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決闘

「で、どうしてこうなったのかことの顛末を聞かせてもらおうか」

 クレアはユニとテーブルを囲み、ティーカップ片手に話の経緯について説明を求めた。

「えっと、何処から話したらいいのか」

 今二人がいるのは広大な庭園の端。大きな屋敷の裏手にあるオープンテラス。

 芝生は隅々まで手入れが行き届いており、花壇の花は美しく咲き、剪定された木々が心地よい葉擦れの音色を奏でる。

 こんな楽園のような苑には不釣り合いな状況が先程まで繰り広げられていた。最終局面しか知らないクレアは表情には出さないものの困惑の色は隠しきれていない。

 だが、それも無理からぬこと。

 クレアと最後に会ったのは獣人喫茶での一件以来なのだから。



 時間を遡ること約一時間前。

 響はちょっとした勘違いにより領主の専属メイドであるサラと一触即発の窮地に陥っていた。一時は本気で死を覚悟した響だったが、ユニの登場により危機は脱した。

 しかし今度は庇っていた少女が領主であることが分かり、その直前に知らなかったとはいえ領主に対する中傷的な発言をしてしまっていたことにより本日二度目の窮地に陥ったのだ。

 そこで響の窮地を救ったのは他でもない領主様本人だった。

 彼女は響の失言に対して一切の咎めもせず、自分の専属メイドの不始末について謝罪までしてくれたのだ。さしものサラも渋々引き下がり、そこでこの騒動は一段落した、はずだったのだが……。


「まったく、この手の軟派者は貧弱なくせに口だけは達者で困ったものですね」


 納得しきっていなかったサラが去り際に吐き捨てたその言葉と蔑みの目が、響のちんけなプライドに火をつけてしまった。

 いつもなら何事もなく心の中で毒づく程度で済ませる響だが、この時はそうすることが出来なかった。

 男は惚れた女の前で良い所を見せたいもの。多少のいざこざはあったものの、彼女の前で侮辱されたまま引き下がるという考えが今の響には浮かばなかった。

 だからだろう。響は反射的に「そんなのやってみないと分かんないじゃないか」というぼやきを迂闊にもしてしまったのだ。

 しかし、それが失敗だった。

 寝不足で苛立ち気味のサラの耳はそのぼやきすら聞き流すことなく、響を睨みつける。だがすぐに小馬鹿にしたような態度になり「では、それを証明してもらいましょうか」と挑発的に返す。これでは売り言葉に買い言葉だ。

 ここまで来て今さら引けるわけもなく、響は力強く首肯し彼女の挑発に乗ることになってしまった。二人はそれ以上の言葉を交わすことなくじりじりと距離を詰め始める。この場合の照明とは言うまでもなく決闘のことだ。

 響は少しずつ距離が近づくサラの瞳に強烈な殺意を感じ、相手に悟られないように虚勢を張りながらも内心では半べそ状態だった。何故あそこで食い掛かってしまったのか、その後素直に逃げなかったのかと。

 しかし、もう逃げ場はない。どうあっても彼女の足は止められないだろう。

 二人がお互いの間合いに入り、喧騒で溢れるその場所が戦場と化そうとしていた。その時、領主様の鶴の一声が二人の間を鋭く引き裂いた。


「そこまでです! ここでは人々の邪魔になります。どうしても決闘をしたいのであれば我がノーマンス邸の中庭にて、王都武術闘技大会の規定に乗っ取り厳格なる試合を行うといいでしょう。無論アトワール現領主である私、ヴィオラ・クロリア・ノーマンスが立会人を務めます。それで異論はないですね? それとサラ、先程から少し無礼が過ぎますよ!」


 先程までとはまるで別人のような静かで厳かな女主人の叱責にサラは瞬時に背筋を正し、ヴィオラに続いて渋々頭を垂れた。

 だがそのサラの瞳の奥で爛々と輝く憤怒の炎を響は見逃さなかった。


 それから五人は人ごみを縫うように歩き、中央市場より外れた通りに止めてあった領主専用の馬車に乗り込む。馬車の側面には錫杖を握り、王冠を被った三つ目の鷲だか鷹の金のエンブレムが描かれていた。恐らくそれがこの街アトワールを統治する領主家の家紋のようなものなのだろう。

