アトワール魔術闘技大会、始まる
今日のアトワールは一段と街全体が活気づいていた。
特に中央市場は人がごった返し、商業人たちもいつも以上に呼び込みに力を入れている。
なぜならその日は、
『アトワール魔術闘技大会』が開かれるのだから。
大陸の各所で開かれる武術闘技大会。それは同じ道を志す者が集まり、試合を通してお互いの持てる力を出し高め合おうというものだ。
武術闘技大会は予選で選ばれた者と前大会の上位二名を加え、そこから二つのブロックに分かれトーナメント方式で競い合う。対戦の順番は前大会の優勝者と準優勝者を各ブロックのそれぞれのシード枠に配置され、残りは公平にくじ引きで決める。これは大会規定であり、どの街でも統一されている。
剣を志す者は剣術闘技大会、魔術を志す者は魔術闘技大会に出場することになり、それはもちろんアトワールでも開かれている。
剣術闘技大会なら年に二回、魔術闘技大会は三回開かれており、そのうち王都公認で優勝者と準優勝者に称号が贈られるものは剣術大会と魔術大会それぞれ年に一度きり。それも王都アジールとアトワール、ミエンレとローザの中規模以上の街四カ所で同日に開かれるものに限られる。
そしてその優勝者のみが一ヶ月後に王都で開かれる上級大会への出場権が与えられ、そこで優勝したものには剣術大会なら【将】、魔術大会なら【司祭】というその道の最高位の称号が与えられる。
上級闘技大会に出場することはその道を志す者にとっては憧れであり、そこで優勝するということはその道での生涯安泰が約束されたことにもなる。
そのためその日は王都や近隣の街からも出場者や観戦客が四都市に集結し、お祭り騒ぎになるのだ。
最近では前夜祭や後夜祭などというものが開かれるところも少なくないそうだが。
そしてここが稼ぎ所と商業人たちはいきり立ち普段以上に呼び込みに力を入れるのだが、それも午前中と日が傾き始めてからに限られる。それには理由がある。
大会が開かれるのは午前九時からで、終わるのが大体午後三時くらい。午前中は新顔や有力候補たちの力を温存した試合が続くため、闘技場の出入りが激しい。しかし午後は必然的にトーナメントを勝ち上がった猛者同士の激しい試合ばかりになり、それ目当てに試合会場は観客や市民でごった返す。そのため市街区から人が消え、市場の客の入りが疎らになるのだ。あまりの静けさにゴーストタウンなどという者もいるらしい。
そうなってしまっては商売どころではなく、これ以上店を営業していたところで集客を見込めないと見るや早々に店を臨時休業にし、試合観戦に繰り出す物好きも少なくないのだとか。
魔術闘技大会が開かれている会場はアトワール中央市場から歩いて四十五分ほどの丘の中腹にある闘技場で、収容人数はおよそ三万人弱。闘技場に天井はなく、真上まで昇った陽光が容赦なく挑戦者と観客の肌を刺す。
付け加えるなら、その日は稀にみる猛暑日だったのだ。
観覧席はスタジアムのような階段状になっており、観覧席は階段と四人掛けの長椅子が交互に並んでいる。そのため人口密度が高く、適度に水分補給をしていないと熱中症になってしまいそうだった。
黒髪は特に熱を吸収し発熱する。響は額に浮かぶ汗を手の甲で拭いながら、シャツの胸倉をぱたぱたと扇ぐことで篭った熱気を逃がそうとする。
その様子を見てか隣に座るブロンドヘアの美女が彼に話しかける。
「どうだったかね、間近で観る魔術戦闘は?」
「す、凄い迫力だよ……。それに今まで見てきたのはユニの手加減ありの精霊術とヴィオラの治癒術だったから、桁違いで」
響は苦笑いを浮かべる。
しかし、それも無理からぬこと。ここ数時間で響が目撃したのは魔術の応酬。その気迫は軽く十メートル以上も離れている観覧席の響を戦慄させるほどの立会いだった。
響はこの大会の出場者は自分の持てる術の全て惜しみなく振るい、観客を魅せる演舞を披露するのだと根拠のない推測をしていた。
今ではあの時の推測がいかにちんけなものだったか思い知らされる。
闘技場の中心には石のタイルで造られた百メートルほどの円形フィールドがあり、その上を対戦者が縦横無尽に駆け回るのだ。
