シャングラリ家とその娘が望むこと
サルラの実家、シャングラリ伯爵家は伯爵家という中堅の家でありながら国家に忠誠を誓い中立派を動かない家である。家系図をすごくすごく遡れば跡継ぎが少ない時代に姫を下賜された記録もあり、極稀に隔世遺伝で王家の人間によく現れる瞳や髪色を持つ子供が産まれることもある。ただ、特に目立つ功績を残していないことだけがネックである。取り立てて問題を起こさなければ取り立てて功績も出さない家は逆に珍しい。
「ですがまぁ〜、昔から『ちょうどいい』相手として選ばれることが多かったらしくですねぇ」
「……」
実際に『ちょうどいい』とサルラを選んだランザックはどんな顔をすればいいのかわからなかった。
シャングラリ家は伯爵家にしては伯爵家より上の位の家との婚姻記録が多い。公爵家との婚姻も珍しくなく、三代前に上位の公爵家との婚姻。二代前は下位の子爵、先代は同じ伯爵家との婚姻。
しかし相手には恵まれないことがほとんどだったようで、人身御身が如く色好き爺と言われるような家に嫁ぐことになったり、いい噂を聞かない家に都合よく利用されたり、資産を食い潰そうと狙う令嬢に嫁いでこられたりした。几帳面なまでの記録が残っているのでサルラが知っていることだが、後継ぎがいなくなりかけるたびにどこからか当主が優秀な子を拾って後進として立派に育成しきっているらしい。その血は脈々と受け継がれ、どの代でも同じようにシャングラリ家は無事に立っていた。
「わたくしのお母様も政略結婚でして〜、とはいえお母様はお父様を愛していたらしいのですけれどぉ」
「一方的に…ということか?」
「おそらくは〜。証拠といいますかぁ、お母様が亡くなった後にこっそりと新しいお母さまがいらっしゃいましてぇ」
「たしかに、その知らせは聞いたことがないな。令嬢は二人いるということだけ…」
「お母さま、シャングラリ家の名前は使わないことを条件に本邸に住んでらっしゃるんですぅ。既に一応妹…になるのですかねぇ、娘がついて来ていたので、社交界に出るのはそちらでいいかしら〜と思っていたらお父様は最初からそのつもりだったようで〜」
「それは……災難、か?」
「いえ、わたくしは文句ございませんわ〜。基本的に何をしても怒られませんでしたし、いじめられるわけでもありませんでしたもの〜。ですので、どうせその内適当なところに嫁がされるなら、と色々なことをやってみたりしていたのです〜」
サルラはその言葉通り様々なことをやっていた。ノヴァの訓練を一緒にやってみたり、ミリカと一緒にメイドとしての立ち振る舞いを覚えてみたり、市井に繰り出して街に馴染んでみたり…唯一やらなかったことといえば。
「行商を呼んで着飾る〜とか、サロンでお茶会〜、とかはいたしませんでしたぁ。お茶会の運営の方をしてみたりメイドとして忍び込んだりしてみたのですけど〜」
「………それを不幸や不遇に思わないのは、すごいな」
「うふふ〜、母と共に屋敷の奥で閉じ込められていた時間が長かったですから、大人しくするより動き回る方が好きなのだと思いますわ〜」
「流しているところすまないが私はそこまで聞き流せない。閉じ込められていた?何故」
「大した理由ではございませんわ〜」
只々、当主がサルラの母を不要だと思っていただけの話である。
政略結婚というのはその通りで、先代当主がサルラの母の家に作った貸しを返すために今代当主がサルラの母を貰い受けた。その時の結納金がサルラの母の実家の借金返済に充てられたことで貸しはなくなった。
「お母様がなぜお父様のことが好きだったのかは存じ上げませんが〜、お父様はどう考えても新しく来たお母さまの方を大事にしたかったのでしょうねぇ」
だから、義務的な付き合いしかしようとしなかった。
それでもサルラの母は当主を求めた。
「お父様がお母様の要求に渋々応えて、産まれたのがわたくしなんです〜。でも少ししたら別の娘が産まれていたのか、存在ごと隠すみたいに屋敷の奥にず〜っといたのですわ〜」
「……そうか。あまり詳しくは聞かないが…」
「ついでにもう一人産まれましたがそちらは母と共に死んでしまいましたぁ」
「それをもう少し詳しく頼む」
「あら〜?」
言ったことが違いますわぁ、とサルラはのほほんとしながら説明した。しかしランザックは大真面目だ、当たり前である。
「単純に、わたくしを産んだすぐあと、双子の兄弟であった弟が生まれ損なっただけの話です〜」
「それは……いや、そうか。医師もまともな者はつけられていなかったのだな」
「察しがよくて助かりますわぁ」
「それは良かった。しかし、貴女は健康そうだな。いいことだ」
