猫街とペルシャ猫のアーナ(9)
私は今の仕事――あれを仕事と呼んでいいものか少し迷うけど――を始めてから知ったことがある。
それはこの星には本当に信じられないほど多くの種類の生き物たちが生きていて、それぞれが、それぞれの生きる世界で笑ったり泣いたりしながら暮らしているっていうこと。
他の世界で暮らす動物たちのことは普段あまり意識しないし、そこがどういう世界なのかうかがい知ることはできないけれど、まれにそういった世界が交わる場所がある。
それは森の中の小さな家だったり、ここ猫街だったり……。
猫街は私が今まで見てきた場所の中でもっとも華やかで、煩雑とした場所だった。
アーナの言葉を借りればいろんな動物たちが自分の体を売って大きな報酬を得る店や、派手な飲み屋が立ち並び、ぴかぴかとピンク色に点滅するネオンや看板を装飾する豆電球があちらこちらで明かりを放ち、もう日をまたいだっていうのにそこは昼間みたいに明るくて、同時にがやがやとうるさい場所だ。
そして動物たちの数の多さっていったら!
ヒトだけじゃない、イヌ、ネコ、ヒツジ、キツネ、タヌキ、サル、ブタ、クマ、パンダ、シカ……。
彼らは一様に少し早足で、ときに奇抜な声を上げたり、仲間と何かを言って笑いあったりしながら通りを闊歩していた。
ほとんどが男の人、っていうか雄の動物たちだったけど、中には雌の姿もちらほらと見え――その中にはもちろん人間の女性の姿もあった――、どこか気取ったように歩く彼女たちのことを私はどうも好きになれそうになかった。
どうやらここで、まだ十三歳の私は浮いた存在みたいだ。通りを歩く誰もが、私に一度視線をぶつけて、じっくりと興味深そうに眺めてから視線をそらした。
私はなるべく小さくなって下を向くようにして、その夜の来ない街を歩いた。
でも不思議、ここにいるだけでなんだか胸がどきどきするのは、いったいどうしてなんだろう? 顔もきっと、少し火照って赤くなっていることだろう。
「さて」
通りの隅で、私は一人、立ち止まる。
そのせいで、ちょうど私の後ろを歩いていたヤギが私にぶつかるので、突き飛ばされた私は体勢を立て直してから慌てて頭を下げた。
「気をつけてくれよな、まったく……」
ヤギは怒っているようだった。口からはみ出た草が、彼が何か言うたびに上下にぴこぴこと動いていた。
そのままぶつぶつと文句を言いながら去っていこうとするヤギの背中に、私は声をかけてみる。
そうなのだ。猫街に来たのはいいけれど、私はこれからどこに行けばいいのかサッパリ分からないのだ。なんていう無計画でバカな私!
「あのう、教えてほしいことがあるんですけど」
「ん? 私は急いでいるんだ、用事があるなら早くしてくれ」
「アーナっていう猫を探しているんですけど、どこに行けばいいか分からなくて……」
「猫? 猫だって? 君は猫のことを知りたいときに、ヤギに声をかけるのかい? 私は猫の世界の総理大臣も知らないし、流行っている遊びも知らない。猫が一度に何匹の子どもを産むのかも知らないし、もちろんそのアーナって猫のことも知らないよ」
「ごめんなさい、本当に」私はうつむいて、それだけ言うのが精一杯だった。
さすがに申し訳なくなったのか、ヤギはふぅと息を吐いて最後にこう言った。
「だが、ひとつだけ知っていることもある」
「それは?」
「この猫街で猫のことを知りたいのなら、シャロンに聞けばいいってことさ。ほら、ちょうどあそこを歩いている」
ヤギが鼻先で示した方向には、一匹のアビニシアンが歩いていた。
きゅっと締まったボディーと、ぴんと長くのびた尻尾。とても優雅に、ひょうひょうと、その猫は動物たちの間を通り抜けるように歩いていた。
「ありがとう!」それだけ言って、私は走り出した。名前も知らないヤギが、後ろでやれやれとつぶやくのが聞こえた。
動物たちをかき分けるように走って、ぶつかった動物たちに罵声を浴びせられながら、ようやくその背中に追いつくと、私はシャロンという猫に声をかけた。
「シャロン、待ってシャロン。話があるの」
「私、人間って嫌いなのよね。なぜなら私のことを捨てたから。それじゃ」
ひどく冷めた声だった。振り向かずにそれだけ言って、シャロンは四本のしなやかで細い足を使って駆け出した。
そのスピードは、およそ人間の足で追いつけるようなスピードじゃなかった。だけどここで彼女を見失うわけにはいかなかった。私は、声を張り上げて叫んだ。
「アーナの、アーナのことが知りたいの!」
私の大声に驚いたのか、一瞬、あたりのざわつきがすうっと静まった。だけどすぐに、辺りは何事もなかったかのようにざわつき始める。
そんな中、私とシャロンの足だけがまるで静寂の中にいるみたいに止まっていた。
「見たことのない顔だけど、あなたアーナの何なの?」
ようやく、シャロンは振り向いてくれた。遠くを見つめるような細い目をした、とても賢そうな猫だった。
