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4-17話 塵芥6 粗悪で好色なゲーナ


 カラカラ、回る音。

 命の滑車、回る音。


 小さく弱い、回る音。

 今にも消えそうな、回る音

 そんな音を、ゲーナは聞いた。

 他のどこからでもなく、自分の中から聞こえる音を。


 ゲーナは笑って、喜んだ。


 ――ああ。まだ止まってない。今日の俺はラッキーだな。


 最後の最後に、ゲーナは神に感謝した。

 ――髪のない俺を神は見てないなんて嗤いやがったグルディめ。そっち行ったらぶん殴ってやるからな。

 そう遠くない未来の事を考え、ゲーナはそう考えた。




 今でこそ指名手配され賞金までかけられた危険人物だが……その男はまごう事なき普通の人だった。

 一般的な家に生まれ、一般的に育った。

 仕事は服屋の手伝いで、妹が結婚するから何かを贈りたいなんて考えていた、普通の男だった。

 紛れもなく、普通の男であった。


 彼には幸せと感じる瞬間があった。

 朝、昼、晩、食事を取る事である。

 三食食べられて、しかも夕飯をちょいと豪勢に食べる事が出来たら……それだけで彼は他に何もいらなかった。

 そう――それこそが彼の人生の娯楽であった。


 別に誰かが何かしたわけではない。

 神の悪戯というわけでも、妖精のお遊びでも、既にいなくなって数千年経った魔王の策略でも、ましてや人間達による恐ろしき人体実験ですらない。

 本当に何もなかったのだ。

 ただ、男の世界がズレただけである。


 男には理解出来なかった。

 朝、昼、晩と三食食事を取っているだけで、どうして自分が殺人鬼として指名手配されたのか。

 男には理解出来ていなかった。


 何時からか、男のご馳走である夕飯は、人を殺す事になっていた事に男は気づいていなかった。

 ステーキにナイフを通す様に、スープにスプーンを漬ける様に、男は毎晩一人、人間をバラバラにしていった。


『今日も美味しいご飯だな。今日も幸せだな』


 それだけ凄惨で、悍ましい行為であっても、男の脳内ではご馳走を食べているだけである。

 実際は人をバラしていたとしても、男にその自覚はなく、ただご飯を食べただけだと心の底から信じていた。


 自分と世界の認識が悉くズレていた。


 信仰とは、力である。

 心の底から何かを信じるだけで、それは確かな能力であると言える。

 だが、それを完璧までに出来る人間は基本的にこの世にいない。

 どんな事であっても何か一つだけを、心の底から信じ続ける事は人間には不可能だからだ。


 それこそ、神を信じ神と交信出来る一部の人間ですら、神の存在を疑う心は残る位である。


 だが、男は心の底から信じていた。

 自分のしている事はただの食事であって、そこに難しい部分は一切なく誰でも出来る当然の事しかしていないと。

 だからこそ、男は力を持った。


 ちょっとご馳走を食べるのと同じ様に、何でも切り裂ける力を。

 男は自分で認識していなくとも、男は身に着けてしまった。

 斬撃の極意という極致を――。


 だが、ここにきて男に問題が発生した。

 世界の、認識のズレが男の常識を狂わした。


 地下生活ではマトモな食事など取る事が出来ない。

 それこそ、男がどの様な存在すらも殺しきれる能力であろうとも、地下環境が劣悪な事に何ら変わりはない。


 男は安心していた。

 例えあんまりご飯が食べられなくても、()()()()()()だけはしっかり食べているから大丈夫だろう。


 その認識が、男を歪ませた。


 当然の話だが、男は夕飯を食べていない。

 食べたと思い込んでいるだけで実際は――。


 故に、当然だが空腹は続く。

 それこそ、飢餓状態となるほどに。

 男は混乱した。

 食べても食べてもお腹が空いたままだからだ。


 空腹は男に恐怖を与え、同時に考える力を奪った。

 どうしてかわからない。

 だから食べる。

 夕食が豪勢なだけでは足りない。

 だから毎食しっかりと食べる。

 幸い、ご馳走にはここは困っていない。


 全ての思考回路が停止し、男は己という余分を全て注ぎ落していく。

 そして遂には、男は食べる(殺す)事以外全てを失った。


 その命尽きるまで、飢餓で死に絶えるまで殺し続けるだけの、本物の殺人鬼へとなり果てた。




 激しい揺れに意識を取り戻し、眠っていた事に気が付いたゲーナは目を開いた。

 やけに瞼は重たかった。


「……気づきましたか!」

 部下の一人がそう声をかけてくる。

 ゲーナは状況を思い出しながら返事をした。

「ああ。イロガル。何があった?」

「その……ゲーナさんがギャリシーさんを庇った後、ギャリシーさんは一人残って……」

 激しい揺れが部下達に支えられて逃げている最中だと気付き、ゲーナは声を荒げた。

 荒げようととした。

「それで……見殺しに、してんのかあの人をっ……」

 声が出ない。

 息が切れる。

 いよいよもって自分の体が限界なんだとゲーナは気が付いた。


 だが、まだ滑車の音は聞こえていた。


「……俺達だって残りたかったですよ! でも……ギャリシーさんの戦いに参加するほど俺達は強くないし……足でまといだったんですよ……。それに、ゲーナさんを抱えて逃げるのに人手はいるし……」

