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十四回転生した賢者はそろそろ幕を下ろしたい ~終わらない原因の女神を猫の従魔にしたので、今世でケリをつけます~  作者: 在河琉盤
第一章

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第6話 賢者の研究

テルムは街を歩いていた。


ヴェレント領の朝はいつも賑やかだ。


王都から馬で半日ほど南に下ったこの街には、街道を行き交う旅人と周辺の農村の人々が集まる。石造りの建物が肩を寄せ合い、煙と声と馬の蹄の音が重なって、朝の市場はいつも騒がしかった。


テルムはこの街が嫌いではなかった。


目立ちすぎず、かといって何もないわけでもない。


今世は少しゆっくりやろうと思っていた。


珍しく、そう思っていた。


エルが前を歩いていた。小さな体で石畳を踏んで、耳をあちこちに向けながら、足取りは軽い。


「テルムくん、今日もいい天気ですね」


「そうだな」


「昨日もいい天気でしたね」


「……そうだな」


「明日もいい天気だといいですね」


「うるさい」


いつもと変わらない朝だった。それがまあ、悪くなかった。


食料の買い足しと、エルが頼んでいた素材の確認。用事はそれだけだ。本屋の前で少し足を止め、並んだ背表紙をざっと確認してから通り過ぎた。


市場の手前に差しかかったとき、テルムは一瞬だけ視線を動かした。棚の一角が妙に空いている。隣の商人も同じ区画を気にしているようだった。季節の問題かもしれない。仕入れの遅れかもしれない。どちらでも構わなかったが、何となく目に残った。


「テルムくん、止まってください」


エルの声で立ち止まる。


路地の角に、小さな石像があった。台座には花が供えてあり、参拝らしき跡がある。人の形をした、細い彫刻の施された像。表情が妙に凜としている。


エルがじっとそれを見た。見た。まだ見た。


それから振り返った。両足でぴんと立って、胸を張り、片手を腰に当てた。尻尾がすっと上がっている。


「……神々しいですよね」


「どこがだ」


「よく見てください。この凛としたお顔、気品あふれる佇まい——崇めてもいいのですよ? ふふん」


「猫が言うな」


「今は猫型なだけです。本質は同じです」


「石像の方がおとなしそうだ」


「それは言いすぎです」


「でも似てますよね」と言いながら、尻尾が少し高くなった。テルムはため息をついて先を歩いた。


似ていない、とは言い切れないのが少し腹立たしかった。


***


昼になって、なじみの宿屋に入った。


暖簾をくぐると、厨房の方から声が飛んでくる。「お、テルムか」。がっしりした体つきのおっちゃんが顔を出した。テルムが物心ついた頃からここにいる。屋敷よりよほど長い時間を過ごしてきた場所だ。


「昼飯か」


「そうだ」


「また実験か? ほどほどにな」


テルムは何も言わなかった。エルが目を輝かせた。


「え、何かあったんですか」


おっちゃんがエルを見た。三秒ほど、固まった。


「……今、喋ったか」


「喋りました」


「従魔だ」とテルムが言った。


「へえ……」おっちゃんは納得したような、していないような顔のまま、エルに向き直った。「テルムの実験か? まあ聞いてくれよ。去年の夏なんかひどかったぞ。虫が大量発生してな、虫刺されで泣きながら逃げ回っとったわ。がっはっは」


「それは知らなかった——」


「その話はいいだろ」テルムが遮った。「昔のことだ」


「まあまあ。でもエルちゃん、一緒にいるなら覚悟しとけよ」


エルがテルムを見た。にこにこしている。テルムは窓の外を向いた。


虫の件は失敗というよりは想定外の副産物であって、あれは術式の構造上やむを得なかった。説明するほどのことでもないのでしていないが。


「そういや、最近この辺も物騒でな」


食事を運びながら、おっちゃんが声を落とした。


「夜に人が消えたって話を聞いた。街道の方らしいが」


テルムは椀に目を落としたまま答えた。


「ふーん。気をつけておく」


それだけだった。いつもと変わらない忠告だと思った。


***


午後になって、自室に戻った。


テルムの部屋は、屋敷の離れにある。庭に面した静かな場所で、ここだけは自分のペースで動ける。地下室も自分で掘った。何かあるたびに少し広げてきたので、今では相応の広さになっている。実験のことを知っているのは、おっちゃんと——あとはエランくらいのものだ。


石段を降りると、冷えた空気が来る。準備は昨日のうちに終えてあった。道具の配置、素材の配分、術式の確認。迷うことがないように全部決めておく。これは癖だった。何世もかけて染み付いた、たぶん最初の頃からの癖だ。


エルの輪郭が揺らいで、エランが立った。自室に戻るとだいたいこうなる。白い衣が地下室の薄暗さの中でやけに明るかった。


テルムは道具を並べ始めた。インク、媒介石、補助ラインの粉末。棚から一つずつ取り出して、決めた場所に置く。一つ置くたびに全体の形が整っていく。段取りを踏む時間は嫌いではなかった。考えることが多すぎて頭の中がうるさい時でも、手を動かしていると静かになる。


床に魔法陣を描き始めた。複数の術式を組み合わせた、今世向けの構成だ。線一本の角度が狂えば全部やり直しだ。


「この魔法陣は、荒廃した世界で高純度の氷の魔石を生み出すために作ったものだ。本当は希少金属を用いるんだが、この世界ではまだ見つかっていないので、複数の植物と地竜の魔石で代用する。原理的には——」


「うへぇ、全然わからないですー……」


「まぁ、見てろ」


エランがいつの間にか静かになって、手の動きを見ていた。さっきまでの賑やかさが嘘のように、息を殺して見ている。


「……すごい」


「まだこれからだ」


「でもすごいです。魔術って、こんな形になるんですね」少し間があった。「綺麗です」


エランの声は本気だった。下界に来てから何もかもが初めてで、全部が素直に驚けるらしい。時々それが羨ましいと思う。テルムにはもうずいぶん前から、初めて見るものがない。


「発動してから言え」


魔法陣の線が光り始めた。端から順に、一本ずつ、静かに。エランが小さく息を詰めた。全ての線が繋がって、陣全体が白く輝く。エランの目が広がった。


テルムは集中を保ちながら、魔力を通した。理論は合っている。構造は問題ない。あとは——


「……魔石の応答が鈍い」


ボフン、と情けない音がした。


次の瞬間、魔法陣から吹雪が吹き荒れた。


地下室の中で暴風が起きた。インクが飛ぶ。粉末が散る。棚の上のものが雪崩れる。テルムは反射的に目を細めた。


「やばい」


「ええ、ええ!?」


「上だ、上に行け!」


二人で石段を駆け上がり、扉を引き下ろした。がこんがこん、と下から何かが叩き続ける。テルムとエランで全体重をかけて押さえた。次第に音が収まっていく。吹雪の勢いが落ちる。やがて静かになった。


そっと扉を開けた。


地下室が、白かった。壁も棚も道具も全部、雪に埋まっている。さっきまで整然と並べた素材が、どこにも見えない。


「……」


テルムはしばらく、それを見ていた。


「……魔石の純度が足りなかったか」


後ろで、エランが腹を抱えて笑っていた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

引き続き更新していきますので、よろしければブックマークしていただけると嬉しいです。

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