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アスモデウスは告白したい  作者: enforcer
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街の定食屋

 朝の一件はともかく、理沙は、ホームルームの間、ポカンと頬杖付いていた。

 先生という、【公務員】にすら、天使は食い込んでいる。

 

 だが、以前であった入江と違い、かの天使は、実に穏やかですら在る。

 コレについて、理沙は、【天使も悪魔も、色々居るんだな】と、端的な感想を心の中で述べていた。

 

 【半分悪魔の少女】

 これに付いて、本人の意識は差ほどの事はなく、手をニギニギと開いたり閉じたりしてみても、何の変化も感じはしない。

 

 【唐突に、手から火でも出せるかも知れない】

 

 そう考えた少女ではあるが、如何に眉間に皺を寄せ、必死に念じても、やはり、特段の変化は感じられなかった。

 

 そんな時、ポンと肩を叩かれた理沙はハッとなる。

 

 「なぁに朝から難しい顔してんの?」そんな友人の挨拶に、理沙は、両手を軽く上げながら、「な……なんでもないの……なんでも……ない…」と、ぎこちなく返事を返した。

   

 ハァと、ため息一つ。

 友人に促されるまま、理沙は、一限目の用意を、ノロノロと始めていた。

 

 【正直、つまらない】と、そんな風に考えていた理沙だが、自身の変化に付いて、数学の授業中に、ハタと気付いた。

 特段得意でもない筈の数学だが、妙に頭が冴える。

 面倒くさい数式だろうが、スラスラと、飲み込む様に頭に入ってくるという感覚に、理沙は、驚いていた。

 

 「高科! なにボウっとしてんだ!?」

 「……え…あ…すみません…………」


 固まっていた理沙を、見咎めた教師は、声を掛けた。

 すぐ後、名指しされ、答えてみろと、教師から云われた理沙。

 

 だが、スッと、当たり前の様に【答】が頭に湧いてくる。

 理沙は特に悩むこともなく、カツカツとチョークで黒板に答えを書いた。

 「はい、出来ました………」

 どこか、惚けた様な理沙に、数学の教師は、ウゥムと感嘆の唸りを上げていた。

 

 何にも無い筈と、高を括っていた理沙だが、三時限目の体育の時、自身の変化に戸惑う事となる。 

 

 【千メートル走】の科目となれば、クラスメート中から、嫌々の声が上がるが、体育着姿の理沙は、どうしたものかと、悩む。

 落ち着いて、色々してみれば、前と全然違うのだと、実感すら湧いてしまう。

 ポンポンと、軽く跳んで見ても、身体の軽さに、理沙は、唖然とすらしていた。


 「ほら! さっさと並べよぉ!? ちゃんと成績に出るんだからなぁ!!」

   

 そう言って、生徒を促す教師の声に、理沙は、薄くだが笑う。

 スターターは無く、代わりに、教師の咥えるホイッスルが、高らかに鳴った。

 

 体育会系の生徒は、割と元気に走る。

 そして、三分の一は、つまらなそうにお喋り混じりにノロノロ走る。

 そんな中、いつもの理沙であれば、ちょうど真ん中程なのだが、この日は違った。

 

 「ちょっと!? ……理沙!……」

 

 嫌々ながらランニング中の友達を追い越し、理沙は先頭集団に混じって走る。

 大口開けて、必死に酸素を貪るクラスメートと違い、理沙は、実に涼しい顔で走っていた。

 

 その気になれば、先頭に立つことも軽い理沙ではあるが、何故か、この時、少女は加減した。

 隣人達は、その力を悪戯に誇示することなく、淡々と静かですら在る。

 そんな彼らと付き合う理沙だからこそ、理沙の足は遅くなり、先頭集団は、少女から離れていった。

 相も変わらず、真ん中より少し前程度に走り終えた理沙。

 

 周りでは、ゼェゼェと息を切らす者も珍しく無いにも関わらず、理沙は、ほんの少しだけ浮いた額の汗を、サッと拭う。

 本来ならば、早鐘の様に打つはずの心臓も、本日のそれは、暇そうにアイドリング程度でしかない。

 トントンと、つま先を地面につつきながら、理沙は、晴れやかな顔で手を組んで天を仰いでいた。

 

 「……ち…ちょ…ちょっと待ってよ……理沙ってば……」


 遅れる事数分、理沙の友達達も、酷く苦しげにゴールラインを跨ぐ。

 自身の変化を、【逆中二病】揶揄し、理沙は、バテバテの友達の背中を、「………あぁ、ごめんごめん」と、友達を宥める。

 全然面白くもない筈の日常だが、理沙は新しい変化に戸惑うことなく、実に淡々と、溶け込み始めていた。

 

 昼休み近く、時計の針が一番上を指す頃。

 学生生活を謳歌する者とは違い、街の一角に、奇妙な光景が在った。

 ぱっと見でも、高級車と思しき長い車。

 そのボンネットの鼻先には、ラッパを構える小さな天使が、銀に輝く。

 

 そして、そんな高級車は、何故か不釣り合いな食堂の真ん前に、堂々と駐車する。

 あまりの不自然さに、道行く人々が、眉を潜めるが、運転席から、象牙の様に白いスーツを纏う厳つい男性が出て来た時点で、殆どの人は足早に立ち去る。

 だが、そんな光景を、眉を寄せて睨む者も居るが、そんな観衆には関わらず、開かれたドアからは、金髪の青年が姿を現していた。

 

 白色の紋付き、灰に近い袴。

 妙に古風な出で立ちながらも、車から降り立ったミカエルは、どうにも不機嫌なのか、鼻から嘆息を漏らす。

 