 それは悔しいという気持ちが、無念が強く伝わる様な声だった。

「……悪かった。俺が倒れた所為なのにお前らを責めちまった。んでお前ら……ぶっちゃけ俺どうなってる?」

 四人全員が無言になった。


 幸いな事に、四肢は残っている。

 足にも手にも感覚があるからだ。

 だが、全身がとにかく重たかった。


「……聞き方が悪かったな。俺は生き延びられるか?」

「ちゃ、ちゃんと治療を受けたら……きっと……」

 そう言葉にする部下の一人。

 だが、その言葉は嘘を付いている様にしか思えなかった。

 ゲーナは背後の方を見た。

 既に遠くに移動している為、ギャリシーの姿は見えない。

 代わりに、この汚く薄ら暗い通路にはっきりと、ナメクジが通った後の様な大量の血痕が後を引いている。

 誰の血かなど、言うまでもない。


 滑車は緩やかに、回っていた。


「……よぉし。良くわかった。お前ら。今すぐ俺を置いて教室に戻れ。そんで全員でギャリシーさんを助けに行け。あの人だけは殺したらいけない人だ」

「そんな――。ゲーナさんは」

「やる事がある。意味があるのか、上手く行くのかすらわからんが……死ぬ前に足掻かせろ」

「そんな……今すぐ治療を……」

「本気でそう思うなら、俺を今すぐ教室に運べ。本気で、俺が助かると思っているのならな……」

「でも……俺達ゲーナ団は最後まで一緒って……」

「ああ。一緒だ。だから俺の意思を受け取ってくれ。『あの人を殺すな』。例え何を犠牲にしても……だ」

 ギャリシーの元に集って、その責務を全て押し付けて来た。

 だからこそ、返すべき場所で返さなければ意味がない。

 生きる意味がないのだ。


「……ゲーナさん。俺達は、貴方のおかげで救われました。ですから……」

 何を言いたいのかゲーナには理解している。

 ゲーナにとってのギャリシーが、この四人にとってはゲーナなのだ。

 だからこそ、最後まで傍にいたいという気持ちは痛いほどにわかり、嬉しかった。

 だが、それでも、ゲーナはそれに甘える訳にはいかなかった。

「もしお前ら生き残れたら、俺の代わりにクラスを頼む。お前らにとっての俺に……今度はお前らがなってくれ」

 そうゲーナが言葉にすると、部下達四人は諦めた様な、泣きそうな表情でゲーナを下ろした。


 足に力が入らず倒れ込む。

 ただそれだけで、びしゃっと水の音が聞こえた。

 そんな出血が常に出続けているのだからそりゃあ生きていられるわけがない。

 というよりも、ここまで生きている事すら奇跡である。

 生き残っている理由は……体格に恵まれた。

 ただそれだけだった。


「はは……。やっぱり俺強いじゃねーか。普通死んでるだろこれ……。……じゃあなお前ら。達者にやれよ」

 そう言ってゲーナは立ち上がり、フラフラとした足取りで四人とは別の方角に歩き出した。

 四人は声を殺し、全力でゲーナを見捨て、教室の方に走った。

 自分の服に染まった真っ赤な血を最後の想い出として――。




 ぐるぐるぐるぐる。

 滑車が回る。

 命の滑車、弱弱しくも止まれない滑車。

 止まりかけた滑車を、無理やり回す。

 あと少し、あと少し。


 悔しいけれど、変わった事を。

 悔しいけれど、認めてしまった事。

 素直に受け入れ、やるべき事を、たった一言を告げる為に……。


「止まって下さい」

 そう言ってナメクジの様な速度で歩くゲーナを、登り階段に進もうとするゲーナを担任であるイースは止めた。


「……行かせて……下さい。ただ一言、言うだけですので……」

「ルールはルールですので」

 地下にいる者は許可なく地上に出る事は出来ない。

 それは地下にいる者なら誰でも知っており、そして絶対に破る事の出来ない最上級に位置するルールである。

「……お願い……します……」

 最後の命を燃やしながらそう頼み込むゲーナ。

 それでもイースはいつものニコニコした顔を崩さず、首を横に振った。


「いいえ。私に得がありませんので。それに、貴方昔自分で言ってたじゃないですか。腕が動く限りは、死にかけてでも女を犯すのが俺だって。そんな人を地上になんて……ねぇ」