ここで初めてランザックはわずかに口の端を緩めた。サルラはそれに驚いて一瞬目を瞬かせたが、すぐにほのほのとした笑みが戻る。
「えぇ。ですけれど、母にとってわたくしは恨みの対象だったのが問題でしてぇ。といっても、お父様がお母様を仕舞い込んだ理由が理由で〜」
「……まさか」
「健康な男児を産めないのなら用はない、と、わたくしと弟を産むことになった一度きり、それしか母は相手にされなかったようなんです〜」
ひどいですわよねぇ、とほのほの笑うサルラに、ランザックとトランは顔を引き攣らせた。貴族社会での恋愛模様は残酷なことがままある。
「無いことではない、あり得ないことではないんだが………!」
「そうでございましょう?ですので、わたくしあまり気にしていませんわ〜」
「…そうか。いやしかしだな」
「もう!そんなに気になさるのでしたらぁ、そうですねぇ」
ここで初めて少し大きな声をあげたサルラに、驚いたのかランザックが顔を向ける。
「わたくしがこの場所で自由に振る舞えるのでしたら、この結婚、是非ともお受けしたいですわ」
珍しく、本当に珍しく、ほとんど知り合ってすぐの人間に対して間延びした穏やかな口調を使わず、それでも優しくきっぱりと言い切る。サルラのその様子にミリカとノヴァは片や驚き目を細め、片や面白そうにクツクツ笑う。ランザックは微笑むサルラを見つめたまま、思わずといったふうに声をこぼした。
「…自由に……」
「そして、貴方…ネルクロード卿も、公爵としての顔はしまっていただいていいのです〜。わたくしの夫の顔もしなくて大丈夫。そちらの貴方…お名前は〜?」
「私……トランと申します」
「そう〜、トラン様、貴方もね、この方のことは今まで通りに扱いなさいねぇ」
「様など付けなくていいのですが…それに、それは」
「あらぁ、だって、対外的な姿は夫婦でいなくちゃいけないんですものぉ。家でくらい気を抜いてもいいんじゃないですか〜?」
「そうかも、しれませんが」
「んもう!そんなに否定なさるのねぇ。いいですわ、わたくしが先に好きにさせていただきますものぉ」
もう怒った、というように言って、しかし穏やかに立ち上がったサルラはニッコリと笑って言い放った。
「手始めに、新たな女主人の顔見せということで、騎士の鍛錬場にでも行かせていただきますわ〜。この地を守る戦力ですもの、挨拶は大切ですわよねぇ」
それを聞いたランザックはいつかはしようと思っていたことをなぜ先立ってやるのか、と怪訝な顔をした。しかしトランは何かに気が付いたように顔を青ざめさせると口を開く。
「畏れながら、奥様」
「この5人しかいない時はサルラにしてちょうだい〜」
「……サルラ様。何をなさるおつもりで?」
「もちろん、挨拶よぉ」
サルラは開かれた扉を笑いながら通り、要領を得ない返答に一言付け足した。
「騎士様にとっての、ねぇ」
パタン、と扉が閉じられる。ずっとサルラに付き従う二人の連携は凄まじく、サルラが立ち上がった時点で片方は既に扉前で待機し、片方はサルラの背後に控えながらも絶妙なタイミングで共に部屋を辞した。
また今回も様々な衝撃を与えてきた女性のいた椅子に視線を向け、ランザックは頭を抱えた。それを見てトランが口を開き、現実逃避は良くないと心に刻み込んだ。
「ランザック様、お伝えし忘れていたことがあります」
「………なんだ」
「先日案内したノヴァ殿に、『お嬢は結構お転婆だから放っておくとこの家の騎士全員叩きのめす』と言われました」
「………は?」
「わかりますその反応、本当にそうです」
「……………………あの、女性が?」
いつでも柔らかく優しい雰囲気を崩さず、ほのほの笑い、果てにはこちらを気遣ってか交換条件のように互いに利のある結婚を望んだ。あの、柔らかな、女性が?
「私も半信半疑なのです。ですから…」
トランは長くランザックに仕え、友人として遊んだこともある悪戯っ子の笑みで言う。
「仕事抜け出して見に行きましょう!あれ完全に挨拶という名のフルボッコ始める気です!」
「……なぁ、今思ったんだが、彼女が使用人契約と言い出したのは」
「多分使用人ですから〜とか言ってこの屋敷で好き勝手動くためですね。贅沢とか微塵も興味なさそうでしたし」
「そうか、そうだよな……そうなのか………」
「いいじゃありませんか。ほら、今日の執務はそんなに緊急性ないでしょう?息抜きしに行きますよ」
「…俺は時々、お前が俺の補佐をしてることを憎らしく思えてくるよ」
「そりゃ光栄だな」
最後だけ昔からの悪友の会話をして、ランザックは立ち上がった。
契約書とかもういらないのかもしれないな、と考えながら。