第一話 ③
辺りはほとんど、夕焼けの色一色だ。
だからと言って壮観だとか風情があるとか、特には思わない中途半端な町。それを公園から見下ろしながら、ベンチで足を投げ出した。
トートバッグからスマホを取って、ロックを解除する。夕陽のせいか、画面はやけに白っぽい。
「登校日、倍になっちゃった......」
陶芸の日。オンラインで済ませていた数学の日。荻原さんもとい、七乃果の申し込んだ講演の日......カレンダーはいつになく、イキイキしている。
「いいんじゃないかなぁ、倍になるくらいで丁度」
「他人事みたいに......他人事だけど」
隣のベンチに腰掛けているおじさんは、くつくつ笑い声を立てた。
「だって栞ちゃん......学校に入ったんだかジムに入会したんだか、分からない通い方してたからねえ」
「......秋穂も似たようなこと言ってた、かも」
「うんうん、いいお友達だね」
にこっと笑ったおじさんは半分透けてるのも相まって、夕焼けに呑まれてるみたいに、見えなくもない。
「......おじさんにかかれば、全員いい友達になりそう」
「そんなことはないさ......それにしても、あの学校でも仲間外れ、なんてあるんだね。いろんな背景を持った子達が集まっている場所だから、てっきり……」
「『みんなが救われる天国は無い』……おじさんがそう言ったんでしょ?」
今度は口角だけを持ち上げて、おじさんは笑みを作った。
……気に入らない顔。
子供の時よりずっと、こんな顔をすることが増えた。私が補助者【エイド】として組むようになってから、特に……
ズズ、と鼻を啜る音が、背後から聞こえて——弾かれたように立ち上がった。
振り返って、音のした方を見る。
学ランを着た、中学生くらいの男子が、自転車を押しながら坂道を登っていた。マスクをしているから表情は分かりにくい。心なしか、彼は下を向いているようで、私は——
心臓はとっくに騒ぎ始めていた。
声を掛ける? 学校だけでも確認する? それとも——
「大丈夫だよ、栞ちゃん」
背後のおじさんがポンと、両肩に軽く手を置いた。音もなく回り込んだくせに、わざとらしく。
「彼はきっと、花粉症なんだ。ボクには分かる」
「......」
黙っているとおじさんは、片方の手を静かに、私の首に添えた。温度も湿度も無い手で、何かを確かめるように。
「それに——彼は陽波ちゃんじゃない。君の心を慰めるために、彼が生きている訳でも......」
言葉の途中でバッ、と体を離した。一気に高まった怒りが、涙になって目に溜まる。
「何がっ、ハジメちゃんに何が分かるっていうの!」
おじさんは困ったように笑うと、低い位置で手を広げた。さっきよりも陽が落ちて、ぼんやりした体の中でグラデーションが出来ている。
「もう行こう......君にしか出来ないことをするんだ」
Tシャツの袖にぐいっと、目元を押し付ける......おじさんに怒るのも、バカらしくなってきた。涙も出ないし、人間じゃないし。
「……そういうこと言う人、大人でも子供でも注意しろって学校で言ってた」
「おやおや……こっちが参っちゃう程、ちゃんとした学校だなぁ」
......ホントは何とも思ってない。こっちに近付くおじさんから、それがひしひしと伝わってきて——やっぱりムカつく。
「ホラ、さっさとしたら」
「まぁ〜! 横柄なお嬢さんだこと!」
やれやれ、といった感じで首を振ったおじさんは、一切屈まずに私の右手を取った。
そこから跪いたりするはずもなく、手はそのまま、口元へと運ばれていく。
——未だに、額の方に自分の手が行かないのを見ると、どうしようもなく不思議な気分になる。
仕方ない。『おまじない』じゃもう足りない。
「何処までも行こう——ボクの補助者【エイド】」
おじさんが口付けをするのに合わせて、瞼を閉じる。
伸ばした右手の、親指と人差し指の間。
そこに冷たい感触が入ってきた瞬間——目を開けた。
黒に近い、銀の色をした大鎌。
冗談みたいに大きな刃だけじゃなく、持ち手まで暗い鏡のような色と輝きを放っている。
自重でくるりと、手の中で踊りそうになった大鎌——ハジメちゃん——を、捕まえるように両手で掴んだ。少しだけ息を整えて、声に出す。
「——うん、行こう」
◆◆◆
人は死ぬと、時々こうなる。
車通りの少ない山道の入り口。
柔らかな夕陽をぶつりと、断ち切るような暗い穴——トンネルに下がった蔦の向こうから、化け物の一部が覗いている。
うぞうぞと蠢く、黒光りする平たい体、無数に伸びた赤い脚——ムカデの【セクト】だ。
「うぅっ......」
見ているだけで体が痒くなってくる。思わず首の辺りを掻きむしった。
......実際、ガードレールの外の茂みにいるんだから、蚊に刺されてもおかしくはないけれど......
