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フラン












***











 体の痛みで目が覚めた。

 呻き声をあげて寝返りを打って、手が自由に動かない事に気付く。持ち上げて、柔らかなハンカチで拘束されている両腕を見て、それから天井を見上げた。きれいな装飾の天井だ。まるで金持ちの部屋のような。

「……っ!」

 金持ちという言葉で思い出した男の顔に勢いよく体を起き上がらせて、フランチェスカは上半身に走った激痛に息を詰まらせた。息を止めたまま衝撃をやり過ごす。左胸と肩に鋭い痛みがある。

 頭が混乱する。一体どうしてこんな事になっているのか。

 最後の記憶は、銃を構えるあのお喋りでいけ好かない変態大佐の顔だ。あの時確かに撃たれた。弾が当たった衝撃も痛みもあった。痛む箇所に触れる。しかし傷はないようだ。

 ベッドから足を下ろして辺りを見渡すと、部屋の中央にあるテーブルの上に見覚えのあるものを見つけた。ずっと昔、母親に作ってもらったポーチだ。

 フランチェスカという刺繍は、解けてほとんど読めなくなっている。

 近付いて、中から写真を取り出す。両親と、フランチェスカが写っている写真だ。それを額に当ててから、ポーチの中に戻した。

 ゆっくり歩を進める。歩くたびに左胸が痛む。扉に近付こうとして、そばの壁にかけてある姿見に自分の姿が写って、ぎくりと体を強張らせた。

 おずおずと覗き込む。少し乱れた髪の隙間から見える顔は青白い。いつの間にか着せられていた女物の寝間着のせいで、三年かけて体に染み付かせた男はもう跡形も残っていなかった。

 前手に縛られているおかげで、寝間着のボタンを外すのには支障はない。右肩には大きなガーゼが貼ってあり、じわりと血が滲み出していた。顔をしかめながら肩のガーゼを引き剥がす。これは銃創だ。動いたせいで開いてしまったようで、流れ出た血が寝間着を赤く染めた。

 胸には傷は見当たらないが、赤黒い大きな痣ができている。防弾の胸当てが命を救ってくれたようだ。

 鏡に額を押し付ける。

 あの男は、フランチェスカを殺そうとした。いいや、分からない。殺そうとしたのなら、胸当てが銃弾を阻み生きていると分かった時点で、頭に一発撃ち込めばいい話だ。

 それなのになぜ、死に損なった体はこんな所にいる。

 扉の外で物音がした。

 フランチェスカは全身を強張らせながら、動かない体を後ろへよろめかせる。

 鍵を開けるような音が鳴り止んで扉が開いて、顔を出したのはやはりあの男、クロードだった。

 彼はフランチェスカを見て、にこりと笑った。

「やっと起きたか。何だ、色っぽい格好してるな」

 手ではだけた胸元を隠し、彼を睨みつけながらさらに数歩後ずさる。

「あーあ、ガーゼ剥がして。貼り直してやるからベッドに座れ」

 手に持っていたアルミの箱を持ち上げながら彼はフランチェスカに近付いた。

「来るな!」

 威嚇の声を上げる。

「無理だよ。その格好でその怪我で、俺に敵うわけがないだろ。大人しくしてろ」

 背中に壁がぶつかる。窓は遠い。あっという間に目の前に立ったクロードが、ずれ落ちた寝間着から覗く胸の痣に触れた。

「痛い?」

「あんたが撃ったんだろ」

「すまなかった」

 呻るように言うと、クロードは随分とあっさり謝った。フランチェスカは顔をしかめる。

「王国軍に来るには、反乱軍にはお前は死んだと思わせた方がいいだろう? だから殺したふりをしようとしたんだ」

 少し考えて、ようやく合点がいった。そうだ。服を脱がせたクロードは、フランチェスカが防弾の胸当てをしている事を知っていたはずだ。それなのにあの近距離で頭ではなく胸を狙ったのは、初めから殺す気などなかったのだ。

