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第6話 昔日を映す

「……もうどれほどの時間が経ったのかしら」

 教皇と見知らぬ男に捕まり、しばらく気を失っていて気が付いたらここにいた。

 場所がどこかもわからぬ暗い牢屋の中に。

 唯一の窓から見える空は高く、魔法を封じられていなければ今すぐにでも飛び出して行きたいとさえ願う。だが、それは出来ない。

 閉じ込められてから色々なことを考えた。

 教皇の思惑、殺されない理由それに〈鷹の眼〉が見破られた理由――。

(今までは、発動を見せた相手にしか破れないと思っていたけど……実は違ったってことなのかしら?)

 自分の知らない何らかの条件があるのか?

 ダイアナは考えるが、よくわからなかった。


 そして、今のダイアナにはそれ以上に気にかかることもあった。

「フェルナンド、あなた……どこで何をしているの?」

 もしも、教皇の下でのダイアナの行動をフェルナンドが承知していたとしたら…、何度もそう考えてはあり得ないと否定する。

 フェルナンドはダイアナが子どもの頃から唯一心から信頼してきた人物。それは彼が教会まで追いかけてきてくれたことから来るものではなく、幼馴染として婚約者として共に培ってきた人生から得たかけがえのないもの。

 今更、フェルナンドがダイアナを裏切るなんて思えない。

 だとしたらフェルナンドは騙されていることになる。

(……それでも、おかしい)

 騙されているのだとしても、教皇に捕まるまでの間に一度も便りを寄越さなかったのは何故なのか?

 普通に考えれば、ダイアナを縛り付けておきたい教皇がそれを握りつぶしたと考えるべきだろう。暗い中に閉じ込められ、幾度も責め立てられた心身は既に限界を迎えようとしている。

 今のダイアナには縋る物が必要だった。


「フェルナンドとこんなに長い間顔を合わせないなんて、あの時以来かしら…」

 暗い想いはダイアナの最悪の記憶へと続く扉をゆっくり押し開いていく。




 ――あれはダイアナの両親が健在だった頃。

 つまりはダイアナとフェルナンドがただの純粋な婚約者であった頃。


 二人は身分なども近い貴族の子息令嬢としての日々を過ごしていた。

 ダイアナの父が領主でフェルナンドの家はそこに属する貴族。一見すると上下関係だが、両親も子どもたちも対等な関係を築いてた。

『ダイアナ! 今日は行商人が来るらしいんだ!』

『ほんとうっ!? じゃあ、お母様に言って街に出かけましょう!』

 思い出せばこの時は本当に純粋な子どもだったと苦笑が浮かぶほどに、平穏な日々があり続けることを疑っていなかった。

 フェルナンドとは常にどこに行くのも一緒だった。

 ただ、彼は昔からああだった――まあ、人に好かれていたので少々今よりはいい関係だったかもしれない。


『あ~! フェルだっ!』

『ほんとだっ!』

 街に出かけると、フェルナンドは一斉に囲まれることがあった。

 身分なんてものは子どもの内は関係ない。だから、平等に…。それが父の教えだった。それでも、仲の良い人間が他人に取られるのは面白くない。

 ダイアナはフェルナンドが囲まれる度に頬を膨らまして追い払っていた。

「……恥ずかしいわね。というか、あれってもしかしてからかわれいたのかしら?」

 父の教えと貴族たらんとする意思がよく肩肘を張らせていたダイアナはフェルナンドにからかわれていたものだ。おそらく純粋に接してくれていた友人たちでも、思い返すとからかいの色が濃かったような気がしてならない。


 そこまで思い出して、何かを堪えるように俯く。

 そうしていないと感情の発露を抑えられそうになかったから。

「――皆、皆…死んでしまった」

 あの事件で生き残ったのはダイアナ一人。それ以外のすべての人間はあの時、息絶えてしまっている。すべての始まりにしてダイアナの憎悪の根源となる記憶の日に。


『引越し!?』

『……うん』

 事件が起こる数か月前。フェルナンドから突如そう告げられた。

『どうしてっ!? だって、私たち――』

 親同士も承諾の上で将来を誓い合った関係――幼心に自分たちも望んでいた関係を築いていたはずだった。それがこんな形で引き裂かれるなんて…!

