第4話 神に次ぐ男
ここから少し暗い話が続きます。
イリスが魔王城に居座ることになったその帰り、ダイアナはフェルナンドと共にある人物に会うために行動を開始していた。
「――フェルナンド、このまま帰国せずにある場所に向かってほしいの」
「…ある場所?」
魔王と会ってから暗い表情を浮かべ、何やら考え込んでいる様子のダイアナが口を開いたかと思えばそんなことを言うのでフェルナンドはどこに行くつもりなのか尋ねた。
「ええ。場所はリッチランド」
「そこは…!?」
ダイアナの目的地はそこだけ見れば大したことはない国だ。地理的にはノーキンダムとは隣国になるし、現在地から移動することも容易い。…そう、行くだけならばフェルナンドだってこれほど過剰な反応 問題はダイアナの目的の方だった。はしない。
「……ダイアナ、まさか…」
長年の付き合いのおかげでダイアナもフェルナンドが何を言おうとしているのかを察したのはさすがと言うべきか。彼女は視線を外へ移し、遠ざかる魔王城を視界に収めながら決意とともに宣言する。
「――あの御方に、教皇様に会いに行きましょう…!」
教皇。それは全教団員の頂点に立つ存在にして、実質的な支配者。
教会を支配することはすなわち、魔王や勇者と並ぶ一大勢力を掌握することであり神が直接的に世界に干渉してこない以上は教皇こそが地上を支配する存在だと言っても過言ではない。
そんな教皇とつい最近になってようやく見習いから昇格したばかりのシスターが接点を持つことなど本来だったらあり得ないことだが、ダイアナには教皇と縁があった。
ダイアナが教会に身を寄せることになった際、会ったことがあることの他にダイアナ自身が忘れようとしても忘れられない縁――彼女にとって一生かかっても返し切れないほどの大恩があった。
現教皇であるヨーファンは元勇者であり、そしてダイアナの家族の仇を倒すことにも大きく関係している人物だった。
かつてダイアナを襲った悲劇は未だに謎の多い襲撃事件だが、解決はあっという間だった。
魔王およびその眷属たちは襲撃から僅かな期間で派遣されてきた勇者によってその命を落とす。その際、迅速な派遣を訴え、惜しみない支援をしたのが誰あろう現在の教皇なのである。
まさにダイアナにとっては救いの手を差し伸べてくれた神にも等しい存在だった。
「あの御方なら……、ヨーファン様ならばきっとお力を貸して下さるはず…!」
あれ以来、ダイアナは教皇に狂信的な信頼を寄せている。
フェルナンドが若くして地位を高めたのはそんなダイアナを危惧し、教皇の情報を集めるという目的もあったほどだ。
偶然かはたまた運命か。その教皇が各協会支部を巡礼する旅の現在の滞在地点がリッチランドであり、ダイアナは教皇に相談しようと考えていた。
「――いやっ、待ってくれ!」
正式なシスターとして認められたと言ってもダイアナはまだまだ下っ端。そのダイアナが上も上――トップに直談判しようとしていることにフェルナンドは焦りを覚えた。
「いきなり猊下に会いに行ってお会いして下さると思っているのか!?」
普通に考えれば無理な話である。
そんな簡単なことに気付けないほど魔王に対する怒りが深いのかと問い質すと、ダイアナはようやくこちらに向き直り……ハッキリと首を横に振った。
「……怒りがないと言えば、嘘にはなるわ」
そこまで考えなしなわけじゃない。
「だったら……!」
「……でも、駄目なの」
何が駄目なのか。
「私の感情を抜きにしても、あの魔王をのさばらせていてはいけない。そんな気がする」
「!?」
ダイアナを幼い頃から知っていて、彼女のことなら何でも知っていると思っていたフェルナンドはその瞳に宿った熱に気圧された。
(…こんな、こんなダイアナは知らない…!! 黒甲蟲魔王――お前は一体、何者なんだ!?)
全身を駆け抜けた衝撃。今まで見たこともないほどの苛烈な本性を目の当たりにすることでフェルナンドは半ば放心状態になる。
馬車はそんなフェルナンドに興味を失くしたように再び外へと視線を移し、一刻も早くリッチモンドへ着くことを願うダイアナを乗せてゆっくりと魔王城から離れて行った。
「猊下にお目通り願いたい!」
リッチランドに着いて早々、門番に用件を告げて中に入れてもらおうとするダイアナ。だが、気がせいているせいで何故教皇に会いたいのかを伝えていないために門番は入れる素振りを見せない。
彼らとしては職務を全うしているだけなのだが、今のダイアナにとっては邪魔者以外の何者でもなかった。
見かねてフェルナンドが助け舟を出さなければ、彼女は強硬手段に出ていただろう。
「…あ~、君たち。ノーキンダム司教フェルナンドが来たと伝えてくれ。とても大切な話があると」
「こ、これは司教様であらせられましたか!?」
「大変失礼いたしましたっ!! すぐにお伝えして参ります!」
慌てて駆け抜けていく門番を見送りながら、権力のありがたさを痛感する。
(……これもダイアナの役に立てたと思えば)
本当は協力をしたくないが、協力しなければ彼女は本当に何をするかわからない。ならば自分がストッパーになればいい。
(何よりも大事なのはダイアナだ)
何故そう思うのか?
惚れた弱み?
幼馴染だから?