 「少し……此処で待つように」

 

 それだけを、頭を下げる運転手に言うと、丸腰のミカエルは、端正な顔を歪めつつ、街の定食屋【美食の館】の戸に、手を掛けるが、その戸には、【本日貸切】と、ダンボールに記された表札。

 

 男性にも関わらず、白魚の様の如くなよやかな指が、ガラガラと、食堂の戸を開ける。

 古びた見た目に似合わず、程よく油が指されているのか、戸の動きに苛立ちは無い。

 そして、戸を開けたミカエルの視界に、食堂の中が映ると同時に、程よい出汁の香りが、僅かに漂っていた。

 

 「……御免……」


 わざと時代がかった台詞と共に、ミカエルは、単身食堂へと乗り込む。

 食堂の中へと消える彼を、丁重に運んだ運転手も、【座天使オファニム】と、かなりの高位にも関わらず、古ぼけた食堂から漂う、得体の知れないほど巨大な力に、思わず、会長の無事を祈っていた。

   

 だが、覚悟を決めて来たミカエルは、我が目を疑う。

 

 「おー、兄弟! やっと来たのか? あんまり遅いんで、先に一杯始めちまったぜ?」と、上着を脱いだベスト姿の佐田が、金色の液体ビールが入ったコップを掲げていた。

 

 難しい顔のミカエルだが、そんな彼は今、所謂、御座敷席に、正座していた。

 無論、御座敷とは名ばかりで、土間ではないだけだが、にもかかわらず、ミカエルとはテーブル一つ挟んだ佐田が、恵比寿様が貼られた瓶を、ソッと差し出す。

 

 「……どんくらい振りかなぁ……ま、ほら……一杯どうだ?…」そう言って、片手の瓶を軽く揺する佐田。

 

 悪魔の頂点が、真ん前に居るからか、緊張感全開のミカエルは、僅かに唾を飲み込みながら、恐る恐る、用意されていたコップを手に取った。

 

 瓶故に、トクトクというガラスの息遣いが、ミカエルの耳に響く。

 そして、彼の手に在る磨き抜かれたコップに、雲の様な泡と共に、金色のビールが注がれていた。

 かつての怨敵ではあるが、そんな緊張感を崩さないミカエルを前に、佐田もまた、自分のコップに、瓶の残りを注ぐと、優雅にそれを持つ。

 

 「ま、手打ちって…………事でもないが…………乾杯ぐらい良いだろ?」

 そう言って、コップを前に差し出す佐田に、ミカエルもまた、ヤケにのったりとコップを前に出す。

 

 そして、どれだけ時が経ったか忘れる程、交わされた事が無いコップが、チィンと、高い歌声を放った。

 

 乾杯の後、一気にビールを呷る佐田に対して、ちびりと、僅かに啜るのみに留めるミカエル。

 差はあれど、かの二人がそれをするなど、【美食の館】の店主以外は、誰も見ることが出来なかった。

 

 「かっー…………あぁ、昼酒ってのは、染みるなぁ………あ、ロクさん! もう一本ね!?」

 

 お変わりを要求する佐田を見ながら、ミカエルは、ソッと、手のコップを置くと、「……呼んだ理由は?……」と、理由を問い掛ける。

 

 王冠を外された瓶が、シュポンと音を上げる中、ミカエルの問いに、佐田は、酒の肴として出されていたもつ煮をつまむ。

 モゴモゴと、咀嚼しつつ、それを飲み下す佐田。

 王に提供された【もつ煮】は、無口な店主の口を補う程に、雄弁に味を言葉として語る。

 肴の味に、ウンウンと満足を漏らしつつ、佐田は、ソッと背を反らし、身体を倒れない様に手で支えた。

 

 「…………理由かぁ…………分かってんじゃあ…ないの?……」

 

 やはり、とでも云うべきか、そういう佐田の声は、実に冷たく、思わず、ミカエルの背骨が、震える程である。

 

 「……喧嘩……確かに、ふっかけたのは……ウチの子分です…」

 ほんの少しだけ、悔しげにいうミカエルに、彼を見ている佐田は、店主の差し出す瓶を受け取りながらも、フゥンと鼻を鳴らした。

 「話が、やけに飛んでるからよ………コッチもさ、一応聞いて置きたいんだわ……その子分は?…」

 新たに受け取った瓶の中身を、コップに注ぎながら、佐田は、ミカエルからは視線を反らさない。

 

 にもかかわらず、佐田の持つ瓶は、ピッタリとビールが零れる寸前に上を向く。

 

 思わず、ミカエルも自分の分のコップを呷るが、苦い筈の酒は、この時、余計に苦く感じていた。

 ダンと、音を立ててコップはテーブルへと置かれる。

 

 「……残念ながら…始末されていましてね…」と、そんなミカエルの言い訳に、佐田は、ちびちびとビールを飲みながら、フゥンと鼻を鳴らした。

 荒々しい天使に対して、悪魔はと言えば、トンと、軽くコップを置いた。


 「じゃあよ……一応聞いておくぜ?……ウチの子分に喧嘩ふっかけた【はみ出しモン】は……コッチで片付けて良いんだな?……」

 

 佐田の質問に、天使の長は、悩んだ。

 如何に身内とは言え、恥は恥。 

 如何に極道歩もうが、外してはいけない道理もある。

 だからこそ、ミカエルは、バッと眺めの髪をかきあげながら顔を上げる。

 

 「……悪魔の手ぇなんか…借りません…コッチで先に見つけ出して……方ぁ……つけさせては貰います」

 

 ムスッとするようなミカエルに、佐田は、実に面白そうに首を横へ振りながら嗤っていた。

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