 童貞であった頃の、過去の言葉。

 強がっていただけで、女性を怖がっていた弱い過去の言葉。

 それが今、ゲーナの元に帰って来た。

 知らぬ誰かを傷つけた代償として――。


「そんなの強がりだってわかるだろうが……。そんな事してる時間もない……。頼む。俺の持ってる物なら何でもやるから。だからっ……」

「ならば貴方の一番価値ある物を。腕を貰いましょうか」

「……は?」

「貴方の強い右腕を下さい。貴方の目的に腕はいらないでしょう?」

 そう言ってイースはにやけ面の奥に、鋭い悪魔の様な――射殺されそうな瞳を見せた。


 ゲーナは、迷わず両手を前に差し出した。

「両手やるから……俺に手伝え」

 その言葉を聞き、イースは笑った。

 邪悪な笑みを浮かべた。


「ええ良いでしょう。貴方の望みもわかっていますので、お手伝いは可能ですよ。……これで契約は成立です」

 そうイースが言葉にした瞬間、ゲーナの両腕は感覚を失い、ぷらりと重力に従い垂れ下がった。

 切断されたわけでもなければ奪われた痕跡もない。

 ただ、動かなくなっただけである。


「斬る事を極めればこういう事も出来る様になるんですよ。これで貴方は完全に無力になりました。そして、しばらくはここを誰が通ろうとも私は関与しません。――いってらっしゃい」

 そう言ってイースは階段の脇に退けて道を開けた。


 ゲーナは何も言わず、そのまま階段を上がりだした。

 地上への階段を――。


「……どうして、どうして最後にマトモになるんですかね。それがずっと出来たらココに来なくても済んだでしょうに……」

 ゲーナが去った後、イースはそう呟き、泣きそうな顔になった。

 それはイースが普段は絶対に見せない、仮面の奥の本当の顔だった。




 約束は本当だった。

 イースは確かに、手助けしてくれた。

 出なければ、これは奇跡だろう。

 ゲーナは初めてイースに感謝した。


 駆け寄ってくる小さな影を見ながら。





 血まみれの大男がずるずると歩く。

 その不気味な様子に近づく者はいなかった。

 ただ一人を除いて――。


 友人の忠告も無視し、プランは迷わずゲーナに駆け寄った。

「何があったの!? 大丈夫!?」

 そう言ってプランは自分のタオルを迷わずゲーナの背中に宛がった。

 背中にはタオルですら隠しきれず、骨が露見するほどの大きな傷が出来ていた。

 それは普通に考えて、生きているわけがない傷だった。


「やっぱり、来るよな。ああ。俺の考えは、正しかった……」

「何を言ってるの!? 早く治療を。ミグ……はいない。誰がお医者さんを――」

「良い――。もう、手遅れだ」

「そんな。諦めなければ――」

「諦めていないからここに来たんだよ!」

 叫び声に呼応し、ほとんど出なくなっていた血が噴き出す。

 それに対し、プランは怯えを見せた。


「……頼む。お前しか……ギャリシーさんを助けてくれる様な人はいないんだ。頼む……聞いてくれ。お前にそんな義理はないのわかっている。怨んでいるだろう事も。しかももう俺には捧げる物すら何一つない。だが……他にいないんだ」

 ギャリシーの為に何かをしようとした人を、ギャリシーの為に命を賭けてまで動く様な人を、ゲーナには他に思い浮かばなかった。

 自分達を助けようと必死になって動いたこの馬鹿な女しか、ゲーナは知らなかった。


「……何をすれば良いの?」

「やべー奴と、ギャリシーさんが今戦っている。どんな方法でも良い。そいつを止めて、ギャリシーさんを助けてくれ。場所は……俺の血を辿れば……」

 その言葉と同時に、プランはゲーナのおでこにキスをした。


「……は?」

「最後の想い出――。美人でもなければ色気があるわけでもないびみょーな私で悪いけどね。じゃあ、行ってくるね。……さよなら」

 プランは泣き笑いを浮かべながらそっとゲーナを地面に寝かせ、血の流れる方角に走っていった。


「……なんだよ……良い女だったんじゃねーか。……もったいね。襲っておけば……」

 そんな気もない癖に、最後まで悪ぶって、ゲーナはそう言葉をもらし、目を閉じた。


 ()()()と小さな、音がした。

 役目を終えた、滑車の音が――。


ありがとう、ございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ほろり、泣けました。 プランちゃん頑張れ〰️‼️
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