小競り合い
咲良が、目の前で拉致されるという不始末に対して、少年の瞳は、赤々と輝く。
ギリギリと噛み締める歯を鳴らしながら、明日野の足は、ズンとアスファルトに罅を入れた。
【負けた】どころの話ではない。
須く、最愛の人を捕られたのは己が恥である。
幸いにも、咲良の居場所は差ほど離れては居ないからか、少年は、全力で走るべく、身を屈めようとしたが、ふと、彼の耳に、バイクの排気音が響いた。
『……安藤……』そう言う明日野の声には、理沙を護るように戦う教師と同じく、独特のエコーが掛かり、それを聞いた安藤は、自分の掛けるサングラスを僅かに上げると、「……乗って……」と、少年を促す。
いつになく、真面目な安藤の姿からも、事の重大性というモノが推し量れるだろう。
そして、いつしか明日野が壊したのと同じ車種の赤いバイクは、高らかに咆哮を上げながら走った。
そうまでして、頑なに世の理に拘るのは、悪魔達の心意気というモノだろう。
しかしながら、安藤の背に身を置きつつも、明日野は【地獄へ帰る】という覚悟を決めていた。
云った先に何が在ろうとも、例え、咲良に嫌われようとも、過去の失態をそのまま、同じ事をするのでは意味がない。
今度こそ、彼女に思いを告げる為に、明日野は、静かにバイクの背に揺られていた。
暗く成っては居るが、その実、人の世には不可思議な事が起こった。
誰も彼もが、無関心である。
例え、何らかの事情に置いて、フラリと電車に身を投げたとて、誰も止めもせず、ただ、退かれるのを見送る。
高層の建物から、人が身を投げて、トマトの様に弾けても、やはり、気持ち悪いとは云うが、本心は無関心だと訴えた。
街に何が起こっているのか、特段に難しい理屈はない。
古代、巨人と神族との戦いに置いても、今と同じ陣が引かれ、その中の人間達は、何も感じず、何もしない。
無論、普通に生きては居るのだが、だからといって、それは電車が惰性で動くのと同じく、与えられたら役割をただこなすのみ。
それ故に、昔に作られ、忘れ去られた筈の戦乙女を誰かが使っても、誰も気にもしなかった。
【天上会】は、確かに多くの天使をその傘下に納めては居るが、その実、極東の小さな支部に過ぎないと言うのも、また事実である。
歩けば広くとも、ちょっと離れて見れば、如何に【天上会】の庭が狭いのかは、容易に見て取れた。
そして、街の彼方此方でも、様々な事件は起こる。どれだけの数が来日したのかは知らないが、街の悪魔達は、街を護るべく、余所者の天使とやり合うという、喧嘩をせねば成らない。
如何に強力無比な彼等ではあるが、問題なのは、彼等自身の自らに課した制約だろう。
人の世の為ではないが、それでも、奮って悪魔達は、天の御使いと戦う。
外がドンパチ激しく成るにも関わらず、一つのバイク屋からは、四人程が、外を見て首を傾げていた。
「なぁ、最終戦争ってさ、まだ始まってないよな?」
そう言う、白い溶接面をかぶるの店員に、同じく赤い溶接面を被った赤の店員も、ウンと頷く。
「そりゃあそうさ…………だいたい、白が動いてないのに、始まっちまう、てことはねーだろ?」
やはりと言わんばかりの赤の店員の声に、黒い溶接面を被った店員もまた、静かに腰に手を当てる。
「てことは…………アレだ………どっちかに味方しても、誰にもとやかく云われる義理はねぇって事だろうよ?」
最後に、青い溶接面を被った店員もまた、しっかりとウンウンと頷く。
「贔屓のお客様達の為にも、拙者達も、些か尽力致したく候………」
そんな青の店員の声を合図、バイク屋【PALE rider】の店員達は、自慢の愛車に走る。
だが、白の店員だけは、何故かバイクではなく、原動機付き自転車だった。
明日野を乗せて、安藤操るバイクは、少年のアホ毛が指し示す方へと走るわけだが、その際、道路上にも関わらず、フラリと白い出で立ちの人物は現れる。