 彼はあごをさすりながら、申し訳なさそうな声を出す。

「鎮圧用のゴム弾を使ったが、女は想像以上に脆いな。弾を受け止めた防弾衣が胸を圧迫して、肋骨に小さなヒビが入っているらしい。あと、胸部への強い衝撃で失神したようだ。肩の傷も合わせて全治一ヶ月。あまり動くな」

 一気に体から力が抜けた。その手を引かれ、ベッドに連れて行かれる。大人しくベッドの端に座ったフランチェスカの前髪に、クロードはそっと触れた。

「裏切られたと思った?」

 フランチェスカは頷きかけて、キッと彼を睨む。

「最初からあんたの事なんて信用してない」

 クロードは声を出して笑って、フランチェスカの寝間着に手をかけた。拒否の声も上げることができず縛られた手で遮ったが、強い力ですぐにのけられる。

「ガーゼを貼り直すだけだ。何もしない。それに、お前の体を拭いて着替えさせたのは誰だと思ってる。もう全部見たから諦めろ」

 唇を戦慄かせて何も言えないフランチェスカを尻目に、彼はアルミの薬箱を開けた。

 どうしてこう、土足でずかずかと入り込んでくるのか。物理的にも、精神的にも。

 クロードは流れ出た血を拭き取ってから薬を塗ってガーゼを貼り直した。彼の指がボタンを閉めかけて、少し止まってから外しだす。腹の辺りまで外されて、フランチェスカは慌てて声を上げた。

「何してるんだ馬鹿!」

「血が付いてるから着替えろ」

「自分でできる!」

「恥ずかしがらなくてもいいのに」

 今さら肌が見えないように手で隠すと、クロードは口の端を上げて笑った。戦場でも何度かこの笑みを見た。馬鹿にしているのかもしれない、いかがわしい事を考えているのかもしれない。この男の思考は全く理解できない。

 自分でボタンをはめ直して、深呼吸して怒りを収めた。

「……反乱軍は、私が死んだと思い込んでるのか?」

「そうだな。昨日の今日だから細かい情報は入ってきていないが、お前が殺されたというのは上手く伝わっているようだ」

 「そう」と呟いて目を伏せた。

 戸籍のないフランチェスカを雇ったのは反乱軍だけだった。メンバーの思想と相容れる事はなかったが、働いた分だけ、決して多くはなかったが報酬は支払われた。

 その反乱軍を、裏切ったのだ。

「……王国軍は」

「王国軍にもお前は死んだと伝えている」

 驚いて顔を上げる。

「腕がいいとは言え、元反乱軍を簡単に入隊させるほど軍は甘くない。お前には新しい経歴と戸籍をやる。そうだな……」

 クロードは手で顎をさすり、少し考えて顔を上げた。

「マデルナ国にいる俺の親戚筋ということにして、あっちで独学で銃の勉強をしたことにしよう。俺がその才能を見抜いてこちらに呼んだ……完璧だろ?」

 何とも簡単に言ってくれるものだ。クロードには地位も血筋も能力もある。大抵の事なら上手くやってのける自信があるのだろうが。

「……どうして私にそこまでするんだ。私は簡単に反乱軍を捨てた。王国軍のことも簡単に捨てるかもしれない」

 探るように問うと、クロードはフランチェスカの前に膝をついて、その顔を見上げてにやりと笑った。

「捨てられなくすればいいんだろ? 王国軍にお前の捨てられないものを作ればいい。例えば、俺とか」

「あんたやっぱり馬鹿なんだな」

 心の底から呆れて言ったが、クロードは笑ったままだった。

「何とでも言えばいいさ。俺は本気でお前を気に入ったんだよ、フランチェスカ」

 彼の体がずいと近付く。無意識にベッドの上で体を後退らせた。

「俺に惚れろ。傷物にした責任も取るよ」

 頬に触れようとした手を、戸惑いながら押し返す。分からない。一体何を考えて、どんな魂胆があってこんなことを言うのか、フランチェスカには全く分からなかった。それが恐ろしくてたまらない。

