まやかしの狐と傲慢な王者
「まったく、無茶をするやつじゃのう。一歩間違えておれば死んでいたやも知れんというのに」
ユニは準決勝戦を終え、対戦相手であるエレーヌ・ビアン・ファウルスに抱えられながら控室に戻って来ていた。
今控室には人影が少なく、観客席の歓声が良く響く。
ユニは控室の一角にあるベンチに深く腰掛け、苦しげに喘いでいた。もちろんエレーヌの姿はもうない。
そして、そこに掛けつけたのが師匠であるクラベルだった。
彼女は深手を負ったユニを見て深くため息を吐いたが、それ以上は何も言わず処置に取り掛かった。
今使っているのは治癒魔法の中でも二つの術を並行して行う特殊なもの。それは傷の治療をすると同時に失われた血液を補充するというかなり手の込んだ術式である。
平凡な魔導師なら傷を塞いでから、血液の補充をするのが定石。その方が簡単な術式で扱い易いし、自分の消費魔力も抑えられる。
だが負傷者が重傷な場合はそうはいかない。一刻を争うような現場ではより高度な治癒魔法が求められる。
そしてクラベルには経験はなくとも豊富な知識があり、どんな難関な術式でもやってやれないことはない。
なら、やらない理由が見当たらない。
しかもそんな術を平然とこなす彼女の精神力は常人の域を優に超えている。だからこんな場面でも皮肉を口に出来るのだ。
「拘束の鎖が発動した時点で固有潜在能力を解放すれしていれば、もっと違った展開になっていたはずじゃのに。お主というやつは」
「でも、今の私では一日に一度、それも数分間しか発動出来ないわけですし……。出来れば、決勝まで取って置きたかったんですけど……」
治療をしていることもあって痛みはかなり薄れているはずだが、もちろんまだ本調子ではない。言葉も弱弱しく、瞳も少し潤んでいる。
「あの小僧に良いとこを見せたかったっと、まあそんなとこじゃろう」
ユニは視線を逸らす。図星だった。
彼女自身試合に挑む前に出来るなら無傷で決勝を迎えたいと思っていた。胸を張って優勝をもぎ取りたいと、そしてそれをあの少年に勇気を与えたいと。
しかし、今ユニは致命傷になりかねないほどの傷を負って、自分では歩けず対戦相手に運ばれて退場する始末。
クラベルほどの術師がいなかったら自分では満足に治療も出来ず、決勝に進むことも叶わなかったかもしれない。今はそれがとても情けなかった。
「ダメダメですね……。対戦相手に気圧された挙句油断までして、相手を観察することを怠ってしまいました……」
「確かに試合内容はかなりお粗末なものじゃったのう。だがあの小娘は只者ではなかった。あのまま続けておったらまずかったじゃろうのう」
クラベルにそこまで言わせるエレーヌの実力はいまだ未知数で、試合で見せたのは氷山の一角に過ぎなかったのかもしれない。
実際に口調は丁寧ながらも所作の一つ一つがユニを戦慄させるほどの何かを秘めており、術師としても人間としても恐ろしい存在だった。狂気を感じるほどに。
「ヒビキさん、ガッカリしてたんじゃないですか……?」
そう言って苦笑を浮かべるユニ。無理しているのが一目瞭然だ。
それを特に気にした風もなくクラベルは淡々と言う。
「まあ、次の試合は精々良いとこを見せることじゃな。儂がここに来る前にも死にそうな顔しておったし、これ以上お主が傷を負うシーンなど見せた日には正気を失うやもしれんからのう」
そう言い終えると立ち上がるクラベル。踵を返しそのまま控室の出口に向かう。
どうやら傷の治療は終わったらしく、ワンピースとローブにはグロテスクな血の跡がべったりと残っているが傷は完全に消え失せていた。まだ体の自由はいまいち利かないものの、痛みもかなり薄れ鈍くなっていた。
「あ、あの……師匠」
