第3話 勇者の道、外道の道
「せやあああっ!」
「……ふんっ!」
イリスの剣とファントムの石板。両者がぶつかり、激しい衝撃が周囲の空気を震撼させる。
「……いいのか?」
ファントムは問う。
「いいさっ!」
問いの意味を知り、ファントムの意図は知らない。
それでもイリスは疑わない。
彼女はライオン・ハートの持ち主にして、最も神託を授かるに相応しい勇者。
「ならば、絶望を知れ――」
(――来るっ!)
石板から流れ出る嫌な気配。それを感じたイリスは咄嗟に身構える。
「――奪え」
短い言葉。それだけで、全身を襲う疲労感と脱力感に堪らず膝を着きそうになる。
「負、けるかぁああっ…!」
「脆いな。それが勇者の姿か?」
「ッアアアアア!!」
腰を落とす形になったイリスの顔面をファントムの右足が正確に捉え、その衝撃でイリスは後方へ吹き飛ばされる。
「チィィィッ!」
飛ばされながらも体勢を整えるイリスは改めてファントムの持つ石板の厄介さを認識した。
ガガレオにファントムの話を聞いてはいたが、彼の持つ石板の能力まで聞く時間は残念ながらなかった。ならば、手段としては幻影の本体――ヨーファンの現役時代を知る者に話を聞く必要があった。
ヨーファンの現役時代を知っていて、生きている者。なおかつ、ヨーファンの術中にない者となると数は限られてくる。
それこそ教会関係者はほぼ全員がヨーファンの手の中。
ガガレオのように独自で動いている者もいるだろうが、敵対している者に秘密を握らせるほど敵も甘くないだろう。
だからこそ、イリスはあえて敵の敵を選んだ。
――そう。勇者の敵にして、世界の災害…魔王を。
クロガネと行動を共にし、魔王連盟にも協力するという以前のイリスだったら絶対に行わない行動を取りつつ、辛抱強く情報を探し、ある日ついにそれを見つけた。
それはかつてヨーファンによって倒された魔王の墓碑。そこに刻まれた一文にあった言葉。
『――偉大なる魔王は、力を奪われてなお世界に抗った』
これは魔王の孫にあたる人物が魔王の死後、半世紀以上経ってから新たに刻んだとされる文言。ヨーファンが魔王を倒した際には生まれてすらおらず、刻む頃には勇者を引退している時期。まさに、天の采配と呼ぶに相応しい奇跡的な偶然によって最も必要とする人物へと届けられたラストメッセージだった。
おそらく、ドロップによって先祖の過去を知った者からの餞別は今の時代へ繋がる貴重な手がかり。
その文言を見た時、イリスはファントムとの初戦闘を思い出した。
魔王クロガネ――その憑代であるブリキッドが破壊された瞬間を。
もしも、文言が真実だというのならば石板の能力は想像に難くない。
「行くぞっ!」
イリスは駆ける。
自身の持てる最高の速度――足の震えにより、普段のそれよりも遥かに劣る速度。しかし、決して緩めず全速力でファントムへと剣を突き立てる。
「……ッ!?」
「まだまだぁああ!!」
石板でガードするファントムの動揺が石板にぶつかった剣先から、刀身を通じて手に、そして全身へと伝わる。
その震えを叱咤とし、両の手に持つ剣を交互に突き出していく。
「ダッ、ダッ、ダッ、ダアアアアッ……!」
休むことなく突き出される、突打の猛攻にファントムは堪らず、後ずさる。
「退かさんっ!」
下がった分以上に詰めようと前へ飛び出した勇者に、ファントムは両の手で石板を構えた。
「……お前の、その根性は認めてやろう。だが、これまでだ」
一瞬。
時間にすれば数秒にすら満たない時の狭間に投げかけられた言葉は、たしかにイリスの耳へと届いた。
それは敗北の迫る人間の言葉などではなく、絶対的な自信に満ち溢れた勝者の言葉。いや、強者の口にするそれは言葉を通り越して、言霊へと変わる。
「――忘れろ。すべてを」
ファントムの言葉で、イリスは黒い光に飲み込まれた。
「どうもぉ~。お久しぶりです~」
「……あら? あなたがここへ来るとは思っていませんでしたよ」
妖艶仙女は間延びした声の少女を視認し、僅かに困惑した。
ここは言うなれば最終決戦の場。
事実、この戦いの決着次第で世界がどう動くかが決定すると言っても過言ではない。そんな場所に来るには彼女は相応しくない。
