いただきます
「後ろにお客様…………後は…前に居ます………ちゃっちゃと片付けますので……」
それだけ言い残すと、マルコは風の様に走り去る、周りの木々や藪にも関わらず。
敢えて黙ってマルコを見送った明日野だが、背後の気配には気付いていた。
「いつまでそうしてるんだ…………理彩」
そんな明日野の言葉に反応してか、彼の後ろの方の茂みがガサリと音を立てた。
音の方へと悠々近寄る明日野。
小さな藪の影からは、何故か両手を上げた理沙が恐る恐る姿を表す。
「…………見つかっちゃった?」
未だに、ホールドアップの姿勢を崩さない理沙を見て、明日野は鼻から嘆息を漏らす。
「………で? 何をしてるんだ?」
手で、腕を下げろと指示を出しつつ、明日野はそう問いかけた。
どこか、興味津々と近づいて来る理沙。
何も無いのに手から火を出して見せた久座と、それを見ても平然と話していた明日野に、理沙は何かを感じ取っていた。
「………てかさ、聞いても、良い? あんたら………何モンなの?」
その性格故にか、理彩はメンドクサい質問は飛ばし、聞きたいことそのものをズバリと聞いた。
理沙の質問は、明日野は困るモノが在るのだが、どうしたものかと悩んでいると、理沙が先に明日野へと詰め寄る。
「ね、でさ、なに? ちょーのーりょくとか、そう言う奴?」
如何にも興味津々です、といった風情の理彩だが、明日野は咲良の妹には嘘は付きたくなかった。
「なぁ……俺が………悪魔だって言ったら……お前は信じるか?」
そう言う明日野の顔は、何処までも真剣そのものなのだが、理沙は逆に片方の眉を跳ね上げ、疑問だという顔を見せた。
「は? なにそれ?」理沙の言葉はつまらなそうなモノでしかなく、ため息を吐く。
「なぁんだ……手品か何かって事? なにそれ、期待して損した」
そんな、落胆したような理沙の言葉に、明日野は頷き、少し笑う。
「…………そう、ソレで良い。 知ってるか? 久座さんはさ、俺の昔の知り合いでな、昔はマジックショーとかやってたんだ。 面白いだろ?」
明日野がそう言うと、理沙も少し笑う。
「…………なにそれ? そうなの? へぇ、やっぱり明日野って結構面白い奴……かもね……」
理沙の面白げな笑いに、明日野つられて笑う。
確かに、久座は手品に近いことをしていたかも知れない。
地獄に在って、其処に渦巻く【煉獄の炎】が無ければ、亡者は救い無く其処を永久に這い回らねば成らず、全ての罪を焼いて浄化してくれるクザファンは、亡者達には在る意味救いとも言えた。
楽しげに談笑を交わす明日野と理沙。
だが、一瞬にして明日野の顔が切り替わり、理沙を抱いて素早く横へ三メートルは軽々飛んだ。
彼等が居たすぐ横の藪からは、猪が飛び出す。
理沙は何がなにやらと分からず、突然明日野に抱きしめられて顔を赤くしたが、明日野は目を細める。
何かから必死に逃げる猪だが、十五メートル程走った所で、突然倒れ込んだ。
理沙は転がる猪、それを見ても、転んだ程度にしか思わなかったが、明日野は違う。
猪に向かって飛んでいく矢が放つ風切り音。
ソレを、理彩はしっかりと聞いていた。
理沙が慌てて明日野の腕から離れようと考えたが、またしても藪からガサガサと音がしたため、思わず明日野の意外にもがっしりとした胸板に抱きついていた。
音の正体、それはマルコであり、ニッコリ笑みを崩さない彼を見て、理沙の顔は青くなる。
躊躇無く目の前で命一つが消えたという事実に、理沙の頭は付いてはいけず、何も考えられなかった。
だが、そんな理彩には関わらず、明日野はニヤリと笑う。
「素晴らしい腕前。 感服したぞマルコ……ところで、それが今宵の?」
「ええ、勿論です………と、いいたい所ですが、残念ながらアレは後の予約のお客様の分でして………あぁ、大丈夫です。 明日野さん達の分はキチンと熟成させてますから!」
平然としている明日野に、マルコも当たり前の様に返すが、理彩にはそれが理解できなかった。
必死に明日野の腕から逃れた理沙は、両手で自分の肩を抱く。
あまりに平然としている明日野とマルコの二人に、理彩は寒気すら覚えた。
「は? なに? なんなの? 平気で生き物殺しておいて………なんなの!?」
思わず怒声を張り上げる理彩。
だが、明日野もマルコも首を傾げるばかりでとりあわない。
困り顔のマルコを手で制し、明日野は理沙の正面に立った。
「何を驚く? お前も、毎日何かを食べているのであろう?」
