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第46話「台北の夜」

【作中時間】2026年6月21日 20:00 - 21:00(台湾標準時 / UTC+8)

※日本標準時(JST / UTC+9):6月21日 21:00 - 22:00

※米国東部夏時間(EDT / UTC-4):6月21日 08:00 - 09:00

20:05 台湾・台北市/信義シンイー区 台北101周辺

台湾標準時、午後8時5分。

台湾の首都・台北は、完全な「暗黒」に包まれていた。

中国軍のミサイル攻撃とサイバーテロによって、台湾全土の発電所と送電網グリッドはすでに機能停止している。平時であれば、世界有数の超高層ビル「台北101」を中心に、眩いばかりのネオンと車のヘッドライトで不夜城と化すはずの信義区の街並みは、月明かりと、あちこちで燃え盛る火災の赤い炎だけが照らし出す、不気味な廃墟のシルエットへと変わっていた。

その暗闇の中、アスファルトの上に放置された中国軍の99A式戦車の陰で、数名の人民解放軍歩兵が、肩を寄せ合うようにして身を潜めていた。

「……おい、水はないのか。一滴でもいい」

若い兵士が、ひび割れた唇から掠れた声を出した。

「あるわけないだろう。昨日から何も飲んでないんだぞ……」

傍らの古参兵が、虚ろな目で首を振る。

彼ら第72集団軍の先鋒部隊は、圧倒的な火力で台北市内に突入したものの、日米の潜水艦作戦による海峡封鎖(第39話)と、台湾軍のドローン攻撃による兵站拠点の喪失(第41話)により、完全に孤立無援の状態に陥っていた。

戦車の燃料はとうに尽き、小銃の弾薬も残りわずか。飲料水や戦闘糧食レーションを積んだトラックは、台湾軍のゲリラ攻撃によってすべて灰にされた。

さらに彼らを精神的に追い詰めていたのは、数時間前に北京の指導部が発した「核使用」を匂わせる声明であった。

自分たちは、祖国から見捨てられた。いつでも「巻き添え」として核の炎で消し炭にされる存在なのだ。その事実が、彼らから最後の戦意を根こそぎ奪い去っていた。

カラン……。

暗闇の路地裏から、小さな物音が響いた。

「誰だ!?」

中国兵が慌ててQBZ-191アサルトライフルを構える。しかし、暗視装置ナイトビジョンのバッテリーもすでに切れ、彼らの視界は完全な漆黒に閉ざされていた。

「……撃つな! 俺たちだ!」

中国語の叫び声とともに、闇の中から数人の台湾軍兵士が飛び出してきた。

しかし、彼らの手には銃は握られておらず、代わりに、日本から空輸(第37話)された真新しい「5.56ミリ弾」が装填されたT91アサルトライフルが、彼らの背中や路地のあらゆる窓から、中国兵たちにピタリと狙いをつけていた。

「……武器を捨てろ。お前たちの国連大使はニューヨークで逃げ回り、北京の独裁者はお前たちに核を落とそうとしている。これ以上、誰のために死ぬ気だ?」

暗闇の中から、流暢な北京語で台湾軍の将校が呼びかけた。

中国兵たちは、互いに顔を見合わせた。

祖国統一の栄光など、もはやどこにもない。あるのは、喉の渇きと、同胞を殺し、自らも無惨に殺されるという絶望的な現実だけだった。

「……撃たないでくれ」

古参兵が、ゆっくりと小銃を地面に置き、両手を頭の後ろで組んだ。それに続き、若い兵士たちも次々と武器を捨て、アスファルトの上に膝をついた。

「よし、拘束しろ」

台湾軍の将校が合図すると、予備役兵たちが暗闇の中から現れ、中国兵たちを素早く後ろ手に縛り上げた。

夜のとばりが下りた台北市街のあちこちで、これと同じ光景が繰り広げられていた。

ハイテク兵器が飛び交う戦争から、泥臭い「人間の意志の戦い」へとフェーズが移行した今、大義を失い、飢えと渇きに苦しむ中国軍は、自分のホームで地の利を活かして戦う台湾軍の夜襲の前に、まるで雪が溶けるように次々と瓦解し、投降していったのである。

20:25 台湾・台北市/地下鉄(MRT)大安駅構内

地上で静かな殺戮と掃討戦が続く中、台北市民の多くは、地下深くの空間へと身を潜めていた。

大安森林公園(日本からの物資投下地点)の直下に位置するMRT大安駅のコンコース。

ここには、空爆と市街戦から逃れてきた数千人の民間人が、すし詰め状態で避難していた。駅のシャッターは固く閉ざされ、非常用バッテリーで灯るわずかな薄明かりだけが、人々の恐怖に満ちた顔を照らし出している。

