お出かけ日和
咲良本人は確かに、温泉旅行には同意を示してくれた。
指折り数えて週末のその日を待ってはいたのだが、あまり明日野の気分は優れない。
咲良との旅行。
それは間違い無く明日野も喜んだが、言って良いならば二人きりなら最高であったろう。
だが、生憎とニコニコ笑う咲良の横には、何人か姿が在った。
集まった皆が、それぞれにめかし込み、何とも華やかなのだが、何故か明日野は相も変わらず学生服である。
「やぁ明日野君! 酷いじゃないかい? 僕を誘ってくれないなんてさ、でもまぁ………蠅野さんの誘いとあらばしょうがないよね?」
どう見ても残念そうには見えない安藤。
「てかさ、なんでアンタ居んの? 男は蠅野…………さん、だけで良くない? 金欠病なんでしょ、帰んないの?」
元同僚とは言え、蠅野にさん付けするのは抵抗が在るらしい軽部の嫌味な挨拶。
「まぁまぁまぁ、少年! お姉ちゃんと一緒に私も誘ってくれるなんて良いところ在るのね? 少しは…………見直したわ」
ご挨拶な理沙の言葉に、明日野の頭と肩はがっくりと落ちた。
そんな一行を迎えに来たのは、蠅野操る十人は乗れそうな大きめのワンボックスであり、それを見た女性陣はオオッと声を上げる。
これならばと、明日野も何としても咲良の隣を確保しようと考えていたのだが、運転手である蠅野からは残酷な言葉が漏れる。
「やぁ明日野…………悪いけど、助手席でナビを手伝ってくれないか?」
爽やかに笑う蠅野だが、明日野には彼の本来の姿である悪魔の笑みにしか見えなかった。
温泉旅行へと出掛ける車内では、プチ女子会が後部座席で行われていた。
女の子達による【キャッキャッウフフ】な会話が繰り広げられる中、運転手の蠅野はニヤニヤと笑いつつ、明日野はムスッとしていた。
だが、そんな明日野に蠅野からメモ用紙が一枚渡される。
「なんだよ、コレ?」
そんな風につまらなそうに語る明日野だが、メモの内容を見るにつれて顔が変わっていく。
同時に、そんな少年の横顔を見た蠅野の顔もまた、鼻で少し笑う。
「佐田さんからのお土産だよ…………流石は親分だよねぇ、きっちりと子分の事を思ってくれていると思わないかい?」
蠅野が言うように、明日野が渡されたメモには在らぬ内容が書かれている。
【学生の身で借金返済はキツいだろう? お前が温泉に行くなら、お前も良く知っているアイツに連絡しておく 佐田】
文面はどうであれ、メモの内容は酷く抽象的に書かれた何かの地図の様であった。
「それが、何の意味なのかは、僕も教えてもらってないんですけど……でもほら、元気だしてくださいよ!」
訝しむ明日野をよそに、蠅野はそう言うと車のオーディオを操作してノリの良い曲を掛けたが、イントロは、ノリが良いのだが、ボーカルの声が聞こえて来た時点で、明日野の眉は、八の字を示した。
曲を耳にした理沙が、後部座席から顔を覗かせる。
「あ! コレ【堕天使】のアルバムですよね!? 蠅野さんも結構このアルバムとか聞くんですか!?」
何故か若干鼻息が荒い理沙の言葉に、蠅野は苦笑いを浮かべ、明日野は眉を寄せる。
理沙の言葉がどうのこうのではなく、流れる歌声に聞き覚えが在るからだ。
「うん、いやまぁ…………バンドの人とね、その………知り合いだからCDを貰ったからね…………それ…………」
蠅野は当たり前の様に言うのだが、蠅野言葉を断ち切る様に理沙の興奮は更に高まってしまう。
「えぇ!? し、し、知ってるんですか!?」
理沙は興奮気味にそう言うが、明日野と蠅野からすれば答えに窮していた。
理沙が語ったバンド【堕天使】は、一応人気のグループだが、生憎と蠅野と明日野の二人はそのメンバーと知り合いどころか良く知っている間柄である。
特にボーカルのルシフェルなど、もはや偽名ですらなく、有り体に言えば、そのまんまであり、蠅野と明日野の、彼等二人からすれば首を傾げていた。
余談では在るが、人気グループ【堕天使】はボーカルをルシフェル、ギターをパイモン、ベースギターはバティン、ドラムはベリアルという、分かる人が聞けば裸足で逃げ出す程の面子である。
余談では在るがパイモンとバティンの二人はルシフェルの側近であり、パイモンは最もルシフェルに忠実な悪魔であり、二百の軍団を率いる地獄の西欧を治める悪魔王にして元ソロモン七十二柱の一人である。 バティンは三十の精鋭軍団を率いるが、悪魔にしては珍しくとても愛想の良い蒼白公の異名を持っていると同時にバティンもまた、同じく元ソロモン七十二柱であった。
ベリアルが参加している理由は難しいモノではなく、彼の字は幾つか在り、【炎の王】【敵意を持つ天使】というものだ。
性格はどちらかと言えばひねくれており、弁舌巧みな悪魔として知られている。 地上においては長らく詐欺すれすれの行為を行っていたが、端的にルシフェルのバンドに加わったのは【詐欺やってるよりもドラム叩いてる方が健康的やろ?】と、ルシフェルに誘われたからだった。
とは言え、本性は悪魔だが表向きはあくまでも芸名とされており、寧ろ曲を聞いた安藤は苦笑いを浮かべ、軽部は顔を青くしていた。
