第32話「市街戦の幕開け」
【作中時間】2026年6月21日 07:00 - 08:00(台湾標準時 / UTC+8)
※日本標準時(JST / UTC+9):6月21日 08:00 - 09:00
07:05 台湾・台北市 万華区/西門町
開戦から31時間が経過した、6月21日の朝。
「台湾の原宿」とも呼ばれ、平時であれば巨大なネオンサインと若者たち、そして観光客の熱気で溢れかえる台北屈指の繁華街・西門町は、完全に色彩を失ったモノクロームの地獄へと変貌していた。
停電によって機能停止した巨大なLEDビジョンには、前夜のミサイル攻撃による黒い煤がこびりついている。路上にはひっくり返った路線バスやタクシーが放置され、アスファルトを砕いて積み上げられた土嚢が、かつての交差点を巨大な「塹壕」へと変えていた。
「……第3班、右の路地から目を離すな。足音がしたぞ」
予備役兵の小隊長が、土嚢の陰からT91アサルトライフルの銃身だけを出し、息を殺して囁いた。
彼の部下たちは、わずか二日前までカフェの店員やITエンジニア、あるいは大学生だった若者たちである。彼らはヘルメットを深く被り、極度の恐怖と緊張で血走った目をしながら、コンクリートのジャングルと化した街角のあらゆる窓や路地裏に銃口を向けていた。
中国軍の第一波上陸部隊(軽歩兵や特殊部隊)は、海岸線の防衛網を力ずくで突破した後、台北市内の複雑な路地へと「浸透」を開始していた。
市街戦。それは、最新鋭の戦闘機もミサイルも意味を持たない、最も原始的で、最もおびただしい血が流れる戦場である。高層ビル群は天然の要塞となり、無数の窓はすべて狙撃兵の潜む「銃眼」となるのだ。
カラン……。
アスファルトの上を、空き缶が転がるような小さな金属音が響いた。
「手榴弾!! 伏せろォォッ!」
ドンッ!!
凄まじい爆発音が、ビルとビルの間の狭い空間で鼓膜を破らんばかりに反響した。土嚢の前に仕掛けられていたクレイモア(指向性対人地雷)の配線を、中国軍の歩兵が手榴弾で吹き飛ばしたのだ。
「前方の路地から来るぞ! 撃てェェッ!!」
タタタタタタタッ!!
予備役兵たちが、恐怖を振り払うかのように一斉に引き金を引いた。土嚢の隙間から、何百発もの5.56ミリ弾が、煙に包まれた路地裏へと雨あられと吸い込まれていく。
しかし、中国兵は正面から突っ込んではこなかった。
パァァァァンッ!!
「ぐあっ……!」
予備役の若い兵士が、肩を撃ち抜かれて後ろへ吹き飛んだ。
「上だ! ビルの3階から撃たれている!」
中国軍の歩兵たちは、建物の裏口から侵入し、民間人のアパートのベランダや窓から、台湾軍のバリケードを見下ろすようにして十字砲火を浴びせてきたのだ。
「ロケットを撃ち込め! 窓ごと吹き飛ばせ!」
予備役兵が「紅隼」対戦車ロケットランチャーを構え、火を噴いているビルの3階へ向けて発射した。
轟音とともにベランダが粉々に砕け散り、中国兵の死体がコンクリートの破片と一緒に路上へ落下してくる。
しかしその時、ロケットを撃ち込まれたビルの1階から、パニック状態に陥ったパジャマ姿の民間人家族(若い夫婦と小さな子供)が、悲鳴を上げながら路上へと飛び出してきてしまった。
「助けて! 撃たないで!」
「馬鹿! 出てくるな!!」
小隊長が叫んだが、遅すぎた。
戦場において、極限の緊張状態にある兵士の引き金は、動くものすべてに反応する。
ビルの上階から撃ち下ろされる中国軍の銃弾と、それに応戦する台湾軍の銃弾が交差する「死の空間」のど真ん中に飛び出した民間人の家族は、文字通り無数の銃弾に引き裂かれ、血しぶきを上げてアスファルトの上に崩れ落ちた。
「あ、ああ……」
予備役兵たちは、自分たちの放った弾が民間人に当たったかもしれないという恐怖に、震え上がった。
これが、市街戦の真の狂気である。
敵と味方、そして逃げ遅れた250万人の台北市民が、同じコンクリートの箱の中に詰め込まれ、無差別に殺し合うのだ。軍服を着ていない民間人が、スパイなのか、あるいはただの避難民なのか、一瞬で判断することなど誰にもできない。
「……撃ち続けろ! 手を止めるな! ここを抜かれたら、我々の家族も同じ目に遭うんだぞ!!」
小隊長は、涙と血でぐちゃぐちゃになった顔で絶叫し、自らもアサルトライフルを乱射し続けた。
美しい台北の街は、果てしのない殺戮と絶叫がこだまする、血塗られた迷宮へと完全に姿を変えていた。
07:25 台湾・台北市/台北松山空港ターミナル周辺
一方、空から直接「蓋」を開けられ、中国軍のヘリボーン部隊(空中強襲旅団)に乗っ取られかけていた松山空港では、台湾軍の精鋭による決死の奪還作戦が開始されていた。
「全車、突撃! ターミナルに巣食うネズミどもをミンチにしてやれ!」
空港の外周道路を突き破り、台湾陸軍の「CM-32 雲豹」装輪装甲車の群れが、猛烈な速度で滑走路へとなだれ込んだ。
8輪の巨大なタイヤでアスファルトを蹴り上げながら、雲豹は砲塔に搭載された30ミリ機関砲を、ターミナルビルに陣取る中国空挺兵たちへ向けて火を噴かせた。
ドォォォォン! ドォォン!
