領主の秘密
「これは何ともまあ豪華な、部屋で……」
響は数分前までの緊張感溢れる死闘から解放され、今は領主邸の一室にいる。しかもそこは屋敷の中で最も豪華な部屋。
天蓋付のベッドに見るからに高そうなテーブルに椅子二脚。壁に掛かる絵は森の中を駆ける鹿の様な生き物が描かれている。
この部屋まで響を案内してくれたテオは「ごゆっくり」とだけ言い残して早々に出て行ってしまった。
お、落ち着かねぇ―――――――。
今まで気にもかけてもいなかったが、この世界に来てからというもの響の隣には必ずユニがいた。行き倒れているのを助けてくれて、この世界の事を教えてくれて、少ないながらも人間関係を築く足掛かりにもなってくれた。
もちろん親切心からの行動であることは言うまでもないが、それが響の心の支えになっていたことも事実だった。
だがら、今部屋に一人取り残されている状況が途方もなく心細かったのだ。
それから数分は部屋の中を右往左往していた。確かユニの部屋で初めて目覚めた時もそうだった。不安な心を鎮めようとしてそれが行動に出てしまうのだ。
窓の外には手入れが行き届いた芝生に花壇、樹木。
さっきまでも見ていた景色だが、今は陽の加減と窓枠が額のようになって一枚の絵画のようだった。
しかし遂にすることがなくなって椅子にでも座ろうかとしていた時、部屋の扉が開き屋敷の女主人が入室してくる。
「お待たせしてしまいましたかしら。屋敷内をあの恰好でうろついているとメイド長がうるさいものですから」
召し替えたヴィオラはみすぼらしい外套を羽織っていた時とは違い圧倒的な存在感を放っていた。心なしか顔つきや、身体も大人びて見える。
羽織るのは白地に金の刺繍が施されたローブ。髪は三つ編みにして前に垂らしており、髪留めの赤い宝石が煌々と輝く。
一見して神に仕える聖女の様な印象を受けるが、神の存在するこの世界ではその表現もあながち間違いではないのかもしれない。むしろ女神といっても罰は当たるまい。
先刻の恰好の時は荒削りな原石のような印象であったが、着飾ることによって彼女は磨き抜かれたエメラルドへと変貌した。
もしドレスなんて着ようものならと考えるだけで街の住民がヴィオラを慕う気持ちが分かった気がした。
だが見惚れてばかりもいられない。響がここにいるのはヴィオラの正装を見るためではないのだから。
「では早速治療を行いますので、そこに立ってください。あと上は脱いでくださいね」
「えっ、脱ぐぅう……!?」
素っ頓狂な声を漏らす響だが、もちろん彼の考えているような理由ではない。
「ええ、傷口がはっきり見えますし、そんな汚れたシャツをいつまでも着てはいられないでしょう? テオに代わりの物を用意させていますから」
「そ、そうですよね……」
響は自分の愚かな想像を打ち消しながら、土汚れと所々が破れてしまっているシャツを脱ぎ、促されるまま家具や装飾の類がない部屋の中心に立つ。
それを確認すると、ヴィオラは響に右手をかざす。
「《術式展開。三式―――》」
ヴィオラが魔法の起動文句のようなもの唱えると、響の足元に大きな円の中に幾つもの文字や図形が組み込まれた幾何学模様、魔方陣のようなものが仄白く浮かび上がる。
「《中級治癒術、聖なる癒し》」
その声が部屋に凛と響くと共に、魔方陣が激しく発光し響の身体を温かな光が包み込む。その間数秒は身体の感覚が薄れ、まるで宙にでも浮いているような心地だった。
あまりの眩しさに目を瞑った響だったが、目蓋を打つ光源がゆっくりと薄れ消えたのを確認し目を開けると床の魔方陣もすっかり消え失せていた。
「終わりましたよ」
その声に響は自分の身体を触って確かめると、さっきまでは確かにあった擦り傷が跡形もなく消えていた。まるでそこには傷なんてなかったかのように。
「マジか……。一瞬で治っちゃうなんて、やっぱり領主様は凄いんですね」
「そんなことはありませんよ。治癒術というのは簡単に言うと細胞超活性術。魔力を使って体の細胞を活性化させて一時的に自然治癒力を何倍にも増幅させること。魔力量が多い程に効力は増しますし、私より魔力貯蔵量が多い方はザラにいますから」
