嵐の前の静けさ
【天上会】の長と、【職業安定所】の所長が談義を交わす中、とある一つの島国では、ちょっとした珍事が起こっていた。
ツアー旅行。
それだけならば、大したことではないだろう。
外国から、観光目的で、結構な人数が国に降り立つ。
文字通りなれば、差ほど気にするべくもない筈。
だが、有り体に言えば、ツアー旅行の観光客達は、どう見ても、【観光しに来ました】とは言えない風貌である。
長身から小柄、恰幅の良い者から、細身の者まで、傍目の見た目は千差万別ではあるが、全員が、白地のスーツ姿と言うのは、如何にも不気味に映る。
『…………すまないね…………』と、ツアー旅行のガイドと思しき人物が、纏めて全員分のパスポートを提出する。
だが、パスポートの審査から、ビザの習得まで、あっさりと膨大な人数の【観光客】達は、パスした。
人を惑わす【悪魔の囁き】という言葉も在れば、人を信じさせる、【天使の甘言】という小技も在る。
原理がどうであれ、それの効果は難しいモノではない。
【聴いた人物の心に、幸せを齎す】という極々簡単な効果だが、これを用いれば、人間に他人を虐殺させることも出来る。
実際、過去に置いては、【宗教の教義】の為だけに、他人を殺させた。
勿論、其処には、多額の金銭という、裏の名目も在るが、要するに、【気に入らないから殺す】という、本来、忌避されるべき事ですら、容易く行える。
降り立ったツアー旅行客達は、ほぼ全員が金髪碧眼という見た目であり、中には髪の毛が無い者も居るが、それは別として、白地を身に纏う客達は、全員が、赤地に白十字という、何とも派手なスーツケースを携帯していた。
怪しげなツアー旅行客達の先頭では、やはり、フードで顔を隠す何者かが、三角旗片手に、先導役を勤める。
そして、旗を持つ人物は、薄く嗤うと、口を開いた。
『さぁ…………クルセイダーのお出ましだ…………』と、ツアーの仲間だけに聞こえる声で、そう言った。
方々で、様々な事が起こる中、一人の少年もまた、ウンウンと唸る。
少年の目の前では、学生服姿の女性が、悲しげに眉を潜めていた。
「………やっぱり……駄目なの?」と、そんな風に悲しげに語る女性の声に、それを聞いている少年は、「……い、いや…咲良……違うんだ…あの…」と、まるで別れ話を告げられて居るかの如く、怯えた声を上げる。
そして、そんな会話をしている二人が、何をしているかと言えば、特段変なことではない。
咲良と、合い向かいに座るのは、明日野にとっては実に素晴らしい。
だが、咲良が持つ箸に挟まれた先には、在るモノが挟まれていた。
【白身魚のフライ】
別段難しい材料は無く、サメから深海魚、タラなどと言った、淡白な白身魚に、パン粉をまぶしてキツネ色に揚げたモノに、みじん切りの玉ねぎゆで卵、ついでに細かくしたピクルスを、マヨネーズに混ぜ合わせた、咲良特製のタルタルソース迄もが添えられている。
そんな一品を、更にわざわざ食べやすい様に、一口大に割られたフライを見ながら、明日野は、ウンウンと唸った。
生は勿論論外だが、焼こうがに煮ようが揚げようが、どれほどに臭み消しを丹念に行っても、明日野は、魚を口に入れる事が出来ない。
形の良い眉を、ハの字にした咲良が、グイグイと箸を持った腕を伸ばした分、明日野は、逃げる様に仰け反る。
「何でかなぁ……結構美味しいと思うんだけど…」
そんな事を云いながら、咲良は、仕方なしに自分の口に、切り分けたフライを運び、モクモクと噛む。
平然と白身魚のフライを食べる咲良に、明日野は、心臓辺りを手で押さえながら、ハァハァと荒く息を吐いていた。
「……す、すみません……」
そう謝る明日野に、咲良は、フゥムと唸りながら、お弁当をつつく。
【お弁当作ろうか?】と、咲良に云われる明日野だが、嬉しい事は嬉しくとも、どう足掻こうと、如何にそれが咲良が作ってくれたとしても、【魚料理】だけは無理なのだ。
好き嫌いは余りない筈の明日野ではあるが、咲良が如何に苦心しようとも、魚料理だけは、と、謝る他はない。
とは言え、そんな事で怒る咲良ではなく、魚嫌いの少年に、フフンと笑う。
「ま、良いよ……その内……明日野君も好き嫌いが良くなると良いよね?」
そう言って、柔らかく笑う咲良の笑顔は、少年には実に眩しかった。
実に有意義な昼休みを送れた明日野ではあるが、午後の授業中、在ることを考えて居る。
それは、自分を含め、高品姉妹にまで、【賞金】が掛けられているという点だろう。
一応、理沙には、子猫を付けては居るが、その実、如何にアスモデウスの使い魔とは言え、猫は猫。
大悪魔直々に、色々と仕込んでは居ても、もし、下層界に属する天使で在れば、差ほどの事もないだろうが、中級天使ともなれば話は違う。
伊達に、九階級に分かれている訳ではない。
一つ数字が上がれば、それは、そっくりそのまま、正に桁違いの戦力と言える。
如何にアスモデウスの腹心であろうとも、子猫は子猫であり、その事に、明日野は、頭を痛めた。
「……明日野君?……」
そんな呼び声に、ハタと気付く明日野。
ハッと顔を上げれば、心配そうに自分を見る咲良が居てくれた。
「大丈夫? 授業……終わって、次に行くんだけど?」そう言う咲良に、明日野もまた、急ぎ教科書等を持つが、「あ……うん……大丈夫です」と、曖昧な答えを返していた。
学生達が、各々胸に何かを抱える中。
話し合いを終えたのか、食堂【美食の館】から、ほんの僅かに酒気を帯びたミカエルが姿を表していた。
「………会長………御無事で……」と、運転手が、ミカエルに頭を下げる。
そんな、運転手の肩に、ポンと手を置くミカエルだが、ソッと運転手が、会長の顔を見ると、何故か、重い荷を降ろした様に、柔らかい微笑みを称えていた。
【話し合い】の末、ビールをちびりと啜る佐田もまた、敵が誰なのかを、薄々把握し始める。
何度となく、元同胞に質問をぶつけてはみたが、分かったのは、【天上会】の幹部にしても、金勘定だけが取り柄であり、自ら悪魔に喧嘩をふっかけ様という根性が座った天使は、殆ど居ない。
だが、それは、あくまでも、佐田が治めている街の話である。
人が想うよりも、星は広く、地上が三割しかなくとも、それは、人の等身大にて立てば、途方もなく広い。
「……なげぇ事、耄碌してからなぁ……」と、佐田は、自分を嗤うと、コップの、残りを呷る。
はるけき過去、官軍と賊軍に分かれ、天使同士で闘いに明け暮れた日を、佐田は、苦笑いと共に思い出す。
ふと、そんな風に苦く笑う佐田の前に、グツグツと煮立つ鍋が供された。
ハタと顔を上げれば、厳めしくも、自分を労う視線を向ける、店主ニスロクと、佐田は目が合っていた。
ふと、店主が出した鍋を見れば、独特の色合いと、些かグロテスクな見た目の、スッポン鍋。
「…………元気出せってか……悪ぃなぁ…手間ぁ、掛けさせちまって…」
自嘲気味にそう言う佐田に、店主は、口を開くことは無いが、静かに、うむと大きく首を縦に振っていた。