どれもありそうだが、もっと単純に失いたくないからそれでいいじゃないかと思うことにする。
「お待たせいたしましたっ!」
さほど時を置かず、先程の門番が戻ってきて二人は中へと通された。
「教皇様はお忙しいそうで一人五分程度なら時間を取れるとの事でした」
「……一人五分?」
案内をしてくれている門番の言葉に首を傾げる。
まるで一緒に面会することが出来ないみたいじゃないかと。
「……申し訳ございません。警護の関係上、二人同時に会うことは不可能なようでして…」
本当に申し訳なさそうにこちらを見る門番たちだったが、意思と目線が微妙にずれていた。
その意味するところにダイアナは気付かなかったようだが、フェルナンドは気付いてしまう。伊達に数多の人間と付き合ってきたわけでもない。
おそらく、先程まで異様に映るほどに取り乱していたダイアナを警戒しているのだろう。
(普段の彼女ならば、弁護するところだが…)
今のダイアナはフェルナンドから見ても危うい精神状態だと言わざるを得ない。それでも信頼しているからこそ守ってやりたいが、もしもここで異論を唱えれば最悪追い返されない。
司教という地位は意外と高位なのだが、それでも教皇と比べると天と地ほどの差がある。ましてやダイアナに至ってはその差は計り知れない。
ダイアナが追い返されれば、自分一人会う理由はなくなる。そしてダイアナは手段を選ばなくなるだろう。
避けるべきことのために本当は一緒に面会したいところをぐっと抑え込む。
「先に僕が入るよ」
部屋の前に到着すると、フェルナンドはダイアナに何も言わせずに扉に手をかける。
このような場合は先に高位の者が入るべきなのでこれに関してはダイアナも文句は言わない。
(先に僕がある程度の概要を説明しておけば猊下も理解しやすいだろう)
今のダイアナでは興奮するあまり要点をまとめられないだろうという考えもあった。
「失礼いたします」
……………………。
……………………。
「――失礼しました」
「いやぁ~、猊下にお目通りする機会なんて滅多にあるものじゃない。近くに来られているようだからと来て正解だったよ! 君たちにも無理を言ってすまなかったね」
「いえっ! 決してそのようなことは…!」
教皇との謁見を終え、気分がよくなったフェルナンドは案内をしてくれた門番たちと談笑をしてから何事もなかったかのようにノーキンダムへと帰って行った。
「……あれっ?」
「ん? どうかしたか?」
「…いや、気のせいかな? 司教様って……お一人で来られてたっけ?」
気さくな司教様だなと見送っていた門番の一人がおかしいな?と首を傾げる。しかし、もう一人の教皇の下へと案内した門番に否定されたことで自分の勘違いだったかと思い直すのだった。
フェルナンドも門番もダイアナというシスターの存在は忘れていた。
「――気分はどうかね?」
「……くっ!」
牢屋に入って来た人物を忌々しげに睨みつける。囚われ、行動力を奪われているダイアナにとってはそれが精一杯の抵抗だった。
「よくも、のこのこと顔を出せたものですね…」
「はっはっは、随分嫌われたようだな」
肩を竦めてアピールする人物は年齢に似合わずフランクなようだ。
しかし、ダイアナは目の前の人物の年齢も老獪さも――何よりも己の欲の為ならば神すらも利用するという醜悪さを知っていた。
否――思い知らされていた。
一か月以上もの間、毎日毎日。それはもう嫌というほどに。
「裏切者っ!」
だからか、ダイアナは叫ばずにはいられない。
少し前の自分だったら、こんなことを言うはずがなかったとも思う。
両親を魔王に殺された少女。その仇を討ってくれた人物に対してそんな言葉を吐けるはずがなかった。
だが、それもこれもすべて幻想であり策略だった。
「裏切り? これは異なこと言う。私が、一体いつ、誰を裏切ったというのかね?」
「あなたは世界中の人間を――神をも裏切った大罪人! 返せ! 私の家族を! 失われた命をっ!!」
「――フハハハハハハハッ! 私が神を裏切っただと?」
「ひっ…!?」
笑い声をこれほど恐ろしいと感じたことはない。
ダイアナは背筋がゾッとして、二の句を継げられなくなってしまった。
どこか飄々としていた雰囲気をかなぐり捨て、荒ぶる気性を愉しむかのように発露する様はまさに狂信者そのものだった。
「神を裏切った? 断じて違う!! 神が我々を裏切ったのだ!!」
(何? なんなの一体…!?)
もはや、言葉を聞きたくない。理解なんてもっとしたくない。
覆いたくなるような言葉を浴びせられながらそれでも覆うことのできない悲しみと苦しみにダイアナの意識は暗い暗い闇の中へと堕ちていく。
「……諸、悪の…権化……、裏切りの………ヨー…ファ……ン」
薄れゆく意識の中、狂ったように持論を展開する者の顔を視界に収め意識を手放した。
倒れたダイアナの頬を涙が伝う。
「――いずれはお前は私の物になる。出会った時からそう決まっていたのだよ。ダイアナ」
先程までどす黒い何かを振り撒いていた姿から想像できないほど優しい手つきでその涙を拭ってやるヨーファン。
その手は齢二百を超えている割に、まるで働き盛りの青年のように皺ひとつ存在しなかった。
「いや、生まれた時からかもしれんな」
去り際、ヨーファンは捕食者が自分の獲物だとアピールするかのように涙の痕を舐め取った。
「もうすぐだ。もうすぐ世界が変わる」
神に次ぐと地位を有する老人の暗くて深い欲望は止まることを知らなかった。
わかっていたかと思いますが、囚われていたのはダイアナです!
そして彼女こそが章タイトルの囚われの聖女その人でもあります。
ダイアナが何故囚われているのかなどは追々明らかにしていきますのでお楽しみに!
基本的に囚われるまでやもっと過去の話。さらには現在のダイアナの様子を中心に今後も話を書き上げていきます。




