第6話「赤い包囲網」
【作中時間】2026年6月20日 05:00 - 06:00(台湾標準時 / UTC+8)
05:10 フィリピン海(台湾東方沖)/中国人民解放軍海軍 空母「福建」機動部隊
台湾本島から東へ約300キロメートル。
太平洋とフィリピン海を分かつ広大な海原に、夜明けの薄明かりが差し込もうとしていた。鉛色の海面を切り裂いて進むのは、中国人民解放軍海軍が誇る最新鋭の空母打撃群である。
その中心に鎮座するのは、満載排水量8万トンを超える中国初の電磁式カタパルト(EMALS)搭載型航空母艦「福建」。そしてその周囲を、防空の要である055型大型駆逐艦(レンハイ級)2隻、052D型駆逐艦4隻、054A型フリゲート数隻が幾重もの輪形陣を組んで固めている。さらに海中には、093型(商級)原子力潜水艦が先行して海中の露払いを務めていた。
「風向、甲板上25ノット。射出システム(カタパルト)第1、第2、グリーン(正常作動)。フライトデッキ、クリア」
空母「福建」の艦橋にある広大な航空管制室。
ヘッドセットを装着した航空長が、眼下の飛行甲板を見下ろしながら無機質な声で発艦許可を出した。
「殲35(J-35)、発艦!」
ズォォォォンッ!!
という腹の底を揺るがす轟音とともに、次世代ステルス艦載機「J-35」が、電磁カタパルトの猛烈な加速力によって一瞬で時速250キロまで押し出され、朝焼けの空へと軽々と舞い上がった。それに続き、電子戦型の「J-15D」が重武装のまま次々と空へ放たれていく。
艦隊司令官を務める海軍少将は、防弾ガラス越しに自国の戦闘機が編隊を組んで台湾方向へ飛んでいくのを、腕を組んで見つめていた。
「台湾の東海岸――花蓮および蘇澳の海軍基地に対する巡航ミサイルの着弾を確認。敵の港湾インフラは完全に沈黙しました」
作戦幕僚がタブレットのデータを読み上げる。
「よろしい。これでネズミどもの逃げ道は塞がれた」
司令官は重々しく頷いた。
現在、彼ら空母「福建」の機動部隊は台湾の東側に、そしてもう一つの空母「山東」の機動部隊はルソン海峡を抜けて台湾の南東側に展開を完了していた。
台湾海峡側(西側)には無数の小型ミサイル艇とフリゲートがひしめき、空にはJ-20ステルス機が蓋をしている。これで、台湾本島を物理的・電磁波的に囲い込む巨大な「赤い包囲網」――事実上の完全な海上封鎖(彼らの呼称によれば「隔離」)が完成したのである。
「司令、東シナ海方面より、日本の海上自衛隊の艦艇および哨戒機(P-1)が当方へ接近しつつあります。また、米海軍の空母打撃群は現在グアム北西海域を航行中。現在のところ、第一列島線の内側へ突入してくる兆候はありません」
幕僚の報告に、司令官の口元に冷酷な笑みが浮かんだ。
「アメリカは来ない。いや、来られないのだ。我々の対艦弾道ミサイル(DF-26)の射程内に、彼らが誇る130億ドルの空母を晒す度胸は、今のワシントンの軟弱な政治家どもにはない」
司令官は、コンソールの上に広げられた海図を力強く叩いた。
「全艦隊に通達せよ。これより台湾周辺200海里を『特別軍事行動による航行禁止区域』に指定する。いかなる国籍の軍艦、民間船であろうと、このラインを越える者は我が国への敵対行為とみなし、撃沈する。……我々が歴史を作るのだ。完全なる祖国統一の日は、近い」
05:30 台湾東部・宜蘭県/海軍 蘇澳基地沖
「左舷後方、熱源探知! 敵の対艦ミサイル(YJ-83)が来ます! 回避不能!」
台湾東海岸の重要な軍港である蘇澳基地。
しかし、その港はすでに中国軍の巡航ミサイルによる執拗な攻撃を受け、燃料タンクや弾薬庫が炎上し、黒煙が朝焼けの空を覆い隠していた。
地獄と化した港から、かろうじて外海への脱出を試みていた台湾海軍の沱江級ステルス・コルベット「塔江」。双胴船特有の高速性能を活かし、最高速度40ノット(時速約74キロ)で波を切り裂いて逃走を図っていたが、中国軍の包囲網は彼らを逃しはしなかった。
「チャフ作動! CIWS(ファランクス近接防御火器システム)、撃て!!」
艦長が血走った目で絶叫する。
塔江の艦尾に搭載されたCIWSが、凄まじい発射音とともに毎分4,500発の20ミリ機関砲弾の弾幕を空中にばら撒いた。曳光弾の赤い線が、海面すれすれを這うように飛んでくる中国軍の対艦ミサイルに向かって伸びていく。
ガガガガガッ!!
