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十四回も転生させられた賢者、もう限界なのでポンコツ女神を猫にして輪廻を終わらせる  作者: 在河りゅう
第一章

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第6話 トラブルの予兆と実験

 テルムは街を歩いていた。


 ヴェレント領の朝は、いつも賑やかだ。王都から馬で三日ほど北、この街には旅人と農村の人々が集まる。


 石造りの建物のあいだを縫うように、人と声と煙が絶えず流れている。


 エルの耳が一気にあちこちへ動く。


 尻尾まで忙しそうだ。


 売り子の声、鉄を叩く音、煮えている何かの匂いまで拾おうとして、どうにも落ち着きがない。


「あれはなんですか」


「干した果物だ」


「あの匂いは」


「香辛料の店が近い」


「すごい人ですね」


「市の日だからな」


 少し間を置いて、また。


「テルムくん」


「なんだ」


「テルムくん」


「うるさい」


 エルが一瞬しゅんとして耳を伏せた。


 だがすぐに耳が立つ。


 もう次の屋台に意識が向いている。


(……賑やかになったもんだ)


 誘拐事件から一週間、エルのいる生活にもだいぶ慣れてきた。


 この一週間で、魔法陣の素材はほとんど揃った。


 あとは、足りない分を買い足せば完成する。


 エルにちらりと視線を向ける。


(この女神は、好奇心の塊だ。倒れるまで本を読み、止めるまで質問する。知恵はあるのに、落ち着きだけがない。まるで知恵のある赤ん坊だ)


 そう思って、少しだけ口元が緩んだ。


 屋台に辿り着く。


 インクに混ぜる植物と、調合用の液体。


 棚を確認しながら、必要なものを手に取っていく。


(今日は品揃えがいい)


「あともう少しですね」


「ああ。これだけあれば最後までいける」


「すごく楽しみです! 何が起きるんでしょう?」


 エルが大きく尻尾を振る。


「……何も起きない」


 派手なのを期待しているようだが、雪の魔石を作るだけの術式だ。


 これだけ潤沢に素材が揃えば問題ない。


 テルムは棚を見返す。


 それにしても、今日は本当に品揃えが良い。


(ついでに、他の在庫も買い足しておくか)


 頭の中で、研究室の様子を思い浮かべ、棚の瓶に手を伸ばす。


 ——そのときだった。


「どろぼうよー!」


 甲高い声が市場の奥から飛んだ。


 エルの耳がぴくりと反応する。


 尻尾が細かく揺れ始めた。


(……本当に来るのか)


 前回、エルは言っていた。


「市場といえば、泥棒との遭遇がお決まりです」と。


 そのときは何も起きず、落ち込んでいたが——


 石畳を叩く足音が、まっすぐこちらへ近づいてくる。


「テルムくん、これは……」


 エルの目が輝き、身体がわずかに前に傾いた。


「気にするな」


 テルムは棚から目を離さない。


 周囲のざわめきが広がり、人の流れが割れていく。


「もうすぐですよ」


「出番ですよ」


「うるさい」


 エルの耳が忙しく動く。


 尾がリズムを刻む。


(絶対、楽しんでいる)


 テルムは小さく息を吐いた。


 男が駆けてくる。


 大柄で、荒い息。


 人の波をかき分けて、まっすぐこちらへ。


 テルムはもう一度息を吐き、ポケットから一粒だけ種を摘んだ。


 そのまま、棚に向き直る。


 エルが期待を込めて見上げる。


 ——さあ、テルムくん。


 尾がまっすぐ立ち上がる。


 ——やっておしまい!


 だが、テルムは動かない。


 ——あれ?


 エルが一瞬、間の抜けた顔をした。


「あの、テルムくん——」


 言い終わるか否か、男がテルムの脇を駆け抜けると同時、テルムが後ろに種を弾いた。


 次の瞬間。


 両足が、ぴたりと止まった。


 上半身だけが勢いのまま前に飛び出し、


 両手が宙に浮き、


 顔面から、石畳へ叩きつけられた。


 鈍い音が響く。


 エルが目を丸くする。


 周囲が一瞬、静止する。


 すぐに数人が駆け寄り、男を取り押さえる。


「こら、大人しくしろ」


「逃げんなよ」


 だが、男の足がもつれる。


「ちゃんと立て」


「あ?」


 誰かが足元を覗き込む。


「……なんだこれ」


 両足に蔦が巻きついている。


 ——さっきまで、そんなものはなかったはずだ。


 ざわめきが広がる。


 誰も答えを持っていない。


 テルムはすでに隣の店に移っていた。


 瓶を手に取り、底の刻印を確認している。


 エルがじっと見上げる。


「……テルムくん、期待してたのと違います」


「目立たない方がいいだろ」


 確認を続けながら、短く答える。


「わたしは無双が見たかったんです」


「そうか」


 納得していないエルを無視して、次の棚に移動した。


(ん?)


