第4話 偏愛と純情の澱
「さて~、あなたには消えてもらいますぅ~」
「……出来ると思っているのかしら?」
マッドレス、アナ、テリアを囲むのは屈強な兵士たち。そのすべてが妖艶仙女の魅了を受け、死をも恐れぬ特攻兵士となっている。
「死に物狂いでやってみる? ただ、あなたには似合わないわね? 所詮はあなたも私と同類。自分の関係のないところで高みの見物を決め込んでいるだけなのだから…」
妖艶仙女としては純然たる事実を述べたつもりだった。
ただ、それに「…ぷっ」という小さな笑い声が上がる。
「……何がおかしいのかしら?」
妖艶仙女の問いかけの先、それはマッドレスではなく、魔導人形の完成形――テリアだった。
「いえいえ。何かがおかしかったわけではありませんよ?」
テリアは口に手を添え、見下すような視線を送る。
美しさで言えば、作られたテリアとドロップの力で限界まで高められた妖艶仙女はどちらも比べようのないほどだが本質が違う。
すべてを虜にする魔王と、手を出すことを躊躇わせる人形の美しさ。それがぶつかり、周囲の気温が一気に下がっていくのをアナは感じていた。
(あ~、美人同士が本気で険悪になるとこんな空気になるんだぁ…)
クロガネの眷属となってからたびたび目撃した実力者同士の睨み合いとも違う、居心地の悪さは危機的状況にあってアナを逆に落ち着かせた。
そんなアナの様子にテリアは気付きつつも緊張感を持てとは言わない。
立場的にはテリアは生み出された過程でクロガネの役に立つことを目的としていることもあり、メイド長と名乗っているが、それまではアナがメイド長をしていた。テリアは自分が役職を奪ってしまった先輩の顔を立てたのだった。
「だって、そうじゃありません? 我々は不死たる魔王クロガネの眷属。あの御方に仕える我々が死を恐れると思いますか?」
(いやっ、普通に死にたくないんですけどっ!?)
アナは内心でギョッとする。
そりゃあ、テリアは人形であり、厳密な死の定義からするとかけ離れた存在。彼女ならば死を恐れずに戦うだろうが、アナは生身の人間でしかない。
(陛下だって、自分のドロップがどんな風に変わったかまだ把握できてないって言ってたじゃん!)
ツッコミを入れたいが、ここでそんなことはないと言えば相手に有利な情報を与えるに等しい。アナはなんとか感情を表に出さずに堪え切って見せた。
「えっ? いや、普通に死ぬのは怖いけど?」
だが、どんな状況でも空気を読めない。いや、読まないマッドレスはアナの努力を踏み躙った。
「ちょっ――」
これにはアナも慌てて、止めようとするが既に遅い。
そもそも、マッドレスを止められる者など存在しない。
「――それに、あたしぃは眷属じゃありませんし~」
本当に、ポロッと。
なんでもないように衝撃の真実を告げた。
ただし、ここで衝撃を受けたのはアナたちではなく、妖艶仙女の方だった。
「な、なんですって…?」
妖艶仙女は信じられない者を見る目つきでイカれたマッドサイエンティストを見つめる。
「だって~、眷属になるって面倒臭くないですかぁ?」
マッドレスは混乱する魔王を尻目に、淡々と事実を伝える。
その後ろではアナが頭を押さえているのだが、彼女にとってそれは重要ではない。
「そもそも~、眷属にならないようにって言ったのはあなたたちじゃないですか~」
「それはっ…、そうだけど……!」
次々と自分たちに不利な情報をバラしていくマッドレスに、初めて妖艶仙女は劣勢に立たされた。
たしかに、マッドレスに対して眷属にならないようにと釘を刺しておいた。
これは、眷属になったことで彼女と接触していた情報が漏れるのを防ぐためだ。
マッドレス自身も実験が成功するかどうかもわからないのに、一つの場所に縛られるような真似を好む性質でもない。
利害が一致していたからこその条件。
しかし、今ではマッドレスは普段見せない怒気を露わにして対立していることからわかるように完璧に、もはや手の付けられないレベルで敵対している。
そうなれば勝率を上げるために利用できるモノは利用するのが当たり前。
マッドレスはとうの昔にクロガネの眷属になっているもの――少なくとも妖艶仙女はそう考えていた。
「話も飽きましたし~、始めましょうか~」
もしかしたら、マッドレスの狙いは妖艶仙女を困惑させることだったのかもしれない。
常に裏から操っていることに慣れ切っていた魔王は、自分が追い込まれることなど微塵も想像していない。だからこそ情報戦で追い詰めたのではないか?