さぞ当たり前であるように言うヴィオラだが、にわかには信じ難かった。
だが確かに今の回復魔法を見るとユニが治癒魔法を得意じゃないと言っていたのも頷ける。費やした時間も効力も段違い。素人目に見ても格が違うのが一目瞭然なのだから。
するとタイミングを見計らったようにテオが扉を開け、ティーセット一式と真新しい白いYシャツを運んでくる。テオは上半身裸の響を見て、「どうぞ」と無気力に手渡す。
そしてティーカップを二つテーブルに置き、紅茶を注ぐ準備を――――。
「あ、あの領主様……」
「ヴィオラで構いませんわ」
「ヴィオラ様。治療も済んだことですし、そろそろユニたちと合流を……」
響はシャツに袖を通しながらそう言いかけたのだが。
「その前に、少し私のティータイムに付き合ってはいただけませんか? 何も取って食おうなんて思ってませんから」
この場合断るというのはとても失礼にあたるだろう。つまり拒否権はあって、ないのだ。
それに最後の一言が異世界だとマジっぽくてジョークに聞こえない。ヴィオラの悪戯っぽい笑顔がなければ。
「は、はい。少し……なら……」
そうして始まったお茶会は終始ヴィオラの質問に響が答えるという、質疑応答スタイルで進行していった。
「ヒビキさんはこの街に来たばかりと伺っておりますが、前は何処に住んでらしたんですか? 傷だらけになってしまいましたが服装は上等な物のようでしたし、髪の毛や瞳も珍しい色をしておられるので」
「それが、実はこの街に来るまでの記憶がなくて、今はユニやクレアに手掛かり探しを手伝ってもらってるんです」
響の言った事は半分嘘で、半分事実だった。
記憶喪失というのは嘘だが、ユニやクレアに手伝ってもらっているというのは嘘じゃない。元の世界に戻るための手段を探すことをだが。
それをヴィオラは一切疑うことなく受け入れた。響はこの寛大さが皆に慕われているのかもしれないと思った。
「それは災難でしたね。私に出来る事があれば何でも言ってくださいね。アトワールの住人でないとはいえ、困っている人を放っておくようでは領主は務まらないですから」
そう言って胸を張るヴィオラ。
古い外套越しでははっきりとは分からなかったが、改めて見ると今の出で立ちは領主様の豊満な乳房をより主張するようであった。もしかしたらサイズが合っていないのかもしれない(特に胸部が)。
ということで響はあまりヴィオラを直視出来ず、手に持ったティーカップを注視する不思議なお茶会となった。
そして響は数時間前に抱いた恋心が再び大きくなるのを感じていた。
だが弊害もある。
いくらテオさんがいるとはいえ、凄まじく気まずいのだが……。
カップの紅茶に口をつけながら響は思う。
本当なら恋心を抱く相手と同じ空間にいられるのは幸せなことなのだろうが、響のようなコミュニケーション力に乏しい陰キャ体質では話は別だ。
会話がなかなか続かず、むしろ気まずい思いをさせてしまうことが常。だからこそ同じ空間にいたくても、いない方がいいのだ。嫌われたくないのならば。
しかし、ヴィオラはそんなこと全く気にかける様子もなく、和やかな時間が三十分ほど続いた。響はその間とても居心地がよく、その時間が永遠だったならとさえ思った。
しかし、そんな時間にも終わりが訪れた。
部屋の扉がノックされ、一人のメイドが部屋に入ってくる。
その顔を見ると響の身体は強張ってしまう。植えつけられた恐怖心はそう簡単に払拭出来はしないようだ。
「お嬢様、あと一時間ほどで領主様方が到着なさいます。会場の準備は既に済んでおりますので、そろそろご準備を」
その声を聞くだけで響は癒えたはずの傷が疼く気がした。響の意を汲んだのかヴィオラが口を開く。
「サラ、貴方はしばらく休んでいなさいと言い付けたはずですよ」
「はい、一時間ほど部屋で休ませていただいたのでもう大丈夫です」
そこまで言って、サラは響の方に向き直り深々と頭を下げる。
「先程は失礼な言動の数々、大変申し訳ありませんでした」
その一切の偽りのない謝罪を見た時、一時間ほど前に殺されかけたことなんて忘れてしまいそうになった。
