第5話「台湾海峡の空戦」
【作中時間】2026年6月20日 04:00 - 05:00(台湾標準時 / UTC+8)
04:05 台湾東部・花蓮県/佳山空軍基地 上空
台湾本島の東海岸、峻険な中央山脈の山腹に穿たれた巨大な地下要塞――「佳山空軍基地」。
分厚い花崗岩と強化コンクリートに守られたこの地下格納庫群は、中国軍の第一波ミサイル攻撃を辛くも生き延びた、台湾空軍にとっての最後の「虎の子」の拠点であった。
「ヴァイパー・リーダーよりタワー。これより離水する」
林少校(少佐)は、F-16V戦闘機のスロットルを押し込みながら無線に叫んだ。通常の滑走路はすでに弾道ミサイルのクラスター弾頭によって穴だらけにされていたが、彼らは基地から伸びる「タクシーウェイ(誘導路)」を兼ねた一般道を利用して、強引に空へと舞い上がった。
真っ暗な太平洋上空へと飛び出した林少校の編隊(F-16V・4機)は、すぐさま機体を傾け、海面すれすれの超低空飛行へと移行した。高度はわずか200フィート(約60メートル)。風防のすぐ下を、黒い波頭が飛ぶように後方へ流れていく。
台湾が誇るF-16Vは、最新鋭のAPG-83 AESA(アクティブ電子走査アレイ)レーダーを搭載し、第4.5世代戦闘機としては世界トップクラスの性能を持つ。しかし今夜、彼らが対峙しているのは、その性能を上回る「絶望」そのものだった。
『……ザーッ……ヴァイパー・リーダー、こちら……衡山指揮所……敵のH-6K(爆撃機)編隊が……台湾東方沖へ迂回中……目標は佳山基地の……防爆扉……迎撃せよ……』
妨害電波の嵐を辛うじてすり抜けてきた、断続的なデータリンクの音声。
林少校はヘルメット内蔵表示装置(JHMCS)のバイザー越しに、真っ暗な空間を睨みつけた。
中国軍は、台湾西海岸の防空網を粉砕しただけでは飽き足らず、東側の地下基地に隠れた残存航空戦力にトドメを刺すべく、長距離巡航ミサイルを搭載した爆撃機を回り込ませようとしていたのだ。
「ヴァイパー・フライト、これよりポップアップ(急上昇)し、目標をロックオンする。敵の電子戦機のジャミングが強烈だ。レーダーを無闇に照射するな、パッシブ(受動)モードで接近しろ。……一機でも多くの爆撃機を落とす。行くぞ!」
林少校が操縦桿を手前に強く引くと、F-16Vは強烈なG(重力加速度)を伴って、暗黒の空へと文字通り「跳ね上がった」。
耐Gスーツが膨張し、下半身を強く締め付ける。「フッ、ンッ!」という特殊な呼吸法(AGSM)で脳への血流を維持しながら、林少校は機体を高度2万フィートへと一気に持ち上げた。
雲海を抜けた瞬間、彼の機体のレーダー警報受信機(RWR)が、けたたましい警告音を鳴らし始めた。
「……! 敵のレーダー波に捕捉された!? 早すぎる、どこからだ!」
林少校がディスプレイに目をやった瞬間、背筋が凍りついた。
接近してくるH-6K爆撃機群のさらに上空、高度4万フィート以上の成層圏に近い空域から、強力なレーダー波が彼らの編隊を上から見下ろすように照射されていたのだ。
### 04:15 台湾海峡上空/高度4万5000フィート(中国空軍 J-20ステルス戦闘機編隊)
「目標、捕捉。台湾空軍のF-16V、4機。中央山脈の東側からポップアップしてきました。予想通り、ネズミが穴から這い出してきましたね」
中国人民解放軍空軍・第9航空旅団に所属する最新鋭ステルス戦闘機「J-20(威龍)」。
そのコックピットの中で、編隊長は冷たい笑みを浮かべた。彼の機体は、台湾のはるか西側、安全な中国大陸寄りの空域を旋回しているKJ-500早期警戒管制機(AWACS)とデータリンクで完全に結ばれていた。
台湾のF-16Vがレーダーを起動する前から、KJ-500の巨大なレーダーは彼らの動きを完全に掌握し、そのデータをJ-20のコンピューターへとリアルタイムで転送していたのである。
一方の台湾軍のF-16Vから見れば、レーダー反射断面積(RCS)が極小化されたJ-20の姿は、レーダー画面上には「存在しない」も同然だった。
現代の空戦は、映画のような旋回戦ではない。
それは、見えない敵から放たれたミサイルによって、一方的に狩られる「暗殺」である。
「こちら威龍リーダー。ターゲット・ロック。射撃管制システム、アクティブ」
