敵は一人ではない
明日野少年の前に、かつて無い強敵が現れた。
それは同族で在りながら、明日野とは別のモノを司る大悪魔の一人である。
地上に在ってはゴミ処理場の部長であり、周りからの彼の信頼は厚く、地獄に在っての肩書きは物凄く長い。
【地獄帝国最高君主にして蠅騎士団の創設者兼、権勢を誇る蠅の王】
とは言え、専ら彼の周りからの呼び名は、【中間管理職】であった。
彼は確かに不浄と言われる蠅を友とするのだが、コレには彼は不満が在る。
「だいたい色んな所を汚くするから蠅達が喜ぶんですよ。 文句が在るならキチンと掃除して清潔を保ってください」と、そんな風に。
彼自身お金が無いかと言えばそうではないが、だからといって小僧の為に譲る気は無い。
長年先に地上に来てからの生活は長く、蠅野はお金の大切さを明日野に教え込みたかった。
そんな強敵を相手に、明日野は蠅野から貰った缶コーヒー二つを片手にアパートの部屋の外で黄昏ていた。
勝てるかどうかは五分五分と言いたい所だが、なにせ蠅野は【暴食】を司る大悪魔である。
能力を制限せずに食べるのであれば遅れは取らないと思うが、其処は明日野のつまらないプライドが邪魔をしていた。
そんな明日野の隣に、咲良の妹である理彩が現れる。
偶々というべきか、蠅野が一応は気を利かせて渡してくれた、缶コーヒーの一つを、理沙に手渡す。
普段で在れば別に気にもしない明日野だが、何処か途方に暮れる様な明日野は、珍しく弱々しい顔を見せていた。
それを見て、理彩も僅かに片方の眉を上げてみせる。
いつもで在れば姉以外には弱々しい顔を見せない少年に、理沙も何故か感慨深い思いをしていた。
「なに? いつもなら俺様節全開なのにさ…………なんかあったの?」
理沙の言葉は、明日野と咲良の関係の変化に因るものだ。
ちょっとした事件の後、思いもよらず明日野は咲良の妹と時折お茶を飲むという関係に発展していた。
学校でも在る意味評判高い明日野だが、咲良曰わく【ほっとけない少年】だと言うことであった。
「で?…………どしたの?」理彩からそう言われるが、借金が山ほど在るとは流石に言えず「いやぁ、大食い大会…………何が出るのかな?…………ってさ」と、明日野は少し、強がる。
そんな思わぬ明日野の言葉に、理沙は彼の背中をパンと叩いた。
「どうした!少年!いつもらしく元気出しなよ?………お姉ちゃんだって一応は応援してくれてんだしさ?」意外な理沙の激励に、明日野も「…………おうよ」と力強く返していた。
そんな明日野が面白いのか、理沙はケラケラと笑っていた。
本来、咲良意外の人間などどうとも思っていない明日野だが、理沙の言葉と二人で見る夕日は心に染みた。
その夜、咲良に呼び出された明日野は、高品姉妹の部屋の前に居た。
何の用かとウキウキしている明日野の前に、彼の想い人で在る咲良は現れ、彼女の顔は何故か満面の期待を湛えている。
コレはもしかしたらと少年も笑うが、彼が渡されたのは色紙二枚とサインペンだった。
何これ?という顔を明日野がしていると、少年の心の謎に答えるように咲良は笑う。
「ごめん! 私バイトで応援行けないの…………でも、有名なタレントが二人も来てくれるんだよ? 凄いと思わない?」
そんな沙羅の言葉に、当たり前だが明日野の眉は寄っていく。
だが、それに構うことなく咲良は来るであろうタレントに付いて懇切丁寧に話し始めた。
「なんと! 大食いタレントで有名なレヴィアさんとベッヒーだよ?…………知らないの?」
如何にも知りませんという顔をしていた明日野だが、咲良が上げた名前には試み当たりが在る。
無論、知り合いではないことを祈りつつ、明日野は口を開いた。
「…あの…その…レヴィアって人……もしかして髪の毛が少し緑がかった青で八重歯が?………」
そんな明日野の言葉に、咲良はウンと首を縦に振ってしまう。
呪った筈の神を益々呪いながら、明日野は言葉を続けた。
「…えと…その…ベッヒー……さんは、結構体格の良いオジサン?………」
祈るような明日野の言葉に、咲良は嬉しそうに笑った。
「なぁんだ!明日野君も知ってるんじゃない。 そうそう、ちょっと前に売り出し始めてさ、直ぐに人気になって今じゃ引っ張りだこなんだよね!…………でね、明日野君…………申し訳無いけど…………サイン…………貰ってきてくれる?」
当たり前だが、咲良の頼みは明日野には断れない。
苦笑いを浮かべながらも、明日野は咲良と同じ様にうんと首を縦に振ってしまった。
咲良の「ありがとう」という言葉と共にパタンと閉められるドア。
明日野のガックリうなだれるが、姿はドアに隠され咲良がソレをみる事は無い。
自室に戻った明日野だが、咲良から渡された色紙とサインペンをソッと鞄にしまい込み、何故か座禅を組んだ。
「…………恐れるな。 どうという事は無い。 勝たねば俺には未来が無いのだ…………」
明日野の思いがどうであれ、時は止まらない。
週末の【大食い大会】のチラシを見直した明日野だが、彼はスポンサーと大会主催者の欄を見て愕然としていた。
【 貴方の街に明るい未来を! 提供 職業安定所所長 佐田 】
コレを見て、「あの糞ったれがぁ!?」と、御近所がびっくりするほどの怒号を明日野はあげていた。
そして、運命の日はやってきた。
咲良こそバイトで来れないが、変わりと言わんばかりに理沙が明日野の応援として来てくれている。
