めんどくさい彼女
「何だ、アレは?」「何? アレ?」
図らずも、明日野と軽部はほぼ同時に、理沙が掲げる何かを見ていた。
理沙が片手に掲げる【何】か。
強いて、それを形容するならば、カクテルシェイカーである。
ステンレスの上下、蓋の三つで構成され、カクテルを急速に冷やす、もしくは混ぜ合わせる場合に用いられる機器、としか、二人の目には映らなかった。
キキィッと、如何にも整備不良の不快なブレーキ音を立てながら、老人操る出前バイクは止まった。
「よっと………… 」
そんな掛け声と共に、理沙はバイクの後部座席、もとい、荷台から降りると、しきりに臀部をさするが、どうやら、硬い荷台の乗り心地は、スカートの理彩には最悪らしい。
ともかくと、理沙は被っていた派手なヘルメットを老人に預け、銀に輝く容器を、明日野の顔の前に突き出す。
「はいコレ…………」
思わず固まる軽部と明日野。
しかし、すぐさま、明日野の眉間に皺が寄った。
「はいコレではない…………今がどんな時なのか、分かっているのか?」
「分かってるよ、だ か ら。 はいコレ…………」
あくまでも真面目な明日野に、理沙は、手の中の容器を握らせた。
ムゥッと唸る明日野、徐に、蓋を開くが、中の匂いを怖ず怖ずと確認すると、ますます眉をひそめた。
「酒ではないか!? こんな時に一杯やっとる場合か!?」
「良いから…………それをね、軽部さんに飲ませてあげてよ」
そう言うと、明日野の頭は、鶏ばりに素早く動き、その眼は、軽部を捉えた。
明日野に見られた軽部はと言えば、きゃっと頬を押さえ、頬を染める。
「コレ、奴に飲ませれば良いんだな?」
「そうそう、さ、早く!」
訝しむ明日野に、理沙は、発破を掛ける。
ジリジリと、間合いを詰める明日野に、軽部はと言うと、今か今かと、何かを待ち望んで居るようであった。
さて、そんな天使と悪魔の横では、少女と老人が見守っている。
「ところで、あれって結局何なんですか?」
「うん? そうさなぁ…………所謂…………反転薬とでも言うべきかのぅ…………」
「へぇ…………で、効果の程は?」
「うーむ…………なんと言うべきか…………飲んだ者に対して、在る効果を発揮するとでも…………言うべきか…………」
不穏な会話を続ける少女と老人。
だが、それを聞き流しつつ、明日野はいやに優しい笑みで、軽部に近付く。
片手に容器、もう片方の手素手だが、相手を逃がすまいと、明日野は、まるで熊の様に両手を広げて構えていた。
端から見れば、如何にも不審者が、健気な少女にグヘヘと近付いているかのようにも見える。
その為、理沙は、若干明日野に対して【キモイ】と思っていた。
「軽部さ~ん………ちょっと逃げないでくださいねぇ?」
「…………いやん…………私、とうとう大ちゃんのモノにされちゃうの?」
ジリジリと、間合いは詰められ、いよいよ、軽部と明日野、両者の間合いは、手を伸ばせば届く所まで来てしまった。
「………さ、コレを飲んでくれるかな?」
そう言う明日野だが、恐らく、地上に来て、最も真面目な顔をしていた。
それもその筈、彼からすれば、軽部は邪魔でしかなく、出来る事なら、一分一秒でも一緒に居たいとは思わないからだ。
しかし、残念な事に、軽部は違う。
キューピットの矢が刺さる前ならば、確かに、軽部にしても明日野と同じ様な事を考えてもいた。
しかしながら、人として明日野達と過ごす内に、彼女の中では、在ることが変わって行ったのである。
【悪魔なんて大嫌い】と、そう言う思いは、確かに軽部の中には在った。
それですら、安藤と知り合う内に、忘れて居ることが在る。
本質的には、安藤の事が好きでも、軽部自身は悪魔嫌いであると言うことだ。
