悩みと陰で蠢く者たち
「たとえ魔法があるファンタジー系の異世界でも人の死は避けられないものか。やっぱりどう考えてもこれ、現実なんだよなぁ……」
響は怒涛の一日を終えて、ユニの部屋に帰って来ていた。
窓の外は闇に染まった空と満天の星、建物の窓から漏れる暖色の灯り。街灯が照らす通りを歩く人はほとんど見られない。
数時間前にヴィオラから彼女の父親である前領主クラウス・クロリア・ノーマンスの半生や、その中で起こった弟ハンスが暗殺された悲劇を聞かされた響。その内容はとても気楽に聞いていられるようなものではなく、押し黙って彼女の話に耳を澄ませるので精一杯だった。
それに過去を語るヴィオラはどこか物憂げで、その影からは哀感が漂っていたのもその一因だったのかもしれない。
そこでようやく響はここが、この世界がもう一つの現実であり、そこにはかけがえのない命が数えきれないほどに存在しているのだと改めて思い知らされた。
それまでも何度となく目を疑うような場面に出くわし、響は自分の中の常識を完膚なきまでに叩きのめされていた。だからこそ、今さらこの状況を夢だのなんだのと難癖付ける気にはなれなかったし、理解していたつもりだった。
だがそれはこのありえない状況を何とか正当化するための仮初めのもので、本心から理解していたとはいえなかった。
異世界だから死んでも蘇生の魔法で生き返れる。残機がなくなったら蘇生ポイントに戻ればいい。そんな甘い考えを捨て去れない自分がいたのだ。
しかし、そんなものはぬるい現代社会に浸かってしまった者が抱く甘い妄想。
魔法とはちっぽけな人間が魔力という生命エネルギーを運用し、術式を駆使して編み出す未完成な技に過ぎない。そして死者の蘇生なんて神の御業であり、それこそ奇跡と呼ぶに相応しいものだろう。
響は話を終えてから努めて明るく振る舞うヴィオラが健気に思えて、結局別れの挨拶まで一度も声を掛ける事も出来なかった。いや、しなかったのかもしれない。
彼女の心に土足で踏み込んでしまうことが、引き返せなくなるのが怖くて。
帰りの馬車で響はユニやクレアと何かを話した気がするが、その内容は一切思い出せない。それだけ響にあの話が応えたということなのかもしれない。
「リアル過ぎだろ……」
響はその時のこと思い返すだけでため息が漏れてしまう自分が情けなくなる。
「変なことを言うんですね」
不意に後ろから声をかけられ、跨がっていた椅子から飛び上がり振り向く。そこにはティーカップを二つ持ったユニが立っていた。
ユニは三十分ほど前に大浴場に行っていたので、寝間着のワンピース姿だ。昨夜と違うのは色が淡いブルーであることくらいか。その色合いが湯上りで艶やかさに磨きがかかった髪といい具合にマッチしていて、ほんのり赤みが差した頬がたまらなく愛おしく感じてしまう。
いかんいかん、こんな時に何を考えてるんだ僕は……。
「あ、聞いてた……?」
「ええ、少しだけ」
ユニは少し不思議そうに微笑みながら片方のカップを響に差し出す。
また妙な所を聞かれてしまったかな。
「いや、その……まだ記憶が曖昧で現実味がないというか……。だ、だからここ数日の事が妙にリアルだなって」
どうにか誤魔化そうと記憶喪失の件を発動する。流石にこの話だけで引っ張るのもそろそろ限界かと思ったが、ユニもそれ以上は探りを入れて来ない。どうやら疑ってもいないようだ。
「そうですか。でも心配することはないですよ? 私も精一杯協力しますから」
そう言ってユニは強めに胸を叩いて見せる。安心させようと大げさな笑顔まで見せて。
「あ、ありがと……」
そのユニの心遣いがとても嬉しい一方で、響は胸が痛かった。
こんな心優しい少女をいつまでも欺いているということが心苦しくて、そんなやり方でしか人と関わることが出来ない自分が嫌いだった。
響が自己嫌悪に耽っていると、空気を察したのかユニが話題を変える。
「そういえば、ヴィオラさんから話を聞いたそうですね」
「ってことはユニもヴィオラの秘密を知ってたの?」
「ええ、ヴィオラさんは本当の姿でよく街に来ていますし、ル・マオリルにも立ち寄って行かれるんです。その時にお話しすることも多くて、実は結構私たち仲良しなんですよ?」