極限まで省略された詠唱、飛び交う閃光。魔法を魔法で相殺する瞬間発生した熱が空気を焼き、爆風が観覧席までも届く。
中には対戦相手の高位魔術をまともに受けてしまい、砂埃にまみれ血しぶきが飛ぶ場面もあった。しかし誰も驚きはしない。この状況ではそれも当たり前のことなのだろう。
この試合は人生をかけた殺し合い、真剣勝負なのだと今ではそう思う。
もちろん大会規定には殺傷行為の禁止が項目として記されており、出場者もそれは承知のこと。それでも響がそう思ってしまうのは彼ら、彼女らがこの大会にかける意気込みがそうさせるのだろう。
そんな怒涛の午前試合が終わり、今は午後の試合までのお昼休憩中なのだが。
「どうしたのだ、そんなに浮かない顔をして。もしかして腹でも痛いのか?」
「いや、そんなことはないんだけど……」
響の不安の根源は午後一番の試合。三十一試合目、Bブロックの準決勝だった。
その対戦カードはエレーヌ・ビアン・ファウルスとユニ・フローリアンだ。
ユニは前大会の準優勝者なためシードで、二十一試合目の準々決勝戦からの参加になった。つまり次の準決勝は二戦目になるのだ。
Bブロックの準々決勝は一時間ほど前に遡る。
初めて観るユニの晴れ舞台ということもあってお手並み拝見と意気込んでいた響だったが、その試合は所要時間二十秒というあまりにも呆気ない形で幕を閉じた。
その理由は単純で実力の差だ。
対戦相手はアトワール魔法学校の制服に校章の刺繍が施されたローブを纏ったルリア・カウルという少女で、見た目はユニと同い年か少し上という印象。
彼女は試合開始が告げられると共に大人顔負けの高速詠唱を披露し、目にも止まらぬ速さで炎属性魔法特有の緋色の熱線をユニへ乱れ撃ちした。
その光景はあまりにも一方的で、普通ならその時点で決着。防御が間に合ったとしても勝負がついてしまうのも時間の問題。ジリ貧になるのは素人目でも一目瞭然だった。
しかし、十秒ほどで攻撃が止むと土煙が視界を塞いでおり、そこに突如吹き荒れる一陣の突風。その中心には陽光で照らされ煌々と輝く空色の髪が風に踊っていた。
ユニは全ての攻撃を自分の周囲に作った風の壁で相殺したのだ。
そして、そこで勝負が決した。
リアンは単純な力比べでは勝機を見出せないと踏んで、ユニが攻撃や防御に転じる前の隙をつく先手必勝しかないと考えたのだろうが、その策は緊張で強張った彼女の顔を見れば何かを狙っていることは想像に難くない。
そして術式の展開速度は実力がもろに出てしまうもの。
その時点で先手を取れていなかったリアンに勝機なんて最初から存在しなかったのだ。
十秒間の静寂、そして「参りました……」という泣きそうな声がユニに投げられた。
次の瞬間、一斉に沸く観覧席の大衆。中には敗者への励ましの声や叱責、勝者をなじる声も混ざっていた。
響はその試合を見終わっても言葉が出なかった。
確かにルリアという少女の猛攻を容易く防いだのは充分に凄いことなのだが、それ以上のことは何もしてはいない。
つまりこの試合にはもとより勝敗という概念は存在していなかったのだ。
そこでようやくクレアが試合前に呟いた「ユニなら準決勝まではまず手こずるまい」という言葉の意味を理解した。
それは三大会連続準優勝者の貫録とでもいうべきものだろうか。
そこで思い出すのは闘技場前で厳つい男たちが木製のボード前で群がっていたこと。
その輩たちは優勝候補者の予想で賭けをしていたのだが、その中でもユニは最有力に位置していた。
それだけ聞けばユニが負ける事なんてまずありえないと思えてくるはずなのだが。
どうしても脳裏に過るのは大怪我を負い担架で運ばれるユニの姿。もちろんそれは勝手なイメージ。そして最悪の光景。
響は出場者が重傷を負い、運び出される場面を今日だけでも何度となく見た。それに触発されてしまうのも無理からぬこと。
それに響の心配を掻き立てる要素は他にもあった。
それは今朝のユニの態度だった。
いつも以上にハツラツとしており、饒舌。しかし、響にはそれが妙に空回りしているように感じたのだ。もちろん根拠などありはしない。
そしてそれを今も引きずっている。情けない話だ。