 領主邸はアトワールの中央市場から馬車で二十分ほどの小高い丘の上にあった。

 移動中の馬車内では響の隣にユニが座り、反対側ではヴィオラをサラとテオが挟むように座っているため、響の正面はサラになるのも仕方がない。だがこれから一矢報いてやろうと思っている相手と目的地に着くまで向き合っているのはかなり気まずさを感じてしまい、すっかり敵意も削がれてしまっていた。

 そんな時、響の視界には来るものを拒むような威圧感のある立派な白塗りの門が姿を現した。

 屋敷の周りには背丈が裕に三メートルを超える鉄柵が外周を囲っており、門はいかにも権力を主張するような壮大な佇まいで屋敷への期待が大きくなる一方で不安が膨れ上がる。

 門の両脇には甲冑を着た門番が槍を片手に仁王立ちで周囲を警戒している。 

 馬車が門の前で止まると特に社内の確認などはなく金属が擦れる低めの音と共に門が屋敷内に開き、主の帰還を暖かく迎え入れる。これも馬車のエンブレムによるものか。

 馬車に頭を垂れる門番たちの間を抜け、屋敷の中に入ると何故か馬車は森の中を進んでいた。

 屋敷内に森があるという光景に圧倒されつつも、木々が茂る道を数十秒で抜けるとそこには緑の苑が広がっていた。

 陽光を受ける若草色の茂みがそよ風に揺れる。情緒あふれるその様はヨーロッパの旅番組で見た古いお城の中庭に似ていると響は思った。

 そして、突如目の前に現れる洋風な館。大きさからしたらむしろお城の様でもあった。

「で、でかい……」

 響の驚きなど何処吹く風。馬車が屋敷の正面玄関に着くと、ヴィオラがサラとテオに耳打ちをする。響が疑問を抱く暇すらなく、サラとテオは主を残し屋敷の中に消える。

「大至急準備をさせておりますので、我々は先に裏庭に向かっておきましょう」

 そう言う屋敷の主の指示に従って響とユニは屋敷の庭園を館の裏手へと歩く。

 花壇の花は色鮮やかで、見たこともない種類の植物が目新しい。その間ユニも周囲の花々を見てはしゃいでいるあたり、どうやらこの世界でも珍しい花らしい。

 そして着いたのは屋敷の丁度裏手。そこには屋根の付いたオープンテラスがあった。そこには丸テーブルと椅子が四脚置かれている。

 周りを草花に囲まれたこんな所でお茶会でも開いたらさぞ気分が良いことだろう。

 さらに、その前には芝生のひらけた十メートル四方のスペースがあった。

「ここなら周囲に気を配る必要もありません。準備も整ったみたいですし、始めましょうか」

 ヴィオラの視線に釣られ響が後ろを振り返ると、サラとテオが歩いて来るところだった。

 サラは両手で一メートルはあろう酒樽を、テオはお盆に三組のティーセットを持っていた。

 ん……!? ティーセットはともかくとして、酒樽って……。

 響の不安をよそにテオはテラスのテーブルにお盆を置き、そそくさとお茶会の準備を始めた。動きは鈍いが手つきは手慣れたものだ。

 そしてサラは手に持っていた酒樽を響の前で地面に置く。いや、それは半分叩きつけたに近い。そして、淡々と告げる。

「さあ、お前の得物を選ぶといい」

 そう促され渋々酒樽を覗き込むと、そこには多種多様の木製の練習用と思しき武器が粗雑に詰め込まれていた。

 どうやらこの中から立ち合いで使う武器を選べということらしい。

 樽の中には一メートル程の木剣や三十センチ程度の短木剣。槍に槌、トンファーまである。響はその中から木剣を抜き取り、軽くその場で振ってみる。

 ちょっと重いな……。

 木刀と握った感覚はそんなに変わらないものの、刀身は少し幅があるためその分腕にかかる負担が大きい。木刀では一位樫などの軽い素材もあるが、もしかしたらこの木剣はかなり実戦向きで頑丈な素材を使っているのかもしれない。

「決まったか、では始めるとしよう」

 特に気負う仕草など見せず、響と距離を取るサラ。そこで響は違和感に気づき、低い声で指摘する。

「あんたは何も持っていないようだけど、まさか素手で闘おうってんじゃないだろうな?」

「そのつもりですが、何か」

「―――っ!?」

 あたかも当然であるかのように。

 その瞬間、響はようやく気付いた。彼女にとっては自分が対等どころか、立ち合いをする相手とすら見られていないのだと。つまり彼女はこの立ち合いを街のごみ掃除くらいにしか見てないのだろう。

 それを理解した時、先程までの弱音は何処へやら。

 響は心の中で決意を固くする。


 そういうことならやってやるさ……。この女、マジでぶっ殺す!!