J-20の機体腹部にあるウェポンベイ(兵器庫)の扉が音もなく開き、そこに格納されていたPL-15(霹靂15)長距離空対空ミサイルが姿を現した。PL-15は、アメリカのAIM-120を凌駕するとも言われる射程200キロ超を誇り、自律的なアクティブ・レーダー・シーカーを備えている。
「全機、発射」
編隊長の無機質な声とともに、4機のJ-20から計8発のPL-15ミサイルが暗黒の空へと解き放たれた。
ロケットモーターに点火したミサイルは、マッハ4を超える極超音速まで一気に加速し、高高度の薄い大気を切り裂きながら、台湾のF-16V編隊へと向かって長い放物線を描き始めた。
J-20のパイロットたちは、ミサイルを見送るとウェポンベイを閉じ、再び見えざる幽霊となって、悠然と旋回して待機空域へと戻っていった。彼らにとって、この空戦はすでに「終わった仕事」であった。
### 04:20 台湾東方沖上空/空対空戦闘
『ミサイル接近! ミサイル接近! ブレイク、ブレイク!』
林少校のコックピットで、音声警告がヒステリックに叫んだ。
RWR(レーダー警報受信機)のディスプレイに、信じられない速度で接近してくる複数の飛翔体のシンボルが映し出される。視界の外(BVR)、全く予期せぬ方角からの奇襲だった。
「散開しろ! チャフとフレアをばら撒け!」
林少校は操縦桿を限界まで倒し、機体を急激にロール(横転)させてスプリットSの機動に入った。
強烈な9Gの重力が彼の全身をシートに押し付け、視界の端が暗くなる「グレイアウト」の兆候が現れる。彼は奥歯を噛み砕かんばかりに食いしばりながら、機体後方から欺瞞用の金属片と高熱源体を連続して放出させた。
夜空に、無数の花火のようなフレアの閃光が散らばる。
しかし、最新鋭のAESAシーカーを搭載したPL-15ミサイルは、チャフやフレアといった旧世代の欺瞞手段には容易に騙されなかった。ミサイルのシーカーは、熱源ではなく「F-16Vの機体形状」そのものをレーダーで認識して追尾しているのだ。
「くそっ、振り切れない! スパイク(レーダー照射)され続けている!」
無線の向こうで、僚機である「ヴァイパー3」のパイロットが絶叫した。
林少校が首を捻って後方を確認したその瞬間。
暗黒の夜空で、凄まじい閃光が弾けた。
ミサイルの近接信管が作動し、F-16Vの数十メートル横で指向性破片弾頭が炸裂。超音速で飛散した無数のタングステン破片が、ヴァイパー3の機体をチーズおろし器のように切り裂いたのだ。
右翼を失ったF-16Vは、コントロールを失ってきりもみ状態となり、火だるまになって太平洋へと墜ちていった。パラシュートが開く兆候はなかった。
「ヴァイパー3! ……クソッタレが!!」
林少校は血の涙を流すような思いで絶叫した。
敵の姿は依然として見えない。ステルス戦闘機からの超長距離ミサイル攻撃。自分たちは、見えない狙撃手に一方的に撃ち抜かれるただの的に過ぎなかった。
「ヴァイパー2、ヴァイパー4! この高度にいては全滅する! 中央山脈の谷間へ逃げ込め! 山の斜面に張り付いて、敵のレーダーのルックダウン(見下ろし)から身を隠すんだ!」
生き残った3機のF-16Vは、まるで鷹に追われる小鳥のように、標高3,000メートル級の山々が連なる台湾中央山脈の険しい谷間へと真っ逆さまにダイブした。
切り立った岩肌の数十メートル横を、時速800キロ以上の猛スピードで縫うように飛ぶ。極限の操縦技術と、地形を知り尽くした地元パイロットにしかできない変態的な機動だ。
山の岩盤の反射波に紛れ込むことで、上空のJ-20やKJ-500のレーダーから一時的に身を隠すことに成功した。
林少校は、荒い息を吐きながらコックピットの中で周囲を見回した。
燃料は残り少なく、武装は手付かずのままだが、敵の爆撃機に接近することなど不可能だった。空に出た瞬間、再び見えないミサイルの餌食になるだけだ。
「……衡山指揮所、こちらヴァイパー・リーダー。迎撃失敗。敵のステルス機の制空圏内です……これ以上の空戦は不可能。繰り返す、空戦は不可能……」
林少校の絞り出すような報告は、台湾が事実上、空の覇権(制空権)を完全に喪失したことを意味していた。開戦からわずか4時間半。誇り高き台湾空軍は、圧倒的な技術格差と物量の前に、なす術もなく空から一掃されようとしていたのである。
### 04:45 東シナ海上空/航空自衛隊 E-2D早期警戒機
「台湾東部空域、交戦終了。台湾軍のF-16V、1機撃墜、残りは山岳地帯へ退避した模様。……中国軍の爆撃機編隊は、妨害を受けることなく進路を維持。台湾東海岸の基地施設への巡航ミサイル発射ポイントへ接近中です」