マッドレスは戦士ではないのだから。
いや、それは妖艶仙女も同様。
彼女も戦士ではない。彼女は魔王であり、扇動家だ。つまりは策士の分類であり、軍師ではない彼女は戦場には入らない。
この場にいるのは見届けるため。
それも自分だけは安全なようにしている。
だからこそ解せない。
目の前の少女は元から頭がおかしかった。自分が魅了するまでもなく、欲望のためならば手段を厭わず、平然と誰かを利用し、自分を利用されることを受け入れる。そんな少女だった。
その彼女が我が身の危険を顧みずに来る理由が思い当たらない。
「この間は~、お世話にぃ~なりましたぁ~」
マッドレスは世間話をするようにどんどん距離を詰めていく。
別に近付いてどうこうしようとしているわけではなく、声を張り上げるのが面倒だからだ。それは妖艶仙女も同様。彼女の場合は声を張り上げたことなどないから離れていると良く聞こえない。
マッドレスに比べれば凛とした声なので響きはするが、普段通りの声量は開いた距離の前では意味をなさないものだ。
「魔王さんを~、紹介してもらったことは~感謝してますぅ~」
ようやく正面に辿り着いたマッドレスはまず、深々と頭を下げて感謝をした。
ひとえに自分の欲望を満たすためにクロガネに紹介してくれたことへ。
マッドレスは元々風来の研究者。
誰かに雇われることをよしとせず、常に自分の研究だけを優先してきた。
その考え方から研究者仲間からは異端とされ、主要な学術都市の出入りや貴重な文献の閲覧は禁止されてきた。
だが、世界に変わり者は想像以上に多く、密かに協力者を得てはやりたい研究をやり尽くしていった。そんな中で次の目標として上げたのが、魔導人形の開発。
ただ、それには課題が多くどうしたものかと迷っていたところに、現れたのが妖艶仙女の配下だった。
こうして教皇ヨーファンの意図を受け、マッドレスはクロガネに対するスパイのような扱いで送り込まれる。まあ、彼女がそれを理解していたか、理解していても忠実だったかどうかはほぼ言うまでもないこと。
ヨーファンとしてもある程度の情報が入ればそれでよく、さらには彼女の開発した人形を利用することで結果的にクロガネを巻きこめたのでよしとしていたところがある。
クロガネを巻き込んだ理由としては、特に大したものはない。
強いてあげるなら、魔王連盟にもう少し戦力が欲しかったということとダイアナがクロガネの担当者だったということだろう。
だから、互いの利益は一致していた。
そのことをマッドレスも怨んじゃいない。結果的に彼女の研究はヨーファンたちのおかげで大幅に進展したし、さらなる希望も出来た。
ただ一点を除いては。
「あなたが~、殺した…あたしぃ~の息子の仇を取りますぅ~」
そう、他の何が許せても自分の努力の結晶である、ブリキッドを妖艶仙女が破壊したことだけは許せなかった。
「……息子? 私が壊したのはただの人形でしょう?」
訳の分からないということを言うマッドレスに彼女は冷笑を向ける。
「人形遊びをしていて心が壊れましたか? そんな狂人を相手にするつもりはありませんのでお引き取り願います」
パチンと指を鳴らすとぞろぞろと姿を現す屈強な兵士たち。
全員の瞳がドロドロと濁っており、どう見ても正常ではなかった。
「――やっておしまい」
たった一言で襲いかかってくる男たち。
しかし、彼らはマッドレスの手前で壁にぶつかったようにひっくり返っていった。
「やらせません!」
「……博士が息子というのは癪ですが、私にとっては弟。仇を取ります」
マッドレスを守るようにアナとテリアが並び立っていた。
「さ~て、あたしぃ~とあなた~どちらが上か…試してみますぅ?」
「――舐められたものね」
二つ名に相応しく妖艶な所作で歩き出した魔王の先では次々と男たちが肩を組んだりして階段が出来上がる。その頂点に立った妖艶仙女はマッドレスたちを見下ろしながら、艶やかに微笑んだ。
「――支配者としての器を見せてあげるわ」
人を人と思わない魔王と研究者。
似た者同士の女の戦い。その火蓋が切って落とされた。
――巻き込まれた者たちは不幸しかない。




