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数時間後、僕は目を覚ました。
すぐそばで、クチナシが倒れている。
安らかな寝息が聞こえ、安心する。手もしっかりとつながれていた。
僕は体を横たえたままクチナシの寝顔を眺めつつ、起きるまで待つことにする。
一分も待たず、クチナシは目を開いた。
「おはよう、クチナシ」
「……翌檜……。うん、おはよう」
「うわぁ~。新婚夫婦の朝みたい~」
そこに割り込んでくる、第三者の声。
それは春紫苑さんの声だった。
考えてみたら当たり前だ。ここは春紫苑さんの部屋なのだから。
「わっ!」
「ぁぅ……」
慌てて手を離す。
僕は改めて部屋を見回してみた。
あれだけ突風が吹き荒れ、窓ガラスも割れ、部屋中ぐちゃぐちゃだったのに、今ではすっかりもとどおりに戻っている。
すべてが幻だった、というわけではないと思うけど……。
「デスト様が能力を使ったんだよ。有能な死神王だからな、それくらいはお茶の子さいさいだ」
疑問の答えは、辛酢が提示してくれた。
有能なわりに姫女苑さんには手出しできなかったじゃないか……とか、黒天使からお茶の子さいさいなんて言葉を聞くとは……とか、ツッコミどころだったかもしれない。
でも、そのツッコミは入れられなかった。なぜなら、
「ん……ふわぁ~……おはようございます……むにゃむにゃ……」
僕たちと同じく倒れていた姫女苑さんが、若干寝ぼけた様子ながら身を起こしたからだ。
「あら? わたくし、どうしてこんなところで寝ておりましたの?」
どうやら姫女苑さんは、黒いオーラに包まれ突風をまき散らしていたあいだのことは、なにも覚えていないようだった。
「覚えていなくて、よかったかもしれないね」
「うん、そうかも」
僕とクチナシの秘密が、知られなくて済んだということになるし。
「ちょっと、どういうことですの!? わたくしにも教えてくださいな!」
「ヒメヒメはいいのよ~。なにも知らないで、これまでどおり自分勝手で高慢で傲岸不遜に生きてれば~」
「粉雪さんまで、なんですの!? わけがわかりませんわ!」
姫女苑さんとしては釈然としないところだとは思うけど、春紫苑さんがいればうやむやにできそうな気がするな。
その春紫苑さんのほうは、いつもながらの穏やかな笑顔をさらしている。
もちろん声もいつもどおり。死神王デストの重い感じの声ではなく、ほんわかふんわりした声に戻っていた。
「ヒメヒメは可愛いから、そのまんまでいいってことよ~。なにも知らない純真無垢なままでいてほしいの~」
「ん~、なんだか引っかかる言い方ですわね……」
姫女苑さんはまだ眉をひそめている。
それを見た春紫苑さんが、こんなことを言い放った。
「納得してくれないと、臼実くんとキスしちゃうよ~?」
デストが乗り移っているときと同じくらい、顔を僕の至近距離にまで寄せながら。
「どうしてそうなるんだよ!?」「どうしてそうなるんですの!?」
僕と姫女苑さんのツッコの声がピッタリと重なる。
「あら~、意外と気が合ってるのかも~?」
「こ……粉雪さん、なにを言っておりますの!? まったくもう!」
続けられた春紫苑さんの言葉に、姫女苑さんはなぜだか顔を真っ赤にして焦りまくっていた。
僕のほうに目を向けていたクチナシが、なにやら頬を膨らまして微妙な顔をしていたのも謎だ。
「臼実くんは臼実くんで、そのままでいてね~。そのほうが、なんか面白そうだし~」
こんなことを言ってくる春紫苑さんもまた、僕にはよくわからない存在だった。
そこでふと、まだ死神王デストが春紫苑さんのふりをしているだけなのでは、といった可能性が頭をよぎる。
「春紫苑さんは……その、春紫苑さんだよね?」
「はぁ……。そりゃあ、あたしはあたしだけど~」
キョトンとした表情。おそらく演技ではないだろう。
だとすると、死神王デストは春紫苑さんの中から出ていった、ということだろうか?
思い浮かべた推論に、再び辛酢が答える。
「デスト様は、今でもあの女の中にいるみたいだな。なぜ離れないんだかは、オレにはわからんが。居心地がいいのかもしれん」
「なるほど」
ほんわか温かな印象の春紫苑さんだから、それはわからなくもないな、と思う僕だった。
☆
こうして、事態は収束した。
よくよく考えてみれば、当初の目的は果たせていないことになる。
だけど僕は、大きな達成感に満たされていた。
デストは語っていた。姫女苑さんが周囲にある負の思念を集めていたと。そのせいで死亡予定者が増えていたと。
暴走した状態の姫女苑さんの死を、クチナシが身をもって請け負い、能力を封じることもできたらしい。
根本的な解決まではできていない。
それでも、クチナシが死亡請負人としての役目を果たす頻度は、これ以降は格段に減るはずだ。
役目を解除することが絶対にできないのなら、現状では他に手段はなかったと言える。
合計七万四千回、子々孫々にわたって死を請け負い続ける。
その意味で考えれば、問題を先送りにしているだけにすぎないのかもしれない。
呪いが早く終われば痛い目に遭わなくて済んだはずのクチナシの遠い子孫にまで、過酷な役目を背負わせてしまう結果になる、とも考えられる。
だからといって、クチナシだけが数多くの使命をこなす必要性なんてない。
僕が痛みを半分引き受けられるにしても、それはたまたまであって、死の請け負い回数を増やしていい理由にはならない。
そうだな。クチナシの子孫に悪いと思うなら、ちょっとした方法を思いついた。
僕の子孫が、必ずクチナシの子孫のそばにいる状況を作り出せばいい、ということだ。
死亡請負人の役目は長女に引き継がれるって話だから、僕がクチナシと結婚して、男女ひとりずつ以上、子供を授かれば……。
そしてその後も、女の子孫と男の子孫が結婚してずっと一緒にいれば……。
……いや、それじゃあダメか。僕の代はいいとしても、その次の代で近親婚をすることになってしまう。
そもそも、さらっと考えたけど、僕がクチナシと結婚って……。
クチナシさえよければ、僕のほうは構わないけど……。
と……とにかく!
僕はずっと、クチナシのそばにいて、痛みを引き受け続ける。
僕の子孫も、クチナシの子孫のそばにいて、痛みを引き受け続ける。
僕の子孫が確実に能力を引き継ぐかどうかは、賭けでしかないけど。
とりあえずこれが、今考えうる、僕なりの最善の対処法だ。
☆
「そうだ、今日はお茶会のために集まってもらったのよね? すぐに用意するから、待っててね~」
なぜそういう結論に至ったのかは、よくわからないけど。
春紫苑さんのお言葉に甘え、そのあとはお茶会となり、僕たちは広い食卓で紅茶とお菓子類をたらふくいただいた。
散々お喋りし続けたあと、帰宅の途に就く。
なお、パジャマ姿だったクチナシには、春紫苑さんが洋服を貸してくれた。
春紫苑さんは「それ、全然着てないからあげるよ~」と言っていたけど、クチナシは洗って返すとの意見を曲げなかった。
相変わらず、意地っぱりな性格は健在のようだ。
姫女苑さんの家……というかお屋敷は、春紫苑さんのお屋敷の近所に存在している。
僕とクチナシは、姫女苑さんに別れを告げると、ふたりで歩き出した。
その際、僕は自然とクチナシの手を握っていた。
クチナシもそっと、僕の手を握り返してくれた。