「触るな、この変態野郎……!」

「馬鹿はいいけど変態はやめてくれ」

 声を出して笑う彼を、もう睨みつけることすらできない。背中に壁が触れ、それだけで飛び上がるほど驚いた。逃げ道を探して左右に目を泳がせる。

「逃げられないぞ」

 クロードの笑いを含んだ声に、頭がぐらりと揺れた。思い出したくもない記憶が、ぐるぐる回る頭の中で鮮明に蘇る。

 父と母を殺した犯人の元から逃げ出して、小さな街の軍の詰め所に駆け込んだ時の事だ。助けてとすがる幼いフランチェスカに、彼らは一体何をしたか。この軍服を着た奴らに、こうやって追い詰められて、無理矢理に。

 「ひっ」と喉の奥で悲鳴が漏れた。恐怖で体が竦んで動けない。

 がたがたと震える体を見て、クロードは目を丸くした。彼はフランチェスカに伸ばしていた手を引いて、ベッドから降りる。

「すまない、フランチェスカ。少し意地悪が過ぎたな」

 このまま組み伏せられ、あの時と同じような目に合うと思っていた。恐怖を孕んだ目で見上げると、彼はさらに一歩足を引いた。

「怖がらなくてもいい。せめて十八まで手を出すのは待つさ。……いいや、お前の覚悟ができるまで我慢するよ。俺はお前に『痛い事』をした奴らとは、違う」

 どうして知っているんだと言いかけて、そして昨日の自白剤のことを思い出す。そんな事まで喋っていたと知って、顔に熱が集まるのが分かった。

「……お前に乱暴をしたのは軍人か?」

 たっぷり悩んで、小さく頷いた。クロードは「ふむ」と呟いて、おもむろに軍服のジャケットを脱ぎはじめる。

「軍服を着ていたら怖いだろう」

 ネクタイも外し装備の下がっているベルトも外し、それらをまとめて丸めてテーブルの下へ放り投げた。

「これで怖くないだろう? こっちにおいで」

 手が差し出される。

「大丈夫。少し……触るだけ」

 何ひとつ大丈夫な事なんてない。軍服より何より、彼自身が恐ろしいというのに。

 だってクロードの事は何も分からない。何も知らない。だから怖い。

 しかしこの手は――フランチェスカよりひと回り大きなこの手の事は知っている。両親を殺し、フランチェスカを絶望へ突き落とした奴らを殺してくれた手だ。その手を拒否する事はできない。

 ベッドの上を這って、彼に近付く。

 また頬に伸ばされた手を、まぶたを伏せて受け入れた。長い人差し指が頬をくすぐる。指が冷たいのではない。きっと頬が熱い。

 頬を額をまぶたを撫でて長い時間好き勝手した指が、髪を一束すくって絡め取った。

「どうして髪を伸ばしているんだ?」

 その問いに唇を噛む。

 女だと悟られるかもしれない危険を犯してでも髪を伸ばしていた理由。それはとても単純だ。

 一度男のように髪を短く切った時の、あの喪失感を恐れているからだ。

「……切るのが面倒くさかっただけ」

「本当に?」

 歯を食いしばる。この何もかも見透かしているぞと笑う顔が憎たらしい。分かっているのなら聞かなければいいのに、底意地が悪すぎる。

「お前が男として生きることを望んでいるならそうしてやろうと思っていたが、やめた」

 クロードはベッドに腰を下ろす。

「お前は捨てられない。女であることを。女としての幸せを欲している」

「何を……知ったように……」

 そんなことはないと何度も首を横に振る。その頬を掴んで、クロードは顔を近付けて笑う。

「俺が与えてやる。新しい人生も生きる場所も幸せも何もかも」

 嘘つきだ。どうせすぐに裏切る。気まぐれに優しくして、遊んで、飽きて、どうせすぐに捨てるんだ。

 そう、分かっているのに。

 拘束したままの手を持ち上げて指にキスをした彼を振りほどけない。

 後頭部を引き寄せられ彼の胸に閉じ込められても抵抗できない。

 力強い腕が背中を包み込む。

「この手から逃げられると思うな」

 その声がとてもとても、心地よかった。










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― 新着の感想 ―
[一言] 彼の手に囚われるまで。 のお話だったんですね。 楽しく読ませていただきました。 ぜひ、フランが甘えられるようになった時の2人を読んでみたいなぁと思いました。 ステキな作品でした。 あり…
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