「何ともないのなら軽く食事を摂ってから、少し私に付き合ってくれるか」
「あ、うん……。いいけど」
そう言って二人は席を離れる。
闘技大会の昼休憩は一時間あり、その間は昼食を済ませるのがマストとされている。
響も売店で軽く腹ごしらえを済ませると、クレアの案内のもと闘技場裏の出場者控室に赴いていた。つまり、クレアの用事とはユニの激励だったのだ。
響も準決勝前にユニの様子を確認したいと思っていたし願ったり叶ったりだった。
出場者の控室は観覧席の真下にAグループとBグループで東西に分けて設置されている。さらに出場者は男女が入り混じっているため、各グループで更衣室が二つと広い控室の三部屋が用意されていた。
クレアの顔パスでいとも簡単に控室に入ると、中は湾曲した長方形の部屋で騒然としていた。
これからの試合に備え精神を集中させる丸刈りの男や装備の点検を行う神官装束の女。試合を終え、帰り支度を済ませベンチで会話に花を咲かせる二人組の女子。
何だか部活終わりの部室を彷彿とさせ響は微かに懐かしさを覚えた。更衣室なら尚更だったかもしれない。
周囲を見回すがユニの姿は認められず、クレアは「私が更衣室を見て来よう」と言い残し右奥の扉に消えた。
その場に一人取り残された響は居心地の悪さを感じ、灰色の天井を仰いでいた。その時、
「案の定今年もユニちゃんが優勝最有力なんだってさ」
突如飛び出した『ユニ』というワードに響の聴覚が鋭敏になる。声の主は斜め後ろのベンチに腰掛ける十代半ばといった印象の女子二人組だった。
なおも会話は続く。
「へぇー、でもそれってギャラリーが勝手に持て囃してるだけでしょ? 素人は可愛い子を選びたがるから」
「そうそう、私は今年もグレイス様だと思うなー。見た目がかなりボィッシュだから男人気は低いみたいだけど、独創性とポテンシャルならユニちゃんなんて目じゃないし。っていうか、それ以前にユニちゃんが使ってる精霊術は魔法とは全くの別物。それにここは太い地脈が流れてるんだから強い術が使えるのは当たり前だし、正直反則だよねぇー」
「そういえば、今年の番狂わせはエレーヌ・ビアン・ファウルス嬢じゃないかって噂聞いた?」
「えっ、何それ」
「何でも今まで公式戦に出場してないみたいだから、実力は未知数らしいよ。ファウルス家っていったら拘束系の魔法を得意とするって聞くし。午前の一戦目は受けに徹して対戦相手の魔力切れによる決着、二戦目は対戦相手が棄権しての不戦勝」
「それはかなりの曲者ね。そうなると、ユニちゃんに出来るだけ長引かせてもらって、決勝では消耗している所をグレイス様に」
「そうなればユニちゃんが依怙贔屓されることもなくなるわね」
「愛嬌と運だけでのし上がって来たラッキーガールもここまでってことね」
そう言い合うとけらけらと笑い合う二人。
内容は明らかにユニに対する誹謗中傷。響は自分でも気づかぬうちに爪が肉に食い込むほどに拳を握りしめていた。そして宣言してやりたかった。
お前らにユニの何が分かるんだ―――――と。
響も知り合って三日とあまり偉そうなことを言える間柄ではないのだが、これだけは分かる。
魔術闘技大会でユニが上位に食い込んだのは贔屓されたからなどではなく、間違いなく彼女の努力の賜物だと。
しかし、今ここで響が声を荒げ抗議したところで話が拗れるだけ。何より面倒事は出来るだけ避けたい。
自問自答に葛藤。響は身動き出来ず、それがとても歯痒かった。だが、そこで
「すまないが、私の友人を悪く言うのはやめてくれないか?」
すぐ後ろで凛とした声が響く。その声色は冷静で、相手に対する敬意すら感じられるものだった。
響が振り返るとそこにはベンチに座る二人組を見下ろすクレアの姿があった。
すぐには状況が飲み込めず固まっていた二人だったが、次第に顔から血の気が引き、顔面蒼白。肩が小刻みに震えだす。
それもそのはずで、ユニがクレアと親交が深いことは有名な話だ。そしてクレアは情に厚い。それを知った上でクレアの前でユニを侮辱するような発言をしたらどうなることか。子供でも分かる理屈だ。
だが、クレアは相手を諭すように、勤めて穏やかな口調で二人に語りかける。