『——聞こえるね?』
「何? おじさんの声が?」
手元にすっと視線を落とした。いつも思うけど大鎌のどこでどうやって、お喋り? テレパシー? しているんだろう。
『違うよ小ばかさん、耳を澄ましてご覧よ』
小さく舌打ちすると言われた通り、トンネルの方に耳を傾ける。
「何にも、」
悪態を吐こうとしたその時、鎌を握る手にグッと力が入った。首をゆっくり動かして、【セクト】の姿を確認する。
——シね、ウザァい、絶対、ヒトリっこ......
呪詛のように連なるそれを、【セクト】は律儀に、口から放っていた。体の表面に現れた幾つもの口——節と節の狭間、パクパクと動く紫色の唇から——
生温い汗が、頭から滑り落ちるのがはっきり分かる。手の甲で拭っておじさんに尋ねた。
「いじめ、かな......」
『さぁね。単なる、噂好きだったのかもしれないよ』
こちらの視線に気付いたのか【セクト】は突然、トンネルの中へ引っ込んでいく。
明らかに——存在の圧が増した。
コンクリートの壁を掻き回す、ガシャガシャと不快な脚の音。
それに負けじと漏らし続ける誹謗と中傷が、半円状の闇の中で木霊している。
——バカみタい、あゲない......だと思ッタ、O型? 嘘吐キ、嘘ツき、嘘ツキ!
「......今日はいくつ戻せる?」
聞きながら鎌を担いだ。薄くずっしりとした重みが、右肩に加わる。
『う〜ん、二つってとこかなぁ』
「ダメ、三つは戻して。それが最低ラインだから」
目は真っ直ぐ、トンネルに向けたまま歩いた。空いている左手は、寄りかかるようにガードレールに下ろす。
『栞ちゃんは、死神使いが荒いなぁ』
「【リセクター】でしょ、おじさんは」
左腕に体重を掛け、鉄板を軽く乗り越えた。
始まる——悪意が渦巻く、【セクト】の寝ぐらの前に立つ。
心の中には、緊張と興奮の両方があった。
アレと上手く戦える? やるしかない、他はない。
もう一つ——ついについに、会えてしまったのかもしれない。大好きな、大好きだった『ひなみちゃん』に......
『ひなみちゃん』は、いじめの首謀者、とされて命を絶った。
単なる、噂好き——? おじさんはあの見た目の【セクト】に対して、そう、言ってのけた。何でもないみたいに。はぐらかした。
私が動揺しないように。私が戦闘を前に、怖気づかないように。
「——ムカつく」
『......栞ちゃん?』
目の前には、陰口と物音で小煩いトンネル。私がいるのは丁度、笑っちゃうくらいのど真ん中だ。
脚を広げて、大鎌を肩から下ろす。峰が優しく、アスファルトを撫でる音が響く。
嘘みたいに長い柄は、一層弱くなった夕陽色で染まっていた。それを両手で握り込むと、刃の先でトン、と道路の白線を叩いた。
そうして——振り上げた。
さながら剣道の竹刀のように。もしくは薪割りの斧みたいに。
私は深く、息を吸った。山の植物達は一足早く、夜の呼吸を始めている。
一方で——おじさんの落ち着かない気持ちが、ひたひた流れ込んで来る。柄を伝って、なんとなく。
『あのぅ......栞さん? 気に触ったなら』
「もう——遅いからっ!」