 響はその憎悪を纏い、サラと一定の距離を取って木剣を構える。

 木剣を両手で握り剣先は相手の喉元に、剣道の中段の構えを取る。これは響が最も得意とする剣道で最もオーソドックスな構えだ。攻防に共にバランスが良く、隙も少ない。

 有段者でありながら一度も試合で勝ったことのない響のような弱者が勝機を見出すとするならこの構えしかない。

 つまり相手に攻撃の隙を与えず、手数で圧倒するという戦法。

 そこで立ち合い人を務めるこの屋敷の主ヴィオラが少し離れた所からこちらに声を飛ばす。

「ではこれより王都武術大会の規定に則り立ち合いを行います。いかなる理由があろうと殺傷行為、魔法の使用をここに禁じます。勝敗はどちらかが負けを認めるか、気を失った時点で決します。お互いを敬い、持てる力の全てを尽くし闘ってください。では―――――」

 その場に突如訪れる静寂。ヴィオラは二人を交互に見てタイミングを計っているようだ。

 先程まではほとんど聞こえなかった葉擦れの音や小鳥の囀り、衣擦れの音が急速に意識下に忍び込んで来る。

 緊張が頂点に達し、お互いの闘志がじりじりと空気を焼く。


「いざ尋常に、始め!!」


 沈黙を割くその声に反応しサラはゆっくりと、しかし確かに間合いを詰め始める。

 互いの距離は約二メートル。いざその気になれば二歩踏み込めば攻撃を当てる事が出来る間合い。しかし、今はそれが途方もなく遠く感じる。

 しかも、少しずつ間合いを詰められる度サラの圧力が格段に増している。少しでも気を抜けば響は後退してしまうだろう。

 だが奥歯を食いしばりその場に踏み止まる。引いたら負ける、そう思えたから。

 だが明らかに今この闘いの主導権を握り、場を支配しているのはサラだった。

 このままでは何も出来ずジリ貧になることは明白で、響もそのことはよく理解している。

 しかし踏み込むことが出来ない。それは相手に対する恐怖心から来るものだけではない。

 先程までは見下されていたことに怒り心頭だったため深く考えていなかった響だったが、冷静に考えるとこれは武器と素手の対決。つまり響にとっては体験したことのない奇怪な試合なのだ。

 剣道ではお互いが剣道着と袴を着用し、その上に面と胴、小手などの防具を装着した完全防備スタイルで闘う。さらに得物は材質によって多少の重さの差はあるにしても同じ長さの竹刀を使用する。