確かにユニはそのことを他言するようなタイプでもないし、サラやテオとも親しげだった。つまりそれだけ信用されているのだろうし、ヴィオラも腹を割って話せる相手が欲しかったのかもしれない。
「でもユニはヴィオラのこと領主様とかヴィオラ様って呼んでなかったっけ?」
「まあ親しき仲にも礼儀ありともいいますし、立場は領主と一般市民ですからね。それに今のヒビキさんの前でそう呼ぶ必要はないのでは?」
まあ、それもそうだ。ここには二人しかいないわけだし。
「それにしても弟が暗殺されたことでそれ以来母親は心を失って地下室に籠りきり。その上父親も病気で亡くして、本当は泣きたいほど辛かっただろうに。それでも自分だけは領主としてしっかりしていないといけなかったなんて……」
領主は治める領地の民のために日々責務をこなさなくてはならず、その障害となるなら肉親の死を悲しむ猶予すら許されない。それにヴィオラの場合は世襲にあたっていくつかの条件が重なり、特に時間に追われていたようだし。
普段の性格は気さくでお転婆な印象のヴィオラだったが、父親の遺言を守るために寝る間も惜しんで魔法学の研究に勤しむほどに責任感の強い一面もあるのだとしたらどうだろう。
その苦痛は身を引き裂かれる思いだったことに違いない。響の想像など遠く及ばぬほどに。
一層重くなる空気を一蹴するかのように、ユニは言う。
「確かにヴィオラさんの生い立ちはとても順風満帆とは言えないかもしれませんが、だからこそ彼女にとって市民は家族のように大切な存在なんです。だからその家族を守るために奮闘しているそんな姿を見せられたら、彼女を憐れむことなんて意味を成さないように思えてくるんです。だから私は同情するのではなく寄り添い、支えるんですよ」
その言葉は力強く、ヴィオラに対する慈愛に満ちていた。
この街は代々ノーマンス家が受け継いできた領地であり、ヴィオラからしたら父親からの唯一の贈り物のようなものだ。だからこそ彼女はそれを守り抜くことこそが亡くなった父親への親孝行だと思っているのかもしれない。
もちろんヴィオラの秘密を知る者はごく少数で、それ以外の市民が彼女の苦悩をどれだけ理解しているかも分からない。もしかしたらまだ盤石とはいえないヴィオラの統治体制を揶揄する者もいるだろう。
だが、響からしたらそんなこと知ったことではない。何故なら彼は非力で臆病者なのだから。
でも、もし僕にも何か出来る事があるのなら。こんな僕でも彼女の支えになる可能性が万に一つでもあるのなら。
「僕にも、こんな僕にも支えられるかな……」
力のないぼやき。しかし、それはヴィオラの力になりたいという純粋な思いだった。
響のそれは自分に対する問い掛けのつもりで言ったのだが、ユニはそれを聞き逃さなかった。純真な眼差しが響を打つ。
「なれますよ。あなたが心からそう望むのならば、ですけどね」
意味深に微笑む彼女のその言葉は響への応援のようで、少し気恥ずかしくなりティーカップに口をつける。含むとすぐに鼻腔から抜けるフローラルな香りが疲れ切った心を優しく包み込み、落ち着けてくれた。
望むのならば、かぁ……。でも、望んで叶うなら誰も苦労しないよなぁ……。
そう虚空に悪態をつきながら、その日もユニの寝室で眠りに就く響なのだった。
もちろんユニと同じベッドで眠るため、今夜も悩ましい寝息に心拍数は上がりっぱなしになることは明らか。疲れが癒えるかどうかも怪しいものだ。否、むしろ心労がかさむだろう。
明日も寝不足なのを覚悟し、そろそろこの寝室問題を解決しないと身が持たないと思う響。
だがその日は恐ろしいほどに静かで、気味の悪さすら感じる中で夜は更けていった。
二十畳は軽くありそうな広々とした部屋を暖色系の間接照明のみが照らし、インテリアによってエスニック風な空間を作り出されている。金縁や原色系の派手目な家具が多い中で、一番存在感を放っているのは天蓋付きのベッドだった。
その形状は正円で、大人五人が手足を伸ばしても優に寝られるほどに巨大なベッド。シーツは一点の汚れもない純白で、天蓋はワインレッドの生地に金の刺繍という豪華な仕様。
今そこには一人の男が仰向けで優雅に寝転がっている。
男は二十代半ばくらいの青年で、切れ長の目と程よい長さに切り揃えられた黒の混じった金髪が気品を漂わせている。