この場にいる理性が働く者たちはそう思いたかった。
……そう感じている時点で違うとわかってはいても。
「――鬱陶しいっ!」
テリアは群がってくる男たちを薙ぎ払いつつ、手にこびりついた血を見て舌打ちする。
どれだけ仲間の血が流れようとも男たちは一向に動きを緩めない。
目の前で首が飛んでも構うことなく突進し、刃が飛んで来ても怯むことなく肉体で受け止め、足元に転がった死体を踏み付け、ひたすら攻撃を続ける。
ハッキリ言って異様な光景だった。
「〈アイス・アロー〉」
アナはテリアと違って敵を近付けないように戦い続けた。
魔法使いな彼女は接近戦に弱いということもあるが、それ以上にテリアが形成している凄惨な光景の中で正気を保てる気がしなかったからだ。
(…うぅ、いっそ燃やし尽くしたい)
ただ、見ないようにしていても視界に入る時は入る――例えば、首が宙を舞った瞬間など。さらに見ていなくても血のニオイが充満して、気分が悪くなってくる。
だから、炎の魔法を使いたいと思うが、味方がいてしかも室内。そんなところで炎を出せば被害は甚大だと我慢している。
もしも、この状況で炎魔法を使えば、アナは今度は焼け焦げたニオイで気分を悪くしたことだろう。
そんな状況にあっても、先程と変わらない存在もあった。
マッドレスと妖艶仙女は互いに触れられるか触れらないかの距離で、舌戦を繰り広げていた。
「そもそも~、あなたは一体何をしたいのですぅ?」
「それはこちらのセリフよ。魔王の眷属でもないあなたが戦う理由があるとは思えないけど?」
舌戦というよりも世間話のような内容。
ただ、その中でも怒号や武器が飛び交い人が倒れていく。
「あなた、人間をなんとも思ってないでしょう?」
妖艶仙女は確信を持っていた。
自分と彼女の差を認識していたからだ。
妖艶仙女も倒れた兵士たちを道具としか考えていない。それは長い間の経験によって克服したからだ。
だが、マッドレスは自分とは違う。
マッドレスは初めから人間に興味がないように見える。足元に倒れた死体を一瞥することなく避けるのは道端に転がっている石を避けるように自然で無駄がない。つい先ほどまで生きていた存在に対する興味を持っていないからこその反応。
「たしかに~そうですね。あたしぃ~は人間を実験道具としか見てないですぅ~」
僅かな動揺も見せない様子は、魔王でなければうすら寒さを感じさせる。
「でも、たまに関心を持ったりもするんですよ~」
そう言いつつ、マッドレスは白衣に仕込んでいた武器を放ち迫り来る敵を串刺しにしていく。
「ただ~、コレはゴミでしょう?」
コレとは転がった兵士たちのこと。
「…そうね。それには意思も何もない。私の命令に従うだけの人形よ」
ゴミ扱いされても兵士たちは何も感じない。
彼らにも家族があり、大切な人がいたはずなのに…。今の彼らにあるのはただ魔王の役に立つということだけ。命令を聞き、それに応えることだけが彼らの本懐。
「むぅ~! その言い方はないんじゃないですか!!」
聞かれたから答えただけなのに、ぷんぷんと怒りを顕わにするマッドレス。それを見て、妖艶仙女はキョトンと首を傾げた。
彼女が怒るポイントが見つからなかったのだ。
「人形だなんて…! 人形に失礼でしょうっ!!」
「きゃっ!!」
「――テリアさん!?」
突如可愛らしい悲鳴を上げて、バランスを崩したテリア。
一体何ごと!?とアナが振り向くと尻餅をついているメイドの姿があった。
「どうしたんですかっ?」
まさかやられたのか?それにしてはおかしい。
助けに行くべきかどうするべきか迷ってしまうたが、テリアは何事もなかったようにすくっと立ち上がり、服に着いた泥を落としていく。
「……失礼しました」
「…いや、別にそれはいいですけど……」
深々とお辞儀をして、心配無用とアピールしてくるテリアだったが、その最中にも敵は襲いかかっている。アナはどう対応すべきか…。
「少し、寒気というかツッコまなければいけないような気持ちに駆られまして……」
「……なんですか、それ?」
もう呆れて物も言えない。
「ぷっ! アハハハッ! 何!? それじゃなくて人形の方に重点置くの?」
あまりにも突拍子のない返しに笑いが堪え切れない。
「やっぱり、あんたはこっち側の人間じゃない?」
――魔王は桃色の息を吹きかけた。
「? ん~? なにそれ~」
「私のドロップは魅了。だけどね、垂れ流しにしているわけじゃないの」
垂れ流しにしてたら、いらない虫どもも寄って来ちゃうでしょう?