 つまり条件に限っては完全な対等なのだ。

 しかし、この決闘ではその限りではない。お互い防具の類は付けていないし、あろうことか木剣を握る響に対し相手は丸腰。

 いくら実力にアドバンテージがあると理解していても、響は丸腰の相手を前にして完全に臆してしまったのだ。

 怪我をさせることに対する恐怖心。

 中段に構えた木剣は完全に沈黙し、むしろ相手の攻撃を捌こうなどというスタンスに移行していることに響は気付かない。

 実力差のある場合はこの戦法は死筋であるはずなのに。

「―――っ!!」

 そこでサラは響の弱気を感じ取ったように地を蹴り、響に迫る。

 ちぃっ―――、防御が間に合わない……。

 そう判断した響は咄嗟に中段に構えていた木剣を額辺りまで掲げ、上段に構え直す。そしてサラが間合いに入ったことを確認するや否や、木剣を力一杯に振り下ろす。

 しかし、それは完全な失策だった。

 上段とは一般的に身長に利がある者が使う構えで、振り上げる必要がないため攻撃のモーションが少なくて済むという利点がある。そのため速攻性はあるが、大きな欠点もある。

 サラは急停止し、迫り来る木剣の腹目がけて右足を叩き込む。

 それにより剣線が逸れ、勢い余って木剣は地面を軽く抉る。すぐにその振動が腕に伝わり神経が軽く痺れたようになる。

「そんな……」

 呆気にとられる響に継ぎの攻撃が迫る。

 なんとかその間に木剣を滑り込ませることに成功するが、それは防御としてはあまりにも頼りなかった。

 次の瞬間、響は右脇腹に強い痛みを感じ後方に弾き飛ばされる。倒れ込むと背中を固い地面の感触が打ち、舞い上がる砂埃。何か鈍い音も聞こえた気がする。

「ぐあぁっ―――!」

 も、もしかして肋骨でもやったか……。

 響は嫌な思考を振り払いながら、横腹を押さえ立ち上がろうとして戦慄する。

 杖代わりに地面に突こうとした木剣が腹の中ほどで真っ二つに折れてしまっていたのだ。

 なんだよ、音の正体はこれか……。

 音の正体に安心しつつも焦りが加速する。折れた剣は木製ではあったが、ちょっとやそっとで折れるような軟な代物でなかったことは明らかだった。

 つまりそれほどにサラの繰り出した蹴りの威力が規格外だったということを物語っている。

 おいおい、マジかよ。冗談キツイって……。

 その時、響の闘志は完膚なきまでに打ち砕かれた。今響の胸中では目の前の女に対する恐怖心のみが渦巻いている。

 つまりこれは実質的な敗北宣告。白旗を上げた行為に相当する。

 その心中を見透かしたのか、サラは片膝をつく響に吐き捨てる。

「あれだけ大口を叩いてもう仕舞いですか? お嬢様の貴重なお時間を頂戴してまで設けていただいた決闘です。多少は粘るかと思えば、やはりこの体たらく。恥を知りなさい」

「……。」

 響は見下してくる女を必死に睨め付けるが、それは負け犬の遠吠え以下。

 もしここで体に鞭打って向かって行ったとして、武器は中破を超えている。まだ体は満足に動かせず、策も闘志も尽きた。

 もう勝算は微塵もありはしない。

 よく考えれば運動神経も良くなく、剣道部の時だって毎回補欠。マネージャーと間違われることも少なくなく、大会では雑用係同等の扱い。周りの同級生たちからも見下されていた。今のサラのように。

 そんな響にはこの大役はやはり重すぎたのだ。

 やめてしまおうか……。こんな状況だ、誰も文句なんか言わないだろう。いや、本当は皆それを待ち望んでいるに違いない。これ以上は時間の無駄だ。試合を終わらせるあの言葉を言ってしまえと。

 そう思い、響は立ち合い人であるこの屋敷の主人を見やる。

 本当は失望されていないか不安で見るのも躊躇われたが、そこくらいは真摯にすべきだろうと思い意を決する。

 しかし、響は自分の心配がいかに陳腐なものだったのかを思い知らされる。

 響が目を合わせた邸主ヴィオラは至極真剣な表情を湛え、この戦いの行方を見極めようとしている。

 その傍らに立つユニはむしろ逆。見ていられない状況にも幼さの色濃い顔に女神の様な微笑みを浮かべ、祈るようにこの決闘を見守っていた。失望や軽蔑などこれっぽっちもない、純真な瞳が僅かに揺れる。

 考えればすぐに分かることだが、彼女が無駄な諍いを好むはずがないのだ。それなのに何一つ文句も言わず、響にいらぬ心配をかけぬよう平静を装っている。


 何だよ。僕以外、誰も諦めてないじゃないか……。っていうかそんな目されたら、どんなに無理だと分かっていても、立ち上がらないといけないって気になっちゃうじゃんかよ……。


 そう自分に悪態をつきながらも、満身創痍の体に鞭打ちよろよろと立ち上がる。すぐに脇腹の痛みは鮮明に蘇り、顔が歪むが必死に取り繕う。

 そして、自分に言い聞かせる。まだやれる、まだやれると。

「ごめん。何か僕、まだ決心が足りなかったみたいだ……」

「何を言っているのです?」

 何のことか分からない様子のサラに、響は軽く微笑み断言する。

「今からは本気で行かせてもらう。手短に済ませないと、領主様に悪いしね」

 その言葉を挑発と捉えたサラは先程までとは一転し、目の色が深く気配が研ぎ澄まされた刃物のように鋭くなる。

 次臆したら、確実に死ぬ。

 でも、もうユニにあんな目をさせるわけにはいかない。

 響は抜けきっていない恐怖心を振り払うように半分になってしまった木剣を強く握りしめ、思い切り横真一文字に振り抜く。そして半身になり、木剣を中段に構える。ちなみにこれは剣道の構えではない。