「……痛い、お母さん、痛いよ……」

「大丈夫、大丈夫よ。もう少しの我慢だからね」

コンコースの片隅に急造された野戦救護所では、爆風で割れたガラスを浴びた子供や、銃撃戦の巻き添えになった市民たちが、血まみれの包帯を巻かれて横たわっていた。

しかし、医療物資は致命的に不足していた。

「……ガーゼと消毒液が底を突きました! 鎮痛剤も、あと数人分しかありません!」

ボランティアの看護師が、絶望的な声を上げる。

「日本の輸送機が落としてくれた医療コンテナの分は!?」

医師が血だらけの手で尋ねる。

「第一陣はすべて前線の兵士たちに回されました。ここ(民間用)に届くのは、ほんのわずかです。……それに、何より『水』が足りません。傷口を洗う水も、飲む水もです!」

インフラの破壊は、兵士よりも先に、抵抗力のない民間人の首を真綿で絞め上げる。

水洗トイレは逆流し、地下空間には強烈な悪臭が充満している。食糧も、避難時に持ち込んだわずかなビスケットやスナック菓子を分け合っている状態で、子供や高齢者から急速に衰弱し始めていた。

それでも。

この絶望的な地下空間において、パニックや暴動は一切起きていなかった。

「……みんな、聞いてくれ!」

『ブラックベア・アカデミー(黒熊学院)』のロゴが入ったベストを着た、民間防衛組織の若いリーダーが、懐中電灯を天井に向けてメガホンを握った。

「地上の部隊から連絡が来た。……中国軍の補給は完全に断たれた! 奴らは今、飢えて震えている。我が軍が、夜間総攻撃をかけて街を掃除してくれているぞ!」

その言葉に、息も絶え絶えになっていた市民たちの間に、どよめきと微かな歓声が上がった。

「頼総統は、国連が我々を見捨てようと、中国が核で脅そうと、絶対に降伏しないと宣言した! 日本もアメリカも、海峡を封鎖して我々を助けてくれている! ……あともう少しだ。あともう少しだけ耐え抜けば、夜明けとともに、我々の勝利が確定する!」

リーダーは、自らのリュックサックから、貴重なペットボトルの水を数本取り出した。

「水と食糧を持っている者は、負傷者と子供に分け与えてくれ。スマートフォンのバッテリー(モバイルバッテリー)もシェアして、外部の情報を絶やさないようにしよう。……我々は台湾人だ。中国共産党の脅しなんかに、絶対に屈しない!」

「そうだ! 台湾万歳!」

「負けるもんか!!」

飢えと渇き、そして核の恐怖という極限状態に置かれながらも、台北市民たちの「徹底抗戦の意志レジリエンス」は、決して崩壊していなかった。

彼らは自らの街が焼け野原になることを受け入れてでも、自由と民主主義という魂を守るために、肩を寄せ合い、暗闇の中で静かに、しかし力強く戦い続けていたのである。

20:40 中国・北京/中南海 中央軍事委員会 地下統合作戦指揮所

台湾標準時、午後8時40分(北京時間 同刻)。

台北の地下鉄で市民たちが希望を繋いでいる頃、北京の地下バンカーは、完全な「死の静寂」と「機能不全」に陥っていた。

「……第72集団軍・第1機甲旅団、応答ありません。第3大隊、通信途絶。……台北市内に展開している各部隊のGPSシグナルが、次々とロスト(消失)しています」

通信幕僚の報告は、まるで墓標を読み上げるかのような虚無感に満ちていた。

ホログラム・テーブルに映し出された台北市のマップでは、中国軍を示す赤いマーカーが、台湾軍の反転攻勢によって文字通り「消しゴムで消されるように」次々と消滅していく様子がリアルタイムで表示されていた。

「降伏しているのだ……。我が軍の精鋭たちが、弾も水もなく、暗闇の中で台湾のゲリラどもに手を挙げているのだ……!」

東部戦区司令官が、頭を抱えて呻いた。

圧倒的な戦力差で、数日で終わるはずだった戦争。

それが、海を渡る兵站の脆さと、日米の統合作戦、そして台湾人の執念によって、完全に泥沼の敗北へとひっくり返された。

中国軍の「通常戦力」は、ここに完全に崩壊したのである。

最高指導者(総書記)は、玉座のような椅子に深く沈み込み、血走った目で戦況図を見つめていた。

(なぜだ。なぜ、我が中華民族の偉大なる復興が、このような形で阻まれねばならないのだ)

彼の脳裏には、数時間前に自らが発した「あらゆる手段を排除しない(核の使用)」という恫喝の言葉がこだましていた。

アメリカは、その恫喝に屈しなかった。戦略原子力潜水艦(SSBN)を浮上させ、トライデント・ミサイルによる「共倒れの覚悟」を見せつけてきたのだ。

国連での拒否権行使(第45話)で国際社会の介入は防いだが、それはもはや、自らの首を絞めるだけの結果しか生んでいない。

「……総書記」

統合参謀総長が、青ざめた顔で進み出た。

「台湾海峡では、依然として日米の潜水艦が我が方の輸送船団を沈め続けています。もはや、兵站の復旧は物理的に不可能です。……台湾上陸部隊の完全な『壊滅アナイアレーション』まで、あと数時間しかありません。……ご決断を。軍を、撤退させるしか……」

