再び会う日を心待ちにして
連続投稿最後の一つです。
喉から迫上がって来た熱いものを吐き出すと、口元に当てていた手は真っ赤に染まっていた。
同時に視界が明滅し、その場に倒れ込む。周囲から悲鳴が上がった。
「俺の気を引く為の演技か? 汚い女だな」
だが、婚約者の少年は汚物を見るようにそんな事を吐き捨てて何処かに去った。
――死ぬのね。もういいわ。何もかも捨てましょう。
遠ざかる足音を聞きながらそんな事を思い、目を閉じた。
周囲は怒号が響き、騒然としている。
「神子様!」
頬を軽く叩かれる。薄っすらと目を開けると、去った少年の侍従が目に涙を溜めていた。
「医務室にお運びします! もう暫く――」
「ごめんなさい。もういいわ」
侍従の言葉を遮って、最期の思いを伝える。
「このまま死ねば、殿下との婚約もなくなって、家族は皆、喜ぶのでしょう」
「な、何を仰るのですか!?」
「だって、私のものは家のもので、タミーのもの。陛下から頂いた毒消しのペンダントも奪われてしまったわ」
今日の城への訪問は皇帝陛下に謝罪をする為のものだった。しかし、肝心の皇帝は戦争の陣頭指揮の為、城にいなかった。代わりに第三皇后に謝罪をした。
「要らない子。産まれて来なければ良かった子。偽物の神子。汚い烏の子供。ずっと、そう言われていました」
父と義母から毎日のようにそう言われて、暴力を振るわれ、馬小屋のような納屋に押し込められた。
「全て捨てて楽になりたいです。解放されたいです」
長々と喋っていたからか、どっと疲労が押し寄せて来た。
目を閉じると周囲の音が遠のいた。
――やっと解放されるのね。
死ぬ事で自由になる。そう思うと死への恐怖は湧いて来なかった。
次に目を開いたら、天蓋が視界に広がった。
「夢、か」
厳密には、先程まで見ていたのは夢ではない。
この体の持ち主――オリヴィアの最期の記憶だ。
理解は出来るが、自己認識の整理をしなくては線引きも出来ない。
今の自分は、オリヴィア・ウィンザー、八歳。ダンヴァーズ帝国の第三皇子の婚約者。家の状況は何時も通り。髪と瞳の色が同色のものは膨大な量の魔力を持って産まれる為、『神が使わした子』として神子と呼ばれる。
これ以上に気にするところは特に無いな。
『起きたの?』
聞き覚えのある声。起き上がって左右を見回すが誰もいない。
『ごめんなさい。何度も嫌な思いをさせて』
自分以外に誰もいない部屋の外から、絶叫やうめき声が聞こえる。
『償いにはならないけど、貴女がオリヴィアとして経験した事を、夢の中で全員に体験させているわ』
それを最後に声は聞こえなくなったが、気にはならない。
それよりも、やべぇ所業の告白に悲鳴が出そうになった。でも同時に、色々と思い出し、今がチャンスと気づいた。
魔法を使って体の治療を行う。治療が完了したら、衣服を脱いで、魔法で骨格を変える。と言うか、成長させるが正しいな。
道具入れから衣服を取り出し、素早く着込めば準備完了。脱いだ服は忘れずに回収する。
廊下に出ると、例外無く人々が倒れていた。皆魘され、苦悶の声や絶叫を上げている。その間を縫うように駆け抜けて外に出る。外も廊下と似たような光景が広がっていた。城を出て街に出ても変わらない。貴族も平民も、老若男女問わず皆倒れて魘されている。
倒れて何日経過しているか分からないが、ウィンザー公爵邸へ向かう。
何しに向かうかって? 売れそうな金品の回収だよ。山のように有ったから、何個か持ち出してもバレない。
暫くの間はこの世界で過ごすから生活資金が必要なのだ。
記憶を頼りに移動し、公爵邸に辿り着いた。ここでも屋敷にいた全員が倒れている。自室代わりだった納屋では義母と異母妹がナイフを持って倒れていた。こんなところで何をしていたのかと思えば、オリヴィアの私服が裂かれていた。
屋敷にいた使用人達も『オリヴィアを丁寧に扱わなくても良い』って認識だった。義母と異母妹は自分がいるせいで皇子と婚約出来なかったなどと思っている。生まれる前――と言うか、母が隣国王女時代に婚約した頃から決まっていたのに。
何か、無性に腹が立って来た。
全員痣が残らない程度に殴っても良いかな?
