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10/12

名村くん、若すぎて過去じゃなく未来のようなどこかへ飛ばされて正義の味方になっちゃうの巻

バイク好きがたたり、秘密結社に見入られ目をつけられ"正義の味方"になった。

ちなみに改造人間とか超能力を与えられたとかそういうのではない

「あ、君、素質あるから今日から正義の味方だからよろしくね」って

一声かけられただけなんですけども。

とりあえず社会的に正真正銘の正義の味方に振舞う許可と資格は得ているようだ。

変身スーツと万能ジャックナイフたるものも一応貰ったのだが

テレビでおなじみの変身ヒーローと違い、服を脱いで物理的に着替える必要がある。

漆黒の全身タイツ風でどう見ても悪役・・というか悪役でしかもかなり下っ端風味というか、

ずばり簡潔に、雑魚の衣装にしか見えないのだが・・(汗)

必要であれば軍事用アスクルなる通販で武器とかを注文できるが

急に現れた敵を対処するときに発注して"明日来て"くれても遅すぎるわけで。

変身スーツも衝撃吸収機能繊維仕立てとのことだが

敵が急に現れれば着替える暇なぞあるわけなく・・

結局自前の環境利用能力と筋力と腕っ節に頼ることになる。

まあですが、魔法使いでも改造人間でもないれけど大丈夫だよ。

僕、鍛えてますから。

例えるなら70s特撮ヒーローモノの珍作・電人ザボーガーにおける主人公みたいなもんだろう。

ロボットのバイクを乗り操る武道家という主人公という鉄人28号ライクな設定で、彼は改造人間じゃなくて変身もできない。

なのにザボーガーなしでも仮面ライダーなみの身体能力を持ってる的なね。


今日も街を自慢の中型改造バイクでパトロールしている。

信号無視をしても法定速度を超えてもたとえ人を轢いても

(ちなみに轢いた場合なんだけど秘密結社に送ってこっそり改造人間にして助けてあげるのでOK)