機関砲弾のいくつかがミサイルの胴体に命中し、空中でオレンジ色の火球となって爆散した。
「迎撃成功!」
オペレーターが叫んだが、その歓喜は一瞬で絶望に変わった。
「ダメです、さらに3発来ます! 敵の誘導弾艇がレーダーの外縁に張り付いています!」
台湾海軍の戦術は「非対称戦」への移行を進めていた。大型の駆逐艦ではなく、小型で高速、かつ強力な国産対艦ミサイル「雄風2型・3型」を積んだコルベットやミサイル艇を無数に配備し、ゲリラ的に中国の大型艦を狩るというものだった。
しかし、開戦と同時に港湾インフラを破壊され、さらに通信網を寸断されたことで、彼らは「目隠しをされたまま」海へ放り出された状態に等しかった。
「艦長、本島からのデータリンクが完全にロストしています! 敵の空母機動部隊の位置が掴めません! どこへ向かってミサイルを撃てばいいのか……!」
塔江の艦長の耳に、突如として国際VHF(民間用海上通信)のチャンネル16から、中国語(普通話)の機械的な合成音声が響き渡った。
『――台湾海軍の残存艦艇に告ぐ。ここは中国人民解放軍である。諸君の港はすでに破壊され、空も海も我が軍が完全に掌握した。無駄な抵抗をやめ、直ちにエンジンを停止し、武装を解除せよ。投降する者には命の保証を与える。繰り返す――』
「ふざけるなッ!」
艦長は通信機のマイクを床に叩きつけた。
「面舵一杯! 雄風ミサイル、起動させろ! 目視でも構わん、一番近くにいる共産党のフリゲートに一発でも食らわせて道連れにしてやる!」
しかし、反撃の命令が実行されるよりも早く、上空の雲を切り裂いて急降下してきた中国軍のJ-15戦闘機から、レーザー誘導爆弾が投下された。
抵抗の暇もなく、塔江の艦橋中央部に直撃した500ポンド爆弾は、ステルス・コルベットの軽量なアルミ合金製の船体を文字通り真っ二つに引き裂いた。
巨大な水柱と炎が上がり、台湾海軍の誇る非対称戦の牙は、敵の主力艦の姿を視界に捉えることすらできないまま、冷たいフィリピン海の底へと沈んでいった。
台湾の海は、完全に北京のコントロール下に落ちたのである。
05:50 沖縄県 先島諸島・宮古島南西沖/海上自衛隊 護衛艦「あさひ」
「……台湾海軍の沱江級と思われるレーダー・エコー、ロストしました。中国軍機による攻撃を受け、沈没した模様です」
海上自衛隊の汎用護衛艦「あさひ(DD-119)」の戦闘指揮所(CIC)。
青白いディスプレイの光に照らされた室内は、冷え切った沈黙に包まれていた。レーダー手からの無機質な報告に、艦長を務める1等海佐は、奥歯を強く噛み締めた。
彼らが現在展開しているのは、沖縄本島と宮古島の間を抜ける「宮古海峡」の南西、日本の排他的経済水域(EEZ)の境界ギリギリの海域である。台湾本島からは北東へ約300キロ。
あさひの高性能なFCS-3A多機能レーダーは、先ほどから展開されている中国軍の一方的な掃討戦の様子を、克明に捉え続けていた。
「艦長、前方の海域は、文字通り『船の壁』です」
戦術行動士官(TAO)が、レーダー画面を指差しながら緊張した声で言った。
