アリスの想い
村に戻るとログインした時より更に活気が出ていた。オタリアに向かう前にブリーエに寄って依頼していた大工達が到着したようだ。
俺は邪魔にならないように村外れの方へと歩いていく。
何の気なしに歩いて行き着いたのは、ケイトの錬金術工房だった。
自分から拒絶しておいて、ここで会えたらとか思っているのだろうか。我ながら女々しい奴だ。
「はぁ……」
いっそ皆に嫌われれば、皆を傷つけることも無いんだろうか。
「兄様、大丈夫ですか?」
「うぉっ、あ、アリスか」
いつの間にか背後にアリスが立っていた。強行偵察に出ることもできるよう隠密行動もできるんだった。
「あの人に何かされましたか?」
「いや、逆だよ。彼女を泣かせて帰ってきた……」
転移する刹那に見せたケイトの事を少しこぼしてしまった。
「あの人がそんな簡単に引くとは思えませんが。兄様の気を引こうとする策を疑うほうが自然です」
妙にアリスが攻撃的で少し心配になる。
「何かあったのか?」
「命を救われて言うことではないのでしょうが、あの時の事です。あの人は『ぐふふっこれも関節キスになるわよね』と言いながら、私の唇を舐め回しながら濃厚に……」
言ってて思い出したのか、アリスは口元を拭う。
「おかげで朦朧としていた時の兄様の感触が、上書きされてしまいました」
悲しそうにこちらを見詰めてくる。
「兄様、あの人に心を許してはいけません。何か黒いモノを感じます」
「おいおい。それでもアリスを救ってくれた恩人なんだ。すっかり忘れてた俺にどうこう言う資格は無いよ」
恩義を感じながらも彼女に応える事もできない。こんな情けない男なんて、皆嫌いになればいいのに。
「兄様」
そう言いながらアリスが俺の両肩を掴む。ミュータント化して使えなかった筋力が戻り、今は俺よりも力強い。
「魔力を補給させてください」
「えっ!?」
俺が反応するよりも早く、アリスの唇が俺を塞ぐ。両肩を掴む手が異様に力んで爪が食い込んでくる。
ただそれを振り払う事もできないほど俺は狼狽していた。
「むむ、魔力が来ませんよ、兄様」
「そ、そりゃ、準備がなかっ……んぐっ」
再び口を塞がれる。このままだと延々とキスを繰り返されそうだ。
俺は改めて〈魔導技師〉の能力で体内の魔力を誘導し、口からアリスへと届けるように動かす。
「んっ、んんっ」
その流れを感じたアリスから少しくぐもった吐息が漏れる。しばらくそうして魔力を注ぎ込むと、アリスは唇を離した。
「兄様、我儘な私を嫌いになりましたか?」
「い、いや、驚いたけど、嫌うなんて。むしろ役得というか……」
顔を少し離したアリスの顔は真っ赤に染まっている。かなりの覚悟を持っての行動だったようだ。
「そういう事です、兄様。兄様は皆に手を出さなければ、誰かが傷つくこともないと思っていませんか?」
「そりゃ……そうだろう?」
「でも違うんです。皆が不満を持ったまま時間を過ごすことで、皆が傷ついているんです」
そんな事あるんだろうか。あるような気もする。
「そんな平等よりも、皆を喜ばせて平等にして下さい」
「え、そ、それは……」
「私は今、すごく幸せで、他の皆に悪いと思っています。この罪悪感から脱するには、兄様が他の人にも手を出してもらわないと」
そんな無茶苦茶な。
「特にシナリさんに。彼女は兄様の前では気丈に振る舞ってますが、姫様……ルフィア様の事で責任を感じておられます。早く解放してあげないと壊れそうです」
「そ、そんなに……か?」
「もう歯車は動き出したんです。あの人が図々しくも兄様を求めた時から。このままだと皆が傷ついて倒れます。救えるのは兄様だけ……」
言葉の途中でアリスの瞳が焦点を失い、肩を掴む手から力が抜ける。そのまま崩れ落ちそうになるアリスの身体を慌てて支えた。
どうやら魔力を補給した上に、感情の高ぶりやら緊張で、異常に魔力が活性化してのぼせてしまったようだ。
ひとまず胸をなでおろしながら、アリスを抱え上げアリスの部屋へと運ぶ。
アリスにもかなりの負担を掛けてしまっていたようだ。俺は皆を傷つけないつもりで皆を傷つけていたのか。
しかし、皆に手を出すとか、それもどうなんだ?