30ミリの機関砲弾が、免税店やガラス張りのロビーを次々と粉砕していく。コンクリートの柱の陰でアサルトライフルを構えていた中国兵の身体が、巨大な弾丸によって真っ二つに引きちぎられ、ロビーの大理石の床が赤黒く染まっていく。
「対戦車ミサイルだ! 装甲車を止めろ!」
中国兵が、ターミナルの屋上から対戦車兵器(PF-98ロケットランチャー)を撃ち下ろす。
一発が雲豹の側面に直撃し、装甲車は炎に包まれて横転した。しかし、その後部ハッチから飛び出してきた台湾軍の特殊部隊(特戦兵)たちが、煙を盾にしながらターミナルビル内へと突入していく。
チェックインカウンターを挟んで、数メートルという至近距離での凄惨な近接戦闘(CQB)が繰り広げられる。
手榴弾が飛び交い、弾倉を撃ち尽くした後は、ナイフや銃床での殴り合いへと発展した。
「……こちら空港奪還部隊! ターミナルビルの1階から3階までを制圧! 敵の空挺部隊を滑走路の北側へ押し込んでいます!」
台湾軍の部隊長が、血まみれの無線機で衡山指揮所へ報告する。
装甲車という強力な「盾」と「火力」を持つ台湾軍の逆襲の前に、軽歩兵しか持たない中国軍のヘリボーン部隊は、確実に消耗し、包囲の輪を縮められつつあった。
「……あと一押しだ。敵の輸送機(Y-20)が重火器を運んでくる前に、完全に滑走路を取り返せ!」
しかし、中国軍の真の恐ろしさは、この「局地的な不利」を、圧倒的な「暴力の拡大」によって強引にひっくり返すところにあった。
07:40 中国・北京/中南海 中央軍事委員会 地下統合作戦指揮所
「……松山空港に降下した我が空中強襲旅団、台湾軍の装甲部隊による猛反撃を受け、防衛線を維持できません! このままでは空港の橋頭堡が完全に潰されます!」
北京の地下バンカーに、焦燥に駆られた報告が響き渡った。
ホログラム・テーブルには、台湾の市街地で泥沼のゲリラ戦に引きずり込まれ、一歩進むごとに猛烈な出血を強いられている人民解放軍の赤いマーカーが、無数に点滅していた。
「くそっ、台湾の予備役どもめ。民間人を盾にして、ゲリラのように振る舞いおって!」
東部戦区司令官が、ホログラム・テーブルを叩き割らんばかりの勢いで拳を振り下ろした。
「松山空港を奪い返されれば、重火器の空輸ができなくなる。海岸から進軍している第72集団軍の戦車部隊(台北港ルート)も、市街地のバリケードに手間取り、進軍速度が予定の半分以下に落ちている。……このままでは、兵士がいくらいても足りんぞ!」
市街戦は「兵士の墓場」と呼ばれる。防御側が圧倒的に有利であり、攻撃側は通常の3倍から5倍の兵力と、途方もない時間を消費しなければならない。
しかし、中国軍に「時間」は残されていなかった。日米の補給と反撃の準備が整う前に、何としてでも台北を陥落させ、既成事実を作らなければならないのだ。
「……総書記、ご決断を」
統合参謀総長が、冷や汗を流しながら、円卓の奥で沈黙を保つ最高指導者を見た。
「我が軍の被害を抑え、進軍速度を回復させるためには……『あの兵器』の使用を許可していただくしかありません」
総書記は、無表情のまま、ゆっくりと頷いた。
「許可する。……抵抗の激しい区画を、市街地ごと焦土化にしろ」
「しかし総書記!」外交部を統括する政治局員が悲鳴を上げた。
「住宅密集地帯で『サーモバリック兵器(熱圧力弾)』を使用すれば、民間人に万単位の犠牲者が出ます! それこそ、世界中から戦争犯罪として永久に糾弾され、我々の大義は完全に失われます!」
「大義は、勝者が後から書き直すものだ」
総書記の目は、人間としての感情を完全に喪失した、絶対的独裁者のそれであった。
「抵抗する市民は、もはや人民ではない。分離独立を企むテロリストだ。……松山空港周辺、および西門町の敵防衛拠点に対し、PHL-191(長距離多連装ロケットシステム)による『サーモバリック弾頭』の集中斉射を命じる。見せしめとして、区画ごと文字通りの灰にしろ」
