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猫街とペルシャ猫のアーナ(12)

「いいお天気だね」おばあちゃんは顔をしわくちゃにするようないつもの笑顔で言う。

「そうだね、おばあちゃん」私はいつものようにそう答える。


 今日は朝から灰色の雲も多いけど、たまにその間から明るい太陽が顔を出し、いい天気といえないこともないような気がした。

 朝食を済ませて、私はおばあちゃんの車椅子を押して庭に出ると、陽が差したり影になったりする家のぐるりに立っておばあちゃんの髪をといていた。

 アーナと会うために猫街に行った日から、かれこれ半月近くが経っていた。

 結局、あの日は泣きじゃくる私をアーナが朝まで慰めてくれ、最終的にこの家まで案内してくれたのだった。少し期待していた猫バスには残念ながら乗ることはなかった

 電車に乗り、ふらつく足取りで山を登る間、アーナは何度も優しい言葉をかけてくれた。私はほとんど頷くことしかできなかったけど、彼女のおかげで暖かい気持ちのまま家に帰り着くことができたのは事実だった。

 家に着くと夜が明けていた。

 アーナと別れた私は習慣になった朝ごはんの下ごしらえだけしてから布団にもぐりこんだ。結局、私とおばあちゃんが遅い朝ごはんを食べたのは十一時を少し過ぎてからだった。

 おばあちゃんは十一時前に私が起こしに行くまでぐっずりと眠っていたものだから、私はちょっと本気で心配してしまった。

 つまり、おばあちゃんがそのまま二度と目を覚まさないんじゃないかっていうことを。

 朝ごはんの片づけをしながら一つ二つあくびをして、私は日常の中に戻っていった。

 それから一度も猫街には行っていない。アーナに会うこともなかった。お母さんとも会っていない。


「あら、私、部屋の中にかんざしを忘れてきちゃった」


 急に頭上に降り注いだ陽光に目を細めていると、おばあちゃんが突然そんなことを言うものだから、私はおかしくてつい笑い出してしまう。

 かんざしなんて、この一年で一度だってしたことはない。いったいいつの記憶を思い出しているんだろう。


「おばあちゃん、かんざしなんて最初からしていないわよ」

「そんなはずはないわ、かんざしを取りに戻らなくちゃ。私あれがないと……」


 眉を寄せ、本気で心配そうな表情をするものだから、私はいつまでも笑ってもいられなくなる。おばあちゃんは記憶が曖昧になってからというもの、興奮すると落ち着くまでに時間がかかるのだ。

 おばあちゃんにかんざしを取ってくるからと言い残し、私は急いで家の中へ戻った。

 どこかで見たことのあるかんざしを探すのにたっぷり二十分もかかってしまったけど、ようやく私は紅色の古いかんざしを見つけた。

 今度は急いでおばあちゃんの元に戻ると、おばあちゃんのひざの上では、大きな体をしたペルシャ猫が座ってくつろいでいた。


「アーナじゃないの!」


 私は駆け寄って、その大きな体を抱きかかえた。

 まだらだった毛並みは短くそろえられ、以前の優雅さを損なってはいたものの、それはそれで彼女によく似合っていた。

 でもどういうわけか、私に抱きかかえられたアーナはすごく厭そうな顔をして、私の手を振りほどいて私から離れてしまった。


「どうしたのよ、アーナ?」


 アーナは私としっかり二メートル離れてから、私を見据えていた。おばあちゃんは心配するような表情で、私とアーナを交互に見つめていた。


「どうして私の名前を知っているの? あなたと会うのは今日が初めてのはずだけど」


 その言葉で、私は全部が全部を理解した。

 アーナは薬を飲んだんだ。そして、あの辛い日々のことと一緒に、私のことも忘れてしまったんだ。


「そ、それは……」


 私が口ごもってしまうのを見て、アーナは諦めたように続ける。その言葉に少しとげが含まれていることを、私はひどく寂しく思う。


「私、自分の家の壁に、この家の場所が分かるような印をつけていたようなのよね。でも確かに私の付けた印なのに、その場所にまったく覚えがないの。それで、ここに来れば私が忘れてしまった何か月かの記憶のこと、何か分かるかなと思って。あなた、私のこと知っているの?」

「知らないわ。私はあなたのことも、あなたの過去も、何も知らない」


 私の言い方が不自然なほどに頑なだったからだろうか、アーナはそう、とだけつぶやいて、納得したように深く頷いた。そして、続けてこう言うのだった。


「ありがとね、サキ。感謝してるわ」

「どうして、私のこと……」

「壁に刻まれた記録がね、もう一つあったのよ。そこにはサキという女の子の名と、あなたへの感謝の気持ちが刻まれていたわ。あなたがサキなのよね? 私にはよく分からないけど、きっとこれで正しいんだと思う。ありがとうね、サキちゃん」


 アーナは振り返り、森の中に消えていく。それは軽やかな足取りで。

 私は彼女の背を見送って、きっともう二度と会うことのないアーナの幸せを祈った。それは私の心の奥から湧いてくる、正直で、純粋な感情だった。

 私はもう一度灰色の空を仰ぎ見てから、私と一緒に太ったペルシャ猫の後ろ姿を見送ったおばあちゃんの隣に立った。


「生意気なくせに、憎めない猫のせいで忘れていたけど、おばあちゃんのためにかんざしを取ってきたのよ。今つけてあげるわね」

「かんざし? 私いつもかんざしなんかつけないわよ。きっとつけたこともないわ」

「おばあちゃんったら!」


 私が笑顔になると、おばあちゃんもつられて笑った。

 おばあちゃんとふたり、うれしいような寂しいような胸の内で、私これでもかとアーナの幸せを祈っていた。

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