『此処は通さ…………』カッコ良く、悪魔に向かって啖呵を切ろうとした天使は、何者かの跳び蹴りによって、弾かれる。
そんな横を素早く走り抜ける安藤の愛車。
だが明日野は、過ぎる瞬間、片手を上げて加勢に返礼を返した。
遠ざかるバイクを目にしつつ、オールバックの髪型も凛々しい壮年の男は、フフンと不敵に鼻歌を歌っていた。
「……裏切り者の…名を受けて……全てを捨てて戦う男………」僅かに、一昔前前の歌を歌うのは、銀行頭取、吝嗇の大魔神マモン。
厚ぼったいサングラスを外す彼の目は、立ち上がる天使に向かって、赤々と輝く。
七大悪魔の一人として、そして、別名【悪魔男】としても名高い彼の隠れた趣味は、実のところ、【正義の味方】だった。
『アスモデウスにばっかり、出番取られてたら………大悪魔失格でしょう?』
今や、人は無関心である。
佐田からも、【遠慮無用】という通達は、既に出ている。
成ればこそ、地上の悪魔達には、何の遠慮も無かった。
都内各所に置いても、人には見えない激戦が始まる。
困って居るのは、七大悪魔が一人、【嫉妬のリヴァイアサン】にして、タレントのレヴィアだろう。
タレント業の傍ら、彼女は、周りに力をコソッと注ぎ、人を守らないといけない立場に在った。
建物と道路の空間に置いて、【神の造りし神獣 ベヒーモス】は、トイレ休憩という嘘まで付いて、雪崩寄る天使に、本来の巨大な獣の姿で襲い掛かる。
『どっせ~い!!』
しかしながら、その神獣の大きな口から出るかけ声は、どうにもこうにも微妙であった。
市街地にて、街と人を護りながら戦うなど、実のところ愚行でしかない。
なにせ、周りのモノは全てが脆く、悪魔達も四苦八苦である。
それでも、過去に人に記されたのとは違い、悪魔が人の為に闘い、反対に、天使は、やりたい放題というのは、昔から一向に変わらなかった。
同じ頃、職業安定所にても、そのビルの屋上にて、所長の佐田が上着をポイと過ぎ捨て、首を鳴らしながらネクタイを取る。
『兄弟には……丸く成ったとは云ったがよ……別に、弱く成った訳じゃねーからな?』
そんなかけ声と共に、佐田は、ちょっぴり本気の姿を見せる。
天に届かんばかりの大仰な蛇にも近く、百足の如き手を何本と持つ怪物。
僅かとは言え、佐田の本気の姿に、世界中から集められた天使達は、後悔した。
遥か昔、たった一人の悪魔に、億単位の天使が殺されたという逸話だが、それは、嘘ではないのだと。
悪魔の頂点は、長生きはするもんだと、ゲラゲラと高らかに笑った。
仲間のお陰様か、安藤のバイクは滑らかに走る。
その走りは、赤の店員の腕の確かさを示していた。
明日野が一路、咲良の元へと急ぐ頃、隣人にして半分使い魔の理沙は、子猫を抱きながら、キャーキャー云いながら逃げ回った。
【出るな】とは、確かに一人孤軍奮闘する女天使に云われては居たが、何故なのかと言えば、出たは良いが、校舎には入れない。
急ぎ取っ手を掴んでも、パチッと音がして、理沙の手は弾かれてしまう。
慌てふためく少女に抱えられる子猫は、フゥと溜め息を吐いた。
『理沙のお嬢……忘れたんでやすか? アチキ達、半分悪魔でやんすよ?』咎める様な子猫の声に、若干イラッとしつつも、理沙は、戦乙女の成れの果てから逃げ回りつつ、「悪かったわね!!」と、正直に返事を返した。
そんな生徒に、天使兼歴史教師は、舌打ちを漏らす。
ただでさえ、何かを護りながらの闘いは、酷く面倒くさい。
過去の彼女であれば、建物も半分悪魔の少女も無視できたが、長年、生徒を教え導く教師としての立場が、それを許してはくれない。
並み居る亡霊を薙払いつつ、天使は、ふと近づく気配に気付いていた。
中学校の校舎の天辺には、流れる様な金髪と、前とは違いフードをとって顔を晒す人物。
『……ラファエル様……』そう言う天使の声は、何処か悲しげであった。




