20.小児アルツハイマー
「ちなみに俺は、同期のよしみで五十万です。まったく、井川の娘に請求してやろうかなぁ」
「お前……」立花は江見を睨んだ。
「俺に怒ってる暇なんてないでしょうに。井川の懐事情がわかったところで、次に行くべきところは決まっている。飯代置いて、さっさと行ってください」
立花は一万円札と舌打ちを残して、小料理屋から出た。車に乗って、ブラッドオーガの本部ビルに走る。渋滞があったので、途中からサイレンを鳴らしてやった。
サイレンを鳴らしたまま本部ビルに着いて、さらに長いクラクションをかました。すぐにビルから出て来たのは神谷だった。
「乗れよ」ウィンドウを下ろして立花がいうと、神谷はあっさり従った。
「早いですね。もう調べたんですか」神谷が助手席に座る。
立花は無言で車をだし、すぐに自動運転に任せた。
「井川には、いくらだしてた?」しばらく走ってから、立花はいった。
「月に百です」神谷は即答した。
「それだけか?」
「あとは、ローンつきのマンションを担保に八千ほどお貸ししました」
「くそっ!」立花は車のドアを拳で叩いた。「井川からの見返りは?」
「ガサ入れの情報を少しと、たまにうちらのオイタに目をつむっていただきました」
「で、月に百は負担になったから殺したのか?」
「ご冗談を。我々が警官に手をかけるなんて、ありえませんよ。警官が被害にあった場合の報復は、カタギに手をだすよりも、ずっと酷い。へたすりゃ組織ごと潰される。立花さんならよくご存知のはずだ」
「くだらん嫌味はいうな」
「まあ、実際の話をすると、月に百なんて安いくらいでしたよ。井川さんは我々に厳しいかたでしたから、他の刑事さんと同じくらいにしていただくだけでも、今まで払った金額に釣り合います」
「そんな井川が金に転んだ理由は?」
「本人は、ギャンブルで負けがこんだ、といってましたが……」
「それを信じたのか?」
「まさか。でも、深くは追求しませんでした。井川さんが我々に金を無心するなんて、理由は一つしか考えられない。立花さんだってわかっているはずだ」
立花はため息で応じた。その後は無言のまま数分経ち、本部ビルに戻ってきた。神谷が車を降り、もう一度ため息を落としてから、雫に電話をかけた。
「やあ、珠理奈のおじさんだ。急で悪いが、今晩空いてるかい? 晩飯でもどうだ?」
「あっ、デートの誘い? いいよー。お店は私が決めていい?」
「ああ、任せる」
「りょーかい。じゃーねー」雫の明るい返事のあと、電話は切れた。
立花はタバコに火をつけ、ため息混じりの煙を吐いた。
雫が指定したのは、女性人気のやや割高なカフェだった。早い時間帯では中高生が多いらしいが、夜七時を過ぎているので、今は女子大生やOLが大半だ。
「こういうところ、あまり来ないでしょ」
窓際の席に座り、ビルの光できらめくコウベ港を眺めながら、雫はいった。微かに汽笛の音が聞こえる。
「ああ。正直落ち着かない」
「そんなことだから、珠理奈ちゃんに嫌われるんだよ」
「そうだな」立花は苦い笑みを落とした。
注文したディナープレートが運ばれてきた。色とりどりの野菜を中心にした、ヘルシーな内容となっている。
十歳にもならないうちから、女の興味は美容とダイエットなのだ。珠理奈もそうだった。
食事が進むなか、雫は案外、言葉少なかった。立花は酒を入れたくなるのをこらえながら、機会を伺った。
「そうそう。おじさんにお土産」雫がだしたのは手錠だった。「お父さんのだよ。犯人の手にそれをかけてくれると、嬉しいな」
「ああ、必ず」立花は受け取った。
「で、捜査の状況はどうですか? 立花警部」
まだ警部補だ、と訂正してから、立花は切りだした。
「そのことでなんだが……聞きたいことがあるんだ」
「なになに?」
「最近、困ったことはなかったかい?」
「お父さんが死んじゃって、現在進行中で困ってるわよ」
「いや、そう、じゃなくて、なんていうんだろう。その……」立花は言葉に詰まった。
どのようにいえば、井川の名誉や、雫の心を傷つけなくてすむのか、わからなかった。
「小児アルツハイマーで、私はあと二年で廃人。アメリカで治療するには二億かかるんだって」
しびれを切らしたかのように早口で雫はいい、立花は目を見開いた。




