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メランコリック・バレンタイン 8


「もも、やかんの火っ!」


 慌てた声で紅谷さんが玄関から戻ってきて、私の前を通り過ぎて火を止める。やかんからはすごい勢いで白い湯気が音をたてて吹き出していた。

 肩で息をついた紅谷さんが振り返り、「ん?」って首を傾げて私を見るから、鼓動がどんどん速くなっていく。

 紅谷さんの視線が私の顔から下にさがり、ぴたりと動きが止まる。

 険しい表情の紅谷さんが私の顔を見て、その瞳が動揺に揺れているのに気づいてしまって、ぶわっと体中が震える。


「あー……」


 決まり悪そうな声がもれて、紅谷さんが、わしゃわしゃっと髪をかきむしる。乱れた額にかかった前髪の奥に、苛立たしげな光が鋭く光っていて、体がいてつく。


「あの……」


 何か言わなきゃって思うのに、上手く言葉が出てこなくて、唇をぎゅっと噛みしめる。そうしていないと、涙がこぼれそうだったから。

 紅谷さんがそっと私に近づくと、手のひらのチョコに蓋をしてキッチンのカウンターに置き、私の手を引いてリビングへと歩き出す。

 ついに紅谷さんの大事な話を聞かされるんだと思って、ざわざわと胸が揺れる。どうしようもない恐怖に身を強張らせる。

 視線でソファーに座るように促されて腰を下ろすと、紅谷さんがすぐ隣に座ってソファーが沈む。

 少しの沈黙を挟み、つながれた手に視線を向けていた紅谷さんが私の顔を見つめる。その瞳に一筋の憂いがきらめく。


「ごめん……っ」


 ああ、やっぱり悪い話なんだな――そう思い、覚悟を決めた。

 そんな覚悟、本当は決めたくなかったけど、泣かないためにまっすぐに紅谷さんを見つめた。



  ※



 黒沢に教えてもらった店に着いた時、ちょうどももと黒沢が出てくることだった。

 ももは俺を見て、瞳を大きく見開いて驚いていた。

 俺が突然現れたこともそうだし、今日が休みだってことにも驚いていた。こんなことならちゃんと昨日メールして伝えるべきだったと後悔し、ちゃんとももと話すことを決意する。

 話をするなら落ち着いて話せる所がいいと思って、俺の部屋に来てもらうことにした。

 部屋に着いてすぐに携帯が鳴り、店長からの着信で急いで出た。

 仕事の話をしているところを見られたくなくて、キッチンから玄関の方へ移動しようとして、やかんを火にかけていたことに気づいて、ももに頼みリビングを出る。

 店長の電話はたいした要件ではなくすぐに終わって、閉じた携帯を持ってリビングに戻ろうとした時、ピュゥーっと甲高いやかんの笛が鳴り始める。

 俺は慌てて、リビングにつながった扉を開けて、火を止めに行った。

 ふぅーっと息をはいて振り向くと、冷蔵庫の前に固まったようにももが立っていて首を傾げる。確か、牛乳を出してと頼んだんだが。

 けたたましくやかんの笛が鳴っていたのに止めずにぼーっとしているももを不審に思い、俺の視線がももの手元でぴたっと止まる。

 そこには、俺が手をつけずにしまっていたももからのバレンタインチョコの箱の蓋が開いた状態でのっていて、さぁーっと血の気が引いていく音を耳の奥で感じた。



  ※



 俺はももの手の上の箱を丁寧に持ち上げて蓋をし、カウンターに置いた。

 緊張で破裂しそうになる鼓動をどうにかしようと、ことさらゆっくりとももの手をひいてソファーに座らせ、隣に腰を下ろす。

 バレンタインのことにメールでふれなかった理由やもものチョコを食べてない理由を、津田沼にももを迎えに言った時から話す覚悟をしたいた。

 どんなに情けなくて格好悪い話だろうと、これから先、ずっとももと一緒にいようと思うのなら、ももにはちゃんと話さなければならないと思ったから――

 だが、いきなり本題に触れるのには勇気がいって、お茶でもして落ち着いてから話そうと思っていたのに、ももがまったく手をつけていないチョコを見てしまったら、今すぐにでも話さなければならなかった。