独裁者の冷酷なサインにより、市街戦のルールは完全に崩壊した。
台湾対岸の福建省から、身の毛もよだつような巨大なロケット弾の雨が、民間人が逃げ惑う台北の市街地へ向けて放たれたのである。
数分後。
台北市内で抗戦を続けていた台湾軍の予備役兵たち、そして地下に隠れていた民間人たちの頭上に、太陽が落ちてきたかのような強烈な閃光と、超高温の「爆風の壁」が襲いかかった。
サーモバリック弾(燃料気化爆弾)は、空中に散布した可燃性ガスに引火させることで、長時間の超高温と、強烈な衝撃波(爆圧)を発生させる悪魔の兵器である。
爆心地周辺のビルは、コンクリートごと飴細工のように融解し、吹き飛んだ。さらに恐ろしいことに、爆発の瞬間に周囲の「酸素」が急激に燃焼・消費されるため、地下鉄や防空壕に隠れていた民間人たちの肺から空気が強制的に吸い出され、彼らは外傷が一つもないまま、酸欠と内臓破裂によって大量に窒息死していった。
「あ、あああ……」
遠くからその巨大なキノコ雲を見た予備役の兵士たちは、絶望のあまり銃を取り落とし、その場に膝をついた。
たった一撃で、数千人の兵士と市民が、街区ごと「蒸発」したのだ。
中国軍は、台湾の抵抗の意志を物理的な恐怖でへし折るために、ついに「無差別大量虐殺」という、悪魔の扉を開き切ってしまったのである。
07:55 日本・東京/防衛省 統合作戦司令部(JJOC)地下指揮所
日本標準時、午前8時55分。
日本の市ヶ谷・地下指揮所でも、衛星が捉えた台北市街地の「異様な熱源」と巨大なキノコ雲の映像が、幕僚たちに底知れぬ絶望と戦慄を与えていた。
「……台北市内の複数箇所に着弾。爆圧と熱源の波形から、中国軍がサーモバリック兵器を市街地に直接使用したものと断定。……民間人の死傷者は、算定不可能です」
情報幕僚の声は、怒りと恐怖でかすれていた。
「あの中南海の連中、ついに一線を越えやがったな」
統合作戦司令官(陸将)は、血の滲むような力でデスクを殴りつけた。
「自らの国の領土だと言い張る島で、自らの同胞(人民)だと言い張る人間たちを、街ごと焼き尽くしたのだ。……狂っている。奴らは、自分たちのプライドのためなら、世界を灰にしても構わないというのか」
指揮所の空気が、かつてないほどの激しい憎悪と緊張で張り詰めた。
中国の指導部は、絶対に止まらない。彼らに理屈や外交的制裁は一切通用しないことが、完全に証明されたのだ。物理的な「暴力」には、それを上回る圧倒的な「暴力」でしか対抗できない。
「司令官」
通信幕僚が、震える声で叫んだ。
「オペレーション・ネメシス……我が国のイージス艦および地対艦ミサイル連隊から発射された『トマホーク巡航ミサイル』および『12式能力向上型』の群れ。……まもなく、中国本土の防空識別圏(ADIZ)を突破します!」
スクリーンに表示された緑色のミサイルの飛翔ルートが、中国大陸の沿岸部へ向けて、最後の突入軌道を描き始めていた。
目標は、福建省と浙江省に展開する人民解放軍のロケット軍ミサイルサイロ、および航空基地。
「……着弾まで、あと60秒!」
司令官は、息を呑み、スクリーンを睨みつけた。
台北の街が地獄の業火に焼かれる中、日本から放たれた戦後初の「他国本土への直接攻撃(反撃能力)」が、ついに独裁国家の喉元へとその鋭い刃を突き立てようとしていた。
そしてそれは同時に、中国からの日本本土への、ありとあらゆる報復(弾道ミサイル)の雨を呼び込む、破滅のカウントダウンの始まりでもあった。
午前8時00分。
台湾標準時で午前7時00分。
開戦から32時間が経過し、戦争はあらゆる人道的ルールのタガが外れた、完全なる「皆殺し」のフェーズへと突き進んでいったのである。
この話はシミュレーション小説であり現実のいかなる国を中傷するものでは有りません。




