第二十話 死者との電話のこと。
東日本大震災のあってすぐのこと。
後から解ったが、死者からの電話があった。
ソイツの名前は、菅野健人とでもしようか、一応同じサークルだった。
青海龍次と同じく、紅山瀬緒の舎弟というかそういう奴で、一応先輩なのに、名字をいじって『かのさん』と呼ぶ奴だった。
その手のとこで、瀬緒さんは有名らしいが、ソイツに口説かれてようと、私は年下なんだが。
私は、後述の理由から、たけにぃと呼んでた。
短い染めた金髪に日によく焼けた肌で冬でも薄着だった。
真冬にスタジャン着てると思ったら、中がランニングに長袖とは言えTシャツだけだったりなんてザラだ。 最寄り駅、正確には当時住んでいた西海公園駅―楓が丘駅―澄が丘駅(大学最寄り駅)が私の通学路だったんだが、彼は楓が丘に住んでて、バイク通学してたんだ。
んで、たまに楓が丘まで送ってもらってた。
サークルが週二回三回だったし。
だから、秋も深まるぐらいに、適当な理由をつけてコンビニで合わせて三千しないバイク用手袋と2wayマフラーをあげたりした。
瀬緒さんが、ラブの意味で私を在学中口説いてたのを抜いても、友人と言うよりも、弟妹扱いが妥当な関係だった。
まぁ、実際、妹が居たんだが。
私より、一年早く卒業していったが、瀬緒さんが先に逝った時も、地元から名古屋にすぐ来てくれた。
(ちなみに、地元の先輩のバイクショップに正式に就職したらしい)
青海さんにもそうだけど、どうにも、自殺するかと思われたらしい。
その後も時折、メールをして名古屋で待ち合わせて飯を食べるぐらいはした。
或いは、土産を互いに送りあったりした。
多分、後数年あったら、結婚式に呼ばれただろう。
地元の同級生に気になる人がいたらしい。
女子的に貰うと困るプレゼントは?なんて質問もされた。
――――でも、それは叶わない。
――――2011年3月11日午後2時46分の地震による津波が飲み込んでしまったから。
……死者からの電話の死者は、たけにぃからの電話のこと。
二回電話があって一回はこっちから掛けた。
一回目は、3月下旬、地震から10日ぐらいしてからだった。
心配だったが、電話も繋がらないだろうと焦ってた頃だ。
「おぅ、かのさん、俺だ、たけにぃだ。
こっちは大変だけどよ、一回連絡したんだ。
あんま、泣くなよ、ぶーになるぞ?」
そんな留守電。
いつも通りのたけにぃだった。
強いて言えば、「いつ連絡する」とかの未来の約束が無かったぐらいか?
掛け直したけど、「電波届かんから繋がらんわ」のメッセージだった。
同じ遠縁の親戚のは違うメッセージだったのは確定。
二回目は、後数日で4月の日だった。
とりとめの無い電話だった。
カワサキから出るバイクが良いんだが高くてな、とか。
それに対して、ホンダ党じゃなかったっけ? って返したり。
学食のカレーがコスパと味の面で最強だったよな! とか。
辛くない?CoCo壱か咲山(何度か行った今は無き個人喫茶店)が最強だろう? とか。
銀魂終わる終わる詐欺じゃね?とか。
ハンターハンターいつ終わるんだ、同時期開始のもうほぼないじゃんとか。
戦艦の擬人化ギャルゲーあったら買うのになぁ、とか。
まぁ、ベーコンレタスなあれなアレしか無いからね?とか。
(※この2年後ぐらいに艦これ配信開始)
(※戦艦(戦闘機)擬人化の一般流通書籍は、某ディープナイトなど幾つかのベーコンレタスのみ。他萌え辞典抜けば、ガチのみ)
モデルガンしかなくても、ルガーの ロングバレルはロマンだよな、とか。
本気に取り留めない会話だった。
前回の留守電同様に、未来の約束はなく、こちらもさせて貰えなかった。
こっちが寝落ちして電話を切る形になった。
死者からの電話だと分かったのは、それから数ヶ月後。
彼の妹からの電話だった。
梅雨の蒸す日だった。
「兄が死んだのが確認出来たので連絡しました。」
あの日の津波に呑まれたらしい。
遺体がかろうじて見つかったこと。
避難生活で連絡が遅れたこと。
ジャケットの防水ポケットにケータイがあり、データが残っていたこと。
「そっか、ありがとう。」
形としても、香典送ったし、数年後にはなったが、青海やサークルの同級生(正確には同期生)と墓参りに行った。
私は、彼からの電話が何故来たのか、それは墓参りの時に聞こえた声が答えだと思ってる。
――『なるべく、遅く来い』
たけにぃ、そこまで、私、後追いそうだった?
しばらくは、死ぬ気はないよ。
自分で生み出した登場人物を置いていくことはする気はないからね。
数十年は待っててくれ。
一応、死者との電話はこれともう一件なんだけども。
これの場合、悪意がない系統だったから本当に気づかなかった。
もう一件は、メリーさんに口裂け女の殺意を振りかけた感じのだったせいとも言う。