『少し外国で事業をして、すぐに戻って来るって話だよ。だから安心して?』

 この時、ダイアナはフェルナンドと離ればなれになるショックで話を聞ける状態ではなかった。

 だから、フェルナンドが何か言っているということは理解できていたが感情を抑えることは出来なかった。

 ――パンッ!

 気付いた時には手を挙げてしまっていた。

 手に残るジンジンする感触と、フェルナンドの頬の赤みを見てようやく自分が何をしたのかを理解した。

『っ…!?』

『ダイアナっ!』

 何かを言いたげに伸ばされたフェルナンドの手を逃れ、背を向けて走り出す。

 背後からフェルナンドの声が聞こえるが振り返る勇気はなかった。

 それ以降、ダイアナは引きこもりがちになり、フェルナンドが出立する日も理由を付けて見送ることはなかった。


「……あれが、初めてのフェルナンドと会わない日々の始まりだったわね」

 失うことに慣れていない少女の必死の抵抗のつもりだった。我儘だとわかってはいても、あの時芽生えた感情をどう扱えばいいのかわからなかった。




 フェルナンドがダイアナの下を去ってから三か月。

 その日が来た。

『……はぁ』

 フェルナンドと最悪の別れをしてからというもの、ダイアナは外出する機会も減り一人でいることが多くなった。フェルナンドと共に廻った場所へ行く勇気もなく、ただただ毎日のように同じ場所を行ったり来たり。

 朝から夕方まで一人でぽつんと過ごし、隣にない温もりを探していた。

『……帰ろう』

 赤い光を視界の端に捉え、もうそんな時間かと立ち上げる。

 しかし、立ち上がって見てから気付いた。空はまだ青かったということに。

『…………えっ?』

 どうして?