「あ、アトリーさ!?」
アリスの部屋から出てきた所で、シナリに会った。驚くように目を見開き、しばらく呆然としてから走り出そうとした。
俺は反射的にシナリを追う。アリスの部屋から出る所を見られた。それは単にのぼせた彼女を介抱しただけだが、シナリは完全に誤解しているだろう。
俺は全力で追いかけようとすると、シナリの方が足をもつれさせて転倒してしまった。
おかげで追いつくことができた。
「シナリ、大丈夫か」
「だ、大丈夫だ。アリスさは、アトリーさと仲が良いし、姫様さはもう居ないし、アリスさは美人で、あたしはもう……」
ブツブツと言葉を紡ぐシナリは、かなり壊れていた。俺が気づかなかったからか、放置してきたからか。
ブリーエ城でひどい目に合っただろう事は想像できていた。だから男の自分は下手に近づかない方がいいかと思っていた。
しかし、それじゃダメだった。
「シナリ、すまない。俺は全然分かってなかった」
俺はシナリの身体を強く抱きしめる。シナリの小柄で細い身体はガタガタと震えていた。
「シナリ、俺が間抜けだった。恨んでくれていいからなっ」
「あ、アトリーさはっ」
声をあげようとするシナリの唇を、やや乱暴に塞ぐ。見開かれた瞳には大粒の涙が浮かんでいた。
俺の胸を押すように手が動くが、しっかりと抱きとめて逃さない。
やがてシナリの震えが止まり、全身の力が抜けたのを感じて唇を離す。
ポロポロと涙をこぼすシナリの身体を抱え上げると、シナリの部屋へと運んでいった。
アリスの部屋からさほどの距離でもなく、他の誰かに見られることもなかった……はず。
大人しくなったシナリを寝台に横たえる。その頬に手を当て、涙を拭った。
「シナリ、俺は君に甘えすぎてた」
「そ、そんな事、ないだよ。あたしの方が、アトリーさに負担ばかりかけて……」
「さっきアリスに叱られてな。シナリに迷惑掛け過ぎだって」
「あ、アリスさが?」
「ルフィアの事は俺のせいだ。気にする必要はない……と言っても無理だろう?」
コクリとシナリは頷く。
「あたしが捕まってしまったせいで、姫様さ……」
「元はといえば、ブリーエ城は安心だと勝手に思い込んでいた俺が悪い……と言い始めても仕方ないとな」
アリスが言いたかったのは、そういうことだろう。誰のせいとか、失敗がどうだとか、そういう事では皆が傷つくだけ。
「ルフィアは死んでないし、俺も諦めるつもりはない」
「アトリーさ」
「でもルフィアを大事にするのと同じように、シナリも大事にする」
「えっ?」
「アリスも大事だし、リオンやケイトも。起きたばかりのルフィア姫も助けないとダメだな」
我ながら八方美人な物言いだな。ただ皆に嫌われないようにする所から、一歩踏み出す。
「今の俺には皆を大事に想う事しかできない。誰かに絞る事もできない、優柔不断な奴なんだ。だから愛想を尽かされても仕方ない、コレは俺の我儘だ」
そう言ってシナリの頬を撫でながら、顔を近づけていく。顔をそむけるようならすぐに止めるつもりだったが、シナリはそっと瞳を閉じた。
俺はそのままシナリに唇を重ねる。柔らかな感触をたっぷりと感じてから、軽くついばむようにして離れた。
「シナリも我儘を言っていいからな」
「アトリーさ……あたしも大事に想ってくれてるのは、伝わって来ただよ。だから、あまり無茶はしないでくんろ。慌てんでいいから、いつものアトリーさでいてくんろ。その、あ、あたしも、心の準備とか、あるだで」
顔を真っ赤に染めながら、服の合わせ目を掻き抱くように、腕を固めている。
「や、その、アリスにも魔力補給と言いながらキスしちゃったから、その、シナリにもしちゃっただけで、その先とかは、まだ、考えてないからっ」
慌てて早口に弁明すると、シナリが小さく吹き出した。
「ふふっ、それでこそアトリーさだで。でも、嬉しかっただよ」
「そう言って貰えるとこっちも嬉しいというか、なんというか。それじゃ、シナリ。あんまり無理して溜め込まずに、何でも俺に話してくれよ」
どうしても早口になるのを止められずに一気に言い置くと、俺はシナリの部屋を後にした。
そして、少し離れた廊下で座り込む。ナンパな野郎達は、どうやってこの恥ずかしさに耐えてるんだ。
ていうか、勢いでこんなになったけど、本当にいいのか!?
頭を抱えて転げ回りたい衝動に駆られるのを、頭皮に爪を立てるようにして堪える。
『人形差別じゃ!』
そんな声を聞いた気がして、俺は懐から宝珠を取り出す。
「もちろん、ルフィアも大事だからな」
囁く様に告げて、そっと唇を押し当てた。