 ふと違和感を覚えた。


 棚の一角が、妙に空いている。


 前に来たときも同じだった。


(他の棚は在庫が戻ってきたのに……仕入れか、それとも)


 理由はわからない。


 だが、その場所だけ空気が違った。



 ***



 一通り在庫を買い揃えた頃には、太陽が真上に上がっていた。


「昼を食べてから帰るか」


「わたしも入って大丈夫そうですか?」


「昔馴染みの店だ、問題ない」


 市場の通りを離れ、噴水広場へと向かう。着いたのは、広場に面した宿屋だった。


 暖簾をくぐると、厨房の方からがっしりした体つきのおっちゃんが顔を出し、すぐに声が飛んでくる。


「お、テルム、昼飯か?」


「そうだ」


 おっちゃんはテルムの持ち物に視線を向けた。


「随分買ったな。また実験か? ほどほどにな」


 テルムは何も言わなかった。エルが目を輝かせた。


「え、何かあったんですか」


 おっちゃんがエルを見た。三秒ほど、固まった。


「……今、喋ったか」


「喋りました」


「従魔だ」とテルムが言った。


「へえ……」おっちゃんは納得したような、していないような顔のまま、エルに向き直った。


「まあ、まずは席についてくれ。食事はいつものだろ?」


 おっちゃんは席に案内すると、厨房の方に行ってしまった。


「何があったんですか?」


「さあな」


 しばらくすると、おっちゃんが料理を持って戻ってきた。


「さっきの教えてください!」


「おい——」止める間も無く話し始める。


「テルムの実験か? 色々あるんだが——去年の夏もひどかったぞ。虫が大量発生してな、虫刺されで泣きながら逃げてきたんだ。がっはっは」


「泣いてないし、逃げてない。ちゃんと処理した」


「でも、その後、セルウスから逃げたんだろ」


「その話はいいだろ」テルムが窓の外を向いた。「昔のことだ」


「まあまあ。でもエルちゃん、一緒にいるなら覚悟しとけよ」


 エルはテルムを見て、尾を一振りした。


「そういや——最近この辺は物騒でな」


 おっちゃんが声を落とした。


「夜に人が消えたって噂をよく聞く。貧民街の方らしいが」


 テルムは椀に目を落としたまま答えた。


「ふーん。気をつけておく」


 それだけで十分だった。



 ***



 午後


 自室の地下室への床板を持ち上げ、冷えた石段を降りていく。


 目の前には、床に広がった描きかけの魔法陣と綺麗に並んだ、道具や素材があった。


(さあ、最終段階だ)


 エルの輪郭が揺らぎ、エランが現れる。


 白い衣だけが、薄暗い地下で浮いていた。場違いなほどに明るい。


 テルムは購入してきた素材を並べる。


 インク。媒介石。補助ラインの粉末。


 一つずつ、決めた位置へ置くと、頭の中の雑音が、すっと消えていった。


 手際よく材料を調合し、出来た塗料で魔法陣の続きを描く。


 静かな時間が流れる。


(これで、よし)


 最後の線を繋ぎ、視線を上げると、目の前に真剣な顔のエランがいた。


 エランと目が合う。


「この魔法陣は、高純度の雪の魔石を生成する術式だ。本来なら、この世界に存在しない希少金属が要る」


「へぇ……」


「だが、複数の植物と地竜の魔石を組み合わせれば、同じ効果を再現できることがわかった」


「へぇ……全然わからないです」


「いい。見てろ」


 少しずつ魔力を流し始める。


 周囲から淡く発光し出した。


「……すごい」


「まだ、確認段階だ」


「でも、すごいです。魔術って、こんな形になるんですね」


 少しの間。


 全部の線が薄い光で繋がる。


「綺麗です」


 本気の声だった。


 初めてに満ちたその目が、少しだけ羨ましい。


「発動してから言え」


 線が光を放ち始める。


 端から順に、光の帯が立ち上がる。


 やがて、陣全体が白い帯に包まれた。


 エランが息を呑む。


 その音すら聞こえる静けさ。


 空気が張り詰める。


 テルムは流す魔力の量を増していく。


 理論は問題ない。構造も崩れていない。


 あとは——


(……魔石の応答が鈍い)


 途端、ボフン、と間の抜けた音。


「やばい——」


「ええ、ええ!?」


 次の瞬間、視界が白に塗り潰され、吹雪が爆発した。


 地下室を暴風が駆け抜け、インクが飛び、粉末が舞い、棚が崩れる。


「上だ! 上に行け!」


 石段を駆け上がり、扉を引き下ろす。


 直後、下から叩く衝撃。がこん、がこん、と扉が浮き上がる。


「テルムくん! これ、いつ終わるんですか!?」


「直ぐだ、直ぐ切れる」


 二人で押さえつける。


 全体重をかける。


 やがて、音が弱まり、静寂が戻る。


「終わったな……」


「これ、どうなってるんですか?」


(……考えたくない)


「——開ければわかる」


 そっと扉を開けると、真冬の寒さが上がってきた。


 石段は雪で覆われている。


 おそるおそる下る。


 地下室は——見渡す限り白かった。

 壁も棚も道具も、さっきまでそこにあった形のまま雪に呑まれ、すべてが凍りついていた。


「……」


 テルムはしばらく見ていた。


「……魔石の純度が足りなかったか」


 背後で、エランが吹き出す。


「ぷっ、ははは! テルムくん、雪まみれですよ!」


「黙れ」


 凍てつく冷気が肌を刺す。


 このままなら、庭も凍る。


(……庭が凍る前に、セルウスへの言い訳を考えないとな)

ここまで読んでいただきありがとうございます。

引き続き更新していきますので、よろしければブックマークしていただけると嬉しいです。

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