「君たちも日々精進を重ねてここまで来たのだろう? だが、それはユニも同じこと。いや、成果からしたらそれ以上か」
クレアは二人の装備品を念入りに眺め、少し微笑を浮かべる。
「同じように努力をしてきた君たちなら、あの子の苦悩を分かってやってはくれまいか」
そこで二人はベンチから跳ねるように立ち上がり、謝罪会見ばりの九十度越えのお辞儀と二人の謝罪がハモる。
「「す、すみませんでしたっ―――――!!」」
クレアはそれ以上何も言わず、二人の肩に手を置く。
もう一度深く一礼をし、足早に去って行くその二人を去り際まで見守るクレア。その背中は大きく、途方もなく遠く感じる。
響だって何か言い返してやりたいと思った場面だ。クレアと親しいユニが中傷されていて何も思わなかったなんて考えにくい。
やっぱり、騎士って辛抱強いんだなぁ……。いや、僕が子供っぽいのか……?
「くれぐれもこのことは他言無用だぞ?」
そう言いながら軽く微笑むクレアに響はその器の大きさを垣間見た気がした。
その時、後方からブーツの軽快な音が聞こえた。
響が振り向くとユニが満面の笑みを浮かべて、てくてくと駆け寄ってくるところだった。その仕草がまるで飼い主に駆け寄る仔犬のようで、例えるなら愛くるしいヨークシャテリアのような。
おぉ〜、か……可愛い。
服装は群青色の膝丈のワンピースに、見慣れない白いフード付きローブを重ね着している。ローブの裾には何かしらの花の刺繍が施されており、ローブと同色のベレー帽を被っている。ポンチョを着ていないのはフードが嵩張るという理由だろうか、それともこの場には似つかわしくないからか。
「ヒビキさん、見に来てくれたんですね?」
「もちろん、ユニの晴れ舞台だからね」
駆けて来る時には分かりづらかったが、ユニの表情はいつもより少し固い。無理をしていつも通りに徹しているような、そんな気がする。
考えれば容易に分かることだが、ユニは四大会連続で準優勝というポジションを保守し続けている。そしてそれは回数を重ねるほどに大きく、重く彼女の肩にのしかかる。ちょっと揺さぶっただけで壊れてしまいそうなほど細く、華奢なその肩に。
図太い精神の持ち主なら断ることも、逃げ出すことだって出来ただろうに。
だが、彼女にそんなことが出来るはずないのは響が一番よく分かっていた。
ユニには行き倒れている所を助けられ、その他にも数えきれないほどの恩がある。それを忘れるほど響は恩知らずではない、だが。
僕に何か力になれることがあれば――――。って、あるわけないよな………。
この世界での常識に疎く、無一文。その上甲斐性なしときた。
困った響がポケットを探ると、ふと硬くてひんやりとした感触を感じる。
そして、これだと。これしかないと思った。
「あ、あのさ、これ大したものじゃないんだけど」
響はポケットから取り出した物をユニにおずおずと差し出す。
それは百円玉サイズのアメジストと球体の水晶が二つ付いたキーホルダーだった。
「この石はアメジストと水晶っていう鉱物のキーホルダーでね、水晶には厄払いと持つ者を危険から守る力があるって言われているんだ。だから御守り代りにはなるかなって」
最初は目を白黒させていたユニだったが次第に表情が緩み、自然と彼女の本当の笑顔が姿を現した、ような気がした。
響はそれを何物にも変え難いほど愛おしく感じ、胸が締め付けられる思いだった。
ユニは響からキーホルダーを受け取ると、大切そうに胸に抱く。そこに残る温もりを確かめるように。
「う、嬉しいです……。こうなったらもう優勝しなくちゃですね」
その時、ユニの目尻には微かに光るものがあった。
それの真意を響は知らない。知ろうとしなかった。
観覧席に戻ってきた響は自分なりにユニを励ませたと思い安心する一方で、新たな不安要素に直面していた。当然表情も曇る。
「ユニが心配なのだな。そして、その原因は先ほどの二人が話していたエレーヌ・ビアン・ファウルス、だな?」
「えっ!? あっ、う、うん……」
クレアには全てお見通しらしく、誤魔化すだけ時間の無駄ってものだ。
響は往生したように吐露する。
「話だとかなりの曲者だって言ってたし、どう考えても不確定要素なのは否めないから……」
