台風とツキノワグマのそう太(5)
その日はおじいちゃんが死んでからちょうど一月が経った、ひどく暑い日だった。
私は管理する人間がいなくなり、放置されていた雑草だらけのワスレグサの畑にやって来て、ただぼんやりと荒れた畑のことを眺めていた。
何もする気が起きなかった。
私は畑の草むしりをするためにここに来たはずなのに、どうしても腰を上げて、長く伸びた雑草を一本一本抜いていく気になれなかった。
森は街の真ん中に比べると比較的涼しかったけれど、すぐに私のシャツは汗でべっとりと湿った。
それでもたまに森を通り抜ける風が気持ちよくて、私はそのまま昼までぼうっと、ワスレグサの畑にたくましく伸びた雑草や、畑のそばに咲いていたヤマユリの大きな花びらを眺めたりなんかして過ごしていた。
昼食の時間になり家に戻ると、家の前には一匹の熊がいた。
私は自分の目を疑い、そのシルエットが熊に間違いないことを確認すると同時にハッと息を呑んだ。私は咄嗟に木の影に身を隠した。
運良くその熊は私の存在に気づいてはいないようだった。
私は熊が偶然鉢合わせでもしない限り、人間を襲ったりしないことを知っていた。
それでも小柄な私より少し大きいくらいの体つきの獣のことが怖かったし、家の中にいるおばあちゃんのことも気になった。
限界までお腹が空いていて、私たちを襲って食べてしまうつもりなのかしら?
私がそんな恐ろしいことを考えはじめたときだった。どうにもその熊の様子がおかしいことに、私はようやく気がついた。
私たちの家の窓から、部屋の中の様子をじいっと覗いているのだ。またぐるりと庭を一周したかと思うと、また同じように家の中を覗いている。
彼は何をしているんだろうか? あの行為を見ると、誰かを探しているみたいに見えないこともなかった。
そこで私はピコーン!と閃くのだった。
彼はきっとどこかでこの家の噂を聞きつけて、おじいちゃんに会いに来たんだ。何でも忘れさせてくれる、今はいなくなっちゃったおじいちゃんに。
「……あのう」
私がたっぷり四メートルの距離を取ったままその熊に言葉を投げると、熊は飛び上がって驚き、前足で地面を掻くようにして、さらに四メートルほどの距離を取ってから、ようやく振り返った。
「き、き、君は?」
その熊――全体的に黒っぽい毛に包まれ、胸の少し上の辺りだけが月を寝かせたような形の白い毛。ツキノワグマだろう――は私を上から下までたっぷりと眺めてから尋ねた。
私は大きなツキノワグマに、警戒を解かないまま一歩だけ近づいた。
「私は柳沼サキよ。あなた、おじいちゃんに会いに来たのね」
「君のおじいちゃんというのは、何でも忘れさせてくれるっていう?」
「そのおじいちゃんはもういないわ。死んじゃったの」
「そう……それじゃあ、ここにいても仕方ないな。僕は帰るよ。驚かせてしまってごめんね」
「ちょ、ちょっと待って!」私はそのまま背を向けて歩き出そうとするツキノワグマの背中に声をかける。私は更に、ツキノワグマにゆっくり三歩近づいた。
ツキノワグマは元々体の小さな動物なんだけれど、それ以上に彼の体は、ひどく貧相な体つきをしているよう見えた。人間でいえばやつれているとでもいうのだろうか、それはひどく不自然な肉の落ち方に見えた。
「何か忘れたいことがあるのなら、私が話を聞くわよ。私だっておじいちゃんに習って、辛い時間を忘れることができる薬の作り方、知っているんだから」
その薬を動物たちにあげたり飲ませたりしたことは一度もないけど。
それどころか、私は一人で調合部屋に足を踏み入れたことすら一度もなかったんだ。
それでもおじいちゃんが野草や薬草、そしてワスレグサを調合する光景をいつも隣で見ていたし、私にはどういうわけか、一人でおじいちゃんのあとをついでやり遂げる自信があった。
「部屋に案内するから、私についてきて」
先に家に入ると、おとなしいツキノワグマは素直に私の後ろをついてきた。のっそのっそと、その大きな体を前後に揺らすようにして。
貧相といっても近くで見る彼の体はそれなりに横幅があり、私が思い切り引っ張ってもなかなか家のドアを通り抜けることができなかったほどだ。
椅子に腰掛けてツキノワグマと対峙するというのは奇妙な経験だった。彼は窮屈そうにソファの上で体をもじもじと動かしていた。
「まずあなたの名前を聞かせてらっていいかしら?」
「そう太だよ」
「それじゃあそう太、あなたに何があって、何を忘れたいと願っているのか、教えてもらっていいかしら?」
そう太はこっくりと頷いて、のんびりとした口調で語り始めた。
言葉に詰まりながら、時折表情を歪めながら話し続ける彼のことを、私は最後までまともに見てはいられなかった。