試合でヘマをした事の謝罪と治療のお礼を言おうとしたユニの呼びかけに一瞬足を止めたクラベルだったが、背を向けたままで応じる。やや上擦った声で。
「急に立ち上がるとまだふらつくやもしれんから、しばらく寝ているといい。トレーメイルの小娘がどれほど一方的な試合をしようが最低でも三十分は休めるじゃろう」
そしてそれだけ言うと今度は止まることなくクラベルは控室を後にしたのだが、その足取りは何処か浮足立っているように感じた。
つまり、単純に照れているのだ。お礼の言葉なんてむず痒くて聞くに堪えないから逃げた、それだけのこと。
クラベルはとことん素直じゃなく、ユニのような性格とは根本的にウマが合わない。苦手意識とでも言う方が正しいかもしれない。それでも師弟関係を解消しない理由はユニの人柄の成せる技。あと彼女への期待が少々といったところか。
だが、去り際の言葉の意はそれだけではなく、
「師匠なりに気遣ってくれてるんですよね」
ユニは血の気の戻った顔に微かな笑顔を浮かべる。そして背もたれに身体を預け、ゆっくりと息を吐く。
クラベルが退室してから数分が経った頃、ユニは強い眠気を覚え目蓋が重くなる。
それもそのはず。過度な治癒魔法は細胞を極限まで活性化させるため、身体にはかなりの負荷がかかる。つまり息は上がっていないものの、激しい運動をしたような状態なのだ。術の規模にもよるが、治療後には必ずと言っていいほどに疲労から来る睡魔に襲われてしまうのだ。
そのため実戦での高度な治癒魔術の使用はあまり推奨されておらず、適度に下級の術で繋ぐのが主流となっている。
それからどれ程の間そうしていただろうか。
うとうとしていたユニの眠りを妨げたのは控室の扉が開く音と、カランカランという石畳を木が転がるような音。
入室して来たのは白髪に狐面を付けた東洋風黒装束の男で、Aブロック準決勝戦でグレイスと対戦する相手。そして前大会でユニの準決勝の対戦相手でもある。
名前は確かトウマとか言ったような。
彼は前大会三位入賞した実力者で、ヤマトという街でのみ伝承される変わった術を使う曲者なのだ。
狐面のせいで表情は窺えないが軽口を叩く皮肉屋で、話の最初と最後に一礼する礼儀正しさも見せる。だがその仕草は口調も相まって皮肉にしか見えないのが玉に瑕なのだが。
男はベンチに座っているユニに気づくと、一礼して安定の軽口を叩く。
「お嬢さん、手酷くやられたようですね。前回は私の実力不足で敗北を招いてしまいましたが、今回はそうはいきませんので。精々決勝まで休養して、万全でのお手合せを願いますよ?」
そう言い終えると一礼。ユニの返事などもとより聞く気がないらしく、そのまま会場に続く通路に歩を進める。カランカランと軽快な音を立てながら。
試合前に宣戦布告、ですか……。
フラッシュバックするのは前大会の準決勝戦。
ユニはトウマを相手に制限時間ギリギリまでもつれ込む乱戦、かなりの苦戦を強いられたのだ。それが決勝に響いたのも事実。
だが、その時のトウマからは闘志のようなものが感じられず、まるでショーを観に来た観客のようであった。もとより勝つ気がないかのように。
それにこれだけは確信を持って言える。
あの人を倒すのは私なんですから。
ユニは心の中でそう呟き、軽く目を閉じた。さすがにこれ以上は眠気に逆らえそうもない。
薄暗い視界の中。舞台に対戦者が出揃ったのか会場の歓声が一段と大きくなり、女性陣の悲鳴のような声が耳に痛い。たぶんグレイスのファンの類だろう。
そして訪れる痛いほどの静寂。継いでヴィオラの声が凛と空気を震わせる。
『準備が整いましたので、Aブロック準決勝戦を始めます。いざ尋常に――――――』
そこで突如過る一つの疑問。
あれっ……。そういえばAブロックのあの人が何故ここに……?
