061 運命に踊らされる生者たち
石川とその妻美香は、高校時代に野球部で出会った。
部長とマネージャーという立場であった二人は、仲睦まじく共に支えあい、甲子園を目指し青春の汗を流した。
石川の野球への情熱は強く、就職の際も野球部のある職場を選び活動していた。そんな石川を美香は支え、試合の時はいつも応援に来ていた。
幸せな日々を送っていた二人。しかしその幸せは、突然幕を閉じることになる。
ある試合の日。
石川はサヨナラヒットを放ち、その日のヒーローになった。上機嫌で球場を後にし、妻や仲間たちと祝杯をあげようと盛り上がっていた。その時だった。
石川の目に、猛スピードで突っ込んでくる車が飛び込んできた。
石川は咄嗟に隣の美香を突き飛ばし、そのまま車にはねられた。
その後救急搬送された彼は、数日でこの世を去ったのだった。
改めて石川から話を聞き、夕子は胸が苦しくなった。
何ひとつとして、悪いことをしていない人が。幸せな日々を送り、その幸せがずっと続くと思っていた人が。ある日突然全てを奪われる。
どこにでもある、よくある悲劇。だが、どうして神様はこんな無慈悲な世界を造ったのだろう、そう思わずにはいられなかった。
石川の話がひと段落つくと、夕子は唇を噛み、小さく頭を下げた。そして気持ちを切り替え、石川に聞いた。
「それで石川さんは、どのような未練を持って戻ってこられたのでしょうか。お話を伺ってる限り、奥様のことだとは思うのですが」
その言葉に石川は微笑み、静かに首を振った。
「いえ……確かに妻のことは心残りです。ですが私の事故は、ある意味仕方のないことなんです。こういう形で別れることになって、寂しい思いをさせたと思います。ですがこれも運命なんだと受け入れてほしい、そう思ってます。それにあれから何年も経ちましたが、命日に事故現場で花を手向けてくれる姿を見て、そろそろ未来を見つめて生きてほしい、そう願ってます」
どこまでも穏やかで、優しい眼差し。そんな石川を見て、夕子の中に改めて、彼に対する敬意が芽生えた。
「それにこういうことは、言ってみればよくある話なんです。それくらいで迷うのなら、この世界はもっと死者であふれてると思いますよ」
「では石川さんは、一体どんな未練で」
夕子の言葉に寂し気な表情を浮かべ、石川が小さくうなずいた。
「……私をひいてしまった、加害者の男性のことです」
「え……」
その言葉に、夕子が思わず声を漏らした。
私は石川さんを信じてるし、優しく誠実な人だと知っている。その石川さんの口から今、加害者という言葉が出てきた。
信じたくないし、認めたくない。まさか石川さんは、その加害者の男性に邪な感情を持ち、この世界に戻ってきたとでも言うのだろうか。
しかし次の石川の言葉に、夕子はますます動揺した。
「実は僕には、生死の境を彷徨っていた時の記憶があるんです。幽体離脱、とでも言えばいいのでしょうか。ベッドに横たわっている自分、医師や看護師、そして妻を。病室の上からずっと俯瞰してました」
「……」
「医師や看護師が懸命に処置してくれている。妻は泣いている。でもその時、僕は思ってました。ありがとう、でもごめん。僕の命はもうすぐ終わるんだよって」
遠くを見つめるその視線が辛すぎて、夕子はうつむいた。
「そんなある時、妻が廊下で誰かと話している声が聞こえたんです。相手は加害者の男性の妻。彼女は目を真っ赤に腫らし、何度も何度も頭を下げていました。その時の妻はまだ事故のことを受け止め切れてなく、彼女の言葉にも冷たい社交辞令で返してました。その時既に、僕が助かりそうにないことを医師から聞いていたようで、混乱していたんだと思います。とてもじゃないですが、その方への配慮にまで気が回ってませんでした。
その時の妻の対応は、相手の奥さんにはかなりきついものだったと思います。その方はただただ頭を下げ、泣いてました。そしてその時」
そこで石川は言葉を切り、息を吐いた。
「彼女のご主人が、自ら命を絶ったことを告げられたんです」
「どういう……ことですか」
「事故を起こした後でその人、宮田誠人さんは警察から事情聴取を受けました。後から聞いたのですが、その日彼は体の不調を感じていたのですが、クレーム対応の為顧客先に向かったそうです。休日にも関わらず……そしてどうにか話をまとめ、その後家路を急いでいた時、突然胸が苦しくなり、意識が飛びそうになった。これはやばい、すぐ車を止めて休憩しよう、そう思い慌ててブレーキを踏んだのですが、誤ってアクセルを踏んでしまったようです。そして……気が付けば事故になっていたらしいのです」
「……」
誰だって、事故を起こしたくて起こしている訳じゃない。でも、世界にはこうした理不尽がいくつも散りばめられている、そう思った。
「警察から家に戻った彼は、僕が助かりそうにないという事実を告げられ、パニックになったそうです。どうしてあの時、今日は体調がすぐれない、誰か他の人に頼めないかと上司に言えなかったのだろう。どうして車で行ってしまったんだろう、そう言って泣いたそうです。そして……
次の日、首を吊って亡くなっている彼を、奥さんが見つけたんだそうです」
その言葉に、夕子の視界が真っ暗になった。息ができなくなった。
「結果だけを見れば、僕は彼の車にひかれて死んだ、そうなります。でも……あまりにも酷い結末じゃないですか。
彼も生きる為、懸命に仕事に勤しみ、そして奥さんと二人、仲睦まじく幸せに暮らしていたんです。それなのに、何ひとつ悪意がないにも関わらず、彼は僕の命を奪ってしまった。そしてその罪の重さに耐え切れず、自ら命を絶ってしまったんです」
そう言って涙で濡れる瞳で夕子を見つめ、唇を噛んだ。
「夕子さん。僕の未練は彼、宮田さんの墓に線香をあげ、あなたは何も悪くないんだと言ってあげたいということです。そして奥さんがこれ以上苦しまず、ご自分の人生を生きてほしいということなんです」




