限界は超えるもの
三杯の丼を重ねた明日野の前に、「どうぞ~」という軽い声と共に【ソースカツ丼】という名の第二の刺客が送られた。
それを見計らい、佐田は料理の説明に入る。
「はい、二杯目の丼は…………ソースカツ丼です! 豚は黒豚、揚げ油はラード、一口カツにはヒレを使い、ロースカツは肩ロースを使用し、ソースはロクさん秘伝のソースらしいので、会場の皆様には申し訳ないのですが、ソースに付いては企業秘密だそうです! 申し訳在りません!」
佐田のすまなそうなコールに、会場からはがっかりしたようなざわめきが僅かに起こる。
明日野の前には丼が一つ。 一口ヒレカツ二枚、ロースカツを一枚の半分。
それを隠し味がふんだんに効いたソースを纏い得も言われぬ甘辛い独特の香りを放っている。
空腹であればどれほど嬉しいかな。
だが、生憎と明日野の胃には既に三杯分の丼が収められており、新しく目の前に差し出されたそれに対して、明日野は僅かにゲフッと息を漏らしていた。
追走するのは青の店員だが、相も変わらず溶接面のせいで彼の顔は見えず、ようとしてその顔色は伺えない。 対して悪魔三人ぐみはニコニコと食べ進めており、三杯程度の丼では汗一つ見せてはくれない。
一般参加者の中には三杯目の親子丼でギブアップをする者も現れ始めていたが、それはあまり明日野にとっては福音足り得ず、ともかくはとソースが染みつつもサクリとした食感を失わないカツを咀嚼し始めていた。
悠々と見ていた筈の理彩ではあるが、客観的に見られる彼女からすれば明日野の状態はそれ程良くは見えない。
額に汗を見せ、眉根を寄せてソースカツ丼と格闘を続ける御近所さんと違い、蠅野、レヴィア、ベッヒーの三人には独特の風格と余裕すら漂う。
強いてあげるのであれば、青の店員の様子は分からなかった。
一般参加者達が脂汗を流し苦しみ出す頃。
ほぼ同時にレヴィアとベッヒーは手を上げる。
「いやはや…………このソースカツ丼もまた絶品と称しても良いと思いへんか? レヴィアちゃん?」サラッと言葉を告げながら食べるベッヒーに続き、リスの如く頬を膨らませていたはずのレヴィアは、その口の中のモノをゴクンと飲み込む。
「ホントですよねぇ………このカツに絡む甘辛さは素晴らしく、第一見てくださいよ、ホントならカツは大概は一種類なのに、この丼には二種類も入って超お得ですよね!?」
余裕すら感じさせるタレント二人に対して、傍目には学生に過ぎない明日野もまた脂汗を額に浮かべていた。 どちらかと言えば細身の明日野は、既に三杯の丼でキツイものが在る。
だが、蠅野が悠々食べ進めているという事が明日野には引っかかっていた。
そんな悩む明日野を見つけ、佐田はマイクを握って笑う。
「おおっと!? 高校生の明日野君! いよいよ苦しく成ってきてしまったかぁ!?」
佐田のコールに、会場からはそこはかとない頑張れといった声援が送られるが、明日野の顔は冴えない。
身長自体は蠅野と明日野にはそれほどの差は無く、寧ろ体重すら同じくらいだろう。
だが、蠅野は涼しげな顔で食べている。
コレには明日野は疑問であった。
受肉化し、あくまでも人間として暮らしている彼等もまた能力は使ってはいない。
そもそも使えば明日野ですら肌でそれを感じ取る事は容易く、何かをしている事は明白であった。
無論、未だに涼しげな顔で食べ進める一般参加者も多いが、それは体質的なモノであり、明日野は其処に目を付けた。
箸を止め口を膨らませている明日野を見て理彩は手でメガホンの形を作る。
「ほら! どうした少年! 頑張らないとお姉ちゃんに言いつけるぞ!」
中学生程度の少女の可愛らしい激励に、周りからは微笑ましいといった笑いが少し起こる。
だが、そんな理沙の言葉は確実に明日野の耳に届いていた。
