地獄に仏
ちょっとした事件から数日後。
少年は憂鬱であった。
制服は直ぐに買えたのだが、財布には既にロクに残っておらず、マモンから借りた金も底をつき掛けている。
オマケと言わんばかりに明日野は借金達磨であり、現在総額で【百飛んで九十万円也】と言った所であった。 勿論蠅野に相談はしたが、無碍に明日野の懇願は退けられる。
あえて言うならば彼等はあくまでも悪魔なのだ。
つまり、決して善人ではないのだ。
無論、額が額だけに学生の明日野ではどうにもならず、明日野は一度安藤の家に行った事がある。
同じ学生とは思えないほど豪華なマンションに、明日野は目を白黒させたが、受付で怖々と「……あの…安藤さんはおいででしょうか?…」と尋ねると、あっさりと安藤はマンション前に現れた。
だが、其処で明日野は目を疑うモノを見てしまう。
色違いでは在るのだが、同じ様なバイクに跨がる安藤に、明日野は腕をぶんぶんと振り回しながら食ってかかったが意味はなかった。
「はぁ? 誰か一台しか持ってないって言ったんだい? だいたいね、僕が建て替えておいてあげたんだから早く返しておくれよ? …………それとも、僕と付き合ってくれる気になった? それなら………アレぐらいは忘れちゃうんだけど?」
小首を傾げてそう言う安藤に、明日野はプイッとそっぽを向きながら腕を組む。
「ふん! 痩せても枯れても大悪魔だぞ!? アレぐらいすぐ返してくれるわ!」
そんな明日野の負け惜しみに、安藤は溜め息を吐いてヘルメットを被る。
「ま、良いよ?……じゃあしっかりと稼いでね? あ す のくん!」
それだけ言い残すと、安藤はバイクのギアを入れて素早く走り去ってしまうが、それを見ながら、明日野は足元のアスファルトに皹が入るほど地団駄を踏んだ。
なんとか金を工面せんと明日野は渋々【職業安定所 嘆きの穴】へと向かったが、生憎と職員では話に成らない。
職員達は全員悪魔であり、尚且つ彼の部下すら居る。
オタオタしている職員を後目に、これまた渋々と代表の佐田の元へと頭を下げに行ったが、彼からは笑われてしまった。
「…………あぁ、アンドロマリウスのバイクぶっ壊したんだって? お前も災難だよなぁ? で?学生でも出来るアルバイトだろ?ちょっと待ってろよ?」
そう言う佐田が出してくれたのは、当たり前なのか普通のアルバイト先であり、平均時給七百~八百といった類のモノで在る。
当然ながらこれ以上稼げるアルバイトはないかと佐田に聞いたところ、明日野の意見は鼻で笑われた。
「はぁ? お前学生だろ? 学生に夜のバイトなんて健全な職業安定所のウチで出せる訳ないだろうが? 勿論、学生なんて止めちまって俺の所で働いてくれるんなら…………幾らでも在るんだぜ?」
そんな風に言われ、明日野はスゴスゴと退散した。
佐田に悪気は無いかと言われれば勿論在る。
何故なら、彼はサタンだからだ。
明日野は心の中で【この悪魔!】と叫んだが、彼自身からして悪魔であり、意味が無い。
そんな憂鬱の中、学校の机に突っ伏す明日野に天の声、もとい地獄に仏と言わんばかりに声が掛けられる。
未だにと言うべきか、暗い雰囲気の明日野に近付こうとするのは咲良だけであった。
何故かと言えば、普段は明るい明日野も、ここ最近はとみに暗く澱んでおり、授業中も何処か惚けた様子であったからだ。
「ねぇねぇ明日野君! 今度の週末にバイト先の近くで大食い大会が在るんだって!! でね、賞金はなんと二百万なんだよ!? …………でない?」
そんな咲良のありがたい御言葉に、明日野は端的に「……勿論出ます」と答えていた。
悪魔と言えど金には勝てず、明日野は賞金を何に使うかを既に構築し始めている。
『借金全部払っても…………十万は残る…………それで咲良をデートに誘って…………ブツブツブツ………グヘヘ…』