「エレーヌ・ビアン・ファウルス嬢か」
どこか遠くを見つめるようなクレア。そして、淡々と語る。
「序列十八位のファウルス家の四女にして王都魔術修練学校を首席で卒業したほどの秀才。そんな彼女が一度も大会には出場していないのは確かに不自然だ。しかもファウルス家は王都アジールに館を構えているにもかかわらず、わざわざアトワールまで出向いて来たのだ。何か裏があると考えなければ辻褄が合わない」
どうやらクレアも彼女を危険視していたようで、情報収集も怠ってはいなかったようだ。だが、明らかに情報が不足している。特に今回の魔術闘技大会出場についてはノーヒントだ。
「ユニ、勝て……ますかね……?」
訊ねる響の声は力なく、情けないほどに生気を感じられない。クレアの答えに縋るように。
少しの間があって、クレアは苦々しく答える。その視線は虚空に注がれており、表情は半面しか伺えない。
「いや、すまんが今の私には判断しかねる……」
「戯言を言うでない。其奴が何処の馬の骨か知らんが、今の小娘の相手になどなりはせん」
あまりにも傲慢で歯に衣着せぬ物言い。それは迷いなど微塵も感じさせない。
響が声の方を見やると、そこにはウェーブのかかった赤毛の少女がいた。
見た目は十歳前後といった感じで、目つきがあまり良くないことを除けば十分美少女といえる。髪は癖っ毛なのか寝癖なのか外はねしており、ぼさぼさなのを特に整えたりしてないあたりズボラな性格が表れている。服装は黒いフリル付きのワンピースに薄汚れた白いローブを纏っていることから魔道師であることが分かる。
クレアは少女に向き直り、視線を交わすこと数秒。
「おぉ、クラベルではないか。最近姿を見ないと思ったが、また書庫に籠って研究に励んでいたのか?」
クレアは少女に合わせているのか少し大袈裟に言う。
「まあそんなところじゃな。久しいついでにクレイルよ、その小僧は何者じゃ?」
クラベルと呼ばれた少女は見た目とかけ離れた若年寄のような物言いをし、響を一瞥する。
「我が友のヒビキだ。何かの事故に巻き込まれたらしく、過去の記憶を失っている。ユニから話を聞いていないか?」
「お、越智響です。よろしくお願いします……」
相手が明らかに年下にしか見えなかったので、とりあえず座ったままで響は軽く頭を下げる。敬語なのは相手の態度からしてその方が良いのではないかと思ったから。
「ほぅほぅ、小娘がここ数日言っておった名じゃな。しっかし、記憶喪失とはのぉ〜」
クラベルは訝しむように響の上から下まで視線を巡らせる。値踏みでもするように。
響もこの話題で不審がられるのにはいい加減に慣れてきていた。
そして、あからさまに興味を失ったのか吐き捨てる。
「まあ儂にはどうでもいいことじゃが、お主も随分と勘が鈍ったようじゃの。こんなわけも分からぬ奴を信用するなどと、愚かな」
確かに少女の言い分にも一理ある。
だが本心を一切隠そうとしない彼女の物言いは清々しいと言えば聞こえはいいが、辛辣なものに変わりなくなかなかに応える。
それに見るからに年齢が一回り以上離れていそうな二人が対等に(いや、少女の方がだいぶふてぶてしいのだが)話をしている様は少し異様だった。
「まあそう言うな。友は多いに越したことはないだろ? 何より私は人を見る目だけは誰にも負けないと自負しているからな」
少女の表情には呆れの色が見える。
「ふんっ!」
クラベルはふてくされたように会話を切ると、ローブのポケットから懐中時計を取り出す。
「もうそろそろ小娘の試合が始まるのう。ものはついでだ、ここで見物させてもらうとしよう」
そう言うとクレアの前を素通りし、わざわざ響の座るすぐ右隣にストンと腰を下ろす。肉薄な少女の衝撃はほとんど感じられないほどのものだった。
実際に隣に座ってみるとその小ささが如実に伝わってくる。
身長はユニより頭一つ分ほど低く、目つきの悪ささえなければ可愛い小学生くらいの女の子といった感じなのだ。それだけが悔やまれる。
いや、こういう女の子が好きな人も意外と多いって聞いたことがあるような。