警察は俺を見てみぬふりをするだけで捕まえてこない。

一応正義の味方の風貌に見合うようにヘルメット(70s風ゴーグル付きのね)は着用しているが

おそらくノーへルでも捕まらないのであろう。

まあ俺の体は趣味の筋トレによって鍛え抜かれていて頑丈なんだけどさすがにノーヘルで事故ったとき痛いし

イカレた暴走族と勘違いされるのでヘルメットはさすがに被ってる。

ちなみに免許はゴールドカードだ。ペーパードライバーでもないのに。

"正義の味方"へと生まれ変わって以来俺の免許は無傷無泥。

てか、無傷無泥ってなんやろな。そんな四文字熟語が無いというのは

こうやってキーボードで一発変換で出てこないというこの事実が物語っている。


あー今日も暇だ。他愛の無いツーリングで終わってしまいそうだ。

そういえば去年の初冬に「人生は短い。一瞬一秒を無駄にするな有効に使っていけ」

と歌う壮絶なナンバーとPVを世に放ったばかりにもかかわらず、そのわずか数ヵ月後に

自身がバイク事故で他界してしまったスーサイドサイレンスという

デスメタルハードコアバンドのその世界ではまさに顔的存在のボーカルのことを想うと

同じバイカーとしては微妙な気分になる・・。

バイク乗りってこんな生死紙一重の危ないモン乗ってる時点で

そんなに人生とか時間とか自分自身を大事に計画的に有効利用しようとしてるとは思えんからな・・


まあ俺は事故ったときは秘密結社が助けてくれるし、バイク事故くらいでは他界しない。

なにしろ鍛えてますからね。


この場を借りましてご冥福をお祈りいたします。


あー女子高生が悪党に絡まれてたりしたらいいのにとは間違っても思ってはいないよ。

僕はロリコンじゃないからね。あ、だからといって熟専でもないのでそこんとこ誤解しないで。


そんなときは池で釣りをしにいく。池っつってもめちゃ広い。アマゾン川みたいなそんな感じ。

このまえピラルクの幼魚が釣れたしなんなんだろう。

ちなみに食べられそうにない種類の魚介類が釣れて釣り針で死にそうになってた場合は

やはり秘密結社へと送って怪人化させて蘇生してあげるのでご心配なく。



なにしろ正義の味方ゆえに、いくら誰でも気軽にやってる娯楽であろう釣りとて我の場合は

無意味な殺生はできぬ身分ゆえ。


しかし今日は釣れない。日が暮れて阿呆鳥の鳴き声が切な寂しく夕暮れを演出しはじめたので帰る。

帰りの途中でカレーの香りがしておいしそうだったので今日の夕飯はカレーにしようかな。

具材は釣り場の付近の茂みで採取してきた精神を躁状態に導いて心を元気にするという効能をもつ薬草を使うことにする。

あ、やっぱ自炊するテンションじゃねーなー。

なんか今日はそういう気分じゃないっつーか

料理とか時間の無駄っつーか

めんどくせーんでココイチで食って帰るかー。


ついでに夜食用に冷凍カレーピザを持ち帰った。

小学生か中学のころ夜食の定番で家族で食べてたんだよなー。

俺的に当時ココイチはピザに使うとおいしいカレーみたいなイメージだった。

まぁ揚げ物が乗っててなんぼっていうか外食系はスープ状でトッピングのソースの役割で

なければならないのでスープ状のゆるくて辛めのカレーしかないものだ。

市販の家庭用のが増粘剤やら凝固剤やら粉モノの集合体に香辛料で味付けしたものであれば

デミグラスソースに香辛料で辛くさせてるのが外食カレーと考えていい。


だから市販で売ってるカレーを揚げ物のソースにするためにスープ状にしようとすると薄くなって味も辛さもなくなる。

家庭で店屋物カレー食いたいときはデミソースとカレー粉とブイヨンスープでも混ぜたらいいと思うが

自分はやったことありません。


やっぱ家で作る具沢山のまったりした甘いカレーがお子様的には一番だったんで。

あとうちの母親が最後に作ってくれた食事もカレーでしかも当時それが

最後の一品になるということさえも知ってたのだが、最後とは思えない完璧な仕上がりで

そのときの味がわすれられないほどなので

今でもカレーは俺的に神聖な料理を頂くかのごとくかしこまってしまう。

カレーとかがっついてかきこんではおかわり的なファーストフードなイメージがあるが

俺はそんなもったいない食いかたはしない。カレーとはちゃんと味わって吟味すると

人々が普段あたりまえのように感じているおいしさ以上においしいんですよ。