身に纏うガウンは薄めのベージュで見るからに良い素材を使っているのが分かり、はだけた部分から覗く胸板や四肢は薄いながらも綺麗な筋肉を堂々と主張していた。
その男を取り囲むように四人の薄着の女が左腕、右腕、左脚、右脚と持ち場を分け、透明なオイルを使って各部位を揉み解している。その光景はハーレムのようだった。
部屋中に漂うのは四隅で焚かれるお香の香り。それはむせ返るほどの瘴気となり、例えるなら甘露とでもいうべきものだろう。
そのお香は嗜好品として闇市場で高額取引されているもので、貴族の間では頻繁に使用されている。主に興奮作用と疲労抑制の効能があるが、依存性が高く一気に吸い込んでしまうと思考能力の低下や幻覚などを引き起こし、最悪の場合は死に至るという危険な一面も備え持つ。
しかしそんな空間でも男は平然としており、女たちの方が肌を潮紅させ息を荒げている。彼にとってその程度の瘴気は霧と大差ないということだろう。
まったく、くだらん。そろそろこの余興も潮時か。
見慣れたつまらない光景に青年が眠ってしまいそうになったのも束の間。三回のノック直後部屋の扉が開き一人の老紳士が恭しく一礼し、部屋に足を踏み入れる。
老紳士は眼鏡にタキシード姿で、無愛想な口元には白い布を押し当てている。扉を閉めないのもお香を吸い込みたくないからだろう。
「失礼いたします、旦那様。本日の貴族会議についてなのですが―――」
「なあエスターよ、見て分からぬか? 俺は今名目上至福の時間を味わっているのだ、邪魔してくれるでないわ。それに、そのような下々どもの戯言になど興味はない」
青年はエスターと呼ばれた老執事の言葉を遮り、ゆったりとした口調で言う。その調子はどこかインテリじみており、どこまでも優雅であった。
「申し訳ありません。あまりに退屈過ぎて、もうお眠りになる頃だろうと思いましたもので」
少し皮肉めかして言うエスターだが、青年は一切気にも留めない。その状況すら彼の興味の対象ではないということなのだろう。
そのことを気にする素振りもなく、老執事は続ける。
「それでは、旦那様から頼まれておりました娘の情報が隠密隊から入っておりますが、いかがしましょう」
その言葉を聞いた途端、青年の瞳には強い光が宿る。それは明らかに先ほどまでの態度とは打って変わって強い興味の色を示していた。もちろん顔には一切出さず、今も余裕を持った笑みを浮かべているのだが。
「お前も分かってきたではないか。早ぅ話せ」
「はい。旦那さまが目をかけておられた娘ですが、――――――――――――」
エスターの話を興味なさげに聞いていた青年は途中まで平静を装っていたのだが、次第に口の端を吊り上げ、話が終わる頃には気味の悪い笑顔を抑えることすら忘れるほどに興奮していた。
しかしその笑顔は使用人の話が面白いということではなく、その内容が彼を満足させるに足るものだったからだ。
彼の欲求で一番強いのが所有欲であり、それは武力、権力、財力と全てに対して貪欲で強欲なのだ。そして傲慢。それは彼の生き様そのものとさえ言える。
「なるほどな、面白いではないか。なおさらその娘が欲しくなったぞ」
満足げにほくそ笑む主人を見て、それを肯定の意と受けた老執事。
「では、早速こちらから接触を―――」
しかし、またそこで言葉を遮られてしまう。
「いや、まだだ。貴様には分からぬか? 果実は熟してから食すに限るが、あの娘はまだ足りぬ。俺はまだ青い小娘になど興味はないからな。もうしばらく観察を続けよ」
「承知しました。しかし他の領主や貴族が縁談話を持ちかけるようならどうしましょう」
「愚問だな。大抵の貴族は猿並みの知能しか持ち合わせておらんだろう? だが、もしそのような事態になれば早急に始末せよ」
それを聞くとそれ以上は何も言わず老紳士は頭を垂れ、部屋を出て行く。
「ふふっ、愉しませてくれる」
不敵な笑みを浮かべ独りごちる青年は明らかに気分を良くしており、マッサージをさせていた女たちを自分の元に集める。
最近ではめっきりなくなっていた女たちとの戯れもその時は興が乗ったのだろう。朝方まで青年の寝室からは男の不気味な高笑いと女の嬌声が漏れていたという。
翌朝、屋敷の裏口から四人の女の骸が運び出された。