さすが異世界は個性が濃くて、幅が広いな。まあ、現実もロリコンとか熟女とか守備範囲の広さでは引けを取らないかもしれないけど……。
日本の嬉しくない一面を思い出し、げんなりしていた響。
「おい小僧、あまりじろじろ見るでない」
響の視線に気分を害したのか、少女はそっぽを向いてしまった。そこにクレアが小声でフォローを入れてくる。
「すまぬな、響。これはなかなか気難しい性格なのだ」
「クラベルさんですか……?」
「あぁ、本名をクララ・ベルクリーネという、大陸指折りの司祭だ。彼女は王都でも五本の指に入る魔術の名家ベルクリーネ家の長女。その才能は規格外で、王都魔術修練学校を八歳で主席卒業。その後王都魔術教会に配属され、十歳の時には王都上級魔術闘技大会に出場し、全ての試合を無傷の一撃ノックアウトという偉業で殿堂入りを成し遂げた神童」
「た、確かに規格外だな……。でも、それほどの魔道師がアトワールに配属されるなんて、何か事情でも?」
「いや、それがな―――」
「あのたわけ者どもにしてやられたのじゃ」
クレアの声を遮り、忌々しげに吐き捨てる。
「た、たわけ者……?」
それ以上は言いたくないらしく黙ってしまったクラベルの代わりにクレアが続ける。
「クラベルの性格を見れば分かると思うが、相手が貴族だろうと気にせず食ってかかる所に反感を買い、魔術教会からアトワールでの魔術指導を言い渡されたというわけだ」
つまり名目はどうであれ干され、地方に飛ばされたというわけだ。有能な人材を気に入らないからという理由で左遷するとは、王都魔術教会はかなりのブラック企業じゃないか。
「それでこの街の魔道師の指導をすることになったと―――」
「儂は指導などしておらん。もとより他人に物事を教えるなど性に合わんしのう」
間髪入れずの否定。それものうのうとそんなことを言ってのける。
高飛車な性格の彼女のことだ。物事を教えるなんて柄じゃないのだろうし、とても想像出来ない。それに教わる方も苦労しそうだし。
「もとより儂の専門は魔法学の研究。故に場所さえあれば困りはせぬし、他人と関わるなど疲れるだけだからのう」
「だからさっきクレアは久しぶりだって言ってたんだな……」
他人との関わりを極限まで減らして自分の世界でのみ生きる。つまり端的に言えば引きこもり。少し境遇は違えどそれは響がしてきた生き方と類似ているような気がした。
そのため否定しきれないのが痛いところで、響は上手く言葉が出てこなかった。
「まあ、そんなことを言いながら意外に世話焼きな面もあってな。ユニに術の稽古をつけてやっているのもクラベルなのだ」
「ゆ、ユニの師匠―――――!?」
それまで考えもしなかったが毎年優勝候補に上がるほどの実力を持つユニ。そのユニを指導する者がいても何ら不思議ではない。
それに聞くところによると魔術の基礎は学校などで学ぶことが出来るが、それ以上になると話は別。魔術の名家のなら一子相伝、そうでない場合は師弟関係を築き、師から直々に教わるもの。
つまり基礎は学び舎があるとしてもそれより先を全て独学で習得したのだとしたら、ユニの才能はクラベルのそれをも凌ぐかもしれないということになる。
「まあ師匠なんて大それたものではないが、あの小娘が初めて出場した際に暇潰しにはなるかと思って声をかけたのだ。詰めが甘く見込み通りとはいかんかったが、そこらの軟弱な術師とは鍛え方が違うわい」
よほど自分の弟子を信用しているのかクラベルは一切の迷いも持たず、ユニの優勝を確信しているようだった。
響はそれを羨ましく思った。考え方はどうかと思うが、彼女が勝てるかどうかを心配してしまう自分とは違って強い絆のようなものを感じる。
「それに今回はとっておきの秘策を用意しておるしのう」
クラベルの含みを持った声を合図とするかのように観覧席の観衆たちが湧き始める。
それは午後の部、開始の前兆。
歓声が連鎖的に拡大していき、地鳴りのように闘技場全体を震わせる。
立ち合い人であるヴィオラが天蓋付きの玉座風観覧席に戻るのが遠巻きに見え、一層沸き立つ観衆。
そこで再燃した不安と緊張が響の中で渦巻いていた。彼にどうこう出来る事ではないのに。
それにしても、とっておきの秘策って何なんだろう……?
