。
リドレックの暴挙に闘技場が、水を打ったように静まり返る。
衆人環視の中、スベイレンの長たる総督に対し攻撃を加えた。
これは明確なる反逆行為だ。
時間の止まった闘技場の中、動いているのはリドレックだけだ。
踵を返し、悠々とした足取りで闘技場を後にする。
入退場口に差し掛かったところで、リドレックは係員たちに取り囲まれた。
係員はいずれも騎士学校の教官、かつては第一線で戦っていた騎士だ。
手にしている武器はフィルタリングなどされていない。
真剣を構える教官たちを見つめ、リドレックは足を止めた。
しかし、係員たちは遠巻きに眺めるだけでだけでリドレックに手を出しては来なかった。
恐れているのだ、リドレックを。
彼らは皆、先程の戦い――リドレックの鬼神のごとき強さを目の当たりにしている。係員として、誰よりも間近で見ているのだ。
教官であるがゆえに、実戦を経験している騎士であるがゆえに、リドレックの尋常ならざる強さを理解し恐れているのだ。
その怯えた瞳がリドレックの怒りに火をつけた。
教官でありながら死に瀕した生徒を助けようともせず、係員でありながらリドレックの暴挙を諌めることもできない――その惰弱さをリドレックは許すことが出来なかった。
暴虐の徒、リドレックを前に躊躇する係員たちに向けて、武器を構えようとしたその時、
『天晴! 天晴であるぞ!』
闘技場に総督の声が響き渡った。
貴賓席。総督専用席から立ち上がり総督は絶叫する。
その声は審判席のマイクで拡声され、スピーカーを通し闘技場内に全ての人々の耳にまで届く。
『スベイレンの騎士の神髄。このアルムガスト・レニエ・ランドルフ、しかと見届けた。その卓越した技量、死を恐れぬその戦い振り――天晴! まことに天晴である!』
総督は選手たちの健闘を褒め称えた。
この様な形で総督が選手たちを労う事など前例にないことであった。
大変な名誉に、闘技場の選手たちは怪我を圧して立ち上がる。直立不動で左胸に手を置き、敬礼の姿勢を取ると、総督の演説を傾聴する。
『その烈火の如き猛々しさの、何と勇ましいことか! その誇り高き猛々しさの、何と美しいことか! スベイレンの騎士達よ! 強くあれ。ただ、強くあれ! 我に奉げられしその槍は、まさしく常在戦場の心意気。この上ない進物である!!』
そして、総督は自らに刃を向けたリドレックまでも褒め称える。
その寛大なる処遇に、闘技場に集う全ての人々が感嘆する。
リドレックを取り囲む係員たちも、剣を下ろし総督の度量に感じ入っていた。
闘技場の全ての人々が新総督に魅了されていた。
ただ一人、リドレックだけが冷めた目で総督を見つめていた。
総督の芝居がかった口調も、鷹揚な態度も――リドレックは何の感銘も受けはしない。
全ては観客を喜ばせるための演技に過ぎない。総督もまた哀れな道化師に過ぎないことに、リドレックは気がついていた。
『さあ、皆で称えよう! 帝国の次代を担う若武者を! 忠勇なるスベイレンの騎士を! 我は汝らと共に在り――スベイレン万歳!』
『スベイレン万歳!』
総督の掛け声に、その場に居る全ての人々が応じる。観客席にいる平民たちが、貴賓席にいる貴人たちが――そして、闘技場にいる騎士たちが、
一体となってスベイレンの騎士を、その盟主たる総督を称える。
『ハイランドに栄光あれ!』
『ハイランドに栄光あれ!』
見るに堪えない茶番劇から――
聞くに堪えない戯言から――
背を向けるとリドレックは一人、闘技場を後にした。