「………だからって………」
明日野の疑問に、理沙は僅かに唇を噛んだ。
「では、どう違うのだ? あの猪は確かに死んだ。 だが、それは食べる為であって仕方のないことだろう?」
明日野の疑問に、理沙は困惑してしまう。
そのためか、横で軽々と猪を運ぶマルコを、理沙は見落としていた。
「人間は不可思議だ……遊びの為なら魚を偽の餌で騙し、散々引きずり回した挙げ句、遊びだといってまた捨てる………お前もそうだな?」
そんな明日野の言葉に、理沙は顔を上げて彼を睨むが、直ぐに理沙の目からは力が失われる。
冷たい目をして理沙を睨む明日野。
大悪魔のほんの僅かな気に当てられてか、理沙の身体は僅かに震えてしまう。
「前に見たぞ? お前は近くに捨てられていた子猫を少し弄んで可愛いとは言うが、ソイツを拾いはしなかった。 教えておこう、その子猫はちょっと前に保健所が連れて行ったぞ?」
端的に事実を告げる明日野の言葉に、理沙の頭はがくりと落ちた。
だが、明日野には悪気は無く、佐田や蠅野の言葉に従い、人間界には咲良の事を除けば、必要以上には干渉しようとも思ってはいなかっただけの話である。
そして、もう一つ理沙が勘違いしている事がある。
理沙の考えがどうであれ、明日野は本性は人間ではなく、悪魔なのだ。
悔しげに唇を噛む理沙の肩を、明日野はポンと叩く。
「そう落ち込むな、あの猪は死んでしまったが、その変わりに俺達が生きられる………食べるという事に感謝しようではないか」
それだけ言うと、明日野は遠ざかるマルコの後をゆっくりと歩く。
反論する気も起きず、理彩もまた、明日野の後をトボトボと追うしかなかった。
明日野と理沙が散歩から帰って来た頃には、咲良達も湯上がりであり、しっとり感を増した浴衣姿の咲良を見て、明日野は固まった。
無論部屋の片隅で寝かされている軽部など意にも介さず。
明日野の反応を見てか、咲良と同じく浴衣だが、敢えて豊かな胸元を強調する様な安藤が明日野に手を振る。
「お! どうだね明日野君! 僕と咲良の瑞々しい湯上がり姿の感想は?」
風呂上がりに加え、浴衣姿からか、しっとり感を増した安藤の、突然のキラーパス。
だが、咲良も面白がってか、ニコニコとしており、明日野は非常に返答に困っていた。
「…あの……咲良さん……お綺麗です……ついでに、安藤先輩も…」
なんとかそれだけ絞り出す明日野。
そんな少年の反応を見て、綺麗と言われた咲良は気を良くしたが、安藤は眉を寄せた。
「ついで? ついでとはどういう意味だい!? ついでとは!?」
立ち上がろうとする安藤を、咲良はまぁまぁと諫め、相も変わらず明日野は不動の姿勢を貫く。
だが、そんなおちゃらける三人を後目に、理沙はコソコソとしていた。
妹の姿を見つけて、思わず安藤を解き放ってしまう咲良。
「ははは!? 今日こそ僕と【仲良く】しようじゃないか!? あすの君!?」
「ちょ…………止めろ!? アンドロマリウス!?」
悲鳴を上げて逃げ始める明日野を、安藤は笑いながら追いかけていった。
二人の悪魔は置いておくとしても、咲良はどこか纏う雰囲気が暗い妹が心配に成ってしまう。
「どうしかした? 何かあったの?」
そんな姉の質問に、理沙は口を噤んだ。
理沙の主観で見たのは、久座の手品と、マルコが猪に矢を放った、それだけで特に問題とは言えず、理沙は無理やり笑顔を作る。
「………だ、大丈夫………あ、私も、お風呂はいってこよっと………」
取り繕う為に、理沙も備え付けの浴衣を手に、一行が泊まる部屋を出ていってしまう。
そんな妹を、心配首を傾げる咲良だが、直ぐに気を取り直して、部屋の片隅に放置されている哀れな軽部の方へ顔を向けた。
「すみません、お風呂って、どっち……ですかね?」
唐突に思いついた理彩だが、風呂の場所を知らないために、受付に陣取る久座にそう訪ねる。
「あぁ、そっちを真っ直ぐ行って、女湯に入っておくれ」
相も変わらず、煙管を平然とふかす久座。
ぺこりと頭を下げ、女湯を目指す理彩だが、頭に在る疑惑に勝てず、彼女は振り向いて久座を見る。
「あの………明日野君とは知り合いなんですか?」
「ん? あぁ、そうだよ?」
先ずはと軽い理沙の質問に、久座も飄々と答える。
自分の指先をゴシゴシと少し擦ってから、理沙は久座の顔を見た。
「さっき………あの、指から火が出てましたけど………明日野は、アレは手品だって言うんですけど?」
理沙は、恐る恐るそう言う。