 響が剣道をやっていた頃丁度やっていたアニメで主人公が振るう剣は型にははまらず、その臨機応変さから立ちはだかる敵を縦横無尽に立ち回り屠っていた。

 響もその姿に憧れ、部活から帰っては毎日のように庭で脳内でイメージした姿をいない相手に再現していた。もちろんそれは剣道で使えるような代物ではないので趣味の範囲内でだが。

 だからこそ今まで自分の中だけに仕舞ってきた。でも、もしそれが実戦で使ったならと考えなかった日はない。

 そして、そんな時があるとするならそれは今だ。

 お前も悔しいだろ……? せめて一発、一発はかましてやろうぜ。

 響は右手の木剣に語りかける。もちろん剣は喋らない。だが、きっと応えてくれる。何故か響はそう確信していた。

 響の構えを見て準備完了と見たのか、サラは先程よりも重い歩調で迫る。それを迎え撃つべく響は慎重にタイミングを測る。

 そして、彼女が間合いに入った。

 響の予想通りにサラは顔面目がけて右拳を繰り出してきた。響の顔目がけた渾身の正拳突き。風を切る音が聞こえ、まともに受ければ致命傷は免れないだろう。

 だがそこで響は一歩、一歩前に踏み出す。上体を落とし、懐に潜り込む。そして、

「くっ!!」

 相手の右脇腹目がけて全力の一閃。

 もちろん木剣では切れはしないが、多少なりとも負傷させることは出来るはず。そうすれば動きに隙が出来るかもしれない。手応えも確かにあった。

 しかし、そこで響は改めて思い知ることになる。目の前の彼女がどういう存在かということを。そして自分の考えが甘いということを。

「それが、それがなんだというのですかっ!!」

 直後先程とは比べ物にならない痛みが腹部を撃つ。そこで響はようやく自分が再び蹴られたのだと気づく。

「……ぐぅあぁ―――!!」

 その衝撃は凄まじく、浮遊感の後に何度地面を転がったのかもう分からないほどに吹き飛び、今倒れているのは砂地を抜けた草地。口の中はじゃりじゃりと不快で、傍から見たらボロ雑巾のようだろう。

 響自身渾身の一撃を御見舞したことでいい気になっていたのかもしれない。

 だがそれにしてもサラの反撃は早過ぎた。まるで一撃はくれてやるつもりだったかのように生まれた隙を的確に打ち抜いた。

 サラは至って冷静に告げる。

「どうせ寝不足で沸点が低くなっている私を挑発すれば理性を失い攻撃が単調になり、その分隙も大きくなる。だからそこに勝機を見出そうとする。凡人の浅はかな考えですね」

 その冷徹な声を微かに聞いていた響だが、既に立ち上がることだけでなく喋る事すらままならない状態だった。かろうじて息をするのでやっと。どうやら打ち所が悪く肺が圧迫されてしまったようだった。

 そんな響にサラは歩み寄る。土をしっかりと踏みしめ、迫る。

「まったく、少しくらいは楽しませてくれるかと思えば結局はこんなもの。もう手を下す気にもなれません。早く負けを認めなさい。お嬢様の前で無駄な殺生は出来かねますので」

 しかし響は何も言わない。もちろん身体的なダメージが大きいというのもあるが、もう退けないのだ。今退いてしまうということは数分前の自分を否定することになる。それだけは出来なかった。

 それを拒否と受け取ったのか、サラは溜息交じりに言う。

「そうですか。残念です。では貴方がどれくらい耐えるのかを試してみることにしましょう」

 サラに再び殺気の炎が灯る。

 おいおい、殺すのはなしだろ……。

 メイドドレスの上からでも比較的細身であることが分かるサラ。そんな身体の一体何処にそんな力があるのか、伸びたサラの左手が響のシャツの胸倉を掴み同じ目線まで吊り上げる。