「うっ」
物騒な事を考えた瞬間、空腹を訴える音が響いた。軽くため息を零す。まずは厨房に向かい、空腹を満たさないと。でも、ここに戻るのは二度手間なので適度に殴り、着ているドレスをズタズタにする。さぁ、厨房へ行こう。道中で転がっている使用人達を蹴りながら移動する。ついでに室内をチェックする。
思いっきり家探しをしている状態だが気にしない。だってここはオリヴィアの家だもん。
到着した厨房で、適当に食料を取り出して食べる。鍋に残っていたスープを飲む。お代わりした。ハムとチーズの簡単なサンドイッチを何個か作って一個だけ食べる。残りはここを去ってから。厨房から食糧を適当に頂き、義母と義妹の部屋に向かう。この二人の部屋には大量の宝飾品が存在する。その中にはオリヴィアが受け継ぐ予定だった、オリヴィアの母のものも交じっている。異母妹の婚約を邪魔したなどと、馬鹿な理由の慰謝料と言って取り上げられたのだ。
本当に頭のおかしい奴が多くて困る。
国家間の契約を、どうして個人の我儘だと思うのか?
「本当に、頭の中に花でも咲いてるのかねぇ……」
頭の中身が気になるけど、そんな時間は無い。
義母があまり使っていない宝飾品を引っ張り出す。闇市に持って行けばそこそこの値段で売れるだろう。宝飾品よりも金貨類を持ち出した方が良いんだけど、どうしようかな? 父と義母と異母妹が散財しまくっているので、お金が残っているか怪しい。
念の為、金庫の硬貨を確認したら銀貨ばっかりで、金貨の姿が無い。高額決済用の金貨よりも、銀貨の方が使い易かったりする。
少し考えて宝飾品では無く、銀貨を持ち出す事にした。足が付き難いし。
そして、屋敷内で転がっている全員を蹴り飛ばし、父は痣が出来るまで殴り、ダンヴァーズ帝国から去った。
十日後。
現在自分はダンヴァーズ帝国と戦争していたシーグローヴ帝国を横切り、少し離れた王国の山中にいる。
山の斜面に魔法で洞窟を作り、そこを一時的な生活拠点にしている。銀貨を使って食糧類を買い込み、洞窟でキャンプをしているようなものだ。
移動途中で手に入れた情報が確かなら、ウィンザー公爵の兄夫婦一家に下された処罰が終わる頃だ。
隣国と戦争中に馬鹿な事をやらかし、危うく敗戦しかけた事から、戦犯と国家反逆罪が適用され、屋敷にいたものは全員処刑が決まった。なお、当主の弟夫婦は良識だから家は存続する。
ダンヴァーズ帝国の処刑方法は複数存在するが、その中で最も残酷とされる『贄箱』の使用が決まった。
贄箱は入った生物の魔力を生きたまま吸い取り、吸い取り終わったら肉体そのものを融かし魔力に変換する処刑部屋。吸い取った魔力は帝国守護の防衛装置に利用される。
馬鹿をやっただけで敗戦しかけるなんてありえないって?