受肉化とは悪魔が人に擬態しているに過ぎず、それはあくまでも仮初めの身体に過ぎない。
つまり、能力を使わずとも在る程度は自由に出来る。
実際人間では有り得ない速度で自分が走れる事を思い出した明日野は、ニヤッと笑い箸を動かし始めた。
「お変わりくださーい!」そんな高らかな声が、魔族五人からはほぼ同時に出ていた。
都合六杯目のソースカツ丼を食べ始めた明日野を見て、蠅野からは笑顔が消える。
先程までの苦しい顔はなりを潜め、今や自分と同じ様に食べ進める。
相も変わらず営業スマイル全開なのはタレント二人ぐらいなモノであった。
だいたいのペースを把握している佐田は、次の料理の説明へと移る。
「さて、三品目の丼は…………天丼です! おおっと…………此処にきてまさかの油モノダブル…………挑戦者達の腹に重い重いボディブロウが入りますねぇ…………」
未だに余裕綽々である魔族五人を除いて、一般参加者達は目を疑った。
運ばれるのは蓋からはみ出す赤い尻尾。
そう、それはまさしくエビ天丼であった。
観客達がオオとざわめき出すのを合図にか、佐田は相も変わらず料理の説明を開始する。
「はい、この天丼はエビだけは特別ですが、通常の海老ならば【美食の館】にて提供されております。 ですので、大会に関わらず皆さんふるって定食屋【美食の館】をご利用くださ~い!」
佐田の挨拶もそこそこに、明日野はサッと天丼に乗せられた蓋に手を掛けた。
蓋を取り払われ、甘めのタレの香りが鼻をくすぐる。
ホッコリとしたエビ天は如何にも旨そうなのだが、生憎と観客達と違って一般参加者達は汗を滝のように流していた。
此処に着て、レヴィアからも笑顔消える。
彼女もまた大食い自慢を自負しているが、生憎と彼女の隣にはベッヒーもとい、大食いで伝説を残すベヒーモスが鎮座していた。
彼女は思う、どうすれば隣や他の敵達を出し抜けるのかと。
『ベッヒーはこのまま進むのは間違いない。 ガブガブとお茶を飲み込んでいた青の騎士は…………もう駄目ね、溶接面から汗がポタポタ漏れているのが分かる。 ベルゼバブもそう、顔こそ涼しい顔をしてはいても、あなたのお腹はボッコリと妊婦の様に膨らんでいる…………このままベッヒーにペースを合わせ、最後に出し抜けば…………』
そんなレヴィアの思惑とは別に、彼女は我が目を疑っていた。
なんと、天丼の味を楽しんでいる自分をよそに、明日野が手を挙げるのが目に入ってしまう。
「お変わりくださーい!」
そんな明日野のコールを聞いて、レヴィアは『馬鹿な!?』と、心の中で相手を疑い始めた。
無論、大声で在るために他の参加者にも丸聞こえであるが、笑顔のベッヒーすらわずかにその額に汗を滲ませていた。
『あり得へん!? なんでたかが大悪魔風情に元神獣であるワイが遅れを取らなあかんねん!? 何でや明日野はん!? 何でや!?』
ベッヒーの心の声は別として、彼らは間違っている事がある。
ある程度余裕綽々な生活を送る彼らと違い、明日野はカツカツな上に今や借金を抱えているのだ。
まさに、その差が彼に覚悟を生んでいた。
明日野が箸を止めることは無く、ガツガツとかき込むように天丼を腹に収めていってしまう。
『勝たねばならない…………勝たねば俺に明日は無い…………勝てば咲良とウフフキャッキャッ…………グヘヘヘヘヘヘ』
そんな明日野の心に、身体は正直に応えてくれた。
今や蠅野に負けず劣らずお腹がぽっこりと膨らんでいるのだが、明日野は胃の苦痛を無視している。
「お変わりくださーい!!」
周りですらそのドスの効いた低い声に驚き、一番に手を挙げた明日野に困惑する。
能力は使わずとも、流石は【色欲】を司るとでも言うべきか、少年の笑顔は形容しがたいモノであった。