日本の南西諸島沖、防空識別圏(ADIZ)の境界線上空を旋回する航空自衛隊のE-2D「アドバンスド・ホークアイ」早期警戒機。その機内の後部にあるレーダー・コンソール席で、航空管制官(WSO)は噛み締めるような声で報告した。
機体上部に搭載された巨大な円盤型レドーム(APY-9レーダー)は、数百キロ先の台湾海峡で繰り広げられている一方的な殺戮の様子を、冷酷なまでに鮮明に捉えていた。
モニター上には、味方であるはずの青いシンボル(台湾軍機)が次々と消滅し、代わりに赤いシンボル(中国軍機)が、まるで腐肉に群がるハエのように台湾全土の上空を埋め尽くしていく様子が映し出されている。
「……連中、まるでゲームでもやっているかのようだな」
コンソールを見つめていたミッション・コマンダー(戦術航空士)が、苦々しく呟いた。
「中国空軍は、J-20ステルス機を『槍の穂先』として使い、台湾軍機を遠距離から排除。その後ろから、旧式のJ-10やJ-11、そして爆撃機を悠々と送り込んで、地上のインフラを蹂躙しています。完全なマルチドメイン・オペレーションです。我が方のレーダーにも、激しい電子妨害(EA)がかけられ続けています」
「味方のF-15JとF-35Aの状況は?」
「現在、宮古島西方沖の上空(CAPステーション)にて待機中。パイロットたちからは『いつでも行ける』と、半ば苛立ちの混じった通信が入っています」
ミッション・コマンダーは、無線機に手を伸ばしかけて、そして止めた。
彼らの眼前で、台湾のパイロットたちが次々と撃ち落とされ、台湾の都市が火の海になっている。航空自衛隊のパイロットたちも、データリンクを通じてその惨状をリアルタイムで共有しているのだ。同じ空を飛ぶ者として、今すぐスロットルを押し込んで助けに行きたいという衝動は、痛いほど理解できた。
しかし、彼らにそれを許可する権限はない。
「……市ヶ谷(JJOC)からの命令は絶対だ」
ミッション・コマンダーは、自分自身に言い聞かせるように、重い声で言った。
「我々の現在の任務は『重要影響事態』の下での情報収集、および我が国の領空の絶対防衛だ。中国軍機が日本の領空、あるいは南西諸島の防空識別圏を侵犯し、明確な敵対行動をとらない限り、我々から先制攻撃を仕掛けることは法的に許されない。……それに、米軍ですらまだ介入の引き金を引いていないんだ」
「しかし、このままでは台湾の防空能力は夜明けまでに完全に消滅します! 見殺しにするんですか!」
若いレーダー手がつい声を荒らげた。
「……データを取りこぼすな」
ミッション・コマンダーは、レーダー手を見据えて静かに、しかし厳しく命じた。
「J-20のレーダー反射波、KJ-500のデータリンクの周波数特性、彼らのミサイル発射時の機動プロファイル。すべて記録しろ。台湾のパイロットたちが命と引き換えに引き出してくれた、中国軍の『生きた戦術データ』だ。これがなければ、明日、我々のF-35AやF-15Jが同じように撃ち落とされることになるんだぞ」
「……了解」
レーダー手は奥歯を噛み締め、再びモニターへと向き直った。その目には、やり場のない悔し涙が滲んでいた。
彼らは「監視者」であることを強いられていた。
同盟国なき孤島が、巨大な赤い暴力によってすり潰されていく様を、ただ安全圏から見つめ、データを収集することしかできない。それが、平和憲法と専守防衛の狭間で揺れる、日本という国家の現状の限界であった。
### 04:55 台湾海峡
窓の外、東シナ海の水平線の彼方が、わずかに白み始めていた。
時刻はまもなく午前5時。夜明けが近づいている。
しかし、台湾の人々にとって、この夜明けは「希望の光」ではなかった。
闇夜に紛れて行われていた一方的な奇襲攻撃のフェーズが終わり、いよいよ太陽の光の下で、中国軍による本格的な「物理的制圧」――すなわち、地獄のような上陸作戦へのカウントダウンが始まることを意味していた。
通信網が寸断され、電力は失われ、空の守りも完全に剥ぎ取られた台湾本島。
絶望的な状況の中、開戦から5時間が経過しようとしていた。
無慈悲な太陽が、硝煙と黒煙に包まれた台湾海峡の海面を、不気味な赤紫色に染め上げようとしていた。
この話はシミュレーション小説であり現実のいかなる国を中傷するものでは有りません。