「私は、アーナを助けたいだけなの。だってアーナは、私のおじいちゃんを頼って、私のところに来てくれたんだもの」
シャロンは少し考えるそぶりを見せた。彼女の小さな脳みそが何を考えているのかなんて、私には想像することもできなかった。
よく分からないけど、隠す必要もないし、知りたいのなら教えてあげるわ。シャロンは私の目の前まで来ると、諦めたようにそんな前置きをしてから、語り始めるのだった。
「アーナが猫街に来たのは、今から一月と少し前だったわね。
そのときのアーナはまだ地味な容貌の子だったけど、雄たちに好かれるふくよかな体をしていたし、やる気もあるみたいだったからすぐにこの街で働かせることにしたわ。
でも彼女、ちょっとヒステリックな部分があってね、いやな客が来たり、気に食わないことがあったりするたびに、よく客とトラブルを起こしていたのよね。今思えば、アーナはここで働くには少し繊細すぎたのでしょうね。向いてなかったのよ。
私もアーナのことをかわいがっていたから、トラブルを起こすたびに私のところに頭を下げに来る彼女のことをそのたびに許してあげたんだけど……。
私? 私は猫街のいくつかの店を取り仕切る、まぁ言ってみればやくざ者よ。
でもね、いくら私でも、守ってあげられないこともある。
その日、彼女がヒスを起こして引っかいた相手は、私たち猫の世界では知らない猫のいないような大物だったのよ。彼女はしかるべき場所に連れていかれて、しかるべき罰を受けたわ。それは私にはどうしようもないことだった」
「罰……、罰ってなんなんですか?」
「見たいのならついてくればいいわ。今からちょうどあの子の働いている店に行くところだから」
それだけ言って、シャロンは再び歩き出した。でも私は、すぐにそのあとをついて歩き出すことができなかった。
怖かったんだ。この知らない街で、知らないやくざ者の猫についていくことによって、自分がとんでもなく深い闇に片足を踏み入れてしまうような、そんな漠然とした不安が胸の中でふくらんでいったのだ。
そしてアーナと会うことも、同じように怖かった。
アーナは私が来たと知ったらどう思うだろうか? やっぱり迷惑に思うのだろうか? 余計なお世話だと?
それでも私は彼女のことが心配だった。そう、私には彼女に薬を渡した責任があるんだ。
私は心から、アーナが元気な姿で私のことを迎えてくれることを祈った。薬がどうだとか、仕事がどうだとかだなんて、結局のところ後からどうにでもなるんだ。私はただアーナが無事でいてくれるだけでよかった。
私は大きく息を吐くと、シャロンのあとについて早足で歩き出した。
最初の角を右にまがり、そのまましばらくまっすぐ歩く。猫しか通らないような薄暗い路地裏の道を通り、破れた金網をくぐってぶつかった裏通りの突き当りを左に曲がる。それからまた交差点を曲がり、どぶの臭いのする細い道に入っていき……。
どの道も相変わらず多くの動物たちが歩き回り、まるで私たちの店に入って! と主張しているように煌々と明かりが点る無数の店で目が痛い。
どこも同じような煩雑とした風景が広がっているので、もしシャロンとはぐれてしまったら私は確実に迷子になってしまうだろう。こんな汚くてたった一人の知り合いしかいない場所で迷子になるなんて、私は想像しただけでぞっとしてしまう。
でもその想像は、すぐに現実のものとなってしまうのだった。
私はシャロンの後について歩くのをやめてしまったのだ。いや、正確に言うと、私は足を動かすことができなくなったのだった。
顔を赤くして何か楽しそうに話をしている二匹の羊の向こう、すぐに繁華街に消えて見えなくなってしまったその人の後ろ姿が、あまりにお母さんに似ていたから。
シャロンは私がついてきていないのを知ってか知らずか、ずんずんとネオンに照らされた道を進んでいく。
声をかける暇さえもなく、すぐに私はシャロンのことを見失ってしまう。
私はこの街で本当に一人ぼっちになってしまったのだ。でも私はそんなこと気にも留めなかった。
なぜなら私は襲われたことのないような激しい衝撃を受けて、ただその場に立ちすくむことしかできなかったから。
「どうして……お母さん?」
私の問いかけはむなしく、猫街のざわつきの中にかき消されてしまうのだった。
もしあれが本当にお母さんなら、ここにいる理由は……そう、ひとつしか思いつかなかった。
私を捨てたお母さん。お母さんが私のことを何も分かっていないように、私もお母さんのことを何も知らない。私は今さらながら、その事実に気がついて大きなショックを受けた。
混乱していた。そして私は孤独だった。私は空っぽだった。喧騒は意識から遠のいてしまっていた。
私は汚い街の隅っこに座り込んで、いつの間にか流れ落ちていた、流れ落ちる理由も分からないその涙をただ地面に落とすことしかできなかった。