しかし、その思考が纏まるよりも早くユニの意識は底へと沈んだ。深い眠りの中へ。
「まったく、情け容赦ないですね。どうやら私は貴方と相性が悪いようだ」
「そうね。なかなか興味深い見世物だったけど、私の相手をするには百年は早かったわね」
「随分と傲慢ですね……」
Aブロック準決勝戦は終始一方的な展開となった。
試合内容は人間離れした身のこなしと怒涛の猛攻を見せる前優勝者、それに対して防戦一方で着々と敗北への道を進む黒装束の狐面。
今、試合は最終局面を迎えていた。
堂々とした立ち姿を披露するグレイスの目の前で片ひざを折り、見上げる態勢のトウマ。額から出血しているのか顎から朱色の雫が滴る。
「もう結果は見えてると思うのだけど、まだやるのかしら?」
弱者を諭すような口調のグレイスにトウマは余裕を感じさせる返答。そこからは形勢は感じ取れない。
「釣れないですね。もう少し私と遊んでくれても良いではありませんか」
「ふんっ、時間の無駄ね。すぐにでもその軽口も叩けないようにしてあげるわ」
トウマの発言を切って捨てるように吐き捨て詠唱を始める。
「《術式展開、七式。中級支援術、肉体強化》」
直後鍛え抜かれたグレイスの肉体の張りが一段と増し、目からは殺意が迸る。
「短気は損気。それではあのお嬢さんにやられてしまいますよ?」
よろよろと立ち上がりながら飄々とした口調で言ってのけるあたり、彼はなかなかに根性が据わっている。とぼけているだけかもしれないが。
「忠告は一応聞いておくけど、この試合はここで幕引きよ」
言い終わるとすぐに地を蹴り、間合いを詰めるグレイス。そして、それを迎え撃つトウマ。
両者がぶつかった瞬間に上がる血飛沫、倒れる時の水音。観客席からは歓声と悲鳴の入り混じった声が上がる。
勝負は決したという確信がグレイスを上機嫌にさせる。
「愚かなものね。意気がるならもう少し腕磨いてからにした方が良かったんじゃないかしら?」
そう言いながら高笑いするグレイス。臨戦態勢を解いたためか肉体の変化も元に戻る。
「そうですね。次からは気をつけるとしましょう」
「――――――――!?」
突如後ろからかけられた軽口に彼女は前方に跳び、距離を置いた上で鋭く振り返る。その動きに一切の無駄もない。
そこにはまだ輪郭は不鮮明だが次第にくっきりと浮き上がる狐面の男が立っていた。
それと相対するように倒れていたはずの敗者の身体は次第に輪郭からぼやけ始め、飛び散った血飛沫も蒸発するように消えて行く。そんなものはもとから存在しなかったように。
「なるほど、幻術の類ね。それもかなり手の込んだ……」
口調は落ち着いているように聞こえるが、目を血走らせ奥歯が軋むほど噛みしめる音が漏れ出しそうなほど噴火寸前といった様子だ。
「まあそういきり立たずに。私も命は惜しい。ここらで私は舞台を降りさせていただきますよ」
狐面はそう言って一礼する。
それを聞いたグレイスは舌打ちを一つし、対戦相手に背を向ける。
顔も見たくないということか、顔を見ていると苛立ちで殴り掛かってしまうからなのかは本人にしか分からない。だが、どっちにしろもう手出しすることは出来ないのだから。
『それまで――――――――。試合時間二分四十三秒。トウマの敗北宣言によりグレース・トレーメイルの勝ちとします』
沸き立つ歓声。黄色い声の方が悪目立ちしているのはグレイスの試合では仕方のないこと。
そして退場する両対戦者。
「私の役目は果たしましたよ、お嬢さん」
その声は誰の耳にも届かなかった。もちろん怒り心頭だったグレイスの耳にも。