ともあれ、一行を乗せたワンボックスは一気に温泉場へと着くわけでもなく、高品姉妹に合わせて休憩を取るためにサービスエリアへと着く。
止まった車からは一行が降り立ち、明日野は背骨をバキボキと鳴らす。 背伸びを終えた明日野は、蠅野から小銭入れを投げ渡された。
「ほら、それで飲み物でも仕入れて来てくださいよ」
意外な程面倒見の良い蠅野に、明日野は手を振る。
「………おぅよ、で? お前は何を飲むんだ?」
そんな明日野の言葉に応じてか、女性陣からは口々に色々な注文を受けることに成ってしまった。
「悪いね、無糖の紅茶を頼むよ!」「あ? あぁ、なんか微炭酸な奴」「ごめんね明日野君、烏龍茶お願い」「うーんとね、ミルクティで!」
聖徳太子でなければ聞き取れない様なほぼ同時に四人の御注文を受け、明日野は苦笑しながら「かしこまりました、お嬢様」とだけ返していた。
腐っても彼は大悪魔である。
高々四人程度の声を聞き違える事はなく、明日野は悠々と売店へと歩いていった。
そんな明日野の背中を、少しすまなそうに見送る咲良。
それを見て、安藤はほんの少しだけ眉を寄せるが、直ぐにいつもの笑顔を見せる。
「ねぇ咲良…………聞いても良いかな?」
女性でありながら、安藤は彼女特有の口調で咲良に話し掛ける。
「はい、安藤さん、どうかしました?」
そんな咲良の返事は、とても柔らかい。
この時、安藤はほんの少しだけ咲良に何かを感じ取っていた。
咲良は別に、どうという特別な子ではない。
絶世の美女という程でもなく、力や天から与えられた加護を持つわけでもなく、特別な何かがある訳でもなく、誰に対しても彼女は分部立て無く柔らかい態度を崩さない。
「んーん、ごめん、何でもないんだ………なんでも…」
安藤はほんの少しだけ明日野が咲良に惹かれる理由が分かった気がする。
【色欲】を司る程の大悪魔が、何故にたった一人の女の子に惹かれるのかを。
女性陣一行からの注文を片付けるべく、明日野はサービスエリアの売店へと赴いていた。
端から見ればパシリなのだが、咲良の頼みと有れば断る気は明日野には無い。
とは言え、もしもコレが明日野の部下で在ろうものなら【神曲 地獄一周フルマラソンの刑】に処されるだろう。
飲み物を買い終えた明日野だが、意外なモノを見つけ出した。
売店には飲食店すら併設されているのが最近では当たり前だが、何かしらのおやつを買って行った方が良いのではないかと明日野は思う。
第一彼のポケットに在るのは蠅野の小銭入れであり、それを使うことに躊躇は無かった。
【天使の輪っか】そんな名前の所謂小さいドーナツを売っているらしく、些か名前が気に入らないが、特に他にめぼしいモノが無いために明日野はしぶしぶと店の前に立った。
「すみませーん、四人前くださーい!」
厨房の奥に居るらしい店員にそんな声を掛ける明日野だが、彼は地上暮らしが短い為に在ることを見落としていた。
飲食店にフードを深く被ったまま従事する者など有り得ないのだが、明日野は気にもしない。
卵とハチミツ、バニラエッセンスが甘い香りを放つ小さいドーナツがたっぷり入った紙袋を受け取り、代金を明日野は払った。
「ありがとうございます。 ところで…………お客様は悪魔ですよね?」
唐突な謎の店員の言葉に、カウンター越しだが明日野は躊躇わず身構えた。
だが、そんな少年に構うことはないかの如く、店員はカウンターの下から変てこなモノを取り出して見せる。
店員が取り出した変てこなモノ。
ハートを鏃とした一組の短い矢の様なモノを見て、明日野は唾を飲み込んだ。
「…………そ、それは…………」
明日野も元々は天使である為か、ソレが何なのかは知っている。
戸惑う少年を見て、フードで隠されていない店員の口はニヤリと笑う。
「ええ、そうです。 コレはキューピットの矢ですよ、如何です?」
謎の店員が語った【キューピットの矢】。
端的に言えば即効性のある恋愛成就の切り札である。
原理や理屈がどうであれ、この一組の矢に射抜かれた者は恋に落ちるのだ。
例えばらソレが同性であろうと、例えばシマウマとライオンであろうと。
若干息が荒くなる明日野だが、首を振って邪念を打ち消し、店員に向き直る。
「天使もチンケな商売をする様になったな、生憎と俺様はその様な小細工に頼るつもりは無い。 敵でないなら俺様も天使の邪魔はせん。 ま、せいぜい頑張ってシノギの為にドーナツを売っててくれ」
手を振って踵を返し、売店を後にする明日野の背中に、謎の店員は笑って呟きを送っていた。
「…………おやおや…………やっぱり変わってませんよね?」
険しい顔をしていた明日野だが、車へと戻る頃には笑顔を作る。
手を振ってくれる三人と、ムスッとしたままの軽部を見て、うんうんと首を少し縦に振っていた。
「いやいや、お待たせしました、お嬢様」
余談では在るが、明日野自身と蠅野の分の飲み物やらを買い忘れていたことを気付いたのは、サービスエリアを遠く離れてからの事であった。