 そして、サラは拳を振りかぶり――――。

 そこで響は目を瞑る。

 もっと強くなりたい……。こんな絶望的な状況を覆せる力が欲しい……。

 そこで誰かが息を呑む気配がした。

「…………。」

 しかし、いくら待てども響に拳が届かない。初めは焦らしているのかと思ったが、サラから殺気が消え、焦りの感情が左手を通して伝わってきた。そこで響は目を開ける。

 目を閉じていた時間は十秒にも満たない。だが状況は大きく変わっていた。

 立ち合い人であるヴィオラは変わらずこちらを見つめており、先程まで祈るようにこちらを見つめていたユニは右手を突き出した姿勢で静止。恐らくサラの発言を聞き精霊術で止めようとしたのだろう。

 そして攻撃をしようとしていたサラは右手を何者かに握られているようで、その何者かに目を見開いている。

「昼休憩で屋敷を出ている間に随分と物騒なことになっているじゃないか。詳しい事情は知らないが、ここは私の顔に免じてその拳を収めてはくれまいか」

 その声は荘厳であり温かみを孕んでいた。そしてその声の主を響は知っていた。

「何故止めるのですか!?」

「もしかしたらヴィオラやサラに不敬を働いてしまったかもしれないが、決して悪意から来たものではない。その者はこの街に来たばかりで常識に疎いのだ。それにその者は我が友なのだ」

 完全に納得したという訳ではなかったがそう聞いては反論できないと思ったのか、サラはゆっくりと響を地面に下ろす。

「すまないな、感謝する。それにしても酷くやられたようだな、ヒビキ」

 その声を聞き響は緊張から解き放たれ、地面にへたり込む。声の主は響の前まで歩み寄る。ブロンドヘアの髪が陽光に照らされ神々しく、着込んだ甲冑もギラギラとその凄みを一層に放つ。

「クレア……」

「数時間見ないうちに随分と老けたか?」

 冗談っぽい笑みを浮かべる女騎士は手を差し伸べ、響もそれに応じる。

「ヒビキさん、大丈夫ですか? 今すぐ治療を」

 場の緊張が緩むとそれまで行く末を見守っていたユニが響に駆け寄って来た。そして大きな損傷を受けた腹部にユニの掌が触れる。

「《大気に宿りし風の精霊よ、我の願いを聞き届けたまえ。我にこの者を癒す力を。癒しの風》」

 ユニの瞳に淡い緑の光が宿る。響がこれを見るのは二回目だった。幹部に熱を帯びた風が包み込む感覚。すると痛みがみるみる引いていく。所要時間は二分ほど。

「終わりました。まだ陽が高くて助かりました、もし暗くなっていたら精霊術は効力が激減してしまいますから」

 響は腹部や腕の擦り傷を触れる。確かに痛くない。

「す、凄い。あっという間に痛みが引いた」

 驚きを隠せずにいる響に少し申し訳なさそうにユニが言う。

「でも私は治癒術があまり得意ではないので、痛みは癒すことが出来ても傷そのものは治せないんです」

 これが応急処置だって? こんなの見せられたら現代医療の進歩がちっぽけに見えてしまう。鎮痛剤なんて目じゃないだろう。

 そんなやり取りを聞いていたのかヴィオラが歩み寄りながら提案する。

「では治療の続きは私が請け負いましょう。これも立ち合い人の務めです。テオ、ヒビキさんを私の部屋へお連れして下さい」

 その発言には納得がいかなかったらしく、サラが口を挟む。

「お嬢様、そのような者を屋敷に、それも自室に立ち入らせるなど―――――」

「サラ、少し頭を冷やしなさい!! 今日は夕方から近隣の領主との会合があります。それまで部屋で休んでいなさい」

「ですが……」

 反論しようとしてそこで言葉を呑み込む。その時、確かにヴィオラの瞳がサラを力強く見据えていた。

 その場で力なく一礼するとサラは屋敷へとぼとぼと消えて行く。

 その後ろ姿はとても寂しげで、つい数分前までの彼女は全く別の存在のように響は思った。

 もしかしたらその場にいた皆が思っていたのかもしれない。

 その姿を見せられては同情の一つもしてしまうが、あのまま続いていたら負けたのは間違いなく響の方。その時ばかりは響の中で複雑な感情が渦巻いていた。


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