名づけて"秘技・明日のジョー食い"ってやつです。

つーかカレーは単に安定した旨さで老若男女万人に愛されて安価なだけでなく

薬にも毒にもなるように設定され国家機密研究所から世に送り出された

紙一重の料理だと思うんだわ。


ちなみに母親の料理はいつもバランスが偏ってて

野菜はサラダは飾り程度に肉や揚げ物率が高い洋風寄りの喫茶店時代のスキルを思わせる

外食好きのお子様や若人の目を引くようなランチ系の盛り付けで

健康的とは言い難いものだったんだけど

自分の年代の母親は高度発展期の贅沢と無駄とジャンク志向がステイタスの時代で

当時高校時代においてはクラス内のお友達たちを見渡しても

母親が弁当を作ることすらめずらしく、うちの母親ですら当時まわりから見れば

母親の鏡みたいな存在でうらやましがられていたようだ。しかも仕事らしい仕事なんて両親共にしている光景の

記憶は皆無に等しかったが、高度成長真っ最中から飽和衰退に至る昨今までの

日本ではそれがあたりまえだったようで、実際まわりの大人もうちの両親ほどでなくとも

そうであったと感じたし

そのライフスタイルに対して非難否定する者はいたようには思えませんでした。

実際俺が若いころは、せっかくの平和で豊かな時代に産まれたのだから

若いうちからお堅い職種やましてや公務員なんて目指すのはどうかしてる、

夢を描いて楽して儲けたほうがカッコいい、

ましてや七光りでさえ胸を張って自慢できるステイタスとして誇れるものだったんです・・。

まああまりにぬるま湯の社会だったし、流行のファッションに身を包んで

バンドやれば、客が集まってプチプロになることは当たり前なくらい

夢の原石がそこらへんの石ころのように散乱して手に入っていた。しかも手にしたその原石を

ダイヤモンドに変えることも忘れるくらい原石のままでも満足できて遊ぶことに夢中になっていた、そんな時代。

働かず豪遊してる人間は"ロック"な生き様だと尊敬され

いい年こいて無職でも笑顔で「今日も楽しんでますね」とご近所さんと遭遇すれば笑顔で挨拶を交わし

ポータブルな携帯機器も世に無くゲーセンやパチスロのようなアーケードの娯楽が全盛だっただけに

今で言うニートたちでさえももっとアクティブで

朝だろうと昼だろうと馬鹿まじめに働く者たちを横目にあざ笑いつつ街を闊歩し

良かれ悪かれどうであれ狭い部屋に引き篭もってはいなかった。

当時の引きこもりといえばオンラインの娯楽なんてなかったので

がり勉か職人のたまごくらいで

引きこもるなりにもニートではなく、アクティブに外で遊ぶよりさらに有意義に時間を使っていたのではないだろうか。


でも若者たちのあいだで、努力家がダサいと謳われていたほどなのだから

大半の民衆の価値観はかなり狂ってどうかしてたんでしょうね。

むしろ外で遊ばない職人気質の引きこもりくらいが将来を見据えて努力にはげんでいたと思うので

団塊ジュニアや就職氷河期世代あたりはむしろ当時の引きこもり組が勝ち組になってるのかもしれない。


実際、ファッションセンスとかも70年代まではアンティークなりのそれなりの良さがあるものの

高度発展期の90年代半ばくらいまでのファッションのダサさはアンティークとして復刻するにも価値がない

今では埃にまみれた古臭いダサさそのものであり

まさにそのぬるま湯の時代を反映してるといえる。



そういえばー話題はカレーに戻るが

カツカレーがおいしくていつも出前で母親のブティックで学校帰りに食べてた

ソバ屋がおそらく潰れたのではなく、25年目にして御引退されたようだ。

閉店理由はどうであれ、個人店舗における25年後の閉店に対して、潰れたという表現はおかしいので。

てか思うんだけど個人経営の飲食店は定年退職とか存在しないので

生涯を終える間際まで頑張る店主とかも多く、個人経営の飲食店は

店主が現役の働き盛りのころは自由自適で華やかなイメージだが

昨今では大手チェーンの繁栄の影響もあり

子供や後続が継ぐということも少ないと思われるので

宝くじが当たって寿引退もしくは潰れない限り

老いても店主がライフワークとして余力の限界まで続けたあげくに哀愁漂う張り紙で

幕を閉じるケースが多く結構切ない。

何気に母親のブティックと同時期に開始していたのだと

その張り紙で知った。最後に全品制覇しときたっかったなー。

自覚はなかったものの