そんな妄想に浸っていたからこそ、明日野は聞き逃していた事が在る。
ボウッと呆ける少年の前では、咲良が嬉しそうに其処に現れる著名人に付いて語っていたのだが、残念にも明日野はそれを聞き逃していた。
一方その頃。 明日野の保護者である蠅野は相も変わらず胃と頭を痛めていた。
明日野の一件に付いては不問と処されたが、変わりに蠅野が言いつけられたのは明日野の隣に引っ越すという事である。
コレについては流石の蠅野も憤慨し、佐田に詰め寄ったが意味は無かった。
「お? だってお前保護者だろ? じゃあほら、やっぱり近くに住まないとさ…………安心してくれ、変わりにアスモデウスの面倒見てる間はユフィールが家の管理してくれるってよ………いやぁ、良い部下を持つってのは幸せだよな? な?」
そんな訳で明日野の隣の部屋には蠅野が住んでいる。
無論最初は彼も拒んだのだが、明日野部屋の天井について佐田から説明を求められ、蠅野は愕然とした。
要するに、少年が余計な事をしない様にと、監視役を蠅野が仰せつかった訳だ。
「ま、ほら…………お前一応保護者だろ? 面倒見てやれよ?」
どう見ても口を手で押さえながらそう言う佐田。
一発殴ろうかと、蠅野は悩んだが、直ぐに渋々「了解です」と返していた。
蠅野が治めるゴミ処理場は午後五時上がりである。
このご時世に有り得ないと思われるかも知れないが、キチンと仕事をしている彼等からすれば関係はない。
無断でゴミを出す不謹慎な人間も多いが、むしろ悪魔の方が律儀であった。
蠅野が悩む頃。 咲良が無事バイト先に着いた事を確認した明日野は自宅であるアパートへと走っていた。
無論、咲良は見られていた事は知らないが、コレに付いては明日野はあくまでも彼女の警護だと自負している。 本人無許可の行為は明らかなストーカーなのだが、明日野が限界まで気配を抑えれば周りの人間達は彼を小石程にも認識出来ない。
特に能力を使うわけではないが、要するに通勤電車や道を歩く際、例えそれが隣に居た人間だとしても、意識しなければその人を覚えてはいないだろう。
明日野が用いたのはコレを逆手に取った簡単なモノであり、それを看板したのは咲良のバイト先の店長であるユフィールだけであった。
一応彼女も助けられたら負い目からか、明日野が明らかにストーカー行為に勤しんでいたとしても、ユフィールは良心の呵責から少年の行為を渋々黙認してくれていた。
頭を押さえるユフィールを見て、咲良は首を傾げる。
「どうかしましたか? 店長?」そんな心配そうな咲良の声に、ユフィールはゆっくりと首を横へ振った。
「いえ、大丈夫…………なんでもないから…………」そんなユフィールの言葉に、咲良は眉を寄せながら逆の方向へ首を傾げていた。
犯罪が黙認される中。
唐突に、蠅野の部屋のドアは開け放たれた。
開けた主は明日野であり、彼の手には咲良から渡された町内会のチラシが握られ、その紙にはこんな文字が踊る。
【来たれ大食者! 町内会実施の大食い大会 タレントも二名参加!】
そんな紙をヒラヒラと示しながら、明日野は蠅野に詰め寄った。
「蠅野! 俺はこの大食い大会で優勝するぞ! 保護者として同意に署名してくれ!」
そんな明日野の元気一杯の声に、蠅野はゆっくりと振り向く。
保護者が手に持つ紙を見て、明日野は息を飲んだ。
「…………貴様!? まさか!?」明日野のその言葉に、蠅野は佐田から渡された紙を高々と掲げた。
「えぇ、そのまさかです…………僕も、出ますから………ほら、色々と買いたいモノが在りまして…………」
狭いアパートへの引っ越しに伴い、蠅野の持ち物は少ない。
スマホ、作業着、下着、財布、以上。
蠅野の言葉と共に、部屋の空気はグニャリと歪んでいく。
そんなおどろおどろしい雰囲気に明日野も汗をかいてしまう。
しばらくしてから明日野は「なん…………だと?」とだけ呟いていた。