「撤退だと?」

総書記は、虚ろな笑いを漏らした。

「我が国が、世界に向けて大見得を切り、何万人もの血を流しておいて、『負けました』と尻尾を巻いて逃げるのか? ……そんなことをすれば、国内で人民の不満が爆発し、共産党の統治は明日にも崩壊する。私を、カダフィやフセインと同じ目に遭わせる気か」

独裁者は、もはや「国家の勝利」ではなく、「自らの権力と生命の維持」のためだけに思考を回転させていた。

核は撃てない。通常戦力は崩壊した。

彼に残された選択肢は、もはや一つしかなかった。

「……撤退命令など出さん」

総書記の冷酷な声が、バンカー内に響いた。

「前線の部隊には『死守せよ』とだけ伝えろ。……そして、内陸部の軍需工場に命じろ。ミサイルとドローンの生産ラインを、明日から通常の10倍に引き上げるのだ。……我々は負けていない。ただ、戦いが『長期化』するだけだ」

将軍たちは、言葉を失った。

それはすなわち、台北で見捨てられた数万人の中国兵を「完全に切り捨てる(見殺しにする)」という宣告であった。そして同時に、この無意味な殺し合いを、数ヶ月、あるいは数年にわたって継続するという、恐るべき「第二次冷戦の熱戦化」の宣言でもあった。

20:50 日本・東京/防衛省 統合作戦司令部(JJOC)地下指揮所

日本標準時、午後9時50分。

市ヶ谷のJJOCでは、赤外線衛星映像サーマルを通じて、台北市内で繰り広げられている夜間戦闘の様子が、固唾を呑んで見守られていた。

「……台北市中心部。中国軍の熱源(車両のエンジン熱および兵士の体温シグネチャー)が、急激に減少しています。台湾軍による包囲殲滅、および中国兵の集団投降が相次いでいる模様です」

J2(情報)幕僚が、微かな安堵の混じった声で報告した。

統合作戦司令官(陸将)は、スクリーンを見つめながら、深く、長く息を吐き出した。

「ハイテク兵器が尽きた後、最後の勝敗を決したのは、最前線で泥と血にまみれる兵士たちと、市民たちの『人間の意志レジリエンス』であったか」

「司令官」

統合幕僚長(海将)が、傍らに立ち、静かに言った。

「台湾海峡の封鎖線(潜水艦ライン)は、完璧に維持されています。中国本土からの増援は、一隻たりとも台湾の土を踏んでいません。……台湾は、持ち堪えました」

司令官は頷いた。

開戦から丸二日、46時間が経過しようとしている。

日本は、自国の首都にミサイルを撃ち込まれ、パイロットの血を流しながらも、アメリカの核の傘にすがり、極限のロジスティクス支援を継続した。

台湾は、街を焦土にされ、サーモバリック弾で市民を焼かれながらも、一歩も引かずに中国の陸軍を飲み込んだ。

戦術的な局地戦において、日米台の同盟ネットワークは、中国の「短期決戦シナリオ」を完全に叩き潰すことに成功したのだ。

「しかし……終わったわけではない」

司令官は、スクリーンの端に表示されている、中国内陸部の「ミサイル基地の稼働状況」のデータに目をやった。

中国軍は、核兵器の使用こそ踏みとどまっているものの、未だに「敗北」を認める通信を発していない。それどころか、内陸部では新たな弾道ミサイルや巡航ミサイルの再生産に向けた、不気味な活動の兆候が確認され始めていた。

「中国の指導部は、絶対に負けを認めないだろう。彼らはこのまま『休戦』も『撤退』も宣言せず、ダラダラとミサイルを撃ち続け、何年でも我々に消耗戦アトリション・ウォーを挑んでくる気だ」

司令官の声は、勝利の歓喜ではなく、底知れぬ疲労感に満ちていた。

「日米中台、全ての陣営の弾薬(精密誘導兵器)が、底を突きかけている。明日からは、ドローンと、無誘導爆弾と、旧式の砲弾が飛び交う、第一次世界大戦のような泥臭い塹壕戦が、この極東の海を舞台に延々と続くことになる」

午後9時00分。

台湾標準時、午後8時00分。

開戦から、ジャスト46時間が経過した。

台北の夜は、台湾の勝利という名の「血塗られた夜明け」を迎えようとしていた。

しかし、それは平和の訪れを意味するものではない。ハイテク戦争の幻想が完全に崩れ去り、誰も望まない、しかし誰も降りることのできない「果てしない消耗戦」という、次なる地獄の扉が開かれた瞬間であった。

48時間のタイムリミットまで、残りあと2時間。

世界は、息も絶え絶えになりながら、その「終わりのない始まり」の瞬間へと、ゆっくりと、確実に足を踏み入れようとしていた。

この話はシミュレーション小説であり現実のいかなる国を中傷するものでは有りません。

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