筋金入りのマザコンで友達と遊ぶこともなく高校時代の思い出はそのブティックで毎日食っていた出前とゲーセンの思い出しかなく

当時食べていた一品一品を思い起こすだけで同時に当時の膨大な光景や母親や父親、知人の声が木霊して

それぞれを注文したときのエピソードとかがフラッシュバックして

過去がまるでつい一瞬前のできごとかのように、目の前に広がってるかのごとく異感覚。

吸い込まれていきそうというか過去が過去でないような生々しい感覚を覚えるほどである。

ゲーセンにたむろしてる不良たちの食べてるカップラーメンの香りと必殺技の連呼と雑音まみれだけどキャッチーなBGM。

都合のいい綺麗な記憶だけでなく嫌なこと悲しいことも蘇るが

それらがどんなものであれ

こうやって今や、自分は奪われたモノも全て取り戻せたうえに元気に平穏を過ごしてるし

無事に通りすぎた過去にすぎないのであるなら、それらどんなものも含めて愛おしく心地がよい光景である。


あ、あと、ちょっと話題が飲食つながりとはいえ飛躍するんですけど、

俺が飲食店をもし開店できるとしたらおそらく夕方から深夜にかけてカウンター式の小部屋に

イタリアンで出すようなおつまみ系の

スナックピザとドリンクを出すバーを一人でやりたいですね。ピザは仕込みが簡単で

自分の生活に余裕が生まれるうえに

いつでも新鮮な出来立てを短時間で提供できて繁忙期やトラブルに宗教的行事にも

無関係でいられる飲食店にはあるまじきともいえる可能性を秘めていると思うんだ。


洋酒好きに好まれ

ラーメン屋より一人で回転させるのに効率がよいんです。

ウィスキーやバーボンのボトルキーパーレベルの酒乱者にはわかると思うが、それらはワイン

なんかより断然にイタリアンとの相性がいい。米やパスタや肉すらいらない重症の酒飲みには

夕飯はピザがあればいいという結論にすらなる。


しかも飲食店の儲けは酒といっても過言ではないので

そういった客が癒される"最低限の楽園"を提示することで店主自身も客も合理的な関係を

無難に取得しつづけられるのである。常連客と朝まで営業しても掃除も仕込みも

簡単だから次の日も余裕。


しかし"無難"という単語はあまりよろしくなさげというか

なんか危うい響きというか、

失敗や敗北フラグのような危うい雰囲気が漂っててあまり

意気揚々と目標のテーマとして掲げたい単語ではないな。


ものごとを理想通りやそれ以上に達成させるというのは

なんでもギリギリラインというかスレスレじゃないとだめなんじゃないかというのが

自分の経験からもなんとなく確信を持っている。


まあそういう合理的安定反復人生なんてこの地球という舞台に許されるとは思えんというわけだ。


ただピザを複数同時に伸ばして焼いて提供するのはかなりの

"身体能力"であり"運動神経"や器用さを要求される作業で

オーブンも温まり具合が季節や利用状態でマチマチなので

タイマーというものにほとんど頼れない。ピザだけを売りにスムーズに複数の注文をこなすには

ある意味軽く第六感というか超能力レベルの

研ぎ澄まされた"時間感覚"が要求される(笑)

意外にも人間は時間という存在にたいしてあいまいで、いつでも機械だけにそれを委ねて日々生活している。

時間を制することが人間最大の課題なのかもしれない。

まあようするに人間たるものそのためには音楽でもやれよというわけで音楽が存在するのかもしれないね。


よってこの一人でピザだけを提供するバーが飲食店の形態としてかなり合理的でシンプルあっても

ハードルが高く誰もやらないし実現できようがない。

あとなんであくまで一人経営にこだわるかと言うとこれが仮にあと一人バイトや相棒店員でも

付けようなら、つまみがピザだけじゃ客を説得できないしビジュアル的にサマにならないんです。

「ひとりで頑張る姿は究極のサービスの演出である。」

あと危険なんだよねオーブン調理を不規則に高速で扱うから。餅つきのようにはいかない。

しいていうなら二人だと変拍子で餅つきやらねばんらんことになる。


まあ飲食店というのは基本やっぱり一人じゃなくて二人で運営するだけでも天と地の快適さがあるんですけど

二人っていうのは三人以上の複数よりえらく楽をして幸せそうにすごしている風に見えてしまうんですよ。

つーか誰だってグループなんかではなく気の合うパートナーと二人きりで働いたり暮らすのが理想でしょう?