もちろん事実はそう簡単に消えないが、明らかに毒気は抜かれてしまった。だからそんな返しをしてしまったのだろう。
「いや、こっちも生意気なこと言ってすみませんでした……」
その様子を見ていたヴィオラは満面の笑みで言った。
「これで遺恨も残さず解決かしらね。手間が省けて良かったわ」
だが、ここでサラが意外なことを口にする。
「そうですね。ですが元をたどればお嬢様が今日の領主会合をすっぽかそうとなさらなければ、こんな大事にならなかったのでは?」
「……………。」
黙り込むヴィオラ。気のせいか笑顔が引きって見える。
「あの、会合をすっぽかそうとしたって本当なんですか?」
ここは口を挟むべき事ではなかったかもしれないが、サラは半分呆れたように首肯する。もちろんその呆れは自分の主人へのものだ。
「いや、それはね……」
言い訳をしようとしたヴィオラの言葉をサラが遮る。
「事実です。今朝お嬢様は屋敷を抜け出されました。もちろん私やテオの不手際があったことは否めませんが、そのおかげで街まで探しに行くこととなり結果的にはヒビキ様にもご迷惑を」
響は俄かには信じられなかった。
いかにもお嬢様気質なヴィオラがそんなお転婆な子供のような事をするなんて。
「確かにヒビキさんにご迷惑をかけてしまったことは申し訳なかったと思っております。ですが、会合に出たくないから屋敷を抜け出すなんてこと私がするわけ―――」
「します」「してる」
食い気味にサラとテオの声がハモる。響はその瞬間二人が本当に双子なんだと確信した。
「ヴィオラの脱走癖は今に始まったことじゃない」
「………。」
「そうですね。むしろ屋敷にいる事の方が少ないくらいです」
「…………………。」
「幸いなことに支持率は高水準を維持していますが、領主様が自分では政務もせずに街をうろついているなんて知れたらどうなることか。私にも分かりかねます」
「………………………………(プツプルプルプルッ)。」
あれっ、ヴィオラ様なんか小刻みに震えてるような。
何だかよく分からないが、響はヴィオラをフォローしようと口を挟む。
「で、でもこんなに心優しくて、市民のことを考えていそうなのにそんな子供みたいなことをするなんて―――――」
響がそう言った瞬間、ヴィオラは何かのスイッチが入ったかのように豹変した。皮肉にも響が止めを刺した形で。
「だ、だって会合なんて退屈なんだもの! 近隣の領主達は高齢者が多くて話をするにも気疲れしちゃうし、何かにつけて自分の息子や孫との縁談話を進めようとしてくるのよ? いくら自分の領土が狭くて経済的に厳しいからって大陸で序列十一位のノーマンス家現当主である私と血縁関係になって、後ろ盾を得ようっていう考え方が気に食わないわ」
えっ……………。だ、誰………………!? こ、こんな女の子知らない……………。
そこにいたのは心優しく、美しく、気品漂う女神のような女領主などではなかった。
駄々っ子のそれに近しい女の子の様。容姿との違和感が実に不気味だ。
「そもそも序列九位より下なんて王都貴族会議での発言権すら持たないのよ? それなのに将来が安泰なんて思ってるんなら勘違いも甚だしいし、アトワールだってまだ裕福といえるくらい経済が豊かなわけでもないわ。西地区の外れは貧民街があるし、我が家から物資の支援や寄付だってしてるけどまだ救済にはほど遠いの。そんなことも知らないで自分達の領地の事すら何もしないくせに都合のいい時ばかり擦り寄ってくる貴族なんて糞食らえよ。もし近隣の街の領主達から爪弾き者にされたって私を信じてくれる市民を絶対に、絶対に守って見せるんだから!!」
そう断言してサラ目がけて人差し指を突きつける。目尻に僅かな涙を溜めて。
何だかよく分かんないけど………、良く喋るなぁ……………この子…………。
その姿は響が今までに思い描いてきたヴィオラのイメージを真っ向から打ち砕いた。
「お嬢様、口が悪いですよ。それより、素が出てしまっておりますがよろしいのですか?」