 それなのに、そう思えば思うほど言葉が見つからなくて、なにから話せばいいのか分からなくなる。

 俺は黒沢からきたメールを思い出して、いまだ言っていなかったチョコに対するお礼を言うことにする。

 つないだももの手からももに視線をあげると不安に揺れた瞳と視線があって、ももにそんな顔をさせてしまったことが悔やまれる。


「ごめん……っ」


 出てきた言葉をそのままつなげる。

 どんなに無様だろうと、ももにこんな悲しそうな顔をされるよりはいい――


「バレンタインのチョコのお礼――まだ言ってなくてごめん。ありがとう、嬉しかったよ」


 本心を打ち明ける唇がかすかに震える。

 いままで刻みこまれていたバレンタインに対する嫌悪感もチョコにたいする拒絶反応も吹っ飛んでいた。

 ただ単純に、ももが自分のことを思いながら作ってくれたチョコに胸が熱くなって、愛おしさに支配された。

 その気持ちを伝えるために、言葉を紡ぐ。


「ありがとう、俺もももとこの先ずっと一緒に過ごしていきたい。こんなにお礼が遅くなって本当にごめん……」



  ※



 別れ話を切り出されたのだと思った私は「お礼が遅くなってごめん」という紅谷さんの言葉に瞠目する。

 これって……別れ話じゃ、ない、よね?

 チョコレートをちゃんと受けっとってもらえていたことに安堵し、次いで疑問が残る。


「でも……チョコレート、食べてませんでしたよね……? 紅谷さんって確か、甘いもの大丈夫だったはずじゃ……」


 後半はひとりごとのようにぶつぶつとつぶやく。

 だって、お礼のメールが来なかったことよりも、手をつけられていなかったチョコレートの方がショックだった。

 食べられていないことには理由があって、嫌われたとか、好きじゃなくなられたとか、そういうことなのかと思って……

 俯いて考えこんでいた私は、恐る恐る視線をあげる。

 紅谷さんは儚い笑みを浮かべて、なんだか泣きそうな顔をしているから首を傾げる。


「紅谷さん……?」

「この話はあんまりしたくなかったんだけど……隠すつもりはなくて、ただ、格好悪いとこを見られたくなかったというか……」


 決まり悪そうに言った紅谷さんの言葉の意味がよくわからなくて、呆けた顔になってしまう。

 それに、こんなに困った顔の紅谷さんを見るのは初めてで、こんな表情でも絵になるなぁ~なんて考えてしまってはっとする。

 だめだなぁ……本当に、私、紅谷さんにメロメロだ……

 それから紅谷さんは、繋いでいた手を私の肩に回して優しく抱きしめると、そのままの体勢でバレンタインが苦手になった――という話を小学校編、中学校編、高校生編と話してくれた。

 私は逞しい胸に顔をうずめ、上目づかいに紅谷さんを時々見上げて、時々相槌をうちながら聞いた。

 あまりに至近距離で紅谷さんの体温を感じて、心臓が破裂しそうなほどドキドキして、鼓動の音が紅谷さんに聞こえてしまったら恥ずかしいって思ったけど、耳のすぐそばにある紅谷さんの鼓動も私と同じくらい速く鳴っていて、紅谷さんも緊張したりするんだって、なんだか安心してしまった。

 それに、バレンタインって普通は男の子にとって嬉しい行事ってイメージがあるのに、紅谷さんがとことんバレンタインを苦手としていることが伝わってきて、ちょっと同情してしまった。

 誰もがうらやむような端正な容姿なのに、その綺麗すぎることが原因で苦労していると知って、苦笑してしまった。

 それでも――

 紅谷さんのメランコリックなバレンタインが、今年で最後になることを願って、抱きしめられた腕の中から抜け出して、そっと耳元にささやく。


「来年は、チョコじゃなくてお酒をプレゼントしますね」


 辛党の黒沢君と違って、お酒が強いくせに甘党の紅谷さん。そんな紅谷さんがチョコレートは苦手と知ったら、バレンタインデーに贈るものはお酒しかないでしょっ!

 



これにてバレンタインエピソードおしまいです。

楽しんでいただけたでしょうか?


本当はもう1つ番外編を書く予定なのですが、今は他の連載を優先したいので

気が向いた時に書こうと思います。

なので、ひとまず、完結とさせていただきます。

感想などいただけると、うれしいです!

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