それは誰もが宝くじとかで億万長者になりたいという夢を抱くのと同じで

"あってはいけない"ドラマなのである。ドラマは視聴者や読者を楽しませるからドラマ。

登場人物が気楽に幸せそうに過ごしている様に食らい付く視聴者も読者もいるはずもなく。

読み手を楽しませるには登場人物はその逆でなければならない。

少なくとも"そう錯覚"させなければならない。

まあようするに完結にいうと消費者を"妬ませない"ことがポイントだ。

嫉妬させないでいい気分にさせるドラマの三大必需要素として"過酷な状況""ダメ人間な側面""日常あるある"がある。

これがひとつ微量にも含まれてないとエンターテイメントとしてのドラマとしては決して成立しない。


だからあくまで一人というのは不便で苦労も多かろうがかなり重要なポイントなのである・・。

そしてその一人という立場を限りなく軽減する営業スタイルがまさにこの一人ピザバーであるというわけだ(笑)


そしてまたカレーに話を戻させていただきますが

ちなみに今日ココイチで食べたのは意表をついてハヤシライスだったりします。

トッピングには敵に勝つだけに

チキンカツです。

実はチキン野郎だけど勝負には勝たせてもらうよ?

という熱い意味かぼこめられています。


でもやっぱ正直にカツカレー食っときゃよかったと若干後悔してます。

まあハヤシライスおいしいんだけど辛党の自分としてはやはりカレーなんですよ。


とりあえず腹ごしらえ終わったところで

深夜のパトロール開始。

深夜はバイクだと冬は寒く夏は虫がうっとおしいので

自動車で巡回する。

でも自動車の難点は快適だけど心霊スポットとかを走ってると

なんだか後部座席が気になったりするよね?