「もういいわよ。サラはそれをヒビキさんに伝えるためにわざわざ一時間も早く来て、私に憂さ晴らしがてら吹っかけてきたんでしょ? 準備なんてほぼ終わってるし、着付けだって一番時間のかかるドレスだって三十分もあれば十分だもの」
無言の肯定。
「それはどう……いう……?」
響がおずおずと尋ねると、ヴィオラは観念したように一つため息を吐き。響に向き直る。
「ヒビキさん、貴方には伝えなくてはならないことがあります」
元のおしとやかな口調でそう言い、ヴィオラは右手を天にかざし唱える。
「《術式展開。八式、特殊魔術。術式解除》」
瞬時にヴィオラの足元に魔方陣が出現し、身体を眩い光が包む。むしろヴィオラの身体そのものが輝いていたと表現するほうが正しいかもしれない。
すると、ヴィオラの身体の輪郭が揺らいだ、気がした。
そして光が消えると、
な、ななななななななななななななななななななななななななななななな、んなぁあああああああああああっ――――――――――――――。
響は開いた口が塞がらず、心の中で言葉にならない思いが炸裂した。
「あっ、おぉっ………。あぉ、おぉ……あぁ……」
声にならないオットセイのような、しゃっくりのような音が漏れる。
「まあ、驚かれるのも無理ないと思います」
サラの声で何とか意識を現実に引き戻した響は、口をパクパクさせながら必死に言葉を紡ぐ。
「お、おおおお、驚くも何もヴィオラ様が、ちちちちちちちちち小さく、っていうか幼くなってるんですけど……」
「幼くなってるんじゃなくて、元の姿に戻ったのよ」
先ほどまでとは打って変わって大人の色気が薄れ、幼さが色濃くなった双眸が響を見つめていた。その声質はそんなに変わらないものの、先程までの包み込むような雰囲気は薄れてしまっていた。
つまり変化したのはヴィオラの身体。身長も明らかに低くなり、顔も幼く。
一番分かりやすいのは胸部で、先ほどまでの重厚感は失われてしまっていた。そのせいで着ていたローブはかなりゆとりが出来たように見える。むしろ少しぶかぶかな気さえする。
「魔術で身体を一時的に成長させていたのです。お嬢様は初対面の人には猫を被る癖がありますから」
「違うわよ!! 相手によってはこの見た目じゃなめられるの。失礼な話でしょ? だから、初対面の相手には必ず大人の姿を見せるってわけ。この姿は心を許したものにしか見せないわ」
「それに亡くなった旦那様も『領主は市民に支持されなければならないが、あの娘は幼すぎる』と危惧しておられました。十代で当主になるなど前例もなく、仕方ないので大人のあのお姿で当主になられたのです。二十五歳とサバまで読んで」
そうなると気になることは一つ。
「なら実際は何歳なんですか?」
女性に年齢を訊くのはマナー違反とも言えなくないが、この場合はノーカン。そう自分に言い聞かせる響だったが、そんなこと知ったことかと言わんばかりにノータイムで返すヴィオラ。
「十八歳よ。まあ成人は迎えてるんだから婚姻だって出来るし、本当は偽りのないこの姿でお父様の跡を継ぎたかったんだけど、遺言なんて残されちゃ無下にも出来ないしね。でもあと七年の辛抱よ」
ようやく事態が呑み込めてきた響。
しかし、まだ謎は残る。
「でも、普通貴族の世襲って男の子が選ばれるんじゃないですか。もしかして男の子が生まれなかったとか?」
その瞬間、場の空気が凍りついた。
そして響は悟る。
あっ、これは……完全なる失態。地雷踏んだな……。
よくもこう危機的場面ばかり引き起こすもんだと呆れ半分、関心半分といった複雑な思いの響だった。
しかし、意外にもすぐに助け舟が出される。
「ヒビキは勘が良いのか、単に無神経なだけか分かんないわね。でも、そうね。ここまで話したんだもの、聞かせてあげるわ」
そこで明らかにボリュームダウンした胸(決して小さいわけではない)に手を当て、ドヤ顔で宣言する。
「我が家の歴史を――――――――――――。…………あっ、でもお父様の代からね。私もお爺様の話は伝え聞く程度で、ほとんど知らないから」
「はぁ……!?」
その瞬間、響はサラの苦労を理解出来たような気がして、心の底から同情した。