実を言うと、オリヴィアは三歳の頃から国防の要の国境沿いの結界維持に必要な魔力を提供し続けている。一度倒れた際に魔力の供給線が切れて、国防の要の結界が途中で消失してしまったのだよ。これにより兵士はパニックを起こした。皇帝が立て直し、どうにか勝てたけど、マジで危なかったらしい。
戦争に勝っても、オリヴィアの母の実家は隣国の王家なので、次に外交問題が待っている。
皇帝が怒髪天を衝かんばかりにキレて、ついでに関係する貴族の粛清までも行おうとしたのだ。どれだけブチギレていたんだよって言いたくなる。
まぁ、言う時間は無いけどね。
現在荷物整理の合間の休憩中だ。
ウィンザー公爵邸から出る時に持って来た紅茶の茶葉でお茶を入れて、近くの大きな街で買い過ぎた焼き菓子を食べる。
――お茶と菓子を並べたテーブルが、何時もよりも広く感じる。
その原因は解っている。感覚的には、十日前まで、四人で行動していたからだ。
「三人とも、無事かなぁ……」
十日前に思い出した事の一つに、一つ前の世界での終わりが含まれている。
前の人生で転生の術を使った理由は、戦闘を終わらせて仲間を逃がす為だった。
それなりに時間は経過しているのに、ついさっきの事のように感じてしまう。転生して記憶を取り戻すまでの、時間の流れを体感する事が出来ないからだ。
ため息が零れてしまう。
いかん。思考が駄目な方向に流れている。頬を軽く叩き、荷物整理を再開した。
荷物整理後、食品関係はここで使い切る事にして、道具入れと宝物庫内の整理を始めた。
無くなっては困るものを宝物庫に入れ、言い方は悪いが、替えの利くものは道具入れに入れていた。改めて確認したら、かなりごちゃごちゃになっていた。
でも、整理するだけで二十日以上も掛かるとは思わなかった。代わりに目録が作れたから良しとしよう。
そして、気が向いた時にまた整理しよう。
そんな目標を胸に、ガレット用の粉で作った蕎麦を啜る。フランス料理の一つガレットは蕎麦粉で作られていた。そんなうろ覚えの知識を基に、これまたうろ覚えの蕎麦打ち方法で試しに作った。
微妙に失敗した。また日本に転生したら蕎麦打ちの方法を調べよう。うどん打ちと同じだと思ってはいけない。これ大事。
やる事リストにまた一つ項目が増えた。
そのやる事リストも久し振りに見返したら、溜まっていた。何時の日にかやろう思ってリストに書き出しても、リストを見返さないと意味が無いな。しかも、その内何個かは不要となっていた。
リストを見直して書き直し、その内の実験の何個かをここで試す。流石に癖の矯正類はすぐには出来ない。
実験は見事に失敗した。食料と路銀が尽きるまで試そう。
実験の結果は芳しくなかった。代わりに得たのは魔法の技量が上がった事ぐらいか。これは超精密緻密の魔力コントロールを長時間行い続けた結果だ。これは遠い昔から起きている。実験や新しい魔法具を作っている時に齎される集中力のお陰か、結果に拘らず、魔力コントロール技量が上がるのだ。その恩恵は、主に戦闘面で発揮される。
「んん~……」
軽く伸びをしながら予定を立てる。
食料が尽き、やる事リストの実験も一通り終わった。霊力に関わる実験に至っては全敗だ。
去る準備は出来ている。魔法で作った洞窟を元通りにして、残った数枚の銀貨を手に街に出た。喫茶店らしいところで残りの銀貨を使い切るのだ。アクセサリー系は貴族時代のもの(売却予定品)が大量に残っているし、雑貨系は使い慣れたものが良いので基本的に見ない。
でも、一着だけ子供用ワンピースを買うか悩んだ。店主には不審がられたが、『一年振りに会う再従姉妹への贈り物を探している』と言えば、納得してくれた。逃走前に着ていた服の存在を思い出して買わなかったけど。
実を言うと、転生の術を使った際に着ている服は消えてしまい、次に持ち越せないのだ。前回は貴族時代に購入した着心地の良い服を着ていた。
大変シュールだが、今回は着替えてから行う。
やっぱり着慣れた日本産の衣類は残したいんだよね。
喫茶店らしいところは無かったが、露店であれこれと買い食いをする。使い切れなかった分は修道院の喜捨箱に入れた。
再び洞窟前に戻り、着替えて宝物庫からロザリオを取り出す。
「……はぁ」
ロザリオを見つめると、ため息が漏れた。
あの三人は大丈夫だろうか。上手く逃げ切れただろうか。情報は入手出来ただろうか。そんな心配事を次々と考えてしまう。
けれど、ここで考えても意味は無い。再び会わなくては、何の情報も得られない。
ロザリオを握り締めて術を発動させた。
『必ず教える』と、『楽しみに待っていろ』と、言われたのだ。
信じよう。あの三人だったら、きっと出来る。
意識が遠くなる中、今の自分に出来るのは、成功を祈るだけだ。
――楽しみにしているよ。
心の中でそう呟いた直後、意識は完全に消えた。
Fin
ここまでお読み頂きありがとうございます。
遂にエンディングに辿り着きました。
こんな別れは無いだろうと言う意見はあるかも知れません。ですが、こんな終わりが起きてしまうのが、この旅なのです。
書いているものの一つに入れたかった、主人公途中脱落エンディング。病んでますかね?
エンディングに出て来た謎の声。過去作品に名前だけ登場しています。解る方いるかな。
前日譚とルシア視点の三人娘の終わりを現在書いています。でも、菊理が絡むお話はここまでとなりますので、ここで一旦、完結とさせて頂きます。
書き上がったらまた投稿します。




