第8話 冒険者ギルド
ヴェレント領の冒険者ギルドは、街の中心から少し外れた石造りの建物である。
昼前の通りは人が増え始めていて、荷馬車のきしみと物売りの声が路地を埋めていた。
エルの尾が揺れ、とても楽しそうにしている。
テルムがここに来る経緯を思い浮かべた。
——保管庫の工事を進めていると、材料が一種類足りなくなった。冷気を遮断するための特殊な液体で、市場にはほとんど出回らないものだった。昨夜の食卓でアエラが「ギルドに発注すればいいわ」と言い、フォルティスが「ついでに冒険者登録しておけ」と付け加えた。
「登録は急ぎじゃないが」
「いいじゃないですか、記念ですよ! 冒険者登録! ファンタジーの王道ってやつですよ!」
よくわからない理屈だった。
***
扉を引くと、石と木の匂いが混じった空気が来た。
内部は思ったより広かった。正面の宣伝板に依頼が山盛りに貼られている。左手のアーチの向こうに受付が一つ、がたいのいい男が数人でテーブルを囲み、依頼の紙を比べたり指差したりしているパーティがいる。賑やかな声が天井に吸われていく空気が、街の喧騒と少し違った。
受付に領主家からの依頼だと告げると、少々お待ちを、と言われた。
依頼板を眺めると、紙がぎっしりと貼られている。その中ほどに、似た内容の紙が何枚も並んでいた。下水道の魔物退治。区画が違うだけで、内容はほぼ同じ。日付を追うと、一週間前以上前から何度も続いているようだった。
「これ、ずっと出てますね」とエルが小声で言う。
近くを通りかかった職員に声をかけた。「この依頼は?」
「ええ、最近多いんですよね、きりがなくって」職員が困り顔で言った。「終わったと思ったらまた見つかって。まあ、冒険者にとっては悪くない依頼かもしれませんが」
礼だけ言って、職員から離れた。地下の魔物討伐の話はフォルティスもしていた。この話だったのかと納得した。
ほどなくして受付より声がかかった。
***
ギルドマスターの部屋はきれいに整頓されていた。少なくない書類の山があるにもかかわらず。部屋の主の几帳面さがにじみ出ているように感じた。
目の前には、綺麗好きが似ても似つかない、大柄な男。おそらく冒険者として名を馳せたのだろうことは想像に難しくない。
見た目とは裏腹に、話し方は丁寧で、依頼内容と素材名を確認していく。やり取りは短かった。
「全体的にはお受けいたします。ただ、お望みの素材はすぐにはご用意が難しくて」
「理由は」
「採取場に魔物が出ているんです。この二週間ほど、入荷がほぼ止まっておりまして」
間があった。ギルドマスターがどこか自分の言葉を選んでいるように見えた。
(……採取場か。)
コルネルが玄関先で口にしていた話はこれかと理解する。
「冒険者登録については受付に伝えておりますので、手続きと冒険者証の受領だけお願いします」
その言葉でギルドマスターとの会話は終わった。
受付に向かうなか、エルが「ついに来ましたね」と尾を一度動かした。
***
受付の手続きは淡々と運んだ。記入、確認、印。エルがきょろきょろと周囲を見渡し落ち着きがない。
冒険者証は、薄いプレートに刷込みが入ったものだ。身分証の代わりになるのでなくさないようにと説明を受けた。
そして、そのままギルドを後にする。
ギルドの扉を抜けたところで、不満気にエルが言った。「何も起きませんでした」
「何か起きるつもりで来たのか」
「起きるはずです!新人が登録に来たら、ベテランがひと悶着起こすのがお約束ですよ!」
「いや、ギルドに素材を発注して冒険者登録するだけだろ。普通に考えて何が起きるんだ」
「そこが起きるんです!」
「発注と登録が終わったら他に何がある」
「お約束が……」
エルが尾を振った。
***
帰り道に市場を回った。保管庫に必要な他の魔法素材を、ついでに仕入れておきたかった。
ざっと見た限りでも棚の空きが目立つ。先週より明らかに増えている。買おうと思っていたものをいくつか確認すると、値が上がっているものが多かった。——基礎素材は一つ滞ると影響が大きい。
屋台主の一人が隣の店の主人と主に仕入れの話をしていた。定期仕入しているポーションが今月もまだ来ないという話をしていた。隣の店の主人も同じ顔をしている。
「テルムくん」
振り返ると、エルが立ち止まっていた。尾がすっと上がっている。
「これ、何かありますよ」
断言する声だった。自信満々な顔だった。
「先週より棚が空いている。消える素材に偏りがある。仕入れ元がどこかで詰まってる、そういう話ですよね」
「……まあそうだな」
「つまり、組織の暗躍!」
「……いや、採取場に魔物だって言ってたぞ」
「えー、そんなぁ」
エルが鼻を鳴らした。テルムは次の商品を探しに市場を進んだ。
***
帰路、ギルドの前を通りかかったとき、扉が勢いよく開いた。
大柄な男が外に吹き飛んできた。石畳に叩きつけられたが、すぐに身を起こした。顔が赤い。捨て台詞を一つ吐いて、人混みに紛れるように駆け去った。
驚いて眺めていると、続いて、見知った顔が扉から現れた。腕を組んで、呆れ顔をしている。
「いい大人が新人いびりしてんじゃないよ、まったく……」
「……フォルティス?」
「あー、テルム。そういえば行くって言ってたな。はっはっは」
エルが尾を高く立てた。「きゃー、フォルティスさんかっこいー! テルムくん、見ましたよね!? あれですよあれ、お約束ってやつです!」
「……さっきと言ってることが違う」
「今のはちゃんとしたやつです!」
フォルティスが「何の話だ?」と首を傾げた。
「何でもない」
テルムはそれだけ言って歩き出した。
エルの尾が、ぴんと立った。
「テルムくん」
「なんだ」
「絶対これ、何か起きますよ! わたしの勘がそう言っています」
「……だろうな」
テルムには、反論する理由が見つからなかった。
——なんでわかったんだ。
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