彼女の息を吸うと、頭が朦朧としてくる。
「…これは」
「言ったでしょう? 魅了の力だって。だけど、なかなか効かないわね。普通は一息吸っただけで絶対服従のワンちゃんになっちゃうのに」
「あたしぃ…は、そんなことには、ならな、いですぅ……」
「――そう? 私に魅了できない相手なんてこの世には存在しないのよ! だって、美しいモノには惹かれ、そして常に傍にありたいと思うものでしょう?」
「昔話をしてあげるわ」
「むかし、私がまだ幼かった頃。その頃から私の周りには常に人がいた」
毎日、毎日、毎日。
多くの人が彼女の周りに集まり、称えた。
「欲しいモノは何でも手に入った。気に食わない存在はすべて排除した」
歪んだ少女だった。
少女は親がいない。
正確には父親がおらず、母親は父親に捨てられた原因を娘の所為だと八つ当たりするような人物だった。だから、彼女の傍若無人な振る舞いを正す者はいなかった。
周囲の人間からすれば、同情から構っていただけだったが幼い子どもにその機微はわからない。
いずれは親が躾けるだろうと、放置されて助長していく。
「そんなある日、私は最も欲しいモノを見つけたの」
ある日、彼女の下に一人の男性が尋ねて来た。
「それこそが、前教皇であり、我が最愛の父ファウストだったわ」
ファウストは目的のために旅に出ていたこと、黙って出て行ったことを母に侘び共に暮らそうと促した。母親は初めこそ、言葉を荒げ反抗的な態度を取っていたが、すぐに収まり娘が見たことのないような笑みを浮かべていた。
『――君が、私の娘だね?』
ファウストはそう言って、少女を優しく抱き上げた。
少女は今まで感じたことのない幸福を覚え、ずっと続けばいいと思った。
しかし、父親は仕事があるからと数日後には彼女のもとを離れることになった。
『いやっ! いかないでっ! 私も連れて行って!!』
幼い子どもがこういうのは仕方がないことだ。
少女は母親に縋るような目を向けるが、あれだけ父親に恋焦がれていた彼女は平然としていた。それがやるせなくて、少女は願った。
『――私をみて』
「奇しくもドロップがまだ現れていなかった私の力は魅了のものへと変わった。……ただ、お父様だけは魅了出来なかった」
母親が自分の言うことを聞いて父親を留めようとし、周囲にいた人間も父親を止めようとしていた。だが、父親だけはほんの少し驚いたような表情を浮かべただけだった。
「お父様は、『さすがは私の娘だ。お前ならば、私の望みを叶えてくれるだろう』とおっしゃってやろうとしていることを話してくれたわ」
それから、ずっと少女は力を使い続けた。
やがて、魔王として認定されても力を使い続け、いつの間にか少女は妖艶仙女と呼ばれるようになっていた。
「お父様が望むことを叶えるために私がいて、それ以外の価値はない。私はお父様のためにだけ生きているの。これほどの純愛にあなたは抗えるのかしら?」
「ふんっ! 笑わせるんじゃないよ…」
うっとりとした妖艶仙女に、マッドレスは額に汗を浮かべながら無理やりに口角を上げ笑みを作る。
「愛なんて言うのは、最も愚かし感情だ。制御できないだけならばいいが、それは人を狂わせる。だから、あたしぃは愛なんて信じません~。――愛は、自分で改造して作り上げることで価値があるんですぅ!」
「……悲しいわね。では、あなた以外から崩していきましょう」
可哀想なモノを見るような目を向ける魔王も、自分で作る物こそが愛だと語るマッドサイエンティストもどちらの眼も底が見えないほどに濁っていた。
魔王は胸の谷間に指を突っ込み、そこからピンク色のドロドロした液体の入った瓶を取り出した。
「これは私のドロップを濃縮し、液体状にしたもの。香水のように身に纏えば劣化版の魅了ドロップが使えるようになるわ」
「ドロップを他人に分け与える? そんなことが…」
「可能なのよ。これのおかげで私は領地を出ずに色々なところに支配を広げることが出来たわ。…そうそう。あなたたちが保護したあのシスター。あれを騙くらかしたヨーファンの分身にも与えていた力よ」
「効果は絶大。防ぐことは不可能。そこで大切な人形が奪われる様を見ているといいわ」
「――アナっ! 危ないっ!!」
テリアは咄嗟に動いていた。
アナは魔法を使い過ぎ、あと少しで魔力切れを起こそうというところ。
襲いかかってくる男たちの数を裁くのは不可能と考えてのことだった。
それに、テリアに襲いかかっていた男たちが急にアナの方へ転身したのを見て、嫌な予感も覚えたのだ。
だが、それは罠だったと悟るのは男たちがにやりとした瞬間だった。
「――キャアアアアッ!!」
テリアはピンク色の液体を四方八方から浴びせかけられ、体が溶けるような熱さを感じた。
「テリアァァァッ!!」
遠くから、聞こえる造物主の声。それを聞きながらゆっくりを瞼を閉じていく。
1話で終わるはずが終わりませんでした。また後日投稿します。