本心では、何かが起こるのではないかと期待したが、生憎と久座は目を伏せ、煙管の灰を小さな竹筒に、ポンと落とした。
「あぁ、そうだよ? 昔はアレで食べてたからねぇ、どうだい? 一つやって見せようか?」
そう言うと久座に、理沙は「あ、大丈夫ですから」とだけ言い残してトボトボと風呂を目指したが、そんな理沙の背中、久座は面白そうに見送った。
他の客が居ない為か、今の女湯には理沙一人。
手で湯を掬い、理沙が自分の顔に当てると、家の風呂とはどこか違う柔らかい湯は、ピチャリと音を立てた。
明日野の言い分も分かるが、あの場にて反論できなかったのは理彩には悔しく、ムゥッと頬を膨らませる。
力を溜めて腕を上げ、水面に叩きつけ様とした瞬間、後ろから戸が開かれる音に、思わず湯の中へと身体をザブンと踊り込ませた。
女湯を開けたのは安藤であり、浴衣のままで露天風呂までズカズカと踏み込んでくる。
壁一枚向こうの男湯では蠅野と明日野の言い合いが始まっているようでもあったが、安藤は両手をメガホンの形にして、口元に当てる。
「こらー!? 卑怯だとは思わないのかい!? 僕がそっちへ行けないからってさ!? あぁいいよ!? 今からソッチヘ行ってやるから!?」
錯乱しているのか、あらぬことを口走る安藤の足首を、理沙の手が掴む。
ムムッと振り向く安藤の眉は、見事な逆八の字を描いていた。
「あの……安藤さん、落ち着いて………だって…」
理沙の制止の言葉に続いてか、壁の向こうからは蠅野と明日野の言葉も飛んでくる。
「そうだぞー! お前は女の子だから男湯に来ちゃいけないんだぞー!」
「まぁまぁまぁまぁまぁまぁ…………おい明日野、お前は黙ってろ…………安藤さーん! ごめんなさーい! 旅先なんで休ませてくださーい!」
壁の向こうの男湯からの声と、湯船から僅か顔と片腕を出している理沙の必死の訴えに、安藤はプンスカと頬を膨らませていた。
そんな、悪魔三人のおかげさまなのか、理沙も先ほどまでの暗さは何処へやら、面白そうに笑うことができた。
さて、そうやってようやく全員が部屋に集まる事ができ、咲良と明日野はニコニコ、蠅野と軽部は疲れ顔、理彩と安藤は仏頂面であった。
理由としては難しいモノではなく、咲良はいつも通りのほほんとしており、素早く彼女の隣を確保した明日野も笑顔である。
蠅野はせっかくの休みに、暴走する悪魔二人に翻弄され、軽部は咲良の介抱もあって回復したが、流石に死ぬ寸前まで沈められるのは天使と言えどキツいモノが在った。
安藤が仏頂面なのは明日野が主な理由だが、理沙の場合は別である。
六人の前に用意されたのは鍋二つ。
鍋の周りには、色とりどりの野菜と、牡丹の花の様に美しく盛られた肉。
ソレを見て、テーブルの横で従業員マルコが笑っていた。
「えー、見ての通り、今宵の当宿自慢の夕食は、牡丹鍋で御座います。 お肉には火は必ず、良く通してからお召し上がりください……それではごゆっくり」
それだけ言うと、マルコは一礼してから部屋を後にする。
和気あいあいと始まる夕食。
咲良は持ち前の性格から積極的に調理を始め、もう一つの鍋は気を取り直した安藤が鍋奉行と化していた。
そんな安藤の姿を見て、軽部が「素敵!」と漏らしていたのは御愛嬌だろう。
一人、酒を楽しむのは蠅野。
それを見て、明日野と安藤も思わず唾を飲んだが、蠅野はクスっと笑う。
「駄目ですよ? お二人は、が く せ いでしょう? お酒は二十歳に成ってから…………」
そう言うと、蠅野はグイッと酒を呷る。
勿論、明日野も安藤も、本当の年齢は数える方がめんどくさいのだが、一応は高校生という縛りの為か、この場は渋々我慢をした。
ふと、安藤は横目に箸を取らない理沙を見つけ首を傾げる。
「あれ?どしたの?」
「…あ、いえ……」
安藤の疑問に、理沙は、ひさしぶりに両手を前に合わせる。
「……いただき、ます」
それを言うのは、何年ぶりになるか分からないが、理沙はそう言うと箸を手に取る。
昼間見たこと、それを頭の奥へと押しやり、意を決して小皿に取られた肉を、口へと運んだ。
深いコク、だが、決してくどくとはない肉に、【竈屋】特性の割り下が絡み付き、深い味わいを理沙に与えてくれた。
「…!……美味しい…」
明日野に言われたことを思い出しつつ、理沙は箸を進めるのだった。
狩猟期間以外の猟は、当たり前ですが、免許が無ければ違法なので真似しないでください。