闘技場の控室は観覧席の下に造られているので沸き立つ歓声やその他の振動がそのまま伝わってくる。そのため出場者の中には控室はうるさくて精神集中が出来ないとわざわざ闘技場から離れる神経質な者もいるくらいだ。
それに控室はブロックによって分けられているため、自分の対戦相手とも顔を合わせることになり、それを嫌う出場者も少なくない。
でも、私はそんな背筋が張りつめるような緊張感が嫌いじゃなかった。
いつもは感じる事のない殺伐とした雰囲気が妙に新鮮で、試合前の緊張を忘れさせてくれる。そうでなければとても見ず知らずの相手と命のやり取りなど出来ようはずがない。
この場で求められるのは私が日々精進し、身に付けた知恵と技。それを戦闘形式で披露し合うのがこの魔術闘技大会。
しかし何度も出場し、準優勝というあと一歩のポジションを重ねる度に私の緊張は大きくなっていた。
準優勝というのは一見素晴らしい結果に見えるかもしれない。だがそれは優勝にもう少しで手が届くということであり、その分次回への期待も伴う。
そんな状況が何度も積み重なり、今では優勝候補筆頭などと持てはやされるほどに。
だが、それが私は辛かった。
毎回自分に出来る努力は全てしていたつもりだし、本番でも悪くない立ち回りが出来ていたという自負もある。
でも、そこには越えられない壁があった。そして、その結果として今私は期待と重圧で雁字搦めになっていた。
何度も出場を諦めようと思った。これからもこんな重圧を背負い続けるくらいなら、諦めてしまった方が楽だとも。
でもその度、私を思い留まらせるのは街の人の声だった。
「今年こそは優勝だね」
「絶対応援行くから」
「未来の優勝者にはおまけしちゃおう」
掛けられる声はとても暖かく、そして残酷。
何故ならそれが私をまたこの舞台に向かわせる原動力になるのだから。そしてそれは呪縛のようなものでもある。
期待を裏切れない。失望なんてさせられない。この命に代えても優勝を勝ち取らなければいけない。
周りが私をそうはやし立てる度に、私の心は荒んでいく。
心の底から聞こえる悲鳴から意識を逸らしてきた。そんなものありはしないのだと。
しかし耳を塞いでも、それは夢の中までも付いて回る。
苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。
もう、やめて………。
私は壊れてしまいそうで、作った笑顔の奥ではずっと泣いていた。
でも、今は違う。
肩の荷が下りたような、自然体の自分に戻ったようなそんな気分だった。
私の右手にはお守りが握られている。紫色と透明の鉱物の付いたそれは一人の少年が私にくれたもの。
彼は厄除けのお守りだと言っていたけれど、それは水晶の言い伝えに過ぎない。
でも知ってますか……?
アメジストの伝承は、
「真実の愛を護りぬく石―――……」
まさかこんなもの一つで気持ちの整理が出来ちゃうなんてね。
そう思っただけで自然と頬が緩んでしまう。自嘲かもしれないし、そうでないかもしれない。
聞こえていた歓声が一段と増し、おそらくヴィオラも立会人席に戻ったのだろう。
つまり今から午後の部、準決勝が始まる。
ここからは余計なことを考えながら勝てる相手はいない。正真正銘強者揃いだ。
でも、大丈夫。もう迷う必要なんてないんだから。
『Bブロック準決勝戦を開始します。両対戦者は試合場にお願いします.』
外では召集のアナウンスが響く。ドッと沸く観覧席の怒号にも似た声援。
私は控室から試合場に出られる通路に歩を進める。出口からは強い光が差し込む。
大きく息を吸って、鋭く吐く。もうそれだけで充分だった。
「……よし、勝ってきますね!」
視界を眩い光が包む。吹き込む熱気と砂埃。
始まる――――――。