 そんな思いが先に来るほど異様な光景をダイアナは目撃した。

 街の方から上がる黒煙と火の手だ。

 夕日だと思っていたのは、実は炎だったのだ。


『――はぁ、はぁっ…、お父様っ! お母様っ!!』

 街が危ない――そのことを伝えるために幼い足を必死に動かし、駆けていく。

 途中何度も転び、膝には青あざが見えるが今はそれどころではない。

『お父さ………ま』

 バンッと勢いよく扉を開けた先には信じがたいことが起きていた。

『っ!』

『話が違うぞっ! ガキは夕方まで帰ってこないはずじゃなかったのかっ!?』

 喚く複数の男たち。

 足元には母が転がり、父は男の一人に首を掴まれ胸に短剣を突き立てられている。

 あれだけ大勢いた使用人たちも大半が無残な姿となって床に転がされている。

『どうする? 殺すか?』

『バカっ! そんなことをしたらあの御方に迷惑がかかる。あのガキだけは殺すなと言われているだろう』

『じゃあ、どうすんだよ! 見られてんだぞっ!』

『――気にする必要はない。見られることも想定内のはずだ』

 男たちの会話が耳に届くが、内容に耳を傾けられる余裕などなかった。

『……ひっ、はっ…!』

 呼吸が自然と荒くなる。

 変わらない日々が来ると信じていた思いが瓦解していく。

 まるで足元から世界が崩れていくように立っていられなくなる。


『――おいっ! 拙くないか!?』

 ひゅー、ひゅーと息をし始めているダイアナに気付いた男が近寄る。その身の血を拭うこともなく。

 男にしてみれば、今ダイアナに死んでもらうわけにはいかなかった。

 だからこそ、助けようとしたのだが――。


『―――――――――』


『……ここ、は?』

 目を開けると見慣れたとまでは言わないが、よく見ていた家のエントランス。その天井が視界に飛び込んでくる。

 どうしてこんなところで寝ていたのだろうと不思議に思いつつ、目元を擦りながら起き上がる。

『…ん~? 気持ち悪い』

 何やらべちょっとした感覚があり、それを取ろうと必死に拭っているといつもより赤い視界が広がる。

 視界だけでなく、赤い凄惨の光景も。

『きゃああああああああああっ!!!』

 ようやく先程までの状況を思い出し、ダイアナはあらん限りの声を上げた。嫌な現実から逃げ出せるように。

 そこで気付く。

 後ずさった先に血だまりが広がっていたことに。

 先程よりもはっきりとした感触が手に伝わり、視線を移すとその手は血で真っ赤に染まっていた。

 いや、手だけではない。

 服も、靴も、髪の毛も全身が赤く染まっていたのだ。

 近くにあった鏡に映し出された姿を見て、再び恐怖に苛まれる。

 姿見に映し出されたダイアナは全身を赤く染め上げていた。顔は擦った血がかすれてまるで血で化粧をしているかのよう。

 勢いよく振り返り、見渡すが賊の姿はどこにもなかった。

『街はっ!』

 現実から目を逸らすために一刻も早くこの場から離れたかったダイアナは横たわる両親や使用人たちを一瞥すると街へと駆け出した。

『皆っ! 誰かっ…!!』

 ただただ無事を信じ、そして助けを求めて。


『う、そ……』

 だが、ダイアナに突き付けられたのは非情な現実だった。

 ほぼすべての家が焼け落ち、道端には無造作に転がされた死体が数えきれないほどある。

 いつもと違う街並み。

 その中でも一際異彩を放っていたのが、唯一焦げ目一つない旗が多く靡いていることだった。

 黒い上質な布地に金糸で鳥のような絵柄が刺繍された旗の放つ存在感は忘れられない記憶となった。




『君が、ダイアナさんだね?』

 あれから現実を受け止めきれず、焼け落ちた街にいたダイアナは駆け付けた教会の保護を受けることとなった。

 そんなダイアナに声をかけたのが、教皇ヨーファンだった。


 当然、その時のダイアナがヨーファンことを知るはずもなく聞かれたことに答えるだけの会話とは呼べない応答を交わしたということぐらいしか覚えていない。

 ただ一つだけヨーファンが語ったことは覚えている。『――あれは魔王の仕業だった』ということだけは。


 初めは復讐を考えた。

 だが、すぐに自分一人でどうにかできる相手ではないということに気付き、せめて自分と同じような思いをする人間を減らすための行動始めた。

 それが修道院に入る事だった。

 修業は厳しかったが、悲願を達成するためならばどんなことでも耐えられた。

 それに辛いだけではなかった。

 事件を知ったフェルナンドが駆けつけてくれたこと。それに彼が家を捨ててまで自分に寄り添うと告げたこと。何よりもダイアナの心を救ったのは元凶の魔王が倒されたことだった。

「――もしも、あれが仕組まれた物だったら…」

 当時は魔王を倒した勇者にすべてを捧げてもいいと思ったし、その勇者を派遣したのが教会で声をかけてくれた教皇だったと知り、生涯をかけて恩を返そうとも考えた。

 だが、その相手が今は戦争を裏で操り、自分を幽閉している相手なのだ。

 そこまで回顧すると、事件ですらも偶然ではなかったのでは?と疑いを持ってしまう。


「……よく考えればおかしいことだらけだわ」

 そもそも、なぜあの賊たちはダイアナを殺さなかったのか?

 死んだと思った?

 それはあり得ない。微かに残る記憶だが、街の住人達は老若男女問わずに最低二か所傷口があった。誰一人として生かすつもりがなく、念入りに殺す相手が一太刀も浴びせていない少女の死を確信などすぐはずがない。


 今日まであの日のことを考えないことはなかったが、あまり思い出し過ぎるのも良くないと言われて出来るだけ考えないようにしてきた。

「…誰に、言われたんだっけ?」

 思い出せないことに愕然とした。

 ダイアナを心配するような発言をするのはフェルナンドしかいないと思う。そもそも、ダイアナの事情を知っている人間は限られている。

 修道院に入るのには様々な理由があるが、教会では他人の過去を詮索する者は嫌われる。

 だからダイアナはもちろん自分の過去をむやみやたらと語ったりなんてしなかった。

「……そういえば」

 考え始めると、悪い方向に思考は進んでいく。

(フェルナンドと会った時に記憶がなくなることが度々あった)

 大抵が情事の後――疲れて眠っていた時だったので気に留めなかったが、事件の日からこれまで大切に守ってきた言葉をかけてくれた相手を忘れるだろうか?


 ――コンコン。

「!!」

 思考に耽っていると牢屋の扉をノックされた。

 この場所にダイアナがいることを知っているのは捕まえた二人だけであり、基本ここに来るのは教皇だけ。しかもノックなんてするはずがない。

 警戒していると、ガチャと扉が開きある人物が姿を現した。

 次話でこの章は終わりになります。次は今回の裏話を教皇の視点で見てみますのでお楽しみに!

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