「中国海軍の艦艇が、台湾の北から東にかけて、一定の間隔で配置されています。防空艦(駆逐艦)が互いのレーダーの傘を重ね合わせ、巨大なA2/AD(接近阻止)のドームを形成しています。これでは、海中からであっても、空からであっても、アリの子一匹入り込むことは不可能です」
「奴ら、本気で台湾を『兵糧攻め』にするつもりか」
艦長が低く唸る。
台湾はエネルギーや食料の多くを輸入に頼る島国である。港を破壊され、海を封鎖されれば、数週間で社会インフラが完全に干上がる。アメリカの介入が遅れれば、直接の地上侵攻を待たずして台湾が降伏に追い込まれる可能性すらあった。
しかし、艦長の懸念は台湾の運命だけではなかった。
「TAO。この中国軍の封鎖ライン……我が国のシーレーン(海上交通路)に完全に被っているな」
「はい」TAOが頷く。「中東から原油を運んでくる日本向けのタンカーの多くは、通常、台湾の東側やルソン海峡を抜けて日本へ向かいます。しかし、中国軍がこの一帯を『航行禁止区域』として軍事封鎖した以上、我が国への民間船のルートは完全に塞がれました」
台湾有事は、決して対岸の火事ではない。
台湾が封鎖された瞬間、日本のエネルギーの生命線が物理的に切断されるのだ。
『――ピーーーッ!』
突然、CICの内部に、耳をつんざくような甲高い電子音が鳴り響いた。
ESM(電子戦支援装置)のオペレーターが、弾かれたように顔を上げる。
「敵艦からのFC(火器管制)レーダー照射を探知! 距離3万ヤード。中国海軍の052D型駆逐艦からロックオンされました!!」
CIC内に極度の緊張が走った。
FCレーダーの照射――それは、「お前を照準に収めた。いつでも撃てるぞ」という、軍事的な明確な威嚇であり、引き金を引く一歩手前の行為である。
「面舵10度、回避行動をとれ! チャフ・フレア、スタンバイ!」
艦長が即座に指示を飛ばす。
「市ヶ谷の統合作戦司令部(JJOC)より緊急入電!」
通信士が叫ぶ。
「『現在、官邸において重要影響事態の認定手続きが進行中である。自衛隊は現時点において、専守防衛の原則に則り、一切の先制攻撃、および偶発的な交戦を厳に慎め。距離を維持しつつ、情報の収集のみを継続せよ』とのことです!」
「……了解した。武器使用は絶対にするな。こちらの主砲(5インチ砲)やミサイルは安全装置をかけたままにしておけ。連中の安い挑発に乗るな」
艦長は、コンソールの端を強く握りしめながら命じた。
ロックオンの警告音は、執拗に鳴り続けている。中国の駆逐艦は、日本の護衛艦に対して「ここから先は我々の海だ。引き返せ」と、無言の圧力をかけてきているのだ。
「……耐えろ。我々がここで一発でも撃ち返せば、それが日本を巻き込む全面戦争の引き金になる」
午前6時。
開戦から6時間が経過し、太陽が完全に水平線の上に姿を現した。
しかし、その光が照らし出したのは、絶望的なまでに強固な「赤い鋼鉄の壁」によって世界から完全に切り離され、孤立無援となった台湾の姿であった。
そして、その壁の外側にいる日本やアメリカの艦艇は、まだ一発の弾丸も撃つことができないまま、ただその壁の巨大さに圧倒されることしかできなかった。
この話はシミュレーション小説であり現実のいかなる国を中傷するものでは有りません。