まあ幽霊も悪霊も怪人だろうが

人間の悪党に比べればなんてことない。

公式機関に身元安全管理登録とかをされてて

強引に武力行使で存在抹消もできない

人間様が一番やっかいものだよ。

俺が一番の悪と思うタイプはクレーマーだな。

消費者は金を払う立場だからといって

生産者より立場が上だと勘違いしている現代日本人に多いタイプだ。

モノ・サービスと金銭の交換という対等なはずの関係なのに、

なぜか金を払うほうが上みたいな謎の常識的空気がこの社会には漂っている。

とくに日本はその風潮が顕著であり欧米とか英語圏ではむしろ逆だったりする。

客より店員のほうが態度がデカイのは不自然ではなかったりする。

そして客もそれは当然として認める良い社会連鎖成立といった形。

働いたほうがデカい顔できる社会だったら、仕事嫌いもいなくなるだろうし。

人間の人生は客でいる時間より店員でいる時間の方が占めてるわけだしね。


とくに日本人は生産提供者の立場に立つと気本極端な低姿勢になるというか

ならなければならない社会的圧力やそれを導く空気が多い。まあ発端は古来より

強引な米国化で歪められた人種性や、クレーム発言に適した

無駄に表現の幅が広い言語性質も一因かもしれない。

そして゜普段そういった労働を強いられる結果

それのストレスなどの反動により、消費者の立場に立つがいなや

普段と真逆のクレーム気質に変わる人間が多い。

ようするにクレームを浴びせられる店員もまた

どこかのほかの店でその鬱憤を客として晴らす悪循環ができあがっているのである。

とくに普段極端な善人を演じているサービスマンほど

制服を脱ぐと理不尽な鬼神へと化す光景は日常茶飯事に等しい。


武道の心得の定番である

傷つけあいのデモンストレーションを体験することで

自分がやられて嫌なことや殴られる痛みを知る結果

武道家は他人の立場に立てて、思いやれる人間になるというが

なかなか格闘技の門はスポーツ体験感覚ではくぐれるもんじゃないので


たいていの人々は労働の疲れもあいまって

日ごろ浴びせられる同じ理不尽を自らも日常で客という立場を振るい犯してしまうもの。


つーか自分で言ってアレだが

こういう人それぞれ社会生活で誰でも抱えてるであろう

バックグラウンド生活事情を追求想像すると

誰が悪か善かだなんて一概に判断しがたいんだけど。

いや、むしろ人間が他人を悪か善とハカリにかける権限も身分なんてなくて当然で。


ていうかそもそも格闘家と比べるのもアレか。

彼らなんてストレスを好むマゾであったり、格闘ジムへクラブ会員として通えるほどの生活にゆとり

があるわけであったり、肉体も五体満足で健康で恵まれすぎて

その有り余る力を持て余してる者同士が拳を交えてるわけであって

むしろこの手の武道家や格闘家たち人種に

平凡なスペックを持って産まれた一般市民かそれ以下の対場位置で社会人として生きる、鍛えるにも鍛える余力すら持たない

弱者たちの苦しみの重さなんて

武道家であり格闘家という立場の時点で理解できていないのかもしれない。


疲れとは酒酔いと同じ。理性や意識を保てず、もしくは不安定。

人間の"疲れ"が人間の悪の側面を呼び起こす原因なのであれば

それは飲酒や薬物中毒者が意識朦朧に暴挙を振りまくなんかよりも

ずっと仕方のないといえるはずの話で

本人をせめることはできない。

なんといっても"疲れ"というのは"酔い"と違い表で解かりにくいから

疲れた人間が暴挙を振るえば

被害者に加害者のバックグラウンドも内部事情なんてしったこっちゃなく

社会的に純粋な悪人として判断されてしまうだろう。

ようするに社会においてまじめでありまじめに振舞っていこうとする

善人であり無償愛奉仕者を目指す者ほど"疲れ"という魔物に襲われ

"悪"と化す。化すというか社会という舞台においての格好な生贄的な悪役としてのマツリ上げのような目にあってしまう。

結局、悪って"疲れ"が原因なんだろう。


人は少々な苦労を味わったり辛酸を舐めてもそうそう悪にはならない。

むしろそれらの苦労スキルを教訓として逆に生かして善のために利用しようとするのが人間の自動的本能だと思う。

どんな状況におかれようとも、誰もが悪になりたいなんて思わない。

善人になりたいよね。なぜならば他人から褒めて評価してもらえるから。

悪人になっても軽蔑され嫌悪の視線を向けられるだけで誰からも褒めてもらえないから目指す意味がなかろう。

だから人は生い立ちがどんな環境であったとしても

そうそうには悪の道を選ぼうなんて思うことは無い。

ヤクザやチンピラだって人間を甚振り脅すのが快感でそんな世界に踏み入れた輩はいないだろう

彼らでも一番呼ばわりされたくないのは"悪人"のはずだ。

悪の仮面を手に取り、自らが味わった仕返しをしようと行動に出るのは

そのひとのストレスが過剰に重なり繰り返された結果それが"疲れ"という魔物へと変わったときです。


駄目親を持てばその子は親を反面教師としてむしろ立派な親を持つ子供なんかより成長を遂げる。実はそれはごく当然自然の現象である。

しかし、その駄目親が過労働の果てに疲れをもよおして悪と化した結果の駄目姿ならば、その子は虐待などの果てに力尽きるか

もしくは親と同じく"疲れ"という魔物をその子も呼び起こすだろう。ようするにその子の衰弱した理性が善の道を選ぼうとしても

ストレスの暴走により妨げられ結果的に悪の道を歩むしか手立てがなくなる。

かわいそうにも魔物の魔力により悪人へと構築させられてしまう。


疲れが生む悪に対して言葉や説得、武力行使で更正なんてできない。

悪を取り除くには疲れさせない癒しの環境にしばらく置いて

心身の栄養補給でもしてやるしかないだろうか。

しかし自然の摂理ともいうべきか

社会は一度でも疲れを発症し

自己コントロールを乱した者を悪と見立て

さらにさらにと追い討ちを振り掛ける。


なぜならこの世には悪がいなければ善が存在できなくなる。

善も悪もいなくても世界にはなんら問題は及ぼさない。

しかし、この世の多くの人々は他人に褒められ崇拝されたい、ようするに

善人という虚像になりたがっているためにその影である悪人という虚像を虚像ではない実在として存在させたがるのだ。


疲れて暴れる人間は、酒で酔った人間より凶暴でよりピュアな悪人なのだろうとして他者に映る。


ようするに、結論的に疲れてしまう前に

酒で酔えばいいんでないかい。


そういうことだ。


さて、今日は行きつけのハードロックバー「アウトロー」で一杯やるか。

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