そして、現状において、それは変わらず、たまたま、彼女の平坦な胸にぶっ刺さった矢のせいか、【明日野という少年に恋をしている】のである。
それはともかく、明日野は悩んでいた。
「…………さぁ、飲んでくれるな? ガブリエル」
「え? やだ」
あくまでも、紳士的な明日野が、出来るだけの紳士ぶりを発揮し、手の中の容器を軽部に差し出しても、とうの軽部は、拒否を示した。
「…………お、お前は何を言ってるんだ? コレを飲めば、あの矢の効果は消え、お前は自由なのだぞ!?」
「んーと、それってさ…………私が、また大ちゃん嫌いに成るって事でしょう?」
「…………そうだが?」
「うん、だから…………やだ」
当たり前のように、軽部は拒否を示し、明日野は困惑した。
当然なのかも知れないが、好きな相手を、突然嫌いに成れと言われれば、誰だって嫌だろう。
勿論、明日野自身、突然誰かから咲良を嫌いに成れと言われたら、まず間違いなく、ソイツを地獄に落とすだろう。
ともかく、実にめんどくさい事態が発展していた。
すでに、十分以上が経過しつつも、明日野は、必死に軽部を説得し続け、軽部は、端的に【飲みたくない】という意志を示した。
そんなバカップルを、のどかに眺めるのは、その辺のベンチに腰掛けた老人と少女である。
「ほらな? お嬢さん…………人と人に、幸せなんて無いだろう?」
「そうですかね…………でも、理恵ちゃんは結構幸せそうですけど?」
「一方が迫るのに対して、一方が嫌がって至ら、相手方が迷惑だろうに?」
「んー、まぁ、そうですけど…………でも、ベルフェゴールさん、例えば、明日野が、本当に軽部さんを好きなら、それはどうなんです?」
「お嬢さん…………矢のせいで好きに成ってたら、それは駄目では?」
「えー? じゃあなんであんな矢を作ったんですか? それだって、本当はベルフェゴールさんが、人と人の愛を信じたいからじゃないんですか?」
「おっと…………こりゃあ手厳しいのぅ…………」
と、中学生と老人が恋愛談義に意見を交わす中、一方では、ようやく意見が纏まったらしい。
「ガブリエル! 一つ聞こう」
「はい、どうぞ!」
意を決した、明日野は、敢えて軽部を本名で呼び、呼ばれた軽部にしても、その声は実にうれしげである。
「つまるところ…………貴様は、自分の愛が偽りで在ると認めるのだな?」
いよいよ持って、明日野は確信に触れた。
そんな明日野の指摘に、軽部は、僅かに震える。
【そうだ】と言えば、明日野への愛を偽る事に成るだろう。 軽部の胸に燃える恋は、ただのアイテムによる効果に過ぎず、ただの洗脳に過ぎないのだと。
【そうではない】と言えば、軽部は、自分を偽る事になる。 どう頑張ろうと、矢の力は凄まじく、理由も分からず、ただ明日野が好きなのだ。
そんな風に悩む軽部に、明日野は、容器をスッと差し出した。
「ガブリエルよ……いい加減、白黒つけようではないか? コレを飲めば、貴様の矢の効果は何とかなるやも知れん……が、逆に言えば、コレを飲むと言うことが、貴様の愛が偽りではないという証明足り得るだろう?」
真摯な明日野に、軽部は僅かに唇を噛んだ。
「じゃあ……飲むよ……でも、一個だけ、お願いを聞いてくれる?」
どこか、モジモジとしながらも、軽部はそう言う。
やっとの事で、今回の事件が解決をする道を見いだした明日野は、スゥッと息を吸い込み、胸を張る。
「良かろう…………言うてみよ…………」
「じゃあね、口移しで………… 」
軽部の、まるで【ジュース買って】ぐらいの口調のおねだりに、明日野の眉間には皺が寄る。
「すまんな……どうにも、耳が遠くなったらしい……もう一度言ってくれ」
「だから、口移しで飲ませて」
実に聞き捨て成らない軽部の声に、理沙は、ガタッとベンチから立ち上がった。