ただ、明日野は知らないが理彩はどちらかと言えば同じ様に参加者である蠅野の応援に来ていたのはご愛嬌だろう。
参加者と外野を観衆とし、町内会の広間に特別に作られたケッタイなステージの上のタレント二名を見て、明日野はやはりと思っていた。
緑青の色にウェーブをかけた長髪を靡かせながら、若い女性タレントは片手を高く上げた。
『どーもー!! 皆さーん! 今回は呼んでいただきありがとうございます!! ま、リハーサル何ですけどね…………でもまぁ、本番も元気良くお願いしまーす!』
そんな女性タレントの挨拶に、観客達の中からは男達は湧き上がる歓声を隠さなかった。
隣の恰幅の良く人当たりの良さそうな男も、同じ様に手を振る。
『レヴィアちゃんきっついわ~。 ま、ええか…………ほな参加者の方は彼方で…………皆はん! 応援よろしゅう頼んます!!』
そんな男性タレントには、此方も女性達から黄色い歓声が上がっていた。
明日野の家にはテレビは無い。
だからこそ、明日野は一応はあの二人のタレントについては雑誌で見かけたと理彩にはうそぶいていた。
だが、何処かげんなりとした雰囲気の明日野に、理沙はミーハーな部分を隠そうともせずにタレントに付いて説明を始める。
「ね?どう? 本物は結構美人さんでしょ? 隣のベッヒーさんもさ、他の番組とかでは結構人気のグルメレポートでね、レヴィアさんはあの人とコンビ組んで……ウンヌンカンヌン……」
長たらしい理沙の説明を、明日野は途中から聞き流していた。
タレントをしている二人に付いてはどうかは知らないが、彼等自身に付いては理彩よりも余程明日野は熟知している。
レヴィアと名乗る女性タレント。
無論その正体は【嫉妬】を司る大悪魔の一人【リヴァイアサン】であり、地獄に在っては地獄の海軍を一手に率いる海軍大提督にして蠅騎士団の一員である。
そしてお隣のベッヒーという男性タレント。
コレもまた明日野はよくよく知っている間柄である。
彼もまた地獄に在っては最高のソムリエと呼ばれる程で、【酌人長】という地位に就いている。
元々は悪魔ではなく、古い彼の字は【神の業の第一のもの】とまで呼ばれた神獣であった。
ただ、肩書きがどうであれ明日野の顔を見つけ出した二人は別々の反応を見せる。
レヴィアは微妙に履いているスカートの裾を気にし始め、ベッヒーは在らぬ方向を見て吹けていない口笛を吹いていた。
参加者受付は簡単に、明日野はニッコリ笑いながらワザと若い女性スタッフに話し掛け、こんな事を宣う。
「すみません、ベッヒーさんとレヴィア…さんにサインを頂きたいのですが?」
ワザとらしくにこやかに笑いかけ、なるべく穏便にスタッフに話しかける明日野。
言われたスタッフはと言うと、あっという間に頬を桜色に染め、「…し…しよ…少々お待ちください!」と、ドモリながら簡易の控え室代わりのバンへと駆け込んだ。
色紙とサインペンを両手に携え佇む笑顔の少年。
それだけならば非常に可愛らしい絵図等だが、生憎と彼の薄っぺらい笑顔の裏には、暗い暗い思惑が在った。
明日野の前に駆けてくるスタッフは小声で「OKですよ」と囁いてくれるが、生憎と明日野はニッコリ「ありがとうございます」と返すだけで取り合わない。
そんな明日野の前に、何処か恥ずかしそうなレヴィアと顔がすっかり青くなったベッヒーが顔を覗かせる。
そんな二人に「お久しぶり!」と、明日野は爽やかに笑った。
バンからソッと降りた二人は、やはり、それぞれが違う反応を見せる。
レヴィアは既に着ている上着の裾を気にし始め、隣のベッヒーは、またもや、吹けていない口笛を吹いていた。
周りに悟られぬよう、三人はそれぞれが人には聞こえない声で話を始める。
『久しぶりだな? 所で、単刀直入に言おう、勝ちを譲ってくれ』
そんな身も蓋も無いことを言い始める明日野に、やはりと言うべきか二人は違う反応を見せる。
レヴィアは嘆息一つ、ベッヒーは頭をポリポリと掻く。
最初に口を開いたのはレヴィアだった。
『ご挨拶よねぇ? でもまぁ、お久しぶり、アスモデウス…………貴方、前に私の求愛をはねのけて置いてソレは無いんじゃない? 第一、私達が貴方の借金を知らないとでも? でも、安心してくれる?私と付き合ってくれるんならアレぐらいの端金位直ぐ出しちゃうよ?』
レヴィアの申し出にはさしもの明日野もぐらついたが、彼が惚れる相手は一人だけである。
らちが開かないとばかりに縋る様な視線をベッヒーへと向けるが、彼もまた困った様な態度とは別に、何処か決意を秘めた視線を持っていた。
『すんまへん…………アスモ…………明日野はん。 ワテらもコレが仕事ですねん……コレで食うてる以上は、ワシらも簡単に譲る訳には行きまへんのや』
レヴィアの思惑がどうであれ、ベッヒーの意見は明日野も納得出来た。
彼らも今は地獄での役職とは別に、地上で一生懸命に生きている。
大食で有名なタレントが、無名の学生に遅れを取ったと在っては沽券に関わるのだろう。
それでも、明日野は何とか笑顔を作り、「サイン頂けます?」とだけ旧友の二人に頼んでいた。
タレントとしてのお願いには二人の友は快く応じ、咲良ご希望の大食いタレントのサインはしっかりと入手しつつ、明日野は決意を新たにする。
今や、敵は一人ではないと